悪役令嬢の私は重い病気にかかって婚約破棄されてしまったけれど、本当の幸せは知る事ができました。
式崎識也
悪役令嬢は、夢を見た。
「王子様が、囚われのお姫様を助ける物語を知っているかい?」
目の前の男は、気取った口調でそう笑う。
「そんなの、どこにでもある話じゃない」
私は男に視線を向けないまま、素っ気なくそう応える。
「そう。そんな話は、どこにでもあるものだ。でもそれは同時に、どこにも無いものでもある。僕らの現実には、囚われのお姫様なんて居ないし、だからそれを助ける王子もまたどこにも居ない」
「居ないから、夢を見るのでしょう? 人とは、そういうものよ」
「なら、お姫様は何を夢見るのだろう? 我々が夢見る人々は、一体どんな夢を見ているのだろう? 僕はそれが知りたい」
「……それは多分、当たり前の日常よ」
窓の外の木々が、風に揺れる。もうだいぶ、葉も散ってしまった。冬の足音が聴こえてくるようで、憂鬱になる。
「僕は季節の中で、冬が1番好きだな。空気が澄んでいるし、何よりとても静かだ」
男は騒がしい自分自身を棚に上げて笑う。
「……私は冬が、嫌いよ。だって明けたら、春が来るもの」
「君が嫌いなのは、冬でも春でも無い。その先に待っているものなんじゃないかい?」
告げられた言葉には、重みがあった。でもその重みは、私には必要ないものだ。
冬が終わり、春が来る。そうやって季節は巡り、そして人はこの世を去る。それは逃れられない宿命で、誰の身にも降りかかる運命だ。
そしてその運命が、皆より早く私の所に来た。
◇
夢を、見ていた。手が届かない夢に、焦がれていた。
三流貴族の娘として産まれ落ちた私は、政治の道具として使い捨てられる運命にあった。私はそれが嫌で、そこから抜け出したくて必死になって抗った。
悪い事を何度もした。罪の無い人を陥れ、罪の有る人間に媚を売った。自分が悪だと、自覚している。こんなやり方じゃ駄目だと、初めから分かっていた。
でも
それでも
私には、それしかできなかった。
悪役令嬢。だから自分がそんな風に呼ばれていると知った時、思わず笑ってしまった。悪の令嬢では無く、悪役令嬢。それは、私にピッタリなネーミングだった。
私は抗って、地獄を抜け出した。でもそんな私を待っていたのは、重い病魔に冒された哀れな悪役令嬢の姿だった。
余命、数ヶ月。そう告げられた時、少しだけ安心したのを覚えている。神様なんて信じてはいなかったけど、罪人に罰が与えられるのは、罪人にとっても救いだ。
私は必死に抗って手に入れた全てを手放し、辺境の屋敷に引きこもった。
誰も私の心配などしない。婚約者の男ですら、きっともう私の事なんて忘れているのだろう。誰も愛してこなかった私には、お似合いの最後だ。
そう強がって、目を逸らした。日に日にやつれていく自分から目を逸らし、私はただ生きていた。
死ぬ為だけに、私は生きていた。
そんな時、この男が現れた。有名な貴族の出で、王女様の寵愛を受け、舞踏会で多くの女性の視線を集める風変わりな男。そんな男が突然私の屋敷にやって来て、言った。
『匿ってくれ、追われてるんだ』
そんな演劇みたいな声が響いて、この男と私の奇妙な関係が始まった。
◇
もうベッドから起き上がる事も出来ない私の所に、男は今日も当然のようにやって来る。冬の冷たい空気を物ともせず、男は晴れやかな太陽のように笑う。
……でももう、会いたくはない。日に日にやつれていく姿を、見られたくない。何より死に行く人間に、希望なんて見せないで欲しい。
「やあ、調子はどうだい?」
男はいつものように笑う。
「……良い様に見える?」
私は掠れた声で応える。
「今日はとある本を持って来たんだ。もしよければ、今日も僕の話を聞いてもらえるかな?」
男は一冊の本を取り出す。でもそれを、私は遮った。
「……もうやめて。もうやめにして。お願いよ。貴方のような人が、私に構う理由なんて無いでしょ? 貴方が来ると、私が惨めになる。私はもう……死ぬわ。もうそれを受けて入れている。だから……もう、放って置いて」
「いや、僕は君を──」
「うるさい! いい加減、理解しなさい! 私は……私は、あんたの話なんて聞きたくないって言ってるの! いいから、もう出て行って……!!」
これはただの、八つ当たりだ。分かってる。それくらいは、私も分かってはいる。でも死を前にして正しくいられるほど、私は強くない。だからもう、1人にして欲しい。こんな想いをするなら、いっそ殺して欲しい。生きれば生きるほど、無様になる。
……もう、嫌だ。
「……1人の男の話をしよう。その男は全てを持って産まれ、全てを与えられて育った」
でも、それでも男は立ち去らず、いつものように誰かの話を始める。
「でも、男は知っていた。自分は道具なのだと。自分が持って産まれた全ては誰かに利用される為だけもので、自分に多くが与えられるのは、それが彼らにとって都合が良いからだ。その男は、全てを持った操り人形だった」
男の目が、遠くを見据える。それは彼が時折見せる、唯一の弱さだ。
「男は人形である事を受け入れた。それ以外に、できる事など無かった。そう信じて、そう願って、そうやって諦めていた」
そこで男の目が輝く。眩しいものを見るように、美しい花を愛でるように男の瞳が輝く。
「でも見たんだ。運命に抗っている人間を。自分のように人形である事を押しつけられた彼女は、それでも懸命に人であろうとした。男はその姿に救われた。運命を笑い飛ばす、その強さに憧れた。自分もそうなりたいと、強く願った」
それはきっと物語のように綺麗ではなくて、ただ現実の遣る瀬無さに色付けされただけのものだけど、でもそれが……私の誇りだった。そうやって進む事だけが、私の全てだった。
気がつくと、私は泣いていた。……何が流れているのか、自分でも分からなかった。
「側に居させてくれ。たとえ明日、貴女が死ぬのだとしても……今日だけは側に居させて欲しい。僕は、貴女を愛している」
そんな言葉、聞きたく無かった。そんな顔を私に向けないで。貴方にはだって、輝かしい未来があるのに。私が望んだ未来が、貴方には約束されているのに。
明日死ぬかもしれない私の側に居たって、何の意味も無いのに。
沢山の罪を犯して私は、独りで無様に死に絶える事だけが救いなのに……。
なんで。
なんで?
なんで!
なんで! 私なの!
「死にたくない。まだ、死にたくないよ! なんで、私なの? やっと、望んだものが見えて来たのに……なんで今になって! なんで私が! 死ななくちゃいけないの……!」
理屈を無くした私の心は酷く無様で、どんなに賢い理屈で覆っても、私の本心なんてその程度のものでしか無い。
そんな事も、私は知らなかった。
「愛してる。僕がずっと……側にいる」
本当はずっと、誰かにそう言って欲しくて、その為にずっと走って来た。
必死に走って努力して、悪役と罵られ、それでもと走り続けた私は、最後の最後でようやく……望んだものを手に入れた。
「側に居て。ずっとずっと、離れないで」
温かい手が触れる。その温かさだけが、世界の全てだ。
「愛してる」
彼の声が聞こえる。
「私も……愛してるわ」
だから私も、そう答えを返した。
そこから先に語る物語は無い。
冬が終わり春が来た。悪役令嬢と呼ばれた女は当たり前のように死んで、男は当たり前のように生き続けた。
でも
それでも
繋がった心が離れる事は無い。死が2人を分かつとも、掌に残った温かさが消える事は無いのだから。
悪役令嬢の私は重い病気にかかって婚約破棄されてしまったけれど、本当の幸せは知る事ができました。 式崎識也 @shiki3
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