おにぎりの朝
ritsuca
第1話
「とった!」
小さい頃から、よく寝言で言っていたらしいそれを、今日もどうやら発していたらしい。
どうやら今日の寝起きも良いようだ。これが寝起きに出たときは、大抵調子がいい。しかし、何を「とった」のだろう。
何度言っても何度目覚めても謎は解けないまま、今日も布団の中で身体を伸ばす。ぐーっと伸びて、10を数える。それから、右を下にして、今度は手で足を掴んで10。左を下にして、同じく10。また仰向けに戻って、ぐーっと伸びて、今度は30。それからゆっくりと身体を起こす。今日も異常なし。天気はどうだか知らないが、僕は今日も順調。
布団から出て、昨夜のうちに揃えておいた着替えを手に取る。肌着、ズボン、シャツ。とりあえずこれだけ着ていれば朝食にはありつける。部屋に備え付けの洗面台でばしゃりと顔を洗い、扉をがらりと開けた。
隣室の前を通ると、同じようにがらりと音がして、思わず立ち止まる。
「お、はよう、ございます」
「ども」
隣室は、たしか、屋代と言っていたか。こちらは学生とは言え高校生なので少なくとも学期中は規則正しい生活を送っているのだが、社会人と言っていた彼と朝に顔を合わせることは滅多にない。以前そのことを食堂で零したところ、家主兼食堂のおじちゃん(自称)には、「彼、夜の帝王だからね」と冗談なのか本気なのか全くわからない声音で返された。実際どうなのかは知らないが、それ以来、屋代と出会った時にはなんとなく身構えるようになってしまった。
「飯?」
「あ、はい」
「そう」
会話が、続かない。のに、彼の斜め半歩後ろをついて歩く流れになってしまい、頭を抱えたくなる。
あまり近くもない親戚の縁を頼って住み始めたこのシェアハウスは、家主の人柄がよく住み心地が良いからとのことで、空き室はほぼない。ほぼ、というのは、さすがに入れ替わりには多少の期間がかかったりすることもあるので。
全部で10室、女子禁制。いつもならば半数程度はいるはずの食堂には、今日に限って家主も含めて誰もいない。テーブルの真ん中には、おにぎりののった大皿と、寸胴鍋、やかん、メモ。それに、こちらは各人のためであろう、小皿とお椀と箸、湯呑み。
「『今日の夕飯は各自で支度してください。急用のため、出ます。明日朝までには戻りますので、ご心配なく ばーい、食堂のおじちゃん』……家主と書いた方が文字数が少ないんじゃないか」
「そう、ですね……」
「はい」
「え、あ、ありがとう、ございます」
渡された食器を受け取り、定位置に座る。月に一度、全員参加を義務付けられている集まりのときに座る席が、そのまま定席になっているから、うっかり座って誰かと重なることは滅多にない。
「あれ」
「え」
「いや、俺もいつも朝そこに座ってたんだけど、そうか、君の席だったか。すまない」
「え、あ、いえ、いつも時間ずれてるので」
気づいてもいませんでした、とは、おにぎりとともに口の中に飲み込んだ。
なんだか調子が狂う。
「今日は遅いんだな」
「え?」
「俺と同じ時間帯なんて、珍しい」
「え?」
時計に目をやって、瞬きを2回、3回。長針の位置は、いつもと同じ。短針は、ずれている。左上に。それも、60度ほど。
「えええーっ!?」
「がんばれ?」
「あ、はい、がんばりますごちそうさまでした!」
慌てて食器を流しに持っていく。がちゃがちゃを嫌な音が聞こえている気もするが、気にしない。洗う。洗う。
調子がいいと思ったのはどうやらよく寝たせいだったらしい。カゴに並べて手を拭いて、鳴らなかったのか止めてしまったのかわからない目覚まし時計に悪態をつきつき、階段を駆け上がる。
「しかし、あの子はいつも、何を『とっ』てるんだ?」
食堂に溢れた呟きを、拾わないままに。
おにぎりの朝 ritsuca @zx1683
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます