番外編(10)
ここまで自分を思ってくれる兄の思いがうれしかった。
誰も関心を払わなくなっていた自分のことを心配してくれる
どうしたらよいかわからずにいた想いをほんの少しだけ、ほどくことができたような気がした。
兄の言葉を借りるなら、向きあうことができた気がした。
アレックスはそんな安堵の表情を浮かべたバーンを見ながら、言葉をさらに続けた。
「でも、よかったな。これでやっと一人前かな? 」
「………」
また深く煙草の煙を吸い込んだ。
「俺も思い残さず仕事に行ける」
急に表情が真剣になった。
「仕事?」
え!?という顔で兄を見上げた。
アレックスはちょっと困ったような顔をしながら、説明を加えていった。
彼がここに来た本当の理由は、この事を弟に伝えるためだった。
弟がどんな反応を示すか心配していた。
しかし、伝えずに出かけるわけにもいかなかった。
決まった事実は伝えなければならない。
「これから、でかい
なんでもない、ちょっと期間の長い取材だというふうに言った。
不安そうな表情で兄をただじっと見つめていた。
「………」
何の言葉も出てこなかった。
ひとりになることが不安なのではなかった。
ここから去ってしまう兄のことを心配していた。
今し方話したことが現実になってしまうのではないかという懸念。
どうしても彼の心を蝕む強迫観念。
そのことが心の中に広がり、黒い影のようになっていた。
「生活費のことは心配いらないぜ。レニにいってあるから。毎月の給料がそのままお前の口座に転送されるようにしてあるから、今までと同じようにしろ」
アレックスは努めて明るく話しかけていた。
「………」
バーンは黙りこくっていた。
雰囲気がどんどん暗くなっていくのが見てとれた。
「なんだ?どうかしたか?」
バーンの内心はわかるが、そんなことはおくびにも出さないようにしていた。
「兄さん…。」
不安でたまらない顔で、兄を見上げた。
「なんて顔してんだよ」
口に煙草をくわえたままで指摘した。
嫌な沈黙が流れた。
バーンもアレックスも何とも言えない顔でお互いを見ていた。
なんだか言葉にできなかった。
そのまましばらく固まってしまった。
ため息のように息を吐きながら、バーンが肩を落とした。
「……だから、銃を持った?」
左脇に収められたホルスター。
白いシャツに黒く映えるホルスター。
それに収められた鈍い光を放つ銀色の物体。
バーンはそこに視線を向けた。
昔から兄は喧嘩では強かった。
誰にも負けたことはなかった。
何かと暴力に訴えられて、いじめられていた自分をかばってくれていた兄。
陰になり日向になり、自分を守ってくれた兄。
友達という存在と縁の薄かった自分の横にいて一緒に遊んでくれた兄。
そんなことを思い出していた。
アレックスもそれに気がついた。
くわえていた煙草を再び灰皿で押し消した。
右手でホルスターから銃を抜いて、握ってみた。
銀色の357mag.がずっしりと手に馴染んでいた。
「ま、そいつも理由のひとつにはある。未だに紛争が続いている結構な危険地帯に行くわけだからそれなりに準備はしていくさ」
セーフティがかかっていることを確認すると弾倉を指で押し出した。
リボルバーには弾丸が6発きちんと収められていた。
また元に戻す。
ガシッと小さな音が聞こえた。
「………」
慣れた手つきで銃を扱う兄に驚きを隠せなかった。
ほんのしばらく会わないうちに変わってしまったのだろうか。
「別に中東に行くからって、戦争しに行くんじゃねぇぞ」
そんなバーンの視線に気がつき、同じ場所に銃を仕舞い込むと言い訳がましく言ってみた。
理由はどうとでも付けられる。
自分の身を護るため。
生きて戻るため。
死なないため。
そのために銃を持ったのだと。
どんな理由があるにせよ人を傷つける道具を身に付けていることに嫌悪感を抱いたのだろう。
それは容易に推測できた。
『命』に、『生』と『死』にことさら敏感なバーンのことだ。
それを許せないと思ったに違いなかった。
「取材だ、取材。いわゆる現地レポートってヤツだって」
暗い雰囲気を払拭しようとするように、片手を上に上げて大きく振りながら叫んだ。
仕方ないのだから納得しろと言っているようだった。
「死にに行くわけでもねぇし。そんな顔すんなって」
「………」
バーンの表情が曇った。
銃のこと以上に兄の身を心配していた。
そんな危険地帯に行って、本当に無事帰ってこられる保証があるのかどうか。
黙ったままうつむいた。
「心配性。」
不意に近づいてきて、バーンのやわらかな髪を大きな手でかき上げた。
「………」
(兄さん……。)
そのままアレックスはさっきまで座っていたイスにどっかと身を投げ出した。
「死にゃしねぇって。それに、」
いつもの自信満々の口調でバーンを安心させようとして言った。
「あの『約束』もあるしな」
忘れてないからなとでも言うように、アレックスは照れくさそうに笑った。
「………」
バーンも6年前のことを思い出した。
『約束』
アレックスとバーンしか知らない『約束』。
両親の事故死を知った夜、アレックスはバーンに誓った。
『どんなことが起こっても死なない』と。
『何があってもこの約束だけは守る』と。
「わかった……」
バーンは静かにうなずいた.
口では承諾したが、心のなかはそうではなかった。
苦しくて仕方がなかった。
「そんな疑いの眼で見んなって」
からかうようにアレックスは言った。
手にはまた火のついた新たな煙草があった。
「俺がお前との約束を今まで破ったことがあんのかよ? ん?」
口元に煙草を持っていくとゆっくり吸い込んで、その煙を天井に向けて吐き出した。
「………」
バーンは黙って兄の顔を見つめていた。
そう言われれば確かにそんなことはなかった。
幼い頃から今までを思い返してみても、兄が一度やると言ったことでできなかったことはなかった。
それを思い出した。
「信じなさいって。俺は運がいいんだ」
そんな弟の微妙な表情の変化を見ながら、敏感に思考を読み取った。
「運だけじゃなくて顔もいいんだけどな。身体もいいけど」
「………」
ちょっとバーンが固まった。
昔と変わらない、自信過剰の兄が眼の前にいた。
「…兄さん」
困った顔でアレックスを見ていた。
さっきの張りつめた雰囲気は薄らいでいた。
「ああ?」
生返事をして、イスから立ち上がって部屋を出ようとした。
「さて、」
「兄さん、……今回はどのくらい家にいられるの?」
それを引き止めるかのようにバーンは言葉を続けた。
「ん~今日、明日ってとこか。お前にこの話を伝えに来ただけだし、レニとの打合せもあるからNYに戻らにゃならん」
「………」
やはり帰ってしまうのかという落胆とも不安ともつかない表情を浮かべてしまった。
それを見て楽しそうにアレックスはバーンの顔を覗き込んだ。
「何だ、急に寂しくなったか?」
「………」
そうだったのだが認めるのは、さらに兄を喜ばせそうでいやだった。
上目遣いに兄を見ていた。
「あ!」
ちょっと白々しかったが、持っていた灰皿を落としそうなほどの大声を急にあげた。
「そういや、」
持っていた煙草を口にくわえた。
「………」
「名前聞いてなかったな。なんていうんだよ? 彼女。」
バーンは一瞬眼を見開いた。
『彼女』という言葉を聞いただけで、自分の脳裏にラシスの笑顔が浮かんだ。
髪をかき上げながら、まぶしいばかりの笑顔を向けた彼女の顔が。
そして、ゆっくりと眼を閉じ、重たい口を開いた。
「ラティ。ラシス・シセラ……」
恥ずかしそうに彼女の名を口にした。
その名前を聞いてアレックスは本当にうれしそうに笑っていた。
EIHWAZ 砂樹あきら @sakiakira
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