予感がする

 あまりの衝撃に心ここにあらずな表情で、頷いているが本当に理解しているかは当人にしか判らない。


「これで私は本当に一般人になった。今までのなにもかもを失ってしまった」


 まだ尻をついたままの笹良に手を伸ばし


「だからこれからは私の分も含めて働いてもらうぞ、いいか笹良。私のすべてを奪った男よ」


 差し出された腕をつかんで


「人聞きの悪いことを言わないでくれ。頼み事は聞き入れたけど、なにがどうして秋山のすべてを奪ったんだ? ったく、そんな言葉誰かに聞かれたら勘違いされるに決まって……」


 背後から物音。いやな予感がして振り返ればそこには、ほんの少しだけ開かれた扉から中の様子をのぞき見していた風と凛華の姿。見つかったと判って、数拍遅れて姿を隠す。


「み、見ていないよなんにも! 聞いていないよなんにも!」


 ご丁寧にバレバレに否定までしてくる。


「いやさ! なんか遅いから妙なことにでもなっていないか心配で見に来たんだよ! これほんと」


「うんうん。妙な現場に出くわしちゃったらこっそり見物しようだなんて事考えてなかったよ」


 ゴン! と、余計なことまで口にした妹の頭にげんこつを落とす。その2人を尻目に、1人嶄は戸を開けて堂々と中に入り


「飛鳥さんからの伝言、ここもばれちゃったみたい」


 まだ顔を赤く染めたままの笹良は、嶄の言葉に頭を振って正気を保ち


「って事は、ここから移動するのか?」


 しかし嶄は首を振り


「いや、ここで向かい撃つつもりみたい。その闘いを陽動として、飛鳥さんと一緒にいたあの2人が例の薬を持って新宿を出て、あの薬を大量に生産するんだと。あの薬さえ大量に完成すれば、この闘いも終結するから」


「なるほど。つまり揺動って事はここでの闘いをより派手にする必要があるって事か」


「そう、だから……」


 嶄の視線が秋山をとらえる。


「ここは今までにないほどの戦場になる」


「だからと言って私は逃げないぞ」


 嶄の言おうとしていたことを先に否定する。胸に手を当てて


「私はもう双つ影ではないかもしれない。しかし私一人だけ逃げていい理由にはならない。それに……」


 胸をつかむ手に力が入る。


「なにかおかしな予感がする。いい予感なのか悪い予感なのか判らないけど、私はここを離れてはいけない、そんな予感がする」


 笹良を横目で見て


「この闘いで終結するかどうかが決まるんだろう? だったらどこにいても同じだ。ここから私だけ逃げても負けてしまうのなら意味はない。勝つのなら逃げる意味もなくなる」


「それは……そうだけどさ」


 それでも渋る笹良の方を、ばしばし叩く風。押さえた笑顔で


「まぁいいんじゃない? 危なくなったら誰かが守ってあげればいいだけのこと。その役目は誰か、言われなくても判っているよね?」


 最後に一番強く背中を叩きつけ


「んじゃ、あたしら行くね。神楽坂とか出てきたらあたしたちよりキミの方が断然相性いいから、その時はまかせるよ」


「あ……おう」


 曖昧に返事をして、風凛華嶄の三人が閉められる戸に隠れて消える。ぱたんと静かな空間に戸が閉められる音が鳴り、また2人だけになる。秋山は先ほどから胸を締め付ける予感に、服をつかむ力をよりいっそう強めていて、笹良は締められた戸の先、見えるはずもない相手を睨みつける。


「キミも早く行け。ここにいつまでもいても仕方がないだろう」


「ん……あぁ。判った。行くかな」


「あぁ、行け。風が言っていた通り神楽坂みたいな双つ影が出てきたら、キミの力が圧倒的に役に立つんだ。ここで私といても意味がない。ホラ、さっさと行け」


 アゴで戸の先を指して、手で追い払う。


「おいおい、オレはのけ者か? その扱いは酷くないか?」


 両手を肩の高さまで上げつつ振り返る、笹良の苦笑混じりの表情につられるように秋山も同じ顔をする。


「なにを言う。今ここではのけ者だぞ。ここに居着けば居着くほど、キミは用無しになっていく。ここから出ていって初めて、キミは価値ある人間になる」


「さらに酷いことをさらりと言ってくれるな」


「本当のこと、だろ?」


 腰に手を当てて、見下すように笑みをこぼす。


「今にも最後かもしれない闘いが始まろうとしている。キミはその要になるかもしれない」


「それは嬉しいことを。でも、知っている通りオレの力は一定の条件下じゃないと役に立たないが?」


「それならもう大丈夫だ」


 今度は腰に手を当てたまま胸を張って


「今のキミは私のすべてを受け取っている。安心しろ」


 しかし笹良は首を傾げて


「それがよくわからない。どういう意味なんだ?」


「それはだな、闘いになってみれば判る。ほら話はここまでだ。さっさと行け」


 手で追い払いつつ、自ら戸を開いて外へと促す。


「キミは頑張ってこい。私はここからそれを見ていてやる」


「ハイハイ、判ったよ」


 促されるまま部屋の外に出て


「それじゃ行ってくる」


 後ろ向きに歩きながら、戸を背にして見送る秋山に一度だけ手を振る。前を向き直してまっすぐ進み出した笹良の背中を見送り、角を曲がって見えなくなった頃に視線を外して、通路の窓から眺められる外の景色に目をやる。


「さてと。あと私に出来ることはなんだろうな」


 見上げる先の景色は雲一つ無く晴れ渡っていて、そこだけをただ見つめることが出来たのであれば、不安など消えて無くなっただろう。

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