第43話 氷の令嬢と元日

「まさか、こんな事になるとは思いませんでしたね……」

「ああ、全くの予想外だった……」


 元日の真っ昼間、朝陽と冬華は肩を並べて苦笑いを浮かべていた。

 

 この状況になる事を冬華はもちろん、朝陽もちっとも予想していない。

 しかし、今となっては様々な気づきがある。

 よくよく考えてみれば、明らかに不自然だったのだ。

 二日は朝から店で仕込みを始めると意気込んでいた二人が、突然一泊すると言い出すなんて。 

 

「もうすぐ、御節ができるからなー!」


 キッチンから聞こえて来る、愉快で豪快な明るい声。


「ごめんなさいね、二人の世界を邪魔しちゃって」


 正面から聞こえて来る、抑揚のない淡々とした声。

 

「一から説明しただろ。二人の世界とかじゃないから」

「そうだったかしら? 半同棲生活を営んでるって聞いた気が……」

「断じて言ってない」

「ち、違います!」

「えっ、何だって?」

「和明は料理に集中して」

「うっす」


 一人暮らしには広すぎる1LDKの部屋も、四人集まるとかなり狭く感じる。

 若干名、仲間外れにされている気もするが、散々騒いで迷惑を掛けたので当然の報いだろう。

 

 本当に、大変だったのだ。 

 今から半日前、和明と透子が深夜にインターホンを鳴らしてからずっと。


「それにしても、冬華ちゃんがお隣さんだとはねえ」


 心なしか、ほんの少し口角を上げる透子に、ウンウンと激しく頷く和明。

 二人は朝早くから起きて、手の込んだ御節料理を作ってくれている。

 それは大変ありがたく、嬉しい事なのだが、手放しで喜べないのが現状だ。

 

 ――一泊するって言ったでしょう?


 元日の深夜に真顔でそう言われ、朝陽は思わず天を仰いだ。


 ――可愛い息子に早く会いたくてな!


 ワハハハ、と近所迷惑すれすれの笑い声に、朝陽は大きなため息をついた。


 確かに一泊するとはメッセージで聞いていた。

 しかし、誰も今からだとは思っていない。

 

 時々、常識から程遠い事をする。

 そんな朝陽が下した評価は真っ当なものだったと言えるだろう。


 真夜中の訪問者はまず最初に、シューズボックスの上に飾られた三本薔薇のブローチを見つけて騒ぐ。

 そして次に、玄関で見慣れない小さな女性用の靴を発見して騒ぐ。

 最後に、困惑と驚きの表情を浮かべながら姿を現した冬華と対面して大騒ぎ。


 夜遅くに一緒に居たということで、それはもう弁明が大変だった。

 根掘り葉掘りと質問攻めに合い、ようやく解放されたのが深夜一時過ぎだったか。


 夜更かしに慣れていないのか、随分と眠そうにしていた冬華は先に帰されたものの、こうして昼頃に遊びに来るよう半ば強制的に約束を取り付けられていたというのがここまでの話だ。

 

「冬華ちゃんは朝陽に料理を教わっているのよね?」

「は、はい。朝陽くんにはとてもお世話になっています」

「そう、それはよかったわ。この子、ぶっきらぼうで無愛想だし、人に教えられるか心配だったの」

「……散々な言いようだな」

「だって、本当のことでしょう?」

「まあ、否定はできないけども」


 こればっかりは、朝陽も自覚があるので認めるしかない。

 ぶっきらぼうで不愛想な母親に育てられたのだ。

 同じように子が育つのも道理だろう。

 

「朝陽に何か不満があれば遠慮なく言ってね。私から改善するよう伝えておくから」

「不満なんてそんな……確かに朝陽くんはぶっきらぼうで無愛想ですけど……」

「冬華も言うのかよ」


 どうしてもいつもの癖で声音や口調が淡々としてしまうが、冬華に対してはなるべく意識して言葉を選んでいるつもりだった。

 しかし、冬華は少なからず透子と同じような意見を持っているらしい。


 それはもう不満の一つじゃないだろうか、と朝陽が微妙な顔をすると、冬華は少し間を空けて伏し目がちに言葉を続けた。

 

「……でも、それと同じくらい優しいですから」

「なるほどねえ」

「今ので何を納得したんだよ」

「色々と、よ」


 どうやら意識的な気遣いが伝わっていたらしく、朝陽が少し表情を和らげると、透子が不敵な反応を見せた。

 話せる限りのことを話したので、変に邪推される筋合いはないのだが、何か思うところがあるらしい。

 朝陽、冬華、そしてまた朝陽と交互に顔を見て、何度も小さく頷いている。


「お母さん、応援しているわ」

「さっきから何の事を言ってるんだ」

「もちろん、冬華ちゃんのお料理よ。それともう一つ……」


 相変わらず口元を真一文字に結ぶ透子は、今度は真っ直ぐ冬華を見据えた。

 隣に座る冬華は何故なのか頬をほんのりと赤く染めている。

 どうやら、二人は目で何かを語っているらしい。

 残念ながら、その目に見えない会話の内容を朝陽は感ずることができなかった。


「お三方、お待たせいたしましたー! 本日のメイン、豪華絢爛御節料理の完成でございます!」


 結局、もう一つが何を示すのか朝陽は知ることができず、話題は漆塗りの三段お重箱へと移り変わる。


 小さなダイニングテーブルに四人が座ると言う窮屈な食卓に、赤々とした車海老を始め、黒豆にかまぼこ、田作りに昆布、他にも黄色が目立つ、数の子、伊達巻、栗きんとんなど縁起の良い物がずらり並んだ。


「さあ、氷室さん。遠慮せずに沢山食べてな」

「そうね、自信作だからいっぱい食べてほしいわ」


 家族での食事とも、友達との食事とも違う種類の雰囲気が部屋全体に漂う。

 火神家の食卓に冬華が居るという光景は異常で非日常なはずなのに、どこか温かい落ち着きがあった。


「……いただきます」


 控えめに手を合わせた冬華の表情は、緊張気味だが穏やかに見える。

 この賑やかで騒がしい空間を決して嫌がっていない、そう思えた。

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