無事
古狼の月16日――――リーズやアーシェラたちが南西の湿地帯への長期探索に出て14日目のこの日、いつも通り村の入り口付近の見張り台で守備を担っているレスカと、彼女の横で本を読んでいたフリッツが、村の方に向かって走ってくる人影を見た。
「む、あれは新入りのフィリル」
「でも一人だけだね…………まさか、村長やリーズさんたちに何かあったとか!?」
見えたのがフィリルだけだったので、二人は一瞬最悪の事態を想像して、顔を見合わせてゾッとしてしまったが…………もう一度見てみると、走ってくるフィリルの顔がそれはそれはとてもいい笑顔だったので、今度はほっと胸をなでおろした。
「間違いない、村長たちは無事に帰ってきていて、フィリルがそれを一足先に知らせに来たのだろう!」
「ぼく、水を用意してくるね! それと、ブロスさんたちを呼んでくるっ!」
レスカたちの思った通り、フィリルはすぐそこまで戻ってきているリーズたちの無事を知らせることと、
「おーい! レスカせんぱーいっ! フィリル、ただいまもどりましたーっ!」
「うむ、よくぞ無事に戻ってきた! もちろん、村長たちも無事なんだな?」
「ぜぇっ……ぜぇっ! は、はいっ!! リーズ様や村長たちだけじゃなくて、脱走したテルルも無事に帰ってきましたよ!」
「なに、本当か!? あの晩見つからなかったテルルがか! おおぉ、奇跡は起きるものなんだな!」
「おかえりなさいフィリルさん。お水をどうぞ。ちらっと聞いたけど、テルルくんも見つかったんだって! さすがミルカさんとミーナちゃんのところの羊だね…………鍛え方が違のかな」
全速力で走ってきたフィリルは、レスカのところにたどり着くころにはすっかり息切れして、沸騰したヤカンのように盛大に白い息を吐いていたが、リーズたちだけでなくテルルも無事に戻ってきたと報告するその口調はとても力強かった。
フリッツからコップで渡された水も、温めていない冷え切ったものだったが、十分に体が温まっているフィリルには真冬のこの季節でも最高の一杯に感じたのだった。
「ええっと、それでですね、テルルちゃんが帰ってきたのはいいんですけど…………」
「ん? 何か問題があったのか? まさかもう衰弱していたとか」
「いえ、衰弱どころか、むしろもっと元気になったといいますか…………」
「れ、レスカ姉さん! あれ見てください……なんか大きいのがこっちに!」
「何!? 大きいのがこっちにだと!? こんな時に魔獣の襲撃か? …………いや、あれは人? まさか村長たちが魔獣と!? いやしかし」
「やっば、説明遅くなっちゃった」
フィリルが、テルルが魔獣化して大きくなったことを説明する前に、フリッツとレスカは村に向かってのっしのっしと歩いてくる巨大羊を見つけてしまった。当然魔獣の襲撃を警戒する二人だったが、すぐそばにリーズたちの姿を見つけたことと、慌ててフィリルがあれがテルルだと説明すると、レスカたちはようやく警戒を解いた。
「あ……あれががテルル、だと? そんなバカな……」
「ええっと、害はないんだよね?」
「魔獣になっちゃったけど、とってもおとなしいよ。これもミーナさんの愛情の賜物ですね!」
果たして「愛情の賜物」で済ませていいものなのかは定かではないが、少なくともミーナがいればおとなしいことは確かだという。
なにはともあれ、実に月の半分も村を空けていた村長やリーズたちが無事に帰ってきた。
レスカとフリッツが大きく手を振ると、リーズたちやテルルの上にまたがるミーナが元気に手を振り返してくる。
また、それとほぼ同じタイミングで、フリッツが呼んできた留守中の村人たちがほぼ全員駆けつけてきた。
「やっほーレスカさんっ、フリッツ君っ! それに村のみんなもっ! ただいまーっ!!」
「僕たちがいない間も、みんなできちんと村を守ってくれていたんだね。よかったよかった」
「ようやく戻ってこられましたか。早く帰って寝たいですわ」
「えっへっへ~、みんなテルルを見て驚いてる~!」
「村長! リーズさん! それにイングリット姉妹も、よく無事に戻ってきてくれた!」
「まあまあテルルちゃんったら、見ないうちにずいぶん大きくなったのね!」
「おかえりなさい皆さん! なんだかずいぶんと荷物が多いですね、僕も下ろすのを手伝いますよ」
村の門をくぐったリーズたちと、巨大化したテルルの周りに、あっという間に歓迎する村人たちが集まった。
リーズたち5人は、十数日にわたる長期探索を行ったとは思えないほど活力に満ち溢れており、見る人によっては、むしろこれから冒険に行くのではないかと勘違いしそうなほどだった。
それでも、村の中心人物二人が長期間いなかったのは、村人たちも寂しかったようで、彼らを出迎える笑顔には格別の感情が見えた。
ミーナを乗せたテルルは、村人たちに囲まれても全く動ずることなく、村の中心部でゆっくりと足をたたんで体を下ろした。そのあとはひたすら村人たちにナデナデしてもらい、気持ちよさそうな表情を浮かべていた。
だが、その背中にはミーナのみならず、台車に積みきれなかった大量の「お土産」が積まれている。
巨大サルトカニスの毛皮と爪と牙、肥料にするための肉、その取り巻きのサルトカニス達の素材に、瀝青を詰めた瓶など――――まさに宝の山だった。
もちろん、台車「ミネット号」にも巨大ストレコルヴォの体丸ごとや、近場で手に入れた素材がいろいろと乗っており、村人たちを驚かせた。
「うわぁ……こんなに大きなサルトカニスを倒したんですか!? さすがはリーズさん!!」
「えっへへ~、リーズだけの力じゃないよっ。シェラにもテルルにもたくさん手伝ってもらったんだからっ」
「村長、これはもしかして」
「瀝青の原液だよ。湿地帯の中心部付近の泥濘層が瀝青になっているのを見つけたんだ」
リーズたちが持ち帰ってきた成果を見て、喜びに沸く住人達。
以前村を襲った巨大なサイの魔獣がもたらした素材の価値ですら村の二年分の資産に相当したが、今回のそれはもはや算定する気にもなれない。ハンバーグに換算しても、リーズが一生分食べてもまだ余るだろう。
そんな村人たちの様子を見つめるリーズとアーシェラは、ふと懐かしい気持ちを感じた。
「みんなが喜んでくれて本当に良かった。ねぇリーズ、この雰囲気、なんだか懐かしいと思わない?」
「えへへ、リーズもおんなじこと考えてたのっ! まだ冒険者だった頃も、リーズたちが無事に帰ってきて、みんなが心配しながら喜んでくれていたよねっ」
「ふふっ……僕が帰りを心配される側になるなんて、本当に久しぶりだ」
往く人、待つ人の心知らず――――とは、昔から有名な冒険者の格言だが、いつからかずっと「待つ側」だったアーシェラは、久々に「往く側」の気持ちを味わったような気がした。
そしてなにより、自分が先頭に立って育て上げたと自負する村が、自分の変える場所を預けることができるほど確固たるものに育ったことが、とても嬉しかった。
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