雪の下で

 二軍メンバーたちが政庁で集まってあれこれ話しているのも露知らず、エノーとロザリンデは宿泊のために借りている迎賓館の一室で、ストーブの熱と術式ランプの明かりだけが頼りの部屋で、身を寄せ合って過ごしていた。


「エノーの身体……とっても温かい。今夜はずっと離れたくないです…………」

「ああ……俺もロザリンデに離れられたら、あっという間に凍死するかもしれない。北方人の夫婦はほかの地方に比べてかなり仲が良くって、どんなことがあっても一生を添い遂げると言われていたが…………なるほど、こりゃ身を寄せ合わないと生きていけないな」


 猛吹雪が襲う外に比べれば、部屋の中は天国のように過ごしやすい場所だが、それでも頑丈な石造りの住居は次第に壁に冷たさが浸透して、冷凍庫のように冷えてきてしまう。

 ストーブなどの便利な家具がないこの時代に暖房として機能するのは、熱効率があまりよくない暖炉か、さもなくば人肌同士の温もりしかない。

 あとは、机に並ぶスープや魚の空揚げ、場合によっては度数が高い酒など、体の内側から温めるものを食べるのが一番だ。


「慈善活動でお配りしたスープの残りですが…………どうぞ、召し上がれ♪」

「ありがとう。俺も早速魚のフライを作ってみた。付け合わせもいろいろ用意したから、一緒に試してみるか」

「いいですね……。この季節ならではという感じがします」


 神殿の前で配っていた残りを温めなおし、少し塩とトウガラシを加えて味を調えたスープは、少々具が少ないながらも冬に取れる根菜が使われていて、スープのだしを吸って美味しく仕上がっている。

 さらに、あっさりとした味の小魚の空揚げは、色々と味を楽しむために、塩や黒酢、ニンニクのすりおろしなどを用意し、お好みに合わせてつけて食べることにする。


「くうぅ…………このスープが体に染みるぜ。このくたくたに煮られた野菜も、俺は好きだな」

「スピノラさんは確か、空揚げにニンニクたっぷり乗せるのでしたね。ふふふ、聖女がこんなのを食べてしまったら、失望されますでしょうか? 明日誰にも会えませんね♪」

「気にすることはない。俺も同じものを食べちまえば、同罪だ。お互いの息のにおいなんて、気にならないだろうよ」


 北方の食べ物は、味付けの濃さもさながら、匂いがきついものも多い。

 特に、やりすぎなまでにニンニクをまぶして食べるワイルドな食事は、家の外になかなか出られないこの地方では、匂いへの配慮をしなくていいという利点があるし、何より体がとても温まる。

 王国貴族のような薄い味に慣れている人間にはかなりきついのだが、なぜかロザリンデは平気どころか、極端な味の珍味を好むようになってきた。


「というかロザリンデ、お前はいい意味ですっかり逞しくなったなぁ。出会った頃は、こんな庶民的を突き詰めた料理なんて食わないものかと思ってたぜ」

「それは私自身も不思議なんですよね。エノーといると、未知への好奇心が抑えられなくて……なんでも挑戦してみたいって気持ちが湧くんです。もしかした、私がもともと持っていたのが、エノーによって外に出されたからなのかもしれませんね。おかげで、毎日飽きませんわ」


 そう言ってロザリンデは、ニンニクとネギがたっぷり乗った魚の空揚げを、フォークもナイフも使わない、手掴みで頭から丸ごとバリバリと食べている。

 ロザリンデ曰く「この食べ方はこの地方の礼儀にのっとった完璧な食べ方なのです」とのことだが、昔は作法に非常にうるさく、リーズに一挙手一投足徹底的に礼儀作法を叩き込んだ人物とは到底思えない。

 あまりのワイルドさに、エノーも思わず笑ってしまった。


「……っと、そうだ。スピノラさんからもらった蒸留酒もあったな。確か度数がめちゃくちゃ高いんだったか?」

「私も儀礼などの場でお酒を飲むことはありますが、度数が高いお酒というのは、どのようなものなのでしょうか…………?」


 空揚げを食べて口の中が辛くなったエノーは、スピノラからもらった酒のことを思い出し、グラスを二つ用意して、瓶から注いだ。

 芋と麦芽を発行して作られた蒸留酒は一般的に古い言葉で「生命の水アクアビット」と呼ばれており、古の賢者が魔法の薬を作る際に偶然作り方を発見したという言い伝えがある。

 作物があまり育たない北方地方でも栽培できるジャガイモや大麦を主原料とした蒸留酒は、この地方では冬でも夏でも必需品なだけあって、その製法はほかの地方よりも群を抜いて洗練られている。まるで水のように透明な液体だが、微かに麦とチーク材のいい香りがする。


「それじゃあ試しに」

「乾杯」


 二人は試しにグラスの底にほんの少し注いで、一口分だけ口に含んでみた。

 すると、無色透明なはずの液体が、口の中でグンと重くなったと錯覚するほど深い味が広がり、同時に焼けるような熱さが襲い掛かってくる。

 少し飲んだだけでもかなりの衝撃を受けた二人は、お互い一瞬だけ目をまわしてしまった。


「あわ、あわわ………解毒術を……」

「おおぅ、これは…………玄人向けにもほどがあるんじゃないか? いや、しかし……」


 この地方で最高度に熟成され、その中でも「ハート」と呼ばれる一番おいしくて、かつ度数が強い部分を抽出した特製酒はアルコール度数が50度を超えるともいわれており、下手に飲むと喉が焼けて声が出なくなってしまうこともあるという。

 これを楽しむことができれば、酒飲みとして上級者と言っていいだろうが…………この二人がストレートで飲むのは、まだ早いようだ。


「これは、あれだな…………蜂蜜酒に足して飲んだ方がいい」

「ふぅ…………息までお酒になってしまいそうです。ですけど、ふふふ…………なんか、楽しくなってきましたね。こんな寒い夜は、どの家でも私たちみたいに家族で寄り添って、強いお酒と味の濃い食べ物で、厳しい冬を堪えしのいでるのですね。本当に逞しい…………」


 酒も入ったことで、いよいよ体の内側から温まり始め、まるで自分がストーブになったかのような感覚を覚え始める。

 地獄のように寒いこの地方の冬を乗り切る知恵が、一種の天国を生み出しているかのようだった。


「ねぇ、エノー…………かつて王国では、北方にすむ人々のことを「流刑人」と呼んでいたのですよ。ひどいと思いませんか…………自然が厳しいこの地に生まれた人たちは、罪を犯した人たちに違いないと言っているのですよ」

「ひでぇなそりゃ。王国にいるメンバーに北方出身がいないのも、そんな気持ちがあったからなんだろうな。むしろ、中央で資産をむさぼってぬくぬくしてる奴らよりも、自分たちの力で生きてる個々の人々の方が、俺にはよっぽど偉く見える」


 ロザリンデの言う通り、王国上層部の心ないものの中には、北方人のことを「流刑人」と呼ぶ人もいる。

 これは、ベラーエンリッツァははるか昔、北から侵略してくる蛮族の前線基地として建設された際、労働力として中央から多数の罪人が徴用された歴史に由来しており、今この地に住んでいる人々は、その時連れてこられた罪人たちの子孫でもある。

 確かに、当時連れてこられた人々は多かれ少なかれ悪いことをしたのかもしれないが、この厳しい土地を開拓し、自分たちを適応させ、根を下ろした彼らの文化は十分立派なものだ。


「そういえば、シェマから聞いた話では、リーズもアーシェラも本格的に旧カナケル地方の開拓に乗り出したらしい」

「うふふ……リーズとアーシェラさんも今頃は家の中で一緒にご飯を食べて、そしてずっと密着して過ごしているんでしょうね。あの二人のことですから、来年にはもう赤ちゃんができてるかもしれません♪」

「春にまた会う時が楽しみだ…………っていうか、俺たちはあの二人よりも先にお互いに婚約したよな」

「ええ、そうですね」

「ってことは、俺たちの方が早く子供を作らないと、あいつらに負けた気分に…………なーんて、冗談冗談!」

「まあエノー! 実は私も同じことを考えていたんですよ! うふ、うふふふ、やっぱり私たちは以心伝心…………! リーズにもアーシェラさんにも負けない、世界一のラブラブ夫婦……!」

「お、おい…………ロザリンデ? 目が、少し怪しくないか……?」


 酒と料理が進んだせいか、ロザリンデは顔と耳を真っ赤にして、エノーの胸元にしなだれかかった。

 その様子は、いつもにもまして色っぽく感じ、エノーは思わず吸い込まれてしまいそうな感覚を覚える。


「エノー、知ってますか?」

「えと……なにを?」

「神殿の調査によれば、北方の人々はほかの地方に比べて夫婦仲がいいというのもありますが、子供の数もほかの地方に比べて圧倒的に多いみたいなんです。なんでかわかりますか?」

「……………そりゃあ、そうしないと次世代が生き残らないからだろう?」


 ロザリンデの質問に、エノーはあえてはぐらかすような回答をする。

 確かに、この地方では厳しい気候のせいで成人できずに亡くなる子供が多いが……それ以上に、吹雪で外に出られないことが多い北方では、家の中でできることは限られているわけで…………


 エノーがスピノラからもらった度数の強い酒も「夫婦仲をよくするお酒」としても有名で、冬ごもりの間に体を温めると同時に、何もやることのない夜を彩る役割も果たすのである。


「エノーっ!」

「は、はいっ!」

「私は生き残りたいです!」

「さてはお前、酔ってるな!? ここまでベロンベロンになったのは初めてだろ!?」


 こうして、エノーとロザリンデはまんまとスピノラの罠にかかり、二軍たちの集まりのことを気付くことなく長い夜を過ごすことになった。


 春はまだ遠い…………だが、雪の下に埋もれたこの街でも、遠い春に向けて動き始めた人々がいる。

 数か月後に雪が解け、大地に草木が芽吹いた時、彼らの動いた成果が表れることだろう。

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