14『IAN MOONE』
通い慣れた畦道。自宅へと続く帰路。足取りは──決して軽いとは言えない。
稲荷神社を出て、
コの字形をしたバス停の待合所。もう使われていないだけあって、色褪せた壁の広告は文字が読めないものさえあったけど、わりかしベンチは綺麗だった。座るのに抵抗を覚えないくらいには。
子どもじみた時間稼ぎ。できるなら、皆が寝静まってから帰りたい。いや、鏡花から伝わっているなら、まこは起きているだろうか。以前に
と、LINEの着信音。泉子からだった。
──寄り道せずまっすぐ帰らなくちゃ駄目よ?
「──はーい。ママ」
微笑ましい反面、地味にぐさりときた。既読だけして、閉じた。鏡花といいこの娘といい私の周りカーチャン多過ぎだって。
──本当に大丈夫なの?
──うん、悪かったわね。突然押しかけて。今度はお土産持って遊びにくるから。
泉子が、小さく
──本当はね。少し優越感。ささめちゃんは、人気者でしょ?
──有名人って自覚ならなくはないけど、人気者は違うでしょ。
似たようなものじゃないと言って、泉子が笑った。
──そのささめちゃんがつらい時、頼りにしてくれたのが私だった。だから、少しだけ優越感。
本当はこのやりとり、もうちょっとだけ続きがあるんだけど、恥ずかしくなってきたので、ここらで打ち切る。何コレ。彼氏彼女じゃん。
再び、液晶に目を遣った。
ロック画面の時刻が、ありえない数字を示していた。
※
画面が、じわじわと赤くなってゆく。
顔を、正面から叩かれた。画面から、勢いよく放出されたヒヒイロゴケに。
それは、目を
あくまで──そんな感覚があった。
気が付けば、赤い世界に人影が四つ。
半裸に
──
その内の一体が、長物を肩の上で構えた。腕を、後ろに引くのが見えた。
投擲の気配。腰のケースからプリペイド携帯を抜きつつ、横へ跳んだ。転がりつつ、ネイルガンを精製。死角でベンチに何かがめり込む音がした。構わず、うつ伏せの姿勢で二発撃つ。牽制のつもりだったが、一体倒れた。倒れ方から命中したのは右肩だと判断する。
滑らせた銃口の先に──盾。とはいえ、戦国の世に活躍していたような代物だ。貫通は造作もないとトリガーに指をかけて、気付いた。
視界の端。さっきまで自分のいた、ベンチに突き刺さっているショベル。投擲された長物の正体。そこに紐で括り付けられているのは。
──カーキ色の四角い金属の塊。
飛びついた。ショベルのグリップを掴んだところで、手元から盾へ素早く視線を走らせた。
爆発──けれども吹き飛んだのは、ささめではない。炎に呑まれたのは、いつの間にか爆弾付きショベルを持たされていた山童と、その傍にいたもう一体の方。
〈
二体が消えて、一体は肩を押さえてもがいている。もう一体、小柄な山童がショベルを構えているが、すでに腰が引けていた。
無造作に突き出されるショベル。ささめは横に動いた。ショベルを両手で掴みながら、膝の皿に蹴りを一撃、山童がバランスを崩したところで、グリップによって顎をかち上げる。
山童が尻餅をついた。奪い取ったショベルを投げて捨てた。
「ねぇ」
尻で後退る山童。足の裏に──QRコードのようなピクセル模様が見えた。
そういえば、以前シャロから聞いたことがある。山童は、縄張りによって異なるタトゥーを足の裏に彫るのだと。
逃げ出す山童。
その背中に目を留めたまま──後方に腕を伸ばし、シングルハンドでトリガーを引いた。肩を撃ち抜かれてなお、背後から不意を打たんとしていた山童の断末魔が聞こえた。
何かが、おかしい。
ささめは振り向いて、倒したばかりの山童を見た。その膚には、十字架を模した発疹が浮かんでいる。
──"タヌキ"はまだ生きているかもしれない。
逃げる山童の足に狙いをつける。何か
呼吸が、酷く乱れていることに気付く。
こいつを。こいつまで撃ったら。
また報復されるのではないか。新たな敵を作るのではないか。
──ささめねーちん。
だとしたら、今度は、誰が。
我に返った。けれど、それはネイルガンの撃発音によってではない。
骨の折れる
首をおかしな方向に捻じ曲げて、崩れ落ちる山童。
その傍には、曲げた張本人──ガスマスクが立っていた。
頭部全体を覆うラバーマスク、金属のキャニスター、ガラス製のアイピースで構成された、十九世紀を彷彿させる──本当に防毒効果があるのか疑わしいデザイン。全身の光沢はラバースーツだろうか。躰つきはスレンダーで、腰や肩のラインから少女だと推察できる。
そう、ちょうど小学校高学年くらいの──。
目を幽かに細めて、額に汗が浮いたと感じたときには、もう。
居た。
アッパーカット。眼前を通り過ぎる拳。空気の衝撃に顔面を叩かれる。
バックステップしながら、〈水火の折〉を展開。黒煙は当たらなかった。というより、対象が見当たらなかった。
右側から衝撃。横転しながら、その勢いは殺さず、後ろ向きに滑走をスタートする。視界にはまだガスマスクがいる。捉えられている。
さっきの一撃──横合いからの殴打だろうが、ガードできたのは偶然だった。ガードした腕が、重い。折れてこそいないが──ボンディングスキンありきでこれか。
と、項の辺りに、静電気めいたものが走る。
滑走を強制停止。急ブレーキからの後方宙返り。直前までの勢いを利用して、宙に身を放り投げる。頭を反らした。ガスマスクの背中が見えた。空中で、その後頭部に狙いを付けて。
銃身を掴まれた。
振り向き様ではない。完全なノールックで、腕だけをこちらに伸ばして。
これに──反応できるのか。
二回、三回と景色が回って。何度かバウンドした挙句、地面に横たわっているのだと判ったのは、頬に感じるヒヒイロゴケの硬さと、悠然と迫るガスマスクの足が目に入ってからだった。
ささめは立ち上がる。肩の力を抜いた。呼吸を整えている余裕はなかった。
集中力とは、とどのつまり不要なものをどれだけ取り除けるかだ。必要な一点にどれだけ意識を注ぎ込めるかだ。
ささめには、形成の際に痛みが伴った傷を釘に変えて抜く──
集中の妨げとなる雑念を障碍として除去し、極度の集中状態を意図的に構築する。そこに、ボンディングスキンによる身体能力の強化が加われば、三メートルの距離から撃たれた弾丸さえ、ささめは見切ることができる。
それでも──。
恐らく、ガスマスクの動きを見切ることはできない。ならば、目で追うのは止めだ。
BLEACH──直後、前方一八〇度に〈水火の折〉を展開。同時に、背後へ肩越しに回した右手──ノールックでトリガーを二回引いた。躰ごと素早く振り返る。案の定、ガスマスクがいた。ささめから四メートル先にいて、胸元で点滅する二本の釘を見ていた。
爆発と共に、ガスマスクの上半身が跡形もなく消し飛んだ。
〈水火の折〉で正面からの攻撃という選択肢を奪ってからの死角への射撃──優れた身体機能に頼り過ぎるあまり、そう賢くなかったのが幸いだった。
残された下半身が
激痛があった。僅かに爪先が地面を離れた。
へその辺り。
両膝をついて、
ガスマスクが、原形を取り戻した。その間に十秒もかからなかった。
ガスマスクの姿が、視界から消えて──。
前方に波紋が広がった。やや遅れて、ブラウン管テレビのスイッチを入れたときに聞こえる音を、何倍も大きくしたようなノイズ。飛び退くガスマスク。こちらに突撃を仕掛けた末、"何か"に阻まれたらしい。
視線を下げると、足許の辺りに無数の光球が浮かんでいる。とてつもなく規模の小さな銀河のよう。紫色に輝くそれらは、凝集して小動物らしき姿を形成してゆく。
現れたのは──フェレットか、オコジョか。
眼は赤と青のオッドアイ。二本に分かれた尻尾の先端にも、それぞれ赤と青の光が灯っていて。左右に揺れる度、光の軌跡を描いている。
ささめとフェレットを護るように展開された光のドーム。
どうやら──このフェレットのおかげらしかった。
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