第12話 回想(7)

「じゃあ、行ってくるわね。」

そういうとエレンは優しく、バーンの頬にキスをした。

長いウェーブのかかった金髪が揺れる。

濃い紫のスーツを着込み、ピンヒールを履く後ろ姿はキャリアウーマンだった。

そしてスーツケースを持って立ち上がった。

「……」

表情を変えずにバーンは母を見上げていた。

「アレックス、バーンのことを頼むよ」

ダークブロンドのいかにも紳士といった出で立ちのスティーブがアレックスの方をみた。

「ああ。親父達も気をつけて」

手をバーンの肩へ置き、二人並んで玄関で見送ろうとしていた。

「ほんの1週間よ。仲良くね」

エレンは、バーンから目を離さない。何度も何度も髪を手でなでる。本当に心配なのだ。

「でも、一緒に学会なんて珍しいよな」

その様子を横目で見ながらアレックスが言った。

「たまたまだよ。母さんの研究と私の研究をタイアップさせてみようっていうね」

大きなスーツケースにベルトを着けながらスティーブが言った。

「化学と考古学とをねえ」

呆れたような口調で続けた。

「似ても似つかないような気もするんだけど」

「そんなことはないぞ。ま、お前も大きくなればわかるさ」

「そんなもんかね~」

「この世界にある『神秘』は学問を超越しているということがな」

自分の専門になると熱く語り出す癖があるのか、まるで少年のような目でアレックスを見ていた。

「別にいいけどね」

少々うんざり顔である。

「ははは、嫌われたものだな。お前の将来に関わることかもしれんのに」

興味ないといった顔のアレックスだった。

「そういや、ヨーロッパのどこだっけ?」

「スコットランドよ。イギリスの」

バーンの服を直しながらエレンが答えた。

「新婚旅行以来じゃねーの? 二人っきりになるの?」

両親を前に冷やかし気味にアレックスは言った。傍目でみても仲の良い夫婦であった。

「アレックス!」

「母さん、怒ってるとしわが増えるよ」

「もう。本当に大丈夫かどうか心配になってきたわ」

いつものこととはいえ、母は困った顔をした。父はちょっと隅に彼を誘った。

肩に腕を回しながら、ひそひそ話をし始めた。

「アレックス」

「ん?」

「いない間に、私の書斎のあれに手をつけてもいいからな。だが、飲みきるんじゃないぞ」

「やった。ラッキー」

指を鳴らして彼は喜んだ。どうやら母の目を盗んで、父と飲んでいることがうかがえる。彼らの背後に母が仁王立ちに立った。

「あなた!」

「うわっ」

「聞こえていますよ。アレックスはまだ15歳なんですから、変なこと教えないでくださいな」

「やれやれ、母さんにはかなわんな」

そう言うとアレックスと顔を見合わせた。懲りていないように、父は彼にウィンクを送って、帽子を被った。

「あなた、そろそろいかないと、」

エレンが時計をちらっと見た。

「ああ、そうだな」

スティーブもエレンの方へ近づいて来た。

「じゃあ、バーン、行ってくる」

「………」

「愛しているよ」

父もしゃがんで、バーンの頬にキスをした。

「………」

彼は何も言わないで、ただその様子を見つめているだけだった。

二人は出ていった。静かにドアが閉められる。

この広い家に残されたのは、アレックスとバーンの兄弟二人だけになった。

「行っちまったな。」

そういいながら隠し持っていた、煙草を一本取り出し、口にくわえた。

母親に見つかったらまた大目玉である。

「………」

バーンは何も言わず、そんなアレックスを見ていた。火をつけようとしたその時である。

「うっ!?」

(なんだ?)

くわえていた煙草を落としてしまうほどの寒気に急に襲われた。

(気のせいか?)

辺りを見回す。別に変わったことはない。

が、この寒気は?

「…兄さん?」

兄の様子にたまらずバーンが声を掛けた。

「ん?」

床に落ちた煙草を拾いあげながら、異変を弟に気取られまいと慎重に話し始めた。

「ああ、なんでもねえよ」

何でもなかったようにバーンを促した。

「ダイニングにでも行ってなんか食おうぜ。腹減った」

バーンはアレックスに背中を向けると歩きはじめた。その後ろ姿を見ながら、再び煙草に火をつけようとした。今度は普通につけることができた。

深呼吸するかのように、煙を肺の奥まで吸い込み、そしてゆっくり吐き出す。煙草を人差し指と中指に挟み、前髪をかき上げるようにして考え込んだ。

(今の『感覚』は? 何だったんだ? 一瞬、背筋に走った冷たいものは?)

そう思いながら、灰皿を求めてダイニングへと歩き始めた。

その3時間後。その『感覚』が、夢ではないことを知った。

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