第17話 形見(2)
アレックスはフェンスの手すりに寄りかかりながら、ずっとたばこを薫らせていた。
彼女はうつむいたままベンチに座り、ひざの上にある自分の組まれた両手を見つめていた。
大型船の汽笛が遠くの方から聞こえた。
「…なぜ、…」
「ん?」
「そんな大切なことまで初対面の私に教えてくれたの?」
ここまで続いた話をもう一度思い返しながらたずねた。
「あんたが聞いたからだろ?」
「茶化さないで!」
少し声高になる。
が、そんなことで彼は怯まない。
彼女の反応を見ながら、静かに言葉を続けた。
「はじめに言ったろ、あんたの気にかけ方が、ちょっと普通と違って見えたからさ」
彼女は自分と同じ感覚を持っている。
そう自分の直感が言っている。
はじめて彼女を見たときからアレックスはそう感じていた。
共鳴をおこしているように似通った存在だと。
だとしたら、彼女に伝えなければならないことはまだあった。
ふんっとため息をつくように、少し間をあけて話し始めた。
「あいつは、きっと自分のことは何も話さない。それじゃ、不公平だと思ったのさ」
口にくわえて煙草を手に持ちかえた。
赤い小さな火が揺れ動くのが、上から下への残像として見えた。
「あいつのことを知った上で、それでもかまってくれるなら、兄貴としては嬉しいんだけどな。あいつが…自分以外の他人に関心を示したのは、本当に初めてなんだ」
ラシスはアレックスの方に視線を向けた。
柵に手を掛けながら海を見ているので、背中しか見えなかった。
明るい金髪がなければ黒いコートを着ているので、闇に溶けてしまいそうだ。
「だけど、この話を聞いて、これ以上無理だと思って、君があいつから離れていったとしても、別に恨みはしないよ」
さらっとした口調でアレックスは言った。
「………」
黙り込んだまま、彼を見ていた。
アレックスは彼女の方に向き直った。
「君の気持ちが、もし、俺の考えている通りだとしたら。それはそれで君につらいことを確実に強いることになる。」
「………」
「普通の恋人同士のように言葉を交わしたり、キスをしたり、互いの存在を確かめ合うことは…できない。きっと、あいつは無関心を装う。君に冷たくあたったり、突き放したり、まるで何もなかったように君と接するだろう」
バーンの顔を思い出しながら彼は続けた。
「でも、それは、あいつの愛情の裏返しなんだ。『自分の周りにいる人間が死んでしまう』という強迫観念から、君を護るための…。偶然とはいえあまりにも重なりすぎているからな」
いつからだろう?
この強迫観念にバーンが取りつかれたのは?
自分の思いも行動も全てこれに支配されるようになったのは?
それを少しでも取り除いてやりたいと思い、行動していた自分と距離をとるようになったのは?
「それにさっきの話を聞いてわかったことがある。あいつがそこまで
「………」
「あいつは意識してないかもしれないけど、君は『特別』になりつつあるんだ。」
もしかしたら、自分という存在は、兄としての
その役目はもうすぐ自分ではなくなる…そんな気がしていた。
彼女は、急にうつむいた。
「………」
彼は煙草を地面に落として足で踏み消した。
「わたし…」
肩が小刻みに震えていた。
「わからない。」
ひと言だけ口をついてようやくでたような感じだった。
「なぜ、こんなにもバーンのことが気になるのか。ただのお節介かもしれないし…今日のアレックスの話……重すぎる」
ラシスはぎゅっと唇をかみしめた。
「少し、考える時間を……ください。」
「そうだな。俺は君の『答え』が知りたくてこんな話をしたんじゃないんだ。 たぶん、今しか話せないような気がしたから話したんだ」
「………」
「よく考えて、決めてくれ。その『答え』を」
ポケットに両手をしまいながら、少し彼女の方に近づいてきた。
「謝りついでに、ここまで、事を急いだ理由も話すよ」
右ポケットから煙草の箱を出して、もう一本新しいのをくわえた。
「俺、近いうちにあいつの前からいなくなる」
「!」
驚いたようにラシスは顔をあげた。
「仕事で中東の方へ行くのさ。1年間」
「アレックスまで、彼を見捨てるの?」
左手でジッポの蓋を開けると両手で火が消えないように覆いながら、その火を煙草に移した。
「違うよ。どうしてもやりたいことがあるんだ。それに俺はあの迷信は信じてないし、あり得ないと思ってる。現にこうして俺は生きてるわけだし」
真っ直ぐに彼女を見ていた。
「必ず、戻ってくる。ここへ」
また、しばらくラシスは考え込んだ。
両腕で自分の二の腕を抱きながら、ちょっと前かがみに座りなおした。
考えが堂々巡りをしている。
(私は、一体どうしたら…いいんだろう?)
耳元でかすかな金属音がした。
目の前には細いスクリューチェーンについた小さな銀の十字架があった。
驚いて体を起こすと今まで目の前にいたアレックスはそこにいなかった。
いつの間にか彼女の背後にまわっていた。
「これを君に持っていてほしい」
そう言うとネックレスを彼女の首にかけ、留め金をした。
「これは?」
「親父の形見さ」
「! だめ。そんな大切なものいただけません!」
ハッとしたように振り返ってアレックスを見た。
そんな彼女を見て、煙草をくわえたまま優しく笑って言った。
「お守りだよ。気休めかもしれないけど」
「でも…」
ネックレスを懐かしそうに見つめながら話し続けた。
「考古学者だった親父が、小さい頃、俺にずっと着けさせていたものなんだ。どういう経緯で手に入れたかはしらんけど、どこぞのアンティークらしい」
「形見なんでしょう!? お父様の。アレックスが持っていなきゃ」
彼女はネックレスをはずそうと首の後ろの留め金に手を伸ばした。
その手を両手でふわっと押さえた。
「いいんだよ。俺はあんたにつけててほしいんだから」
「でも、」
「これをつけていた効果かどうかわからんけど、俺は一度も危ない目には遭ったことないんだぜ」
「でも…」
「必要ないと思ったら、いつでも
「バーンに?」
「これを見れば、俺がここにいたことも、君に会っていたこともわかるだろうから。それに、こんなの枷にも何にもならないぜ」
にっとアレックスは笑った。
それを見て思わずラシスもふきだしてしまった。
(バーンは、きっと彼のこの明るさに支えられてきたんだ。いままで。
彼女に優しいんだろうな…アレックス。
彼女ってどんな
アレックスはバーンとは逆のタイプ。
思っていることをストレートにぶつけてくるタイプのひと)
「アレックスの彼女って幸せでしょうね。」
「何だよ、急に。」
「いるんでしょ?」
「そりゃ、彼女のひとりやふたり」
「ふたりもいるの!?」
真面目な顔で、指折り数えている。
「三人や四人。ありゃ!?」
「もう!!」
ラティはそんな気持ちではなかったが怒っているように見せた。
アレックスもそれを知ってか、言い訳をした。
「言葉のアヤだっ」
おどける彼を見て、ほんの少し気持ちが上向いた。自然と笑みがもれた。
「うふふ」
同じようにアレックスも笑っていた。
「行こうか。あんまり遅いと君のご両親が心配するだろ」
話題を変え、矛先を他に向けるようにアレックスは彼女を促した。
ラシスは右手の人差し指と中指でネックレスの十字架の部分を触った。
彼の温かい体温がほんの微かに残っていた。
それが彼の弟を思う気持ちなのだと。
バーンを信じているから、アレックスは全てを私に話したのだと。
そう思えた。
彼女もベンチから立ち上がり、帰路についた。
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