―元2軍情勢― 臥薪嘗胆ネットワーク
氷雪の都市
リーズとアーシェラが温泉を掘り当てて、身も心もホカホカに温まっている頃――――
王国外の中小諸国の中でも最北端に領土を持つ、都市国家ベラーエンリッツァの中心部にある神殿で、貧しい人々を救済するための炊き出しが行われていた。
連日続く吹雪で都市全体が凍てつく中、魔神王の破壊で故郷を追われた者や、家を失った人々が降り積もる雪にその身を震わせながら神殿の前に列を作る。そして、その列に並ぶ人に、神殿で働く神官たちが鍋から温かいスープをよそい、硬くなった黒パンを手渡していく。
「ふぅ……だいぶ捌けてきましたね。一時期に比べればかなり少なくなったとはいえ、まだこれだけの人々が安寧な生活を送ることができないのは…………悲しいことです」
そう言いながら、神官たちの後ろから様子を見つつ彼らに指示を出しているのは、ベラーエンリッツァ神殿の神官長であり、かつては勇者パーティーの2軍に所属していた女性神官テレーゼ。
くすんだ茶髪を肩のあたりで切りそろえ、耳に宝石のイアリングを付けるなどそれなりにお洒落な外見で、顔立ちも非常に整っているが、目が糸目でしかも伏目がちなため、目が見えているのかわからないとよく言われている。まるで開拓村の猟師ブロスのようだが、実際彼女とブロスは遠い親戚だったりする。
生まれも育ちもこの街だったテレーゼは、この過酷な土地で必死に信仰を守り抜いた能力を買われて勇者パーティーに参加したが、中央神殿出身のロザリンデとその周囲の神官たちと折り合いが合わず、結果的に自ら進んで2軍落ちしたという反骨精神の持ち主である。
とても穏やかそうに見えながらも、心の奥底にある気性はとても激しく、話せば話すほど気難しい一面があった。
「さてと…………」
あわただしい状況がひと段落したと判断したテレーゼは、炊き出しを部下の神官たちに任せ、彼女自身は勝手口から神殿の中に戻った。勝手口から入ったところは神殿の厨房であり、そこでは一人の女性が大鍋で炊き出しのスープをかき混ぜていた。
「ロザリンデさん……今日の分はそれで終わりです」
「そうですか、ありがとうございます。今日も皆さんに喜んでいただけたでしょうか?」
「……ええ、誰もがスープを受け取った瞬間、笑顔になっていました」
「ふふ、嬉しいですね。この目で見ることができないのが少し残念ですが、私が少しでも皆さんの力になれるのであれば、それで充分です」
「…………」
炊き出しのスープを作っていたのは、諸国を巡る旅をしている聖女ロザリンデだった。
ロザリンデとエノーは一か月半に及ぶ旅の末、今から10日前にこの地にたどり着き、一年たった今も復興作業に追われるこの都市を救おうと、領主に協力を申し出たのだった。
そしてロザリンデはこの神殿でテレーゼに再会。初めは色々と拒絶されたものの、いま神殿では猫の手も借りたいほどの大忙しであり、その上連日の復旧作業と吹き荒れる猛吹雪、それに食糧確保と外敵の撃退でけがや病気になる人が続出していたため、結局テレーゼはロザリンデの力を借りることを承諾したのだった。
(本当なら、この人の力なんて…………中央神殿の力なんて当てにしたくありませんでしたのに。やはり私の力だけでは、すべての人は救えません。今は……自分の無力さが、憎くて仕方ありません)
自分の好き嫌いでこの街の復興を妨げてはならない…………それはわかっているのだが、だからと言って納得するかどうかは別問題である。
ロザリンデが力を貸してくれたことで、野戦病院状態だった神殿内のけが人や病人はほとんど回復し、過労で倒れる寸前だった神官たちもだいぶ余裕が生まれてきた。そして今では、回復した人々が厳しい冬を越せるように炊き出しを行う余裕さえ生まれた。
しかもロザリンデは、自分の手柄になると後でいろいろと厄介なことになるだろうと言って、自分自身はほとんど表に出ずに、あくまでも手柄はすべてテレーゼの物になるよう裏方に専念し続けた。おかげで町の人からの彼女の評判はうなぎのぼりだが、やはり腑に落ちないものがあるようだ。
「それよりテレーゼさん、少しいいですか?」
「……? なんです、私の顔に何かついていますか?」
「すこし、じっとしてくださいね」
「っ!」
大きな鍋をかき混ぜる手をいったん止めたロザリンデは、何を思ったか、テレーゼの額に手をぴとっと当てた。
突然のことで一瞬動揺したテレーゼだったが、ロザリンデの手が彼女の額に触れた直後、身体が急に軽くなっていくような感覚と、まるで若返ったかのような活力がみなぎってきた。
「テレーゼさん、あなた…………少し風邪気味でしたね。連日のお仕事で、疲れもたまっていたようです。応急的に私の術で治しましたが、本当ならしばらくはゆっくり休んだ方がいいと思いますよ」
「わかるんですか……そんなこと?」
「わかりますとも。いえ…………私も最近になって、ようやくわかるようになったというべきでしょうか。テレーゼさんは、アーシェラさんと似て他人のことばかり考えて、自らを顧みない傾向がありますから…………」
「はぁ……聖女様はすごいですね。本当に、何もかもお見通しですね。私も聖女様ほどの能力があれば、もっと大勢の人を救えるというのに…………」
「気に病むことはありませんよ。テレーゼさんには、この街に対する深い愛情がありますから、何が足りなくて何が必要なのかは、あなたが一番よくご存じでしょう。私にできることは、そのお手伝いをすることだけですから。では、炊き出しのスープはこれで完成になりますので、後は皆様の防寒着を繕って今日のお仕事は終わりにさせていただきますね」
今日最後の炊き出しのスープに蓋をしたロザリンデは、テレーゼにぺこりとお辞儀をすると、そのまま神殿の奥へと姿を消した。彼女はこの後夕方遅くまで、野外で過ごす人々が着用するなめし皮のコートを縫う作業を行う。
その後ろ姿は、まるで勇者パーティーの縁の下で人知れず働きつくしていたアーシェラにそっくりで、厨房に一人残されたテレーゼは思わず嘆息してしまった。
「女神様、お許しください。これが、女神さまが遣わした手助けなのでしたら…………私はいまだに、素直に受け入れられずにいます。この心の奥で燻る、自分でも嫌になるほどの醜い感情…………いったいどうすれば、捨てることができるのでしょうか」
厨房の片隅にお守りとして置かれた小さな女神像の前で、テレーゼは一人で懺悔をした。
まだ年若いテレーゼにとって、自分の存在意義を奪いかねないロザリンデへの嫉妬心と向き合い、それを抑えることはなかなか難しいことだった。
そして何より、彼女が苦しんでいる道はかつてロザリンデがアーシェラに感じていたものと同じであり、それに気が付いているロザリンデは、ゆっくり時間をかけてテレーゼの心を癒そうとしているのである。
ロザリンデの目論見はある程度効果があったようで、色々と心の中にため込みがちだったテレーゼも、最近は瞑想と懺悔で負の心を吐き出して向かい合うことができるようになってきた。
「ふぅ…………少しさぼってしまいましたね。神官たちが雪の中で頑張っているのに、私だけ楽するなんて言語道断です。すぐに戻らなくては…………」
気持ちを切り替えたテレーゼが、伏目だった糸目を笑うような形に変え、炊き出しの場所に戻ろうとする……………と、そんな時に、勝手口が開いて人が一人入ってきた。
「テレーゼさん、いる?」
「まあ、ルドルフ! わざわざ来てくださったのですか? 御用があるなら政庁まで伺いますのに」
入ってきたのは、まだ少年といえる年齢ながらこの街の領主をしている男の子、ルドルフ。
厳つい名前に反して、目が隠れそうなほど長く伸びた黒髪とやや気弱そうな表情をしており、どことなく開拓村のフリッツに似た雰囲気がある。
「実はテレーゼさんに大切な要件があるから、僕自身が直接呼びに行かなきゃと思って」
「大切な要件、ですか?」
「はい。この手紙を見てもらえますか」
そう言ってルドルフが差し出した手紙を開いたテレーゼは、ゆっくり内容に目を通していたが、読んでいる途中で細い目が急に険しくなる。
「これは……あのお二人には極秘ですか?」
「それについても一緒に話し合いたいんですけど、たぶんばれるのは時間の問題だと思うんです」
「まあ、そうですね。…………今夜、家にお伺いしますね」
「ありがとう。あと、今日はほかの人も来るから、あまり変なことしないでくださいね」
「えー」
「えーじゃないです」
吹雪がやむ気配がない氷雪の都市で、この日……極秘の計画が動き出した。
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