口にした言葉は冗談ではなくなる
さらに深くため息つく笹良兄。
「いくつか言っておく事がある」
その言葉を告げた表情はいつになく真剣で、笹良の視線が兄に固定された。
「お前があの時新宿に行っていたのは、ただ偶然だ。なにかを取材するために意図的に新宿内にいたわけじゃない。警察にそう報告しておいて、今さらその言葉を変えるわけにはいかない。それは許されない」
腕を組んで、さらに続けようとした言葉を一瞬だけ躊躇して
「もう一つ。おそらくそのことを政府は知っているだろう。政府が公表しない事を1記者が発表したとしたらどうなると思う?」
笹良の肩に手を置いて
「慎二、お前は柚依に、オレの娘に悲しい思いをさせないと信じているからな」
肩に置かれた手に力が入って笹良が顔をしかめている。笹良兄は気付いているはずだが気にしていない。
「それにな、それを公表したところで、その双つ影だったか? 彼らに対する恐怖がより生まれるんじゃないか? 人ってのは自分と違う人に対して恐怖さえ生み出すものだ」
「だけど、双つ影ってのは空想じゃない、実際にいるものだ。いくら政府がそれを隠そうとしたっていつかはばれるものだろ。その時に間違った情報が広まるよりは、事情を知っている奴が間違った情報無く広めた方がいいだろ」
肩にかかっていた力がさらに強くなる。強く顔をしかめるが笹良兄は気にしていない。
「オレは恐ろしいがな」
「え?」
笹良が見上げた兄の表情は言葉通り微かに恐怖が混じっている。
「人を超えた力を持つものがこんなにも近くにいる。例えそれがそれまで知っていた奴だとしても避けたくはなるな」
「たとえばそれが自分の娘だとしてもなのか?」
その言葉を口にした途端、それまでとは比にならないほどに強く肩をつかまれて顔を近づけられる。
「―――。
知っているか慎二、世の中には言っていい事と言ってはならない事があるんだ。例えそれが冗談でもな」
「冗談でも、なに?」
その言葉は笹良兄からしてみれば背後から。笹良からしてみれば兄の体に隠れたその先から。
「こんな時間なのに事務所の灯りがついていたからなにかな~って思ってきたんだけど、2人でなにを話していたの? めずらしいね父さんと慎二さんがにらみ合っているのって」
言われて初めて笹良はいつの間にか兄を睨んでいる事に気がついた。
眉間に寄っていたしわを伸ばして
「いや、なんでもないよ。なあ兄さん」
「ん……あ、あぁ。なんでもないな」
肩から手を離して笹良から離れる。娘に振り返って
「ちょっと記事の件で意見を交換していたところだ。それよりも柚依、お前こそどうした? 明日だって学校あるだろうに」
「う、それを言われるとキツいなぁ。だってさ、下の電気がついていたから気になったんだよ」
「その謎ならすぐ解けただろう。父さんと慎二がいるからだ。だから早く寝ろ。また遅刻するぞ」
「は~い。じゃあね慎二さん。お休みなさい~」
元気よく笑顔を振りまきつつ手を振り、それに笹良が答えてくれた事により笑顔を増し、実に嬉しそうに階段を上がっていった。階段を上がる音が聞こえなくなってから娘を見送った父親の姿が180度回転して弟に向けられ、その表情は笑顔ながらも鬼気迫るものが。
「いやぁ、仲が良くて父親としても実に嬉しいよ。いやいや本当本当」
「握りしめた鉛筆からまずは手を離そうか、兄さん」
書くというよりは刺す持ち方で近づいてくる笹良兄の姿に恐怖を覚え、イスから立ち上がってずりずりと後ろに下がる。
「冗談だ冗談。なんでオレが実の弟を刺し殺さなくちゃいけないんだ」
「さ、刺し殺されるのに思い辺りがあるんでな」
それでも警戒しながら座っていたイスに腰を下ろす。笹良兄は弟の言葉に腕を組んで困ったような顔をして
「柚依の事か? それに関しては確かに考える事もあるが、まだアイツは若い。誰かの元に旅立つなんて何年も先の事だ。今は多少好きにさせておかないとな。あまり縛り付けるとそのうち父さんなんて嫌いなんて事を言われてしまうかもしれないからな」
そんな事をいわれたら寝込んでしまう、そう告げる表情は父親の表情をしていて、今度こそ安心してイスに座り直す。笹良兄も自分のデスクに座り、ふと無言の空間が広がりどちらからともなく苦笑を漏らし、
「寝るか」
「そうだな兄さん。またなにかやって柚依ちゃんを起こしてもしょうがないしな」
そこまで書き上げたデータを保存して、パソコンの電源を落とした。
ベットに潜り込んでからちゃんと保存したかどうかが気になり立ち上がろうとしたが、ちゃんと保存したという記憶と一緒にもう書けないしな、と言う言葉が頭の中に響いた。その言葉に頷いてから意味不明な事に気が付き目を見開く。
もちろん部屋の中には誰もいないし、そもそもその声は彼自身のものに違いはなかった。首をひねりつつ再びベットに潜り込み、なんだったのかと考えている間に睡魔が素早く襲いかかってきた。
意識が闇の中に落ちる。
その言葉の意味を彼自身が思い知るのは3日後の事。
その日は気持ちがいいくらいの快晴で、自宅の方面から煙が上がっていたのは遠くからでもすぐに確認できた。取材から帰宅途中の笹良が最寄りの駅から出てくると、出入り口にちょっとした人の山。それらの人が見ている方角は総て一緒で、その方角は笹良の自宅であり、その上空には煙が上がっている。
妙な胸騒ぎに刈られ人の山を避けて通り自宅へと、走らないまでも早歩きで進む。主婦たちがなにやら話し合っていたり、消防車が横を通り抜けたりと、今ほど自宅までを遠く感じた事はなかっただろう。ようやく自宅が視界の中に入ってきた。辺りは数台の消防車で埋め尽くされ、野次馬は張られたロープの外からそこを、間違いなく笹良の自宅を見ていた。
「ちょっと通してくれ!」
幾重もの人の波を無理矢理にかいくぐり、ロープに手をかけたが消防隊員に止められる。
「この先は危険だから入るんじゃない!」
「通せ! 通してくれ! ここはオレの家なんだ!」
ロープを上げて通ろうとする笹良に、ロープを下げて誰も通さない隊員。そのやりとりが耳に入ったのだろうか
「慎二か!? こっちだ!」
人の波の外側から笹良を呼ぶ声。頑としてロープの内側に入れない態度を取る消防隊員を睨みつけて、きびすをかえしてまた人の波をかき分ける。入ってくるよりも多くなっていた人をかき分けて外に出て、辺りを探せば壁に背をあずけて手を挙げている笹良兄の姿が。
「兄さんなにがあったんだ! なんなんだよあの煙は!」
人の山をかき分けてロープの所まで行っても、台の消防車に囲まれていて見えるのは煙の上がっている自宅の3階部分だけ。笹良兄は口にくわえていたタバコを携帯灰皿に入れて、苦い顔つきで
「爆発だ。事務所部分で爆発が起きた」
「――は?!」
身の回りで起こりえないであろう単語に、表情を硬くして言葉を詰まらせる笹良。口がぱくぱくと開かれ、ツバを飲み込んで
「爆発って! 大丈夫なのか? 誰かケガしたとか……」
言ってから兄の姿を確認するが、見た感じ出血もない。
「オレは大丈夫だ。爆発の瞬間は家の外にいたからな」
「じゃあ叶依さんは、柚依ちゃんは!?」
服をつかんで問いつめてきた弟の手をつかみ
「叶依は爆発当時2階にいたらしい。本人はどこもケガしていないと言っていたが、念のため今は病院に行かせている。柚依は……」
笹良から視線を外して、煙の上がっている空を見上げる。
「1つ聞きたい……慎二。お前は柚依の事をどう思っている?」
「はぁ? 今そんな話をしている場合じゃ」
自分を見てくる兄の視線に言葉をいったん閉ざす。少し考えてから
「……柚依ちゃんは活発な女の子だよ。元気があって、行動力があって。おっとりとした叶依さんの娘とは思えない女の子だと思う」
「そうだ。あの子はいい子だ。オレの娘にはもったいないくらいにいい子だ」
ふところからタバコを取り出し、口にくわえようと、する指が震えてタバコが地面に落ちる。
「……兄さん?」
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