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 旧世界における旧時代では、階段を降りることに躊躇する者などおらず、ましてや雪が殺人レベルで投下され、吹き荒ぶ風が肌から心まで削り取るこの地では、日々発達する地下通路へ避難するのは当然で、普通のことであった。



 しかし、旧世界では新時代になって都市がコンパクトになった。寒さなど感じることはなく、日光だけを自動で取り入れることで最適となった完全室内、人間に最適で快適な自然環境を備えた半室内等が普及。人々はほぼ建物内に引き籠ることとなった。引き籠りも案外悪いことではないという認識である。仕事はどこでもできるような環境となったのだ。



 交通機関は以前から利用されていた路面電車、通称市電が再興。中心部を走る以前の車体は便数が増加し、住宅街を進んで行く小型のタイプが登場。市民の足は大幅に利便性が向上した。十年以上前に予定よりも大幅に遅れて開通した新幹線は本土と距離を大幅に近づけ、地下を主戦場としていた地下鉄は、乱立する高層ビル群から住宅街のはるか上に設置された非視認性のパイプ状線路を無音で走る。どの交通機関も正確にプログラムされた秒刻みのダイヤによって自動運転された。乗務員は万が一の対応を迅速に行うことで拍手を貰い、各種サービスを充実させるためのみに搭乗させられた。



 よって楽ちんな地上での生活の方が圧倒的に快適となり、それが当たり前となり、人々は地下へ下ることが煩わしくなった。狭くなった人々の行動範囲のなかに地下という選択肢はなくなったのだ。



「おせーな、あいつ」



 しかし、人間の中には自ら進んでこの流れに逆らい、世の中の風潮から逸脱していることが、ただ他人や世間と違うというだけで、この遡行するだけの道を選ぶ天邪鬼な人間がいる。



 たとえば、この人間未満少年以上の青年擬きとか。



 この妙ちくりんな肩書きの人物は、いやまあ、俺なんだけど、いつも地上にはいないんだ。たまに地上に出ることもあるけど、それは仕事の時のみ。神の御加護を受けるだけの偽りの世界に、そう長くいることもあるまい、という考え。ああ、それこそ視力など衰えたままで構わず、完全に物事が見えないぐらいがちょうど良いのだ。正しさだけが映る世界は性に合わない、そういう性格でね。だから腐りきったこの現実世界で、やや腐る一歩手前の怠惰な生活を送っている。しかし、怠惰と言ってもぬるま湯に浸り続けるつもりはない。虹色に輝く幸せを浴びて生きていくつもりもないけどな。



 さて、まだ待ち人は来ないようなので、そろそろまともな自己紹介でもしておこう。

 

 

 俺の仕事は夢を売る仕事だ。ただ買うだけで可能性が生まれ、その人の人生のその先全てが明るく照らされたかのような気分になることができる、そんな夢を売る仕事だ。



 この夢は非常に刹那的だが、買い直すことで再び得ることができる。訪れることがないとは分かっていても、それでも訪れてほしいと思う最大公約数的思考を、すでに運命づけられているのに不透明で見えないというだけのことを理由に、幻を投影して夢を見る。俺は神ではないが神掛かった人間であるため、ある程度の運命が見えることもある。宝くじを買った人間の大抵の未来は普遍から逸脱することはないし、当選者の黄金も四年後までが殆ど。それ以降は堕落し、また夢見て地下へ潜ることも多い。

 

 

 宝くじ売り場を職場兼寝床としている俺だが、もちろん夢だけじゃ食っていけないのでちゃんと仕事もする。今の待ち人はその仕事の相棒だ。



 仕事は主に地下のトラブルを解決している。派手な武力行使から謎解きの頭脳を必要とするもの、インターネットトラブルから水道のトラブルまで。何でもやる便利屋だが、舞い込んでくる問題の中に楽なものはない。だいたい厄介だ。そこで仕事の時はいつも相棒と行動を共にしている。まあ、それもあるきっかけあってのことなのだが、そこまで話す必要はあるまい。宣伝も兼ねて申し訳ないが、地下でトラブルに巻き込まれたなら、取り敢えず俺に相談してみな。報酬金がリーズナブルであるかはさておき、解決後までトラブルシュータ―を務めてあげることだけは、保証しよう。

 

 

 ***



「遅いぞ。遅刻だ」


「すみません、依頼主と会っていました」


「そうか。なら、仕方ないな。歩きながらでいいか? 少し急ぐ。互いに情報を擦り合わせながら行こう」


「はい」



 ようやく相棒が来た。彼は絵にかいたように真面目であり、俺がこれまで見てきた限り、普通の人生を送っている。普通に可愛い彼女がいて、仕事こそ特殊ではあるが地上の価値観を主としていたはずの、普通の人間であった。だから普通に人生を送ることができれば、俺なんかと巡り会うはずなどなかった。だが、そうはならなかった。彼はあまりにも地上の人間だった。だから神の世界を嫌い、上と下を行き来するようになった。そういう奴だった。



「なるほどな、じゃあ、本人の意向が変わったわけではないってことだ。それならこれまで通りやれそうじゃないか。まあ、情報がここまで錯綜している以上、ピストルを撃ち合うことになるかもしれないが」


「また、ですか。結局行きつく先は反社会組織ですか」


「別に彼らは悪い奴らじゃないぞ? 悪い人じゃあないんだ。ただ、人相と服装と生業が平坦ではなくて、多くの人間にとっては害を為すかもしれないって言う、ただそれだけだ。本物の畜生以外の彼らは大体いいやつなんだぜ? ただ、やっちゃいけないことをしているだけで、さ」



「沓形さんは時々良く分からないことを言いますね」


「そうか? ……そうだな、そうかもしれない。うん、最近よく言われる」



 二人はすすきのと大通りを結ぶポールタウンからオーロラタウンへ抜けていく。その間にすれ違うのは、まともな方の地下民と観光客、地上民だけ。地上民も多くはビジネスマンであり、あまり長居したくなさそうである。無理もない。



 彼らを横目に俺たちはオーロラタウンを横切ってクロック街へと向かう。



「その……神下だっけか? 依頼主」


「はい」


「今はどこに隠れてるの」


「パール通りの方に」


「ああ、それは、それは。心底の人間なんだな、そいつ」



 パール通りとは、昔の地元民でさえその存在を知るものは飲み歩き者だけ。店の数もわずか六件ほどという小さな地下道である。場所は駅から三条通の方へ南に向かって伸びている。店の中身も今じゃ酒屋が半分で、あと半分はパールだ。つまり、富である。不健全な富だが。



「パールに逃げ込める辺り、ヤクザとかそういうのと無関係ではないんだろう、な。やれやれ、少なくともアンダーボーイズ程度であることを願うばかりだ。本人の身分は、ほとんど聞けてないんだろ?」


「そう、ですね」



 軽いダッシュでここまでやって来た二人はやや息を乱しながら会話をしていたが、やがて目的の場所へやってきた。



 時計台の真下。アンダー・クロック。



 名前だけは一丁前だが、単に観光名所の真下である。この時代になっても過去の遺産に想いを馳せる辺り、人間というものは案外どの時代になっても変わらないのかもしれない。変化しているのは環境だけだろう。表現方法が異なるだけだ。



「さて、それじゃあ、始めますか」



 俺とその相棒はアンダー・クロックへと足を踏み入れた。そこは強すぎる蛍光灯と無色の電飾が轟々と光る広場だった。

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