第73話 校外学習


 朝陽の通う学校はゴールデンウィークが終わると、校外学習というイベントが控えている。


 教師が提示する狙いは主に二つ。

 一つは生活圏から離れた街並みに触れ、地域の人々の声を聞くことで歴史と人情を学ぶ事。

 二つは目的と行動を共にすることで、クラスメイトとの仲を深める事。


「結局は遠足だよね?」


 日菜美の鋭い指摘にクラスメイトも頷く。

 その反応に対し、当日の予定を説明をしていた朝陽たちの担任――竹内茂たけうちしげる先生は顔をしかめた。


「遠足じゃなくて校外学習だ」

 

 キッパリとした訂正にクラスの雰囲気が引き締まる。

 明らかに不機嫌そうな表情。

 怒らせたか、と誰もが息を呑んだが。


「そう言わないと俺が怒られる」

 

 当の本人は気だるげにため息を吐いて、あれこれと愚痴を言い始めた。

 上がうるさいとか、給料が減るとか、監督不行き届きがなんとか。


「あの人、相変わらずマイペースだよな」

「先生にあるまじき言動。だがそれがいい」

「去年、平常点オマケしてもらったんだっけ?」

「そうそう。お陰で赤点回避できたのよ」

 

 後ろからVサインを向けて来る千昭に呆れ笑いを返し、朝陽はぼんやりと黒板を見つめる。

 高校一年の時も竹内先生、略して竹先のクラスだった朝陽と千昭は既に慣れている光景。

 一方で、日菜美を始めとする初対面の生徒はまだ彼のペースに慣れていないらしい。

 

「まあ、結局は遠足ってことだな」


 その一言に教室の空気が弛緩し、日菜美もホッと息をつく。

 ようやく竹内先生の適当さに気付いたのか、クラスメイトはざわざわと賑わい始めた。


「ったく、話が逸れちまった。説明続けるからほどほどに聞いとけよ」

 

 面倒臭そうにプリントを読み上げる竹内先生と、一応耳を傾けながらも雑談をする生徒。

 朝陽と千昭にとっては懐かしい日常だ。


「去年は山登ってカレー作ったよな」

「千昭が米焦がした記憶しかない」

「だって、飯盒はんごう使えって言うんだぜ? 炊飯器なら俺もちゃんと作れるわ」

「その場合は風情の欠片もないな」

「上手い飯には代えられんよ……おっ、今年は弁当配られるのか」


 タイミングよくお昼ご飯の説明が始まり、二人は雑談を止めて黒板に目を向けた。

 いつの間にか白色が増えていて、意外にも綺麗な字がずらりと並ぶ。


 今回の目的とか、地域の歴史とか、おやつは三百円までとか。

 箇条書きで要点が分かりやすく纏められている。

 

 その中で、一際目立つ大きな文字。


 校外学習:横浜


 高校生が遠足気分になってしまうのも仕方がない目的地だ。

 教室全体が浮き立ち、いつもより騒がしい。

  

「それじゃあ、くじ引きで当日の行動班を決めるぞ」


 プリントを配り終えた先生が紙袋を教壇に乗せる。

 その瞬間、教室が一層沸き立った。


「うちのクラスは四十人。五人八組で各班一人リーダーを選んでくれ」


 黒板に一班、二班……と八班まで大枠が書き込まれていく。


 各々、思うところがあるのだろう。

 雑談があちこちで飛び交う。

 そして、威勢よく声を上げる者も現れた。

 

「先生、くじ引きは嫌!」


 ガタン、と勢いよく立ち上がったのは金色の髪が目立つ女子生徒、宮本明日香だ。


「何か他に代案があるのか?」

「好きな人同士で組む!」

「それだと親睦を深める目的と合わないだろ……ってお偉いさんが言ってた」

「えーっ! 私、龍馬と同じ班がいいのに!」

「おうおう、熱いラブコールだな。同じ番号を引けるように頑張ってくれや」

 

 正論を前に抵抗虚しく、明日香は素直に着席した。

 頬はリスのように膨らんでいて、明らかに不満そうだ。

 そんな彼女自身に不満を持つ生徒もちらほらと見られる。


「あいつ調子乗りすぎでしょ」

「山田君絶対困ってるって」

「ちょっと慣れ慣れしいよね」


 女子たちの中で明確な派閥があるらしい。

 遠慮ない陰口と、敵対心むき出しの視線。


 当の本人はというと、全く気にしていないらしい。


「ねえ、龍馬! 一緒の班になれたらシーパラ行こ?」

「そうだね。僕も行きたいと思ってた」

「やった! 絶対、同じ番号引かなきゃ!」

 

 隠す気がない明日香のアピールに龍馬は爽やかな笑顔で応じる。

 その視線が一瞬、冬華の方を捉えたのを明日香は気付いているのだろうか。


(宮本も山田も凄いな……)


 どうしたらそこまで自分の気持ちに正直になれるのか。

 正反対な二人を前にして、朝陽を襲う焦燥感は次第に大きさを増していた。


「氷室さんと同じ班になれるといいな」

「……まあな」


 茶化すように声を掛けて来た千昭に、朝陽は珍しく素直に応じる。

 そうして何となく、窓際の席を見た。


「……あっ」


 何の偶然か、目を向けた先の少女と視線が重なる。

 

 暫くそのカラメル色の瞳に釘付けになり、やがて朝陽はぎこちない笑みを浮かべた。

 対する冬華はとても自然に、そして柔らかい笑顔を向けて来る。


 こういった小さな出来事で朝陽の心は十分に満たされた。


 だからこそ、その先に進むことを躊躇ってしまう。

 これ以上を求めた結果、今の幸せすらも失ってしまったら。


 何が正解で何が不正解なのか。

 今進んでいる道の先に答えがあるのか。

 この物語は果たしてハッピーエンドなのか。


 その結末は誰も知らないし、誰も分からない。


「引いた紙は戻すなよ。あと、自分の班に名前書いといてくれ」


 竹内先生が早速、席順で生徒を教壇に呼び、一人一人が紙袋に手を入れる。


 誰が何班だったとか、あの人と一緒だったとか、番号を交換したいとか。

 教室が今日一番の盛り上がりを見せ、それぞれが一枚の紙に一喜一憂していた。


「朝陽ー、何番だった?」

「八だって。日菜美は?」

「私は一班。残念だけど違う班だね」


 駆け寄ってきた日菜美ががっくりと肩を落とす。

 どうやら、千昭とは同じ班になれたらしい。

 その上でこうして落ち込んでくれるのは悪い気はしない。

 しかし、すぐにその表情がガラリと変わる。


「ふゆちゃんは何番かなー」

「……そのニヤついた顔やめろ」


 額に軽くデコピンをお見舞いすると、日菜美は他の友達と談笑中の千昭に助けを求めにいった。


 そうして一人になったと思いきや、後ろから声が聞こえる。


「朝陽くん、何番でしたか?」

 

 上目遣いで、不安そうに冬華が尋ねる。 

 その手には四つ折りの紙が握られていた。


「せっかくだし同時に見せようぜ」

「いいですね。せーので開けましょうか」

 

 そんな他愛もない提案を二人で楽しむ。

 この瞬間すら、朝陽はとても幸せに感じた。


「「せーのっ」」


 騒がしい教室の中で人知れず、二人の声が綺麗に重なった。




 

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