私のすべて

 小瓶をしっかりと手の中に収めて部屋の中に入っていく。残された面々は瞬時には反応できなかったが、それぞれ無言で部屋の中ヘト戻っていく。先に座って待っている飛鳥の左右となりに腰を下ろし、静かに言葉を待つ。


 静かに時だけが過ぎていって、ただ正面だけを見つめていた飛鳥が、ようやく口を開く。


「私は……弟という存在をまったく知らなかったようだ。

 私よりもアイツは……こちら側の人間だったのだな。先ほど話にも上がった秋月くんの双つ影としての力を奪った毒だが、アレは毒ではない。この双つ影同士の闘いを終わらせる特効薬のようだ」


 手の中の小瓶を掲げて診せて


「やはり私たちのこの力は一種の病気のようだ。病気ならば薬で治る。そしてそれがその薬。接種された双つ影は一時熱が出るもののそのあと双つ影ではなくなり、一般の人間に戻ってしまう。

 そうまさに今の秋月くんだ」


「それをなんであの女性はこちらに?」


「つまり最初っから飛鳥さんの弟はその薬を作るためにあっち側にいたって事?」


 話についていけなくなってきたのか、姉と兄の横で頭を抱えてく日を回してう~う~唸る凛華。


「ちょっと待ってくれ! つまり秋月はその実験体にされたって事か!?」


 イスから立ち上がって飛鳥に詰め寄る。今にも食ってかかりそうな雰囲気の笹良に、神楽の左右に座っていた2人が立ち上がって前を塞ぐが


「いや、イイ」


 の一言で道を左右に空ける。


「実験体と言われても仕方がないのだろうな。しかし、手紙を読む限り相手の力を削ぐために作られたものであり、味方で実験することも出来なかったのだろう」


「つまり、打たれたものがどうなるか判らなかったって事か!

 怒りのあまり伸ばされた手が腰を下ろしたままの飛鳥の首元をつかむ。


「おい! 飛鳥さんから手を離せ!」


「いい加減やめなって笹良くん!」


「もういい!!」


 周りから言われ続け、秋月の声にはっとして手を離す。振り返ればそこには涙をうっすらと浮かべた少女が立ちつくしていて


「もういい。私がもういいと言うんだからもういいんだ。課程がどうであれ、結果私はこうして力をなくしただけでいるではないか。つまりそれはその薬が正常だと示している。だからもう、これ以上なにも言うな!」


 強く言い放ち、イスから立ち上がって部屋を出る戸に手をかける。


「ちょ! ちょっと待て秋山! どこに行く!」


「少し……1人にさせてくれ。気持ちの整理をしたい」


 体が出る分だけ戸を開いてその隙間から部屋を出ていく。静かに戸が閉まり、また静寂な空間が広がる。出口に手を伸ばしたままの姿勢の笹良を背後から見上げ


「で、キミはそこでなにをしている?」


「え?」


「行かなくていいのかと問いているんだよ? それともまさか彼女の言葉通り1人にさせておくつもりかい?」


「でも……」


「あー! もうまどろっこしいね!」


 ムチで、ではなく平手で笹良の背中を強く叩きつけて


「キミだって今あれだけ吠えた分ここにはいにくくなったんじゃないの? だったら頭を冷やすついでに行ってきなさいよね!」


 再度背中を叩く。


「ほらしっしっし! キミがいたから話がスムーズに続くなんて事はないんだから、早く行った行った。なぁに大丈夫。あとのことはあたしたちが色々と決めておくからさっ!」


 ばしばしと叩いて部屋の外へと追い出し、戸を閉めて律儀に鍵までかけてしまう。


「ほらほら行った行った!」


 扉越しの声にあらがうのをやめて、ため息ついて戸から離れて左右を見回す。


「さて、どっちへ行ったんだ?」


 今までいた部屋の戸を背にして、左側の通路はここまで連れてこられた通路。外までの道順は憶えている。右側を進んで行き着く先を笹良は知らない。複雑な構造の建物と言うわけではなかったが、なにしろ部屋が多いために彼女がどこにいったのか判らないと探し出すのに骨が折れる。左へ右へと首を動かし、勘で右側を選んで足を進める。進んでいって、すぐにこちらを選んで正解だと気付く。長い間積み上げられた床のホコリに足跡がくっきり映し出されている。いくつかある中でその一つは最近創り出されたように綺麗に出来ていて、続く先には1つの部屋。

 扉の前に立って息を飲み込み、ゆっくりと2度ノックする。


「……いるか?」


 続いて声をかけ、少し待つ。返事はない。しかし声をかけたあとに微かに物音が中から聞こえてきたのを、笹良は聞き逃さなかった。


「入らせてもらうぞ」


 返事はついになかったが構わずノブに手をかけ、鍵がかかっていないのを確認しておくに押してとを開く。元々資料湖かなにかで使われていたのだろうか。棚はすべてが倒され、積み上げられていたであろう資料がさんざん散らばっている。その中で一角、綺麗に明いた一角に置かれたパイプイスに片膝を抱えて腰かけている秋山の姿。入ってきたのが先ほど聞こえた声で頭に浮かんだ通り笹良だと知り、しかしそのために上げた顔がまた下を向く。


「1人で……気持ちの整理ができたか?」


 足元に気をつけながら秋山のすぐそばまで近づく。


「……出来るわけがないだろう。そう簡単に」


「それはそうだろうな」


 うつむいたままの彼女の表情を下からのぞき込もうとして、先に上げられた彼女に見つめられる。あまりにも近づいたお互いの顔に、しかしその状況でも秋山はまっすぐ彼を見つめて


「私はな、出来ることなら、いや、何がなんでも父をこの手で止めたかったんだ」


 いきなり顔を上げたときは心臓が止まるぐらいに驚いた彼だったが、それで相手も同じリアクションを取ってくれるならいいが、相手がそれを気にしないように話を始めたので先ほどより少しだけ顔を引いた姿勢のままで耳を傾ける。


「父がここにいると知って、いつの間にか私自身にも父と同じような力、いや父からうつされて双つ影になってしまった。だからこそ、この力があれば最早なにをしようとしているのか判らない父を止められる、そう考えていたのに、これか」


 開いた手のひらを見つめる。意識すればいつも手の中に握られていた日本刀が、今となっては手のひらの上が微かに歪んでいる、それだけになってしまっている。


「私は見ての通り、もう非力な人間だ。双つ影と出会ったところで闘うことさえ出来ない」


「だったらさ」


 表情も声も姿勢も段々と深く沈んでいく目の前に少女に


「オレがその役目、代わってやるって言ったらどうだ?」


 光となる言葉を与える青年。落としていた表情を上げれば、そこには自分が言った言葉が恥ずかしかったのか、照れた様子で髪をかき上げる笹良。目をそらしたままで

「ようは秋山の父親を止めればいいんだろ? どんな能力か判らないけど、やらなくちゃいけないことだったら、やらなきゃだろ? それに」


 続く言葉が、秋山が笹良に抱きついたことによって閉ざされる。


「あの? ちょっと秋山さん? なにをしているのですか」


 あまりに突然のことに丁寧語。動きも今までになくぎくしゃくしていて、自分の胸に顔を埋めている少女の後頭部さえまともに見ることも敵わない。


「ありがとう」


「……え?」


「こんな事、誰にも頼めなかった。相手はこの騒ぎを生み出した帳本人だ。みんな、止めるという目的は同じだろうけど、生かして止めて欲しいだなんて事は頼めない。そうでなくても父の力は判らなくて、危険だらけかもしれないと言うのに……」


 震えている少女の方を、しかし秋山は抱きかかえることまでは出来なかった。


「娘が父の無事を願っているんだ。それを叶えないでどうする? まぁ、やれることだけはやってみるよ」


 胸から顔を離した秋山の目尻にはやはり涙が浮かんでいて、やはり照れている笹良に笑顔を振りまく。


「本当にありがとう。言葉で言い表せないほどにな」


 感謝の言葉を述べれば述べるほどこの青年は顔を赤くすると判って、少し意地悪そうにけらけらと笑う。


「そう言えば、先ほどつい言葉を遮ってしまったが、それに、なんなんだ?  それにに続く言葉を教えてもらおうか?」


 自分から離れて前屈みに訊ねてきた問いかけに、一瞬なんのことかと考え込む秋山。しかしすぐに思い出して、さらに顔が真っ赤になる。


「あ、あぁ、あれか」


 めをそらしつづけて


「あれはだな。その、なんだ」


 溜めに溜めて


「仲間、だよなオレたちって。仲間の願いはやっぱり聴かなくちゃなって、そう言おうとしたんだが、悪い、忘れてくれこんなの」


「そんなことはない」


 それまでの笑みを消して、背の高い秋山の顔に近づくようにつま先立ちで背を伸ばす。2人の顔が息が届くまでに近づき、急な出来事に笹良が固まって反応できない内に秋山から、唇と唇を重ねさせる。驚きのあまり目を目一杯開いた笹良に、薄く微笑んで目を閉じている秋山。対照的な2人が離れたのは数秒後。意識を失いかけていた笹良は足がふらふらになって、足元の資料に躓いて資料のベットに倒れる。触れていた余韻があるのか唇に絵を当てて潤んだ瞳の少女。


「今のは私のすべて。ご褒美って意味もあるから、ちゃんとお願いするよ」

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