第76話 第二回定期テスト対策勉強会


 一緒に勉強会をするにあたって、空き教室で行うか、ファミレスで行うか。

 朝陽にとって正直どちらでもよい二択は、冬華の鶴の一声によって決まった。


「あっ、第二回!」

「定期テスト対策勉強会!」

「inファミレス!」

「「いえーい!」」

 

 とりあえずドリンクバーを四人分注文した後、どこか聞き覚えのあるやり取りが耳に響く。

 千昭と日菜美も公共の場では流石に身を弁え、声はいつもより小さめだった。

 

「朝陽とふゆちゃん、なに飲む? 私たち取って来るよ」

「それでは、オレンジジュースをお願いします」

「俺、コーラで」

「りょうかーい!」


 二人仲良く飲み物を取りに行き、朝陽と冬華が残される。

 正面に座る冬華はニコニコと嬉しそうな微笑みを湛えていた。

 その様子はさながら壁面に描かれた絵画の天使のようで、朝陽も自然と笑みが浮かんだ。


「やけに楽しそうだな」

「わ、わかりますか……?」

「まあ、なんとなく」

 

 朝陽が言うと、冬華はメニュー表で顔を隠してしまう。

 それからひょっこりと、カラメル色の両目だけが姿を現した。


「こういうの、憧れだったんです」

「こういうのとは?」

「その……友達と、放課後に遊ぶ……みたいな」

 

 勉強会が遊びかどうかはさて置き、友達という関係を今まで避けてきた冬華にとって、何気ないこの光景は密かに強く望んでいたものなのだろう。

 遊園地で遊んだり、水族館を楽しんだ時とはまた違った思いがあるに違いない。


「そういや去年の三学期とか、日菜美に遊ぼうって誘われてなかったか?」

「それは……まだ、少し勇気がでなくて」


 あの頃は、ようやく冬華が一歩を踏み出した時期だった。

 初詣を経て日菜美と知りあったとはいえ、それ以上先に進むのは難しかったはずだ。 

 

 だからこそ、そういった心の壁を乗り越えて手に入れた友人関係が愛おしく感じるのだろう。

 日菜美に対して、千昭に対して、クラスメイトに対して向ける冬華の表情は、いつの日かの冷たい雰囲気とは裏腹に温かい。


 そしてまた、朝陽の前でも穏やかで優しい笑顔が浮かぶ。


「でも、今ではこうして一緒に居たいって思います」

「それ聞いたら、千昭も日菜美も喜ぶだろうな」

「……朝陽くんも喜んでくれますか?」


 ふいの質問に、朝陽は一瞬固まった。

 しかし、答えには迷わないので即座に言葉を返す。


「もちろん」


 どうやら、この手の話は少しむず痒いものがあるらしい。

 冬華は再び縦長のメニュー表で顔を隠してしまった。


 しかし、横からの視線は防げなかったようだ。


「おまたせー。あれ、ふゆちゃん顔赤くない?」

「そ、そうですか?」


 ドリンクバーから戻って来た千昭と日菜美がニヤニヤとしながら席に着く。

 

「二人で何の話してたんだ?」

「試験終わったら遊びに行きたいなって話」

  

 機転を利かせて上手い具合に話題を伝えると、日菜美の目がキラキラと輝く。


「遊ぼ遊ぼ! 食べ歩きにショッピング、プリクラとかも一緒に撮りたい!」

「カラオケとか、ボウリングとかも外せないな」

「いいねちーくん! 四人で遊べるところ探そっか!」


 楽しそうに笑顔で遊び場を列挙する千昭と日菜美。

 そんな二人を見て、冬華はやんわりと口角を上げた。


「お誘い楽しみに待っていますね」

「それじゃ、今から近くの――」

「おい、今日の目的を忘れるな」


 朝陽が鋭く指摘をすると、日菜美がぶーっと頬を膨らませる。


「わ、わかってるよ。ちゃんと勉強するもん」

 

 そう言って、日菜美はカバンから参考書やテキストを取り出した。

 国語や数学、地理に英語、中には専科の暗記プリントも入っている。


「それ、今日だけで終わらせる気じゃないだろうな」

「……はて」

「目が泳いでるぞ」


 続いて千昭も同じように大量のノートをテーブルに広げ、雑談もそこそこに勉強会が始まった。




 朝陽が千昭に教え、冬華が日菜美に教えるといった役割分担でテスト勉強は刻々と進む。 

 基本は問題集を解いて、躓いた時に指示を仰ぐといった形だ。

 先生役の朝陽と冬華も自分の勉強があるので、生徒役の二人は気を遣って時間を置いてから質問をした。

 

「この問題は前のページの応用でいいんだよな?」

「そうだな。公式に当てはめた後、連立方程式を解いて交点を求めればできるはず」

「おっけ、やってみるわ」


 千昭は地頭の良さを存分に発揮し、要領よく朝陽の指導を理解していった。

 去年から直前の勉強のみで赤点を回避していたことからわかる通り、知識や技術の飲み込みが早いのだろう。


 最初から本気を出せばいいのに、という言葉は胸に秘め、朝陽はふと対面の席へと目を向けた。


「分詞構文は原則として、分詞の意味上の主語が文の主語と一致しています。その例外として、意味上の主語が一致しない独立分詞構文というのがあって……」


 参考書をなぞりながら、説明を読み上げる冬華。

 しかし、対する日菜美は頭上にハテナマークを浮かべて首を捻る。


「ぶんし……こうぶん。いみじょうの……しゅご」


 どうやら単語の意味から理解不能らしい。

 そう判断した冬華は呆れるも馬鹿にするもせず、ただ静かに参考書を閉じた。


「この範囲は複雑で難しいですからね。まずは分詞から復習しましょうか。こういう時は学校指定の教科書が良いかと思います」


 否定から入るのではなく、肯定をしてから別の道を促す。

 これだけで勉強が苦手な生徒のストレスは大幅に下がるというものだ。

 

「……どう? あってる?」

「正解です。よくできました」

「えへへー、ふゆちゃんの教え方がいいんだよー」


 褒められて気分を良くした日菜美はまたノートへと向き直る。

 前までは集中力が持ったとしても三十分前後だったので、これだけでも目に見えて大きな成長だ。

 本人のやる気はもちろん、指導者が良いので勉強が続く。

 

 そうして千昭と日菜美がペンを走らせる間、朝陽はまた正面へと目を向けた。その視線に気づいた冬華が顔を上げ、ぴったりと目が合う。


「どうかしましたか?」

「いや、俺もちょっとわからない問題があって……」


 言い淀む朝陽の手元には、所々に折り目が付けられたピンク色のノートが用意されている。

 勉強の邪魔になるかもしれないと、中々言い出せなかったが、言葉の続きを促されれば口を開くしかなかった。


「冬華に教えてもらえると助かる」

「私で良ければ、いくらでも教えますよ」


 朝陽の気遣いは杞憂に終わり、冬華は何故か嬉しそうな表情をする。

 

「この問題ですね……ちょっと待っていてください」


 ノートを受け取り、冬華は早速問題を読み解き始めた。


 こうやって、勉強を見てもらうのは久しぶりだった。

 テーブルを挟んで距離があると、記憶はさらに昔へと遡る。


(去年は隣で教わってたな……)


 そんな風に残念に思う気持ちを見抜いたのか、千昭と日菜美が机から目を離して口を開く。


「あれ、朝陽も氷室さんに教えてもらってんのか」

「それならこっち来なよ! 隣の方がやりやすいでしょ?」

 

 立ち上がった二人に促され、日菜美が座っていた席に朝陽が落ち着く。

 正面から生暖かい視線が飛んで来るが、気にしている余裕はない。


「ここはこうして……」

「なるほど……」

 

 相変わらずわかりやすいが、何故だが集中できない。

 やけに距離が近いせいで、甘い香りと肌の感触が直に伝わる。

 そんな朝陽の悩みを他所に、冬華は真面目に指導を進めた。

  

「とりあえずこのくらいですかね」

「そうだな、助かったよ。ありがとう」


 朝陽が礼を言うと、冬華はニコリと微笑む。

 白ブドウのジュースに口を付ける姿は平静で、変に意識しているのはどうやら朝陽だけのようだった。

 

「……あれ」


 朝陽は喉を潤そうとグラスを探すが、近くに置いてあったはずなのに見当たらない。


 もしかしたらと横を見れば、ちょうど冬華がストローに口を付けていた。

 そして、少し遠くに置かれたグラスに、冬華が飲んでいるジュースと同じ中身が見て取れる。

 

「もしかしてそれ、俺のグラスじゃ……」

「えっ……」


 やんわりと指摘すると、冬華は二つ並んだグラスを見比べる。

 どちらもストローを差しており、中身が同じとなれば判別が付かないのも仕方がない。


 しかし、グラスが置いてあった場所から明確に取り違えたのだと気付いたらしい。

 冬華の乳白色の肌が徐々に赤くなり、あたふたと慌て始めた。


「ご、ごめんなさい! 少し緊張してしまって、よく考えずにグラスを……」

「それはいいけど……緊張?」

「あっ、いえ……こちらの話です」


 ぷいっ、と顔を背けてしまった冬華の耳が真っ赤に染まっている。


「間接キスだね」

「間接キスだね」

「……うるさい」


 一部始終を見ていた千昭と日菜美がからかって来るのをぶっきらぼうに返す。

 戻って来たグラスを見れば、まだほんの少し中身が残っていた。

 

(どうすればいいんだよこれ……)


 グラスの中で溶けた氷がカラン、と音を立てる。

 朝陽の耳もまた、ゆっくりと赤くなっていった。





 


 

 

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