誰かさんの憧れ
金星人
第1話
私はこれまで死ぬ気で働いてきた。文字通り死ぬ気で、だ。これまでというもの、死ぬ気で勉強して一流大学に入り、一流企業に就職し、死ぬ気で働いてきた。だから、郊外の、こんな良い場所に一戸建てを買うことができたのだ。
勿論、今まで成功ばかりではなかった。
第一志望の高校に受かることができなかったり、会社では順調に出世してこれたわけでもなく、このご時世というのもあるが結婚はまだ出来ていなかったり…。
しかしそれもまた人生だと思う。確かにベストな選択を全て選べてこれたわけではないし、心残りな部分もあるがそれはあくまで結果論に過ぎない。その辺は割り切らないと。
まあ、とにかくこうやって自分の家でのんびりと好みのドイツワインを開けて至福の一時を楽しめている。私はこの時間を過ごす際の場所を決めている。それは二階にあるバルコニーでそこからは少し離れた都心が見え、ビル郡が明るく、まるで何かイベントのライトアップかのように美しく輝いている。少し西側には港があり、毎年夏になると大きな花火大会が開催される。会場に行かずともここでのんびり、ストロンチウムやナトリウム、銅、バリウム等が織り成す花を一望できる。また手前には景観を意識してか、レンガ造りの家々が立ち並びヨーロッパにある都市にいるような感覚になる。
仕事を終え帰宅した後ここでそんな風景を見、ワインを口にしながら過ごすのが私の日課であり、自分へのご褒美だった。そんな暮らしを送る自身を我ながら勝ち組だと思っている。
「後悔することなど、私にはないな。」
…と、言いたいところなのだが1つ気にさわることがある。家の前の道に立っている男だ。さっきからずっと私の家を見上げている。いや、凝視している、と言った方がいいか。
街灯に照らされ不気味に見えるその男はよれよれのパーカーを被っていてジーパンのダボダボ具合からもわかるように痩せこけており、お世辞にも裕福な暮らしをしている人物とは言えなかった。
きっと男はこの私の裕福な暮らしぶりを見て嫉妬を抱いて羨望の眼差しを私に向けているのだろう。
そう思われていると考えるのはいささか気分が良かった。但、このように目を据えられると、全く気分が落ち着かない。せっかくのアウスレーゼの味が台無しだ。だいたい、人の家を覗くなんて、犯罪でもおかしくないではないか。段々と苛立ちが込み上げてくる。
「私がそんなに羨ましいのか、くそ
至福の時間を邪魔しやがって。」
私は一言いってやろうと、外へ出た。道へ出ると男がそこに立っていた。と、彼は私の方を見て何かぼそぼそと言うと突然向こうへ走り出した。
「おい待て。」
私が出てきて気まずくなったのか。放っておいたら明日また来るやも知れん。絶対問い詰めてやる。私は必死に彼を追いかけた。
「待てと言ってるだろ。また来たら通報してやるからな。」
そう言っても男は待つはずもなく、やがて私は振り切られてしまった。
「はぁはぁ、くそどこへ行った」
息も切れ切れだったのが落ち着き辺りを見回すとふと目についた家があった。
赤い屋根のその家はこじんまりとしていた。一階の部屋は明かりが着いていてカーテンがあいていた為、なかが見えた。
一家が賑やかに話している。
どうやらその家の主人が誕生日で、パーティーをやっている。
「ハッピーバースデートゥーユー♪ハッピー…」
妻とその子供の歌が歌い終わると父はケーキに立つロウソクの火をふっと消した。妻子はパチパチと拍手をし、子供が何かプレゼントを渡す。
とても楽しそうだった。
涙を流してしまいそうなほど感情が込み上げてくる。あの時、ちゃんと、あなたと向き合っていたら…
私には大学時代から社会人5年目まで付き合っていた相手がいた。はじめて会ったときからとても気が合い、向こうは本気で結婚のことを考えていた。しかし、私は今仕事でやりたいことがあって忙しい、等と言い訳し続け、本気で向き合おうとしなかった。そして段々とお互いの気持ちはずれていき…
「私は今まで幸せな人間だと思っていた。
だけど、だけどあの時あなたの気持ちを真剣に受け止めていれば、もっと幸せになれたのだろうか」
もうこの家を見るのが辛くなってきた。もう、見たくない。
そう思うと勝手に足が動いていた。しかしどこへ走っても"幸せ"にたどり着くことなどないことはわかっていた。但、目の前にある何かから逃げたかった。それでも誰かに、誰かに慰めてほしい。自分は間違っていなかったと…
赤い屋根の家の人が外の男に気づく。
「ねぇ、さっきからずっとあの人この家覗き込んでない?不気味だわ。
「なんだあの人は。せっかくの誕生日パーティーなのにさっきから覗きやがって。今話つけてくる。絶対問い詰めてやる…。」
そしてまた、この主人が得られなかった幸せは何処かの誰かが得ているわけで…
誰かさんの憧れ 金星人 @kinseijin-ltesd
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