文芸部には青春ラブコメが埋まっている。
冨田秀一
001 文芸部には出逢いが埋まっている。
桜の樹の下には屍体が埋まっている――という言葉がふと思い出された。誰の言葉だったか。あれは確か、桜に魅了された狂人の言葉だ。
桜は美しく、儚く、蠱惑的で、狂おしい。あんなものが年中咲き誇っていれば、至る所で桜が分布する日本は、国民全員が狂人と化しているかもしれない。まぁ気がついてないだけで、既にみんな狂っているのかもしれない。本当に狂ってる人間は、自分が狂っているとは判別できない。だからこそ、自分はまともだと口にするやつほど一番危なく、質が悪く、信用ならない。
旧校舎の三階にある文芸部の部室――そこからは狂い咲く桜並木と、校門前で半狂乱になって新入生確保に勤しむ生徒たちを見渡すことができる。
城下町を一望する一国一城の主にでもなった気分で、文芸部二年生である
芥川が文芸部に入ってから、もうはや一年が経つ。去年は自分を含めて三人の新入部員が入ったが、それは近年まれにみる大漁だったようだ。ちなみに現在部員は5名――サッカーや野球どころか、バレーボールもできない人数である。
今年も例年通り、運動部の勧誘に大きな人だかりができている。
「やっぱ運動部が人気だなぁ。それに比べて……文芸部は……」
文芸部の部長である三年の
「あの人……もう少し愛想よくできないかなぁ……。いぶし銀きかせすぎだって。」
その隣では――芥川と同級生の
「自分もビラ配り行った方がいいのでは……。」
しかし、副部長の
そもそも文芸部に対人能力が高い人間というのは稀である。頭の回転が速く、口が達者なコミュ力モンスター達は、まず文芸部には入らない。小説なんてまどろっこしいもので表現する必要がないからだ。
コミュ力に関しては、唯一の頼みの綱である
芥川はため息をつきながら、文芸部のビラ配りの様子を見守った。
「がんばれみんな……せめて一人くらいは入ってほしいところだ。」
新入部員ゼロだなんて悲しさは、出逢いの季節である春には似つかわしくない。
部長席である黒皮の椅子に座りながら、ぼんやりと雪のように降る桜を眺めていると、部室内に少し遠慮がちなノック音が三回鳴り響いた。
”トン…トントン”
ひょっとして新入生が来たのだろうか……。
無駄にクッション性が高い黒皮の椅子から立ち上がり、芥川は部室の扉を開けた。
扉を開けると、そこには華奢な骨格の小柄な少女が立っていた。美しく整った顔立ち、思春期特有のあどけなさと不安定さを残している。目にかかる長さの前髪の下から、黒真珠のような潤んだ瞳がこちらの様子を覗うように覗いてる。
「あの……ここって、文芸部ですか?」
どこか気弱そうで伏し目がちに、少女は芥川に尋ねた。
「はい、そうですけど。もしかして……入部希望?」
小柄な少女は、こくんと首を縦に振る。絹糸を束ねたような艶のある黒髪が滑らかに揺れた。漆塗りのような濃い黒髪とのコントラストで、彼女の肌の白さが強調される。
「そっか。みんなビラ配りに行ってて、今は自分しかいないんだけど……よかったら中にどうぞ。」
「はい……。」
知らない家に連れてこられた猫のように、少女はきょろきょろしながら、一切物音を立てずに部室へと足を踏み入れた。
「新入生だよね? 君の名前は?」
「はい……、一年生の
太宰小治と名乗る少女は、芥川にぺこりと遠慮がちな会釈をした。
「太宰さんだね。俺は芥川龍介って言います。どうぞよろしく……?」
芥川が自己紹介を返した時だった。
先ほどまでやや伏し目がちだった少女は、つぼみが美しく開花したように、突然ぱっと明るい笑顔になった。雲間から陽光が差したように、彼女の瞳はきらきらと輝いている。
「あっ、あのっ! 去年の学祭の部誌っ……私、読みましたっ! 芥川さんの小説……すごくよかったですっ!!」
「えっ……」
「すごく面白くて、感動してっ、何度も読み直しちゃいました!……お会いできて、光栄です!」
きらきらと目を輝かせながら、太宰は前のめりになって芥川の手を握った。(※太宰治は芥川龍之介のことが心酔して好きだった。)
「あっ、ありがとう……」
どうしたものか――嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい。とりあえずぎこちなく、芥川は感謝の言葉を告げた。
彼女の細い白魚のような指は、思いのほか力強く握りしめてくる。いつまで握ってるんだろうと、芥川は少しどぎまぎした心地になった。少女はふと我に返ったように、芥川の手をひしっと握りしめている自分の指に目を落とした。
「あっ、す、すみません! つい手を握ってしまって……!」
太宰は急に頬を赤らめ、あわあわと激しく取り乱しはじめた。
「私ったら、いきなり手を握るなんて! なんて破廉恥っ……尻軽っ……! っぅう……、やだっ、恥ずかしい……もう死にたい!」
(は……? 大丈夫かこの子?)
「すみませんっ……! ちょっと一回、死んできますっ~!」
(※太宰治は結構何度も自殺を図ろうとした経験がある。)
太宰は半泣きになりながら、部室から出ていこうとした。何故この少女はインスタントな感じで死のうとしているのだろうか。
「えぇっ……、ちょっと待ってよ!」
芥川が慌てて後を追いかけようとした時、ざわざわと聞き慣れた声が聞こえてきた。
「いやぁ、なかなか新入生集まらないねぇ……。おやっ?」
文芸部の二年生、
「あぁっ~! 龍介が、新入生の女の子を泣かせてる!!」
谷崎の声は、廊下に反響するほどに響いた。
「いやいや、誤解だよっ!」
慌てて否定する芥川。
一方――太宰はというと、「……ぐすっ、…ぐすっ。」と嗚咽を漏らしながら、袖で涙を拭っていた。
(おい……、本当に何で泣いてんだ……この新入生! これでは俺が悪者みたいじゃないか。)
「ただいま~! おぉっ!? 何があったんだ?」
「龍介が新入生泣かせてるよ~!」
「何してんだお前!」
最悪のタイミングで部員全員がビラ配りから戻り、部室は一気にガヤガヤと騒騒しくなった。
その後――新入生の少女を泣かせたという疑惑を晴らすため、芥川は必死に弁明を続けた。
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「――では、部員の自己紹介から始める。」
何とか芥川の誤解が解けた後、部長の森欧内はいかつい顔でそう切り出した。
「私が文芸部部長の森欧内だ。ドイツ文学を嗜んでいる。」
森欧内は、頭に鉄芯が埋められてるのではと思うほどの堅物部長である。海外の原文を自分で翻訳して読み、自作の作風としては、高い硬派な文章で、海外文学チックな作品や古風な作品を書く。
「ちなみに私の趣味は掃苔(そうたい)だ。」」
「掃苔?」
聞き慣れない単語に小首を傾げる太宰に対し、芥川が「霊園、墓巡りって意味だよ。」と補足してやった。(※森鴎外の趣味は、墓巡りだった。)
それでもなお、太宰は頭に「?」を浮かべている。お盆や正月の儀式的行事を、なぜ趣味にするのか意味がわからない――といった疑問符だ。
森部長の自己紹介が終わり、彼の隣りに座っていた女性が口を開いた。
「私は副部長の川端康菜です。日本の純文学が好きです。よろしくお願いしますね。」
川端康菜――文芸部の副部長であり、堅物な森部長を支える部内一のしっかり者である。前髪をオールバックのように後ろに流しており、鼻筋が通っていて目はいつも細めている。スタイルもよく、美人で優しい女上司という言葉がしっくりくる容貌だ。
「一見聖母の如く優しそうに見えるが……、逆鱗に触れると悪魔に変貌するから気を付けるがいい……。」
中原が新入生の太宰に、こそっと耳打ちした。
「あら……中原君? 新入生に、何か余計な事を吹き込んでないわよね?」
川端副部長は、一周まわって逆に恐ろしいほどの笑顔を浮かべ、柔らかな声音で中原に問いかけた。川端副部長が本気で起こると、爬虫類的な目がぎょろっと開眼し、眼力が凄まじいことで有名である。
(※川端康成は眼力が凄まじく、編集者を泣かせたほどだった。)
「いえっ……な、何でもないですっ!」
明らかに怯える中原を見て、川端と名乗るこの女性が部内における裏ボス的存在だという事を、太宰ははっきりと認識した。
「っじゃあ、次に二年生どうぞ。」
文芸部の二年生は、今のところ三名在籍している。その中で一番に自己紹介を始めたのは、先ほど川端から睨みをきかされた中原であった。
「
勝手にライバルに名を上げられた芥川だったが、彼としては中原をライバルだなどと考えた事はなかった。そもそも純文学とラノベでは同じ小説といえども畑が違う。
芥川から見て、中原については特に語るべきことはない。強いて言うなら、色んな意味で痛いやつだと云うくらいである。
「なぁ太宰、あまり中原には近づくなよ……痛いのが移るぞ。」
芥川は先輩として、新入生の太宰にそう忠告した。
「おい、龍介っ! 痛いのが移るって何だ!? 貴様、やるかコラァ!」
騒ぐ中原に対し、ぴしゃりと黙らせたのは川端先輩の言葉だった。
「ねぇ、中原君。新入生がきて嬉しいのはわかるけど、さっきからはしゃぎすぎではないかしら? 痛々しい遺体にしますよ。」
(怖い、怖い、怖い……。中原も悪いが、川端先輩も言い過ぎだっての……)
芥川は心の内で突っ込みながら、太宰が怖がってないか横目で確認した。しかし、彼女は思いのほか平気そうな表情だった。むしろ、川端副部長の駄洒落恐喝を面白がっているようにも見える。
普通の新入生なら、きっとこの変人たちの巣窟である文芸部にドン引きして、今すぐ逃げ出していてもおかしくない。
芥川はこの時――太宰はか弱そうな見た目と反して、意外と肝っ玉が強いんだなぁ、ぐらいにしか思わなかった。類は友を呼ぶというように、太宰という少女もまた変人である――という考えには残念ながら至らなかった。
「龍介には悪いけど、先に自己紹介させてもらうよ~。二年の谷崎潤子だよ~。趣味はBL小説を読むこと、そして男子部員でBL小説を書くことかな~。よろしく! はい次、龍助~!」
谷崎と名乗る眼鏡の女子学生は、語尾を伸ばしながらも明瞭快活な自己紹介をした。
谷崎潤子――彼女に対して特筆すべきは、腐女子で、あと眼鏡で巨乳……以上といったところだろうか。付け加えると本人曰くドМらしいが、わざわざ補足するほどの情報ではない。(※谷崎純一郎はМ気質だったらしい。)
芥川の同学年には、見ての通りの変わり者しかいなかった。そして次は、順番的に芥川の自己紹介の番である。
「二年生の芥川龍介です。そうだな……、結構幅広く本を読むから、みんなみたいにこれってカテゴリはないな。強いて言うなら、長編よりも短編の方が好きかな。」
芥川龍介――彼はこの部内において、まだ常識人の部類にいると自覚をもっている。一般的な良識を持って振る舞うのは、若いながらも何かと苦労人であるからだ。
良識を持つ芥川が、この変人だらけの文芸部に入部したのは、ここの顧問である夏目先生を尊敬し、師事しているからであった。(※芥川は夏目門下である。)
「っじゃあ、最後に新入生。自己紹介してもらえるか?」
結局、新入生は太宰一人だけのようだ。いや、一人だけでも入ってくれるのだから有り難い限りであると考えるべきだろう。
「はっ、はい……。」
太宰は少し緊張しながら前に出た。
「一年生の、太宰小治です……。みなさんの去年の学祭で出してた部誌……読みました。みなさんの書いたお話……どれも面白かったです。よろしくお願いします!」
そう言って、太宰は深々とお辞儀をした。初々しい太宰の自己紹介に、部員たちは温かい拍手を送って彼女を迎え入れた。
変わり者が多い文芸部に少しまともそうな子が入ってくれた――と、芥川もまた笑みを浮かべる。
しかし――そうは物事は簡単には進まないのが、この世の習わしである。
「ちなみに、太宰さんの好きな小説のジャンルはある?」
副部長の川端が太宰に尋ねた。
「え~っと、そうですね……。主人公が、薬中になったり、自殺願望強めだったり、どうしようもないダメ人間な小説が好きです。なんか、感情移入しちゃうというか……。」
(※人間失格をはじめ、太宰治の作品は主人公が駄目人間な作品が多い。)
その一言で、部員全員が、あっ……(察し)という表情になった。
(また随分と変なやつが入ったものだ……。)
まぁそもそも、小説を書く人間なんて、変人・奇人・魑魅魍魎の類だと、芥川自身思わなくもない。
そんな文芸部で、甘酸っぱい青春ラブコメなんて、そもそも期待などした事はなかった。
しかし、そんな変わり者集団であろうとも、やはり高校生なのだから青春はある。ラブ&コメディもある。運動部が汗水流してるだけが青春ラブコメではない。
ライバルと切磋琢磨しながら、必死に小説と向かい合う熱い青春。
言葉を匠に操り、相手を振り向かせようとする甘酸っぱい恋。
創作活動に狂った変人同士が交わることで生まれるコメディ……。
文芸部だって、目には見えにくいだけで、青春ラブコメはどこかに埋まっているのだ。そもそも文芸部なんて地味で変人たちのラブコメなんか、埋めたまま掘り起こさない方がいいのかもしれないけれど……。
間違って屍体でも出てきたら、一体誰が責任を取るというのだろうか。
そんな文芸部に新入生の太宰を迎え、文豪学園文芸部の活動は新たなスタートを切る。
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