第74話 一か八か
遠足気分の校外学習とはいえ、学校行事である以上は教師側の意図が組み込まれる。
その最たる例が、午前中の資料館巡りだ。
クラス毎に団体で行動し、展示物を見て、ガイドの説明を聞く。
そうして歴史を学び、古き良き知識を身に付けよとのこと。
正直な所、大半の学生にとって資料館巡りは退屈で窮屈なのだが、その後のお楽しみを考えれば文句を言う生徒はいなかった。
竹内先生から配られたプリントにはこう書かれている。
昼食を挟み、午後からは自由行動。
全国的に有名な遊園地に水族館、他と一線を画す美術館や博物館、広々とした自然公園があれば、人工的なランドマークも際立ち、果てには国境を越えて人が集まる中華街などなど。
半日では到底遊び尽くせない数々の名所が横浜には存在する。
「赤レンガ倉庫気になるんだよねー」
「カップラーメン作ろうぜ!」
「中華街は外せないとして……」
くじ引きで行動班を決めた後、教室は午後の行き先選びで盛り上がっていた。
一方で、不満気な生徒もちらほらと見られる。
「先生、くじ引きのやり直しは!?」
「何か正当性のある理由があれば認める」
「私と龍馬が同じ班じゃない!」
「却下だ」
またも正論で跳ね返された明日香はぷっくりと頬を膨らまる。
元々、我儘が通らない事くらいは承知だったのだろう。
素直に自分の班が集まっている席に戻ると、明らかに不機嫌な顔が伺えた。
「せっかくの遠足なのに最悪!」
開口一番、本音を隠さずにぶつける明日香。
その態度に黙っていないのが他の女子だ。
「ちょっと、その言い方はないでしょ」
「思った事をそのまま言っただけじゃん」
「つまり、私達とじゃ不満って事ね」
「そうは言ってないでしょ!」
早速始まった女子同士の喧嘩に、朝陽は小さくため息を吐く。
(あっちは楽しそうだな)
朝陽が目を向けた先には、一際目立つ班が机を囲んで談笑していた。
バカップルとして有名な千昭と日菜美。
爽やかイケメンの龍馬と陽気な関西弁を話す男子生徒。
そして、楽しそうにガイドブックを見つめる冬華の姿。
(一を引きたかったな……)
朝陽がそんなことを考えていると、すぐ近くから口論が聞こえて来る。
和気藹々とした一班とは対照的に、朝陽が引いた八班はギスギスとした雰囲気で悪目立ちしていた。
言わずもがな、その原因は金髪ギャルの明日香と敵対する二人の女子だ。
「火神くん、僕たちどうすれば……」
「落ち着くのを待つしかない」
「そ、そうだよね……」
一緒の班になった男子が大きめの観光マップで顔を覆う。
どうやら、物理的に現実から目を逸らそうという試みらしい。
朝陽も同じ気分だったが、残念ながら地図は一枚しかない。
「ねえ、火神! どっちが悪いと思う!?」
ふいに名前を呼ばれて顔を向けると、睨む勢いの明日香と目が合った。
思わず目を逸らして隣を見ると、同じ班の眼鏡君が安堵の息をつく。
矛先が自分ではなかったことにほっとしているのだろう。
こんなことなら先に地図を手に入れるべきだった、と後悔しても時すでに遅し。
「……とりあえず予定決めようぜ」
どっちが悪い、と迫られても回答に困る。
どちらかの肩を持てばどちらかと対立し、どちらもと答えれば第三勢力になってしまう。
そういう訳で、苦肉の策として朝陽は話題を変えた。
しかし、女子たちにとっては気に入らない回答だったらしい。
「「「ちゃんと答えて」」」
こういう時だけ息がぴったりなのは何故なのか。
その調子で仲良くしてほしいのだが、残念ながら現実はそう上手くいかない。
「……いいのか? 予定表の提出が遅れると竹先に勝手に決められるぞ」
「それマジ?」
「あの人はマジでやる」
「急いで決めなきゃじゃん!」
幸い、竹内先生の適当さが功を成し、女子の喧嘩は一先ず中断となった。
これでようやく落ち着ける。
そう思っていた矢先。
「そこは絶対つまらないでしょ!」
「それだって遠くて行けないから!」
別の話題でも喧嘩が始まり、朝陽は隠さず大きなため息をつく。
くじ引き前は楽しみだった校外学習も今となれば随分と気が重かった。
「……朝陽くん」
喧嘩中の女子三名と現実逃避中の男子一名。
一人取り残された朝陽を鈴を転がすような声が呼んだ。
振り向くと、冬華がガイドブックを両手に立っている。
「どうした?」
「少し、お話したいことがあって」
小声で喋っているのは周りの邪魔をしない為か。
少なくとも八班は朝陽以外、誰も冬華に気付いていない。
「そっちの班はいいのか」
「行き先は大体決まりました」
「それはいいな……」
冬華の言う通り、一班は午後の予定が概ね決まって暇になったらしい。
何やらいつものニヤニヤ顔をしている千昭と日菜美、そしてじっとこちらを見ている龍馬が目に入る。
恐らく、冬華は一班を代表して何かを聞きに来たのだろう。
予想通り、会話の先には質問が待っていた。
「八班の行き先は決まりましたか?」
「どっちだと思う?」
「決まってないでしょうね……でも、丁度良かったです」
どういう事だろう、と聞く前に冬華がガイドブックの一ページを広げる。
そこには横浜中華街の詳細が綺麗な写真と共に掲載されていた。
「私達、解散前の一時間は中華街を観光することになりました」
それで、と冬華が言葉を続ける。
「朝陽くんたちも一緒にどうかな、と思って」
「それは一緒に回るって事か?」
「皆さんが良ければですが……」
願っても無いお誘いに、朝陽は自分の班へと顔を向ける。
眼鏡君は良いとして、女子たちをどう説得するか。
最後の一時間を中華街で、一班と一緒に行動する。
その提案をする前に、今日一番の明るい声が響いた。
「冬華ちゃん、ナイスアイディア!」
いつから聞いていたのか、明日香が会話に飛びついてくる。
「みんなもいいよね! 大勢で回った方が絶対楽しいし!」
「あんたは山田君目当てでしょ」
「うん、そうだよ」
ここまでオープンだと、むしろ何かを言う気にならないらしい。
「……まあ、いいんじゃない」
「中華街は行きたいしね……」
女子たちの総意が取れ、眼鏡君も赤べこのように激しく頷く。
勿論の事、朝陽も賛成に票を投じた。
「それではみんなに伝えておきますね」
そう言い残し、冬華は軽い足取りで一班へと戻っていく。
最後の一時間だけだが、冬華と一緒に居る事が出来る。
くじ引き後は気が重かった校外学習も今となれば随分と楽しみだった。
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