第42話 氷の令嬢と年越し

  迎えた十二月三十一日、大晦日。


 一年を締め括る最後の日はやはり特別な気持ちがするものだ。

 外に出れば、年末ムードに盛り上がる町と人の喧騒が。

 中に居ても、スマホやテレビが否応なく今年の終わりを告げる。


 そんな特別な一日がより一層特別に感じられるのは、今日という日を一緒に過ごす人の違いだろうか。


「何だか、コーンフレークを食べたくなってきました」

「奇遇だな、俺も同じこと思ってた」

「明日の朝ご飯は決まりですね」

「いや、流石のコーンフレークも正月の朝飯は荷が重いだろ」

「ふふっ、確かにそうかもしれません」


 冗談の掛け合いをすると、隣から可愛らしく上品な笑い声が聞こえて来る。

 ソファーの端っこにちょこんと座った冬華はどうやらお笑いに疎いようで、年末特番に映る気合の入った芸人のネタを楽しそうに眺めていた。


(それにしてもよく笑うよな……)


 きっと、この笑顔が絶えない可憐な少女こそが素の冬華なのだろう。

 “氷の令嬢”なんて呼ばれていたかつての姿は、相当無理をしていたに違いない。

 そう思ってしまうほどに、数ヶ月前と今では大きなギャップがある。


「……なんで、この人は服を着ていないんですか」

「なんでって、そういう芸なんだよ」

「そ、それでもお盆一枚というのは……」


 少し前も下着姿の芸人に顔を赤らめていたあたり、冬華は性別問わず肌の露出に耐性がないらしい。

 クッションに顔を埋め、ぷるぷると震えている姿からは恥じらいが見て取れる。


 こういった、冬華の新たな一面を知る度に、ちょっとした一挙一動を見る度に、コロコロと変わる表情を向けられる度に、朝陽の心は静かに揺れ動いた。


「……くん……朝陽くん」

「……ん?」

「そろそろ、年越しそばの準備をしないと」

「もうそんな時間か」

「そうですよ、ぼーっとしてたらすぐに来年です」


 ほら、と指を差された先を見れば、時計の針が二周目を迎えようとしてる。

 準備と言っても蕎麦は既に手打ちで作り終えているので、あとは茹でて、つゆに浸すのみだ。


 二人でキッチンに向かい、朝陽はつゆ担当、冬華は茹で担当と分担して手際よく年越しの準備を進める。


「朝陽くん、見てください! 自信作ですよ!」

「本当だ、よくできてる」


 テレビの前とはまた違った笑顔を浮かべる冬華を見て、思わず朝陽も笑みがこぼれた。


 心が、身体が、自然と温かくなる。

 そんな、千昭とも日菜美とも違った居心地の良さを冬華と一緒に居ると感じるのだった。




「もうあと数分で来年か」

「そうですね、いよいよって感じがします」


 出汁とコシが効いた年越しそばを食べ終えて、のんびりとソファーでテレビを眺めていると、残り少ない今年の時間はあっという間に過ぎ去った。


 テレビに映された有名な神社の境内は大勢の参拝客で賑わい、厳かな除夜の鐘の音と共に、今年の終わり、そして来年の到来を感じさせる。


「二人で一緒に年を越すのって、何だか不思議な気分がしますね」

「そうだな……ちょっと前までは、無視に拒絶と冬華はかなり冷たかったし」

「そ、それは忘れてください……」


 隣に座る冬華から小さな声で懇願されるが、朝陽としては忘れられるわけがない。


 始まりは、発熱に倒れた冬華を看病した事から。

 きっかけは、朝陽のお節介を冬華が受け入れた事から。

 そして、今では友達として冬華が隣に居る。


 "氷の令嬢”として接していた時も含めて、朝陽の中では氷室冬華との大切な関わりなのだ。


「今年は本当に色々とありがとうございました」

「ん、こちらこそ世話になった」


  短い言葉の中に込められた感謝の気持ちが伝わったのか、朝陽と冬華の顔がほころび、ほんのりと温かい空気が流れ出す。


「冬華は来年の抱負とかあるのか?」

「そうですね……朝陽くんと同じくらい、料理の腕を上達させたいです」

「自分で言うのも何だが、下手したら数年かかるぞ」

「悔しいですが、否定できませんね。でも、朝陽くんに教わっていればいつかは」


 それはつまり、来年どころかその先もずっと、ということだろうか。

 とりあえず、暫くはこうして一緒に居ることになりそうだ。


「来年もよろしくお願いしますね」


 へにゃりの目元を細めて、可愛らしい微笑みを浮かべる冬華に朝陽の心が静かにざわめく。

 やはり、この感情は同じ友達でも、千昭や日菜美に対して生じる気持ちとは確かな違いがあった。


 今まで抱いたことがないこの感情の正体は、もうすぐ掴めそうで掴めない。

 まるで、目の前にあるはずなのに、ぼんやり霞んで遠い蜃気楼のような。 

 それでも、一歩ずつ近づいている感覚は確かにある。

 いつの日かきっと、納得のいく答えに辿り着けるはずだ。


「十……九……」


 テレビの向こう側で、カウントダウンの大合唱が始まった。


 朝陽と冬華は肩を並べて、静かにその時を待つ。


「三……二……一……!」


 ゼロのカウントはなかった。

 代わりに、百八回目の除夜の鐘の音が響き、色鮮やかな花火が夜空を照らす。


「明けましておめでとう」

「明けましておめでとうございます」

 

 二人揃って姿勢を正し、丁寧なお辞儀と共に新年の挨拶を交わす。

 同時に、テーブルの上に置いた朝陽のスマホから軽快な電子音が連続して鳴った。


 恐らく、千昭や日菜美あたりがメッセージを送ってきたのだろう。

 冬華に促されてスマホを手に取れば、やはりバカップルから仲良く揃って新年の挨拶が届いていた。

 そして、少し遅れて数人の仲が良い友人からも。さらには、"仲良し火神家"と銘打たれたトークグループにも新たな通知がいくつか見られた。


「マジかよ……」

「どうしたのですか?」

「父さんと母さんが一泊するって」

「それは賑やかな元日になりそうですね」

「賑やかを通り越して騒音にならなきゃいいけど……」


 流石に大人としての節度があるはずなので大丈夫だとは思うが、主に和明に対して心配が拭えない。


 それに、もし隣に住む冬華とばったり会うような事があれば、クリスマスイブの時以上に騒がしくなるだろう。

 そうなれば、本来は火消し役の透子も手が付けられなくなる。


「今日はお家で大人しくしていますね」

「悪いな、正月早々に……」

「いえ、お気になさらず」


 どうやら、冬華も朝陽と同じような考えに行き着いたらしい。

 これで、千昭と日菜美と鉢合わせた時の二の舞にはならないはずだ。

 

 しかし、冬華が少し寂しそうな顔しているのを見て、朝陽は頭を悩ませる。

 元々、和明と透子は昼頃に顔を出すのみで、夜はまた冬華と一緒に過ごすつもりだったのだ。

 それが、急な都合で一人にさせるというのは勝手ながら罪悪感がある。


「……冬華も来るか?」

「えっ?」

「多分、夕飯は親が作るから豪華なものになるし、一緒にどうかなと」


 もちろん、無理にとは言わない。

 顔見知りとはいえ、冬華にとって朝陽の両親は全くの他人だ。 

 一緒に食事というのは気が引けるだろうし、確実に興味を示されて、面倒な事になるのも目に見えている。


 それでも一応誘って見ると、冬華はすぐ断る事はせず、少しの間考える素振りを見せた。


「……家族団欒の場に私がお邪魔するのは迷惑じゃないですか?」

「迷惑どころか大喜びすると思うぞ」


 料理人として、一人息子の親として、それこそ騒音レベルに喜ぶ姿が容易に想像できる。

 朝陽ももちろん、迷惑とは全く思わない。

 

 あとは冬華が決めることなのだが。


 ――ピーンポーン


 冬華が口を開く前に、聞き慣れた電子音が予期せぬ来客を伝えた。

 

 こんな夜中にインターホンを鳴らすなど、悪質な悪戯を除けば一人、いや二人しか考えられない。

 まさかと思いスマホを見ると、少し前に新たなメッセージが届いてる。


『もうすぐ着くわ』


 その一文が何を意味しているのかは、今の状況と合わせて明確だった。


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