作法 Ⅱ
人は、どうしても本能的に自分にとって重要なことの方に意識が向いてしまう。
ある人にとってはどうでもいいことでも、別の人にとっては大切だと思うこともままある。
そして、今回マリーシアが引き起こした騒動も、まさにそのあたりに原因があるのだろうと、アーシェラは考えた。客観的に見れば当たり前かもしれないが、この当たり前に気づくことができる人物はなかなかいないのも事実である。
「改めて聞くけど、なんとなくでいいからリーズが一番食べ方がきれいだと思った人を教えてほしい。あ、僕は抜きでね」
「なんとなくかぁ…………それだったら、レスカさんかな?」
「なに、私か。そういうのは、てっきりミルカの領分かと思っていたが」
「ヤッハッハ、言われてみればレスカさんは背筋に鉄板が入ってるみたいに、ピンとしてるもんね!」
「あら、鉄板が入っているのは後ろの方だけでなく、前もでは?」
「おいコラ! 喧嘩売ってんのか!?」
食べ方がきれいな人と聞かれて、リーズはレスカを選んだ。
確かにレスカはブロスの言う通り、まるで体の前後に鉄板が入っているのではないかと思うほど姿勢がピシッとしていて、動作もキビッとしている。一方でミルカは、雰囲気が上品ではあるが、作法という面ではそこまで厳格に動いていないようだ。
「まあ、リーズさんがレスカさんを選ぶのも不思議ではありませんわ。レスカさんは王国の騎士階級の出身ですから、食べ方のマナーは幼いころからきっちり教わって、ほとんど癖になっているのでしょう」
「なるほど…………それは私自身も気が付いていなかったな。私も人の食べ方なんぞいちいち気にもしなかったから、マリーシアのように相手のマナーを指摘することもなかったが」
「でもさー、アーシェラ。そう考えると、一番食べ方がきれいなのって、リーズ様じゃないかなって俺は思うんだー」
「え? リーズが? そうかなぁ?」
「確かにリーズは、冒険者時代のころより明らかに綺麗に食べるようになったね。これもロザリンデさんのおかげかな」
一方で当のリーズも、ロザリンデから勇者になる準備をする際に徹底的に教育を受けたため、今ではほとんど自然にいい姿勢で食事をすることができている。しかしながら、今のリーズは王国社会の堅苦しい雰囲気から解放されて、彼女本来の癖…………
「でもね……ロザリンデさんはどうもリーズに、いや……リーズだけじゃなくて、マリーシアを含めて中央神殿にいる神官さんたち全員に、礼儀作法の『意味』を教えてなかったみたいなんだ」
「礼儀作法の……意味? もしかして、さっきシェラがマリーシアちゃんに、お皿の傾け方とかフォークの使い方の意味を聞いてたのは……」
「そう、そもそもなんでそんな動きをしなきゃいけないのか、そこから教えないと礼儀作法を学ぶ意味なんてないって僕は思うんだ。みんなだってそうでしょう? 食べる前になぜ「いただきます」と言うのか、人と挨拶をするときに「おはよう」「こんにちは」と言うのか、そんな意味についてあまり考えたことないんじゃないかな?」
『……………』
アーシェラにそう言われて、この場にいるメンバーはその場で考え込んでしまった。
「ヤァ村長、私は「いただきます」を言うのは、食べ物を作ってくれた人に感謝の気持ちを表すためって親に教わったし、子供にもそう教えてるんだけど、何か間違ってるかな?」
「いや、間違ってはいないと思う。けど、マリーシアはいただきますの言葉と同時に、手を組んで短い祈りをささげてた。たぶん彼女にとっては、いただきますは「女神様ありがとうございます」っていう意味合いが強いんじゃないかな」
「え~っ! 料理を作ったのは、女神さまじゃなくてシェラなのに!」
「とはいえリーズさん、この世界のすべては女神さまが作られたと考えるのであれば、その根源に感謝をささげる気持ちも理解できなくはないですわ」
リーズたちは再び「う~ん」と唸りながら、突然降ってわいた哲学的な問題について考え始めた。
普段何気なく口にしている「いただきます」の言葉でさえ、作物とそれを作った人に感謝するというブロス、料理を作ってくれた人(主にアーシェラ)に感謝するリーズ、そして自分たちのために生きる糧を用意してくれた女神さまに感謝しているであろうマリーシアと、人によってさまざまな解釈を持っているのである。
これらのうちどれが正しいのか…………たとえ共通見解があったとしても、結局感謝したい対象は人によって違ってきてしまう。
「そういえば、あの子はアーシェラにお皿の傾け方がおかしいって言ったんだよねー。実は俺もさー、小さい頃に親から「スープを掬う時は自分の方に傾けなさい」って何度も言われたんだけど、これもやっぱり意味があるのかなー」
「勿論意味はあるよ。王国式だと、最後の底まで掬うのはちょっと恥ずかしい行為だから、相手に見えないように自分の方に傾けるのが主流なんだって。逆に、ミルカさんがよくやるような、自分と反対側に傾けるのは旧カナケル王国式の作法なんだ」
「あら、よくご存じですわね村長」
「へぇ~、そんな意味があったんだ。リーズも知らなかった。じゃあ、ナイフとフォークの持ち方や、このアップルパイの切り方も、その大きさも…………」
「もちろん、ちゃんと全部意味があるんだよリーズ」
アーシェラの言う通り、礼儀作法の所作には多かれ少なかれ、それを行う「意味」が存在する。
特にフォークやナイフ、それにスプーンの持ち方使い方は、どう使えば綺麗に見えるのかだけでなく、どう使った方がその道具が最大限力を発揮できるのかを考えられていることが多い。
ナイフは刃を入れる角度によって切りやすさが違ってくるし、切り口を一定の大きさにするのも、その方が食べやすいし、なにより食べ方がきれいに見える。
リーズが作法も何も気にせずに元気にバクバク食べて許されるのは、彼女がとてもかわいいからであり、それと同時に純粋に心から美味しいと思っているのがよく表れるからだ。もしアーシェラがこんな食べ方をしたら、逆にほとんどの人の目に不愉快に見えるかもしれない。
だからこそ、誰から見ても美しい食べ方を見せるために、食事の作法は存在しているのである。
マリーシアへの対応策を話し合う会議のつもりが、いつの間にかマナー講習となってしまったが、アーシェラの教え方が丁寧だったせいか、この場にいる全員がアーシェラの講義に真剣に耳を傾けたのだった。
「ほぉ……まさかこんなところで、幼少期に教わった行儀の復習をすることになるとはな……」
「えっへへ~、シェラってやっぱり教え方上手いねっ! もしリーズが勇者様の作法をシェラに教えてもらえていれば、もっと自然にできたのかもしれない」
「僕はむしろ、ロザリンデさんがこんな基礎中の基礎も教えてなかったことにびっくりなんだけど…………まあでも、ロザリンデさんはロザリンデさんで、そういったことを教えてもらっていなかった可能性がある」
「王国社会は総虚礼状態ですか…………マリーシアさんがああなってしまう理由も頷けますわ」
マリーシアが融通が利かないのは、彼女が今まで生活してきてそれが当たり前だからであり、もはや「癖」となってしまうほどしみ込んでしまっている。
そして、それを教え込んだのもロザリンデをはじめとする中央神殿のえらい人たちであり、その彼らですら前代の神殿関係者から基本的なこと――――マナーの理由について教わっていなかったのだとアーシェラは結論付けたのである。
リーズが礼儀作法を窮屈に思い、そういった貴族的な社会に縛られるのを不快に思うのも、根本的に礼儀作法に従う意味が分からなかったからに他ならない。
もしきちんと意味を理解して学んで、相手への敬意を自然に思えるようになれば、王宮生活もそこまで窮屈なものにならなかったかもしれないのである。
「俺もリーズ様が勇者様やっていた時、すごくキチっとした方だなと思ってましたけどー、やっぱり今の方が自然体で好感が持てますよー!」
「えへへ~、そう? リーズもみんなのところ回るときは、勇者様じゃないリーズを見せたらがっかりするかなと思ったけど、今はもうそんなこと思わないもんね! だってシェラが、今のリーズが一番だって言ってくれるからっ!」
「そうそう、リーズには「定められた勇者様」のイメージなんて窮屈すぎるよ。ちょっと子供っぽくても、元気に笑って飛び跳ねるリーズが世界一かわいいに決まってるんだから」
「ヤヤヤっ、村長さらっと聞き捨てならないことを! 世界一可愛いのはゆりしーとうちの子たちに決まってるじゃないか! ヤーッハッハッハ!」
「なんだと? うちのフリ坊だって……いや、なんでもない」
「うふふ……やはり見解の違いは、そうそう埋まりませんわね」
結局、話し合いは各々のかわいい自慢になってそのまま夕方になってしまったが…………マリーシアは、本人が望むなら今後も村で面倒を見ることは確定した。
そして、マリーシアには少しずつこの村の生活に慣れさせることで、彼女自身に変化を促す方向性で見守っていくことになった。
しかしそれ以上に――――リーズは、アーシェラの言っていた、礼儀作法の意味と使い方のことを、この日から強く意識することになる。
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