君と歩んでいく道――To be,or not to be――

吉野玄冬

一話

「今日は転入生を紹介します。西條さん、入って」


 担任の言葉と共に、電子黒板にその名前が映し出される。


西條桐香さいじょうきりか


 教室前部の扉が音もなくスライドし、リノリウムの床をコツリコツリと鳴らして現れたのは、モデルのようにスレンダーな女生徒だった。

 たなびかす濡羽色の黒髪が白を基調とした制服の上で良く映えている。


 彼女は担任の隣に立つと、切れ長の目で教室全体を一瞥した。

 教壇側を見上げていたあたしは彼女と目が合う。その瞬間、背筋がゾクリとした。恐ろしい程に冷たい瞳をしているように感じたのだ。


「西條さん、自己紹介できる?」


 担任がそう促すと、彼女は色素の薄い唇をゆるりと開いて見せた。


「初めまして、西條桐香と言います」


 玲瓏な響きが教室を支配する。ピリリと空気が引き締まったようだった。

 迂闊に口を挟めないような、そんな空気。

 そして、彼女は表情を変えることなく、この場を凍てつかせる言葉を口にする。


「私はあなた方と関わる気はありません。率直に言って吐き気がするからです。用もなく近づかないでください。よろしくお願いします」


 彼女は友愛を尊ぶこの社会を真っ向から否定した。

 担任も含めたクラスの誰もが戦慄する中、きっとあたし――紅葉真奈もみじまなだけがその言動に胸をときめかせていた。



♦ ♦ ♦



「それじゃ、まなちー週末よろしくね!」

「はいはーい」


 廊下に出ていたあたしは隣のクラスの友達を見送ると、自分の教室に戻った。

 今は昼休みの終わり際で、誰しもとうに食事は済んでおり、次の授業の準備をする人や教師が来るまで談笑を続ける人に分かれている。


 そんな中で西條さんはただ独り、紙の本を読んでいた。

 怜悧な雰囲気を放っている。近づく者はいない。孤高の存在だ。


 彼女が転入してきて既に一週間が経過していた。


「気になるなら声掛けりゃいいのに」

「頑張って、まーちん!」


 廊下側の席から二人の女生徒が声を掛けてきた。

 片や悪態をつくように、片や応援するように。

 彼女達の名前は御浜檸檬みはまれもん舞鶴英美里まいづるえみり

 どちらもあたしの昔からの友達だ。


 檸檬は無造作ナチュラルな髪型に気怠げな様子。

 英美里は鮮麗な金の髪にニコニコの笑顔。

 それぞれ陰と陽のオーラが目に見えるようだった。

 あたしは多分その中間くらい。


「いやぁ、でも初日のあれを見ちゃうと、ね……」


 あたしは西條さんから目線を切って、檸檬達の傍に寄った。


「まあ、あの日は社評稼ぎ達の惨殺死体が転がってたな。どれも簡潔な言葉でああも強烈に退けていくとは」


 社評――すなわち社会評価は、この社会にとって善いとされる行動を取ることで上昇していく、個々人に紐付けられた指標だ。特に友愛や協調を表す行いが基本となっている。


 逆に社会にとって悪いとされている行動を取れば減少していく。学校で言えば協調性の欠如やいじめ行為、成績不良などが該当する。もちろん犯罪行為などはもっての外だ。


 あたし達は幼い頃から、監視カメラや集音マイク等が当たり前のように設置された環境で過ごしており、日々の言動が評価され続ける社会に生きている。

 社評の如何によって進学先や就職先、引いては人生が決まると言っても過言ではない。


 それゆえ、檸檬が『社評稼ぎ』と揶揄するような者もそれなりにいるが、別におかしなことではなく、むしろ自然で普通の行いだ。


「すっかりクラスの『触らぬ神に祟りなしUntouchable』だしねー」


 そう言って英美里は怯えるようなジェスチャーをする。


「あたしは西條さんの気持ちを尊重出来る偉い子なのです」

「言葉で斬り伏せられるのが怖いの間違いじゃ?」

「それは言うない」


 図星です、と内心で頷いた。

 怖い。そう、彼女と関わることを選ぶのが怖いのだ。


 英美里は「そう言えば」と問いかけてくる。


「まーちんはまた助っ人のご相談?」

「ああ、うん。今週末にバスケの試合頼まれててね。近い内にテニスと水泳とサッカーもあるから大忙し」


「良くやるよ。これだから運動バカは。マグロみたく動き続けてなきゃ死ぬのか?」

「死なないよ!?」


 檸檬は変わらないトーンで、けれど少し真剣な顔つきで言葉を続ける。


「たまには断れよ。いいように利用されるだけだぞ」

「あ、それはわたしも思うなー。まーちんは人がよすぎ」

「そんなことないって。あたしだって無理そうな時はちゃんと断ってるよ」


 二人は疑わしそうにジトリと見てきた。

 少しして、檸檬は「はあ」と大きく溜息を吐いて言う。


「ま、別にいいんだけどさ。実際、真奈の社評は高くなってるわけだしな。社会的には何ら間違っちゃいないよ。あとは勉強が出来たら完璧だ」

「うっ……」


 あたしは痛いところを突かれて呻く。


「もうすぐ中間テストだねー」


 英美里まで追撃してくる。酷い。記憶の彼方に封印していたことを。


「自分達は勉強が出来るからって……!」


 英美里は平均やや上程度だが、檸檬に至っては学年トップだ。

 下から数えた方が早いあたしとはまさに天と地の差。


「まあ、れみーは逆にちょっとは運動した方がいいと思うけどねー。大きくなれないよ?」

「うっさい。私は今で間に合ってる」


 そんな風に他愛もない話をしていると、あっという間に昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。



♦ ♦ ♦



 普段は適当な部活で存分に運動して帰るあたしだけど、今日は駅前に出て来ていた。


 辺りが人で溢れかえる中、見覚えのある姿を捉える。

 西條さんだ。同じく学校帰りでやって来たらしい彼女を人混みの中に見つけた。


 彼女は駅前を抜けて、人気のない方向へと歩いていく。迷いのない足取りだ。

 その先にあるのは、廃棄区画。一時の大幅な人口減少に伴って放置されるようになった建物や土地のことだ。社評に悪い影響が出る為、普通は決して近づこうとしない。


 まさか家がそちらということもないだろう。

 では、彼女は一体どこに行く気なのか。


 気が付けば、あたしは当初の目的を忘れて彼女の後を追っていた。


 西條さんはとうに放棄された様子の廃ビルに入っていった。

 少し間を空けて、あたしも後に続く。


 すぐ傍の階段からコツコツと足音が聞こえた。

 どうやら上に向かっているらしい。

 足跡が鳴らないように気をつけつつ、上っていく。


 やがて、足音が止んだ代わりにギィと扉を開く音がした。

 程なくして、あたしもその場に辿り着く。

 どうやら屋上へと通じているようだ。


 扉の前には壊れた南京錠が落ちていた。

 埃が積もっているので、最近ではなさそうだ。


 さて、どうしようか。あたしは扉の前で「むむむ」と悩む。


 流石に堂々と立ち入るのはなぁ……秘密の場所っぽいし、それは悪いように思う。けど、西條さんが危険なことをしてたら止めなきゃだし……うーんうーん。


 と、そこで扉が僅かに開いていることに気が付いた。

 これならゆるりと動かせば、屋上の様子を覗き見ることが出来るかも知れない。


 よし、とそろりそろり扉に近づいたあたしは、最小限の力で押し開く。

 そして、ほんの僅かに出来た隙間に顔を近づけた。


 澄んだ青空の下、金網に覆われた正方形の空間に、彼女は立っていた。

 風に髪を揺蕩わせながら、指先に持っていた棒状の何かを口にくわえる。

 その先からは紫煙が立ち昇っていた。


 煙草だ。現代いまじゃまず見ることのない代物。

 あたしも昔の映像で知ったに過ぎない。


 廃ビルの屋上で一人、煙草を喫う西條さん。


 それは紛れもなく通報案件だった。

 誰かが社評に響くような悪い行いをしていたならば、適切な機関に通報するのが国民としての義務だと言える。学生の場合、通報先は学校だ。


 誰よりも彼女自身の為に止めさせなければならない。

 しかし、あたしには彼女の纏う静謐な雰囲気がとても美しく思えた。


 すっかり見惚れてしまっていたあたしは、つい手に力が入ってしまう。

 ギギギと大きな音を立てて扉が開き、あたしは「あっ」と声を上げて前に倒れ込んだ。


 当然、西條さんはギョッとしてこちらを見た。

 目が合う。場に重い沈黙が圧し掛かってきた。


 な、何か言わなきゃ……。

 焦ったあたしの口から咄嗟に出たのはこんな言葉だった。


「あっれ~! こんな所で奇遇だね、西條さん!」

「尾けてきたのね」

「……はい。駅前で西條さんを見かけて、どこに行くのかなぁって気になって、つい」


 彼女はギロリとこちらを睨んでいた。あたしは「ひぃ」と声を漏らす。

 お前は見てはいけないものを見た。消えてもらう。

 そんな光景が脳裏に浮かんだ。


 しかし、彼女は一度息を吐いて脱力すると、諦め口調で呟いた。


「通報する? 好きにしたら」


 好きにしていいらしいので、あたしは傍に近づくことにした。

 それが予想外だったのか、彼女は驚きの表情となっていた。


「煙草、吸うんだね」

「……ええ。ここ、監視カメラないから」

「そうなんだ」


 あたしはキョロキョロと周囲を見回す。

 確かにそれらしいものは見当たらない。


 見えるのは、駅方面に広がる新しくて綺麗でキラキラした町並みと、廃棄区画に広がる古くて汚れててどんよりした町並み。


「……あなたの目にこの景色はどう映る?」

「どうって……駅側に比べてこっちは寂れてるなぁって」

「そうね。捨てられた場所、忘れ去られた場所、時代に付いていけなかった場所。そんな哀愁が満ちてると思う……まるで私みたい」


 彼女は自嘲するように笑っていた。

 あたしにはそれが何だか寂しげに感じられて。

 これまでは氷のように冷たく毅然として見えていた彼女の姿が、寄る辺なく必死に堪えているように見えて。

 それはあたしに彼女のことをもっと知りたいと思わせた。


 二人でぼんやり景色を眺めていると、煙を吹かした彼女はぽつりと呟く。


「通報する?」


 それはさっきも聞いた問いかけ。あたしは首を横に振る。


「しないよ」

「それは社会に反してるんじゃない?」

「何、通報して欲しいの?」

「そうじゃないけど……」


「まあ、考えなかったかと言えば嘘になるけど、少なくとも、西條さんはして欲しくないように見えた。だから、しないよ」


 あたしの言葉に西條さんは黙り込む。やがて、口を開いたかと思えば。


「あなた、周りの人に変って言われない?」

「失敬な! 確かに運動バカとかお気楽星人とか見た目はリスで中身はゴリラとか、良く言われるけども! あたしは普通オブ普通、この社会の誰より普通だと言っても過言ではないというのに!」


 あたしは『ふんす』と鼻息を荒くして捲し立てる。

 彼女は気圧されたように硬直するも、やがては「ふふっ」と口元を緩めて肩を震わせた。


「何だよぅっ」


 あたしはそう叫びながらも、その声色は弾んでいた。

 いつも仏頂面の彼女が笑ってくれたのが嬉しかったから。


 この隔絶された空間、まるで二人だけだと思える世界に、笑い声が響き渡った。


「ねえ、西條さん。あたし、紅葉真奈って言うんだ」


 この一週間、ずっと言いたかったこと。

 だけど、臆病で言えなかったこと。

 偶然に導かれた今だからこそ、言葉にすることが出来る。


「あたしと友達になってくれないかな」

「……別に、いいけど」


 そう言って、彼女はそっぽを向く。

 その頬は僅かに赤らんで見えた。

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