12『Shock Therapy』
背中に甲羅を転写プリントした
放課後で学校の屋上。私とトーマ君は、フェンスを背に隣り合って座っていた。
「何だかすごく甘い匂いがするね」
トーマ君が、んっと短く言ってタバコの缶ケースを差し出す。そこには、広いつばの帽子に鳥のクチバシみたいなマスクを着けたキャラクター。書いてあるのはアルファベットだけど、読み方がわからない。何語だろうと首を傾げていたら。
──ただ、知識が湧く。
「メディコ・デッラ・ぺステ。──何? このキャラ」
「ペスト医師。連中の着けてるマスクと、こいつの匂いをかけたんでしょうよ。色んなハーブやスパイスを焚き込めて、邪悪な臭いが追い払えると信じてた」
「好きなの? このタバコ」
「別に。お嬢から頂戴している
口の片方をくいっと上げて、キザっぽく笑うトーマ君。似合わなくて、つい笑ってしまう。ひでぇなぁ──と、トーマ君も笑って、すぐに
「どうしたの?」
「いや──お嬢、イタ語読めるんですね」
「イタリア旅行したいなぁと思ってて」
最近、息をするように嘘をついている気がする。でも、その度、胸のどこかが疼くように痛むのだから、きっとまだ私はまとも寄りなのだと思う。
トーマ君は、ふぅんと相槌を打っただけだった。
「さて、良い報せと悪い報せがあります」
私は小さく挙手をして、じゃあ良い方から──とお願いする。
「良い報せは、
「それを、風梨華がやったって?」
「だとしたら、どうして風梨華の仕業とわかったか──でしょう?」
トーマ君が、私の言いたいことを先読みした。
「形状記録を調べたんですよ。ヒヒイロゴケが保存しているのは、人の見聞きしたものだけじゃあない。ヒヒイロゴケ自体が歩んだ
鬼百合。トンネルでも舞っていた、風梨華を象徴する花。彼女の放つ負力を浴びたヒヒイロゴケが模る、斑紋を散らした赤鬼の花だ。
「さて、悪い報せですが──」
そこで、トーマ君は言葉を止めた。曇りガラスみたいな素材でできたドーム状の頭を掻いて。ちょっと言い辛そうに続けた。
「風梨華は、もう生きていないかもしれません。形状記録を調べたとき、鬼百合の他にも見つけたものがあります。かつて、風梨華の血肉だったヒヒイロゴケです。それも多量に。ただ、俺もお嬢も奴にそこまでの痛手を負わせた憶えはない」
「山童たちを追い出すときに怪我をした──とか?」
「単純な怪我の理由付けなら、それでもオーケイでしょう。問題は、どうして奴が山童たちを追い払ったかです。俺は、こう考えています。風梨華は何かから逃げていて、一刻も早く隠れ処を獲得するために、先住民を追い払わざるを得なかった。つまり、そのですね」
トーマ君が、露骨に言い淀んだ。
──ああ、やっぱり。トーマ君はもう勘付いている。
私を助けに来てくれたとき、風梨華から守らなきゃって奮闘する最中に察したのだ。私と彼女の間にかつて何かがあったことを。
「捨てられたんだね。風梨華は。私の足止めっていう役目はもう果たせたから。用済みだって、切り捨てられたんだ」
「あの風梨華って奴は──その、仲間だったんですか? お嬢が
うん──と私は頷く。自分でもびっくりするくらい、迷いがなかった。
「一緒に戦ってくれたギノーは他にもいた。
そう、わかってくれた。寄り添って慰めてもくれた。けれど──。
普通の女の子であることを認めてはくれなかった。
全ては、私のためで、私の責任。私自身が撒いた種だ。
八百八狸──総帥の
一味を抜けたあの日から、仕返しされるんじゃないかと怯える一方、心の隅っこでこうも考えていた。あれだけ──減らしたのだ。実力の差をみせつけたのだ。だから、もう報復なんて、あり得ないんじゃないかって。
それが、実際は。
出直すなら失敗した相手で──。彼らは再び私の前に現れ、記憶を操作した風梨華を送り込んで、つくしちゃんの命を奪っていった。
強くなったつもりでいた。追い返せるつもりでいた。でも、それは、敵意が私にしか向いていない場合だ。今回は他でもない家族を。ボスやトーマ君まで巻き込んで──。
終わりが見えない。くらくらする。
「お嬢?」
「大丈夫。──その、風梨華の詳しい居所は?」
「お望みとあらば絞り込みます。けど、知ってどうするんです?」
そう言われて、くしゃりと自分の髪の毛を触る。
ほんと──どうする気なんだろう。
ケリをつけたいなら。今にも死ぬかもしれない昔の友だちの介錯がしたいなら。
私は今すぐ学校を抜け出すべきなのに。
「俺にお嬢の行動を決める権限はありませんが、ひとまず会ってみるのはどうでしょう。危険だってことは百も承知です。それでも、ただ、会ってみては」
トーマ君の優しい眼差しから、目を逸らすように空を見上げる。
「そうだね。せめて──会って後悔したいかな」
灰色がかった桜色の空が、怖いほどの速さで流れいって。
もっともらしい白い雲と青い空をつれてきて。
ふと、屋上の出入口に目を向けると、ささめ姉さんがいた。
※
「いつもどうやって入ってるの?」
山だとか田んぼだとか住宅だとか、フェンス越しにこれといって面白味のない景色を眺めながら、ココに尋ねた。
屋上に出たのは初めてだった。普段は鍵がかかっているからだ。
ココはフェンスに背を向けて、体操座りをしている。
「
言って、ココが渡してくれたそれには何かが足りない。
「普段は先輩が持ってて、私が借りたいときに借りに行くの。でも、これ、ネームホルダーがないでしょ? 教室の鍵なんかについてるやつ。だから、多分──ね?」
ココが、困ったように笑う。いや、ようにじゃなくて実際困ってんだろうけどさ。私も似たような笑みで応えてやるほかない。
「別にチクったりしないわよ。ただ、意外。アンタってこういうことするのね」
本当に、意外。ルールを破ることとは縁がなさそうっていうか。
そう、私が思い込んでいただけで──。
内面まで知ろうとしてこなかっただけか。
「うん、偶にね。そういうことするんだ」
自分を抱き締めるように、縮こまるココ。気のせいか、ちょっと嬉しそうに見える。
しかし、匂坂センパイねぇ。
同じクラスの匂坂瑛について、知ってることはそんなにない。身長は私以上晶以下。大きな口をパカッと開けて、目を弓なりにする笑い方が特徴。コート丈のアウターが好きで、靴の趣味は私と合う。小学生の頃に剣道をやってて今は帰宅部。やや困り顔の泉子が言うには、おしゃべりがとても上手な娘。そっぽを向いて唇をとんがらせた晶が言うには、ヤなヤツ。で、
「仲良いの?」
「マッサージしあいっこしたりするよ」
そうこともなげに言ってから、
「あ、足の裏だよ?」
胸の前で慌てたふうに両手を振りつつ、補足するココ。
足の裏。試しに泉子でイメージしてみる。するにせよ、されるにせよ。抵抗が──ある。いや、あの娘に膝枕してもらったことある私が言えた身分かっていう気もするんだけど。
ともかく、しあいっことなれば学校じゃしないだろう。すでに、何度か家に行ってる仲なのか。ソレ晶は知ってんの──と訊こうとして、ギリギリのところで呑み込む。いや、そのツッコミはツッコミでどうかしてんだろ、私。
「ええと、根は悪い人じゃないよね?」
そこで──同意求めてくるのかよ。
「
呆れ混じりの私の発言からやや間があって──。
私とココ。どちらからともなく、短く笑った。
──私、一か月遭難してたことがあるの。
私が洗い役で、ココがすすぎ役。そうやって分担して皿洗いをしていたとき、何の前触れもなくココがそう言った。私は、危うく皿を割るとこだった。
鏡花から
山の中で最初にココを見つけたのは、鏡花だった。
駆け寄ることさえ忘れ、呆然とただ立ち尽くす鏡花に対して、泥だらけのココはきょろきょろと辺りを見回してからこう尋ねた。
──今日って何日?
まだ頭の上手く回らない鏡花から何とか日付を聞き出し、行方を眩ませてから一か月もの月日が経っていたことを知って、ココは。
──そうか。まだ一か月なんだ。
と消え入るような声で呟いたあと、自らの毛先をいじくりながら心底困ったふうに笑ってこう言ったという。
──変だよね。髪型。
行方不明になる直前、ロングヘアーだったココの髪はショートヘアーになっていた。まるで、長く真っ直ぐな刃物でざっくりいったみたいな毛先だったそうだ。
いなくなったときと着ている服が違う。怪我といった怪我もなく、健康面も特に問題なし。それで一か月もの間、どうやって生きてきたのか、当人は何一つ記憶にないというのだから、警察は誘拐の線で捜査を進めた。犯人の手掛かりは、今なお掴めていない。
戻って来たココには、以前と違う点があった。
話すとき目を伏せがちなのは今もだけど、明らかに弱視が完治していた。目の色は変わっていないから、色素が増えたわけではない。なのに、これまでより明らかに眩しがっている素振りがない。
あと──よく笑うようになった。
──それは良い変化なんじゃないの?
鈍いオレンジの日が差すリビングで、鏡花の淹れたハーブティーを手に、私は言う。
僅かに俯く鏡花は、どうかしらと含みのある返事。
──今のココを見ていると、鎮目鏡花だった頃の自分を思い出して、不安になるの。あのときの私は無理をしていた。誰に対しても笑顔でいることが、家族を守ることに繋がるのだからと諦めていた。今のココは、あの頃の私と似ているの。とてもそっくりな笑い方をするの。だから、あの娘が笑顔をつくる度、何だか心細くなるのよ。
確か、ココが前に言っていた。鏡花は鎮目家で一緒に暮らしていたときに比べて随分笑わなくなった。けど、安心したって。それは、鏡花が無理をしていない証拠だからって。
一方、鏡花はココが以前より笑うようになって、でもその大半が無理してるって経験上解ってしまうから、不安になるという。
大野木家の
いっぺん腹割って話したら──って言ってやりたいけど、誰かに言われてできるくらいならとっくにしてるか。
「ささめ姉さんって両利き?」
私の返した屋上の鍵をポケットにしまったところで、ココが口を開いた。
何で──このタイミング?
「姉さんが去年の試合、右手でも左手でもシュートしてたの、今思い出しちゃって」
去年の試合──ココが言ってるのは、最終日だけ観戦に来ていた全国大会のことだろう。一応、私は部内一の点取り屋だったから、それだけボールにも触る機会は多かったけど。にしたって、あんだけボールが目まぐるしく動くスポーツで。それも観客席から。
「結構良い目してるじゃん」
ぼんやりしてそうなのに、よく気付いたな。
ココは、そうかなと言って、目を伏せた。地肌が白いから照れが顔に出るとすぐわかってしまう。
私は、右手をひらひらさせながらこう言った。
「利き手は左よ。ただ、世の中って右利き向けの商品が多いから、
そう、世の中には右利き向けの商品が多い。
たとえば銃。安全装置は左側だし、リボルバーのシリンダーだって左側にスイングアウトする。私は、その気になれば左利き専用の銃を精製できるけど、いつだってそれを精製するヒマがあるとは限らない。ときには、拾うとか、奪うとかして入手した右利き向けのそれで戦わざるを得ない場面も出てくる。
だから、私は普段から左右どっちの手でも銃を扱っている。そのかいあって、今じゃ三〇メートル先にあるコインをどっちのシングルハンドでも撃ち抜ける。もちろん、ネイルガンの自動照準補正機能なんかは抜きにした、自力オンリーの話だ。
「姉さんってキレがあるよね」
「は?」
「晶と話してるのとは全然違うから」
言われて、当たり前じゃないって言いかけて、はっとする。
私はこの娘の
たった
私たちは、びっくりするくらいおしゃべりをしたことが──ない。
ホントはさ──と溜息混じりに切り出す。
「鏡花から言われたの。アンタと一度話した方が良いって。きっかけは──後押ししてくれたのはあの娘だけど、でも話したかったって気持ちはホント」
鏡花には、すぐ謝って終わりにするなって言われたけど。
それでも、やっぱり今一番伝えたいのは。
「ごめん」
謝罪の言葉。
じゃあ私はこれでなんて、ソッコー逃げ出さなければそれはそれでしょ。
「私こそ──」
ココは、そこで言葉を切った。いや、もう言い終えたのか。その辺り、顔を見ても判別がつかない。
──浅いからか。付き合いが。鏡花や晶ならすぐに汲み取れるのだろうか。
待つよ──と私は言う。
「アンタ、正直私のこと苦手でしょ? 私もアンタを初めて見たとき正直手強そうな娘だなって思った。思えば、最初からそうだったのよ。あった頃から溝があって、でもそれを埋めようなんて思わなかった。そのまま、今日までやってきちゃった。そんな私らがぎくしゃくして、今もぎくしゃくしっぱなしなのは自然なことだって思う。だから──待つよ」
アンタが私に声をかけること。言いかけた先を伝えに来てくれること。たとえ、負担に思われたってこればっかりはさ。
ココは緊張しているふうだった。どこか
「いいの?」
と言った。貴女を待たせてしまっても──。
ああ、なんとなく、晶と鏡花がこの娘に執着というか、夢中になる理由がわかった気がする。
いーよと言って頷く私に、ココはふにゃりと笑った。
※
エンボスが熱をもった。
踊り場で足を止めた。ノイズに耳を澄ませる。
──今のところ月面に宇宙船は見当たらないね。
脳内で感じる聞き慣れた声に、つい口元が緩む。
シルクハットにインバネスコート、蝶ネクタイに白手袋。
──お待たせしたかな。ささめ君。
ホント、メチャクチャ待ちくたびれたわ。
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