第18話 氷の令嬢とお弁当の相談

  

「……お邪魔します」


 約束した時間ぴったりにインターホンが鳴り、扉を開けると私服姿の冬華が立っている。


 夜ご飯を共にすることになってから二日目。まだ慣れない、というよりはいつまで経っても慣れそうにない光景だった。


「これ、昨日のお代と今日の分です」

「ん、確かに」


 玄関に入るや否や冬華が差し出して来た白い封筒を今度は押し返すことなく素直に受け取る。


 四日後の金曜日にある球技大会までの短い関係だが、後腐れないようにと冬華は二つの取り決めを朝陽に提示した。


 一つ、材料費は折半、その上で冬華が手間賃として少し多めにお金を払う。

 二つ、調理を始める前に集合し、洗い物を終えた後に解散する。


 前者は頑なに材料費の全額負担を主張した冬華を朝陽が根気よく説得した結果だ。


 作ったものは朝陽も食べるので、材料費を折半するのは当然の事だろう。

 朝陽としては手間賃も、一人分も二人分も労力はさほど変わらないという事で断るつもりだったが、どうしても冬華が譲らないので仕方無く妥協する形となった。

 

 そして、後者は冬華のポリシーが関係しているもので、朝陽には決定権も拒否権も与えられずに決まっていた。


 冬華曰く、洗い物が終わるまで帰らないのと同じ理由で、調理中も朝陽の家に居ないと気が済まないらしい。


「もう作り始めますよね。何か私にできることはありますか?」

「あったとしても任せるわけないだろ。何の為に二人分の飯を作ると思ってんだ」

「……左手があります」

「本当、頑固だなお前……。いいから大人しく読書して待ってろ。万が一、左手も怪我したら困るだろ」

 

 冬華は基本的に、筋が通っている理由を言えば素直に納得してくれる。

 短い付き合いの中で、何度もお節介を焼いているうちに何となく気づいた冬華の取説だ。


 今回も説得が上手くいき、「わかりました」と小さく頷いた冬華は昨日と同じタイトルの小説片手にリビングへと向かった。


 そして、ソファー前の長机に本を置いて、あろうことかキッチンへと再び戻って来た。


「……何で戻って来た?」

「見る分には安全ですし、邪魔になりませんよね」

「まあ、それはそうだけど……」

「では、私はここに居ます。火神さんは気にせず調理を始めてください」


 こうなると、反論する余地がないので冬華を説得する術が無い。


 人が料理をしているところなど見て楽しいものかは分からないが、冬華の言う通り、安全だし邪魔にならないのは確かだ。


 それなら勝手にすればいいと、朝陽は早速夕飯の準備に取り掛かった。


 今日は鮭と肉じゃが、そして味噌汁といった和食で統一されたメニューを作るつもりだ。

 それぞれの調理時間を考量して、まずは肉じゃがを作るために野菜の皮を剥き、一口サイズに切っていく。


「……なるほど、そういう風に切るのですね」

「逆にどういう風に切るつもりだよ」

「……両手で?」

「おい、聞き捨てならねえぞそれ。斬新かつ危険すぎるだろ」

「でも、一番力が入る方法です」

「……深く追求はしないから、猫の手くらいは覚えてくれ……」

 

 本当に、話せば話すほど冬華のことが色々と心配になってくる。

 

 この際、普段から自炊をやっていないことは確定として、それを指摘したところで冬華が不機嫌になるだけなので口を噤む。

 

 ただ、基本的な調理方法くらいは是非とも覚えて帰って欲しかった。

 これではいつまで経っても心配の気持ちが消えず、何かとお節介を焼きたくなってしまう。


 そういった面では、冬華が興味本位なのか料理を作る過程を見学し出したのは良い事と言えるだろう。


「いいか、まずはフライパンにサラダ油をひくんだ」

「サラダ油、ですか……?」

「こうすることによって食材が底にくっつくのを防げる。テフロン加工の場合は話が別だけど、旨味と水分を囲う意味もあるからサラダ油はどのみち必要だな」


 いつの間にか、初心者コースのお料理教室と化したキッチンで着々と調理が進んでいく。


 何と言わずとも冬華は料理を学ぶ気がある様で、朝陽の言葉に真剣に耳を傾けていた。

 それが朝陽お得意のお節介だとは気付いておらず、自炊経験を完全に疑われていることにも気付いていない様子だ。


(まあ、料理を学ぶ姿勢が見られるだけマシか……)


 これで、冬華が自炊をする気が全くないのなら、朝陽は口うるさく料理をするようにと冬華を咎めたかもしれない。

 

 一人暮らしをするにあたって、レトルトとお惣菜オンリーでは腹は満たせども健康的とは決して言い難い。


 毎日とは言わずとも、一週間の半分は夜に自炊を。そして、昼もお弁当を作るのが理想的だ。


 お弁当に関しては、夜ご飯と同じ要領で冬華の分も作ろうとしたところを丁重に断られてしまったが、断られた理由的にはまだ希望がある。


 もし、夕食を共にすることになった残り四日間で、冬華が少しでも自炊をするようになってくれれば。

 そんな思いを密かに抱き、朝陽は誰に頼まれた訳でなく、調理過程を一々説明しながら夜ご飯を作っていく。


「この白いのはアクって言って、放置しておくと仕上がりの味が悪い方に左右される。だから、こまめに取り除いて味を調えた方がいい」

「これはかなりの手間と時間が掛かりますね……。後、どれくらいで完成するのですか?」

「十分、十五分ってとこかな。まあ、後は加熱して煮るくらいだけど」

「完成まで四十分程度ですか……。お弁当を作りたいのですが、手間暇的に肉じゃがは不向きそうですね」

「……ごめん、もう一回言ってくれないか?」

「ですから、お弁当を作りたいのです。そこに肉じゃがを入れようと思いまして」

 

 聞き慣れない単語の羅列に思わず聞き返してしまったが、冬華から返って来たのは先程と変わらぬ言葉だ。


 お弁当を作りたい、冬華は確かにそう言った。


 だから何だといった話だが、朝陽にとってはかなりの驚きを伴う事だった。


「昨日、昼ご飯は食堂と決まってるとか、そもそも弁当箱を持っていないとか言ってただろ。一体どういう風の吹き回しだ?」

「私としても不本意な事です。ただ、球技大会の日は学食が開いていないようなので、お弁当を作らざるを得ないというか……」

「その怪我してる右手でか?」

「……左手が――」

「ダメに決まってるだろ。何の為に俺が二人分の……って今日二回目だぞこのやり取り」


 肉じゃがと並行して、色鮮やかな切り身の鮭をグリルに入れながら朝陽は大きなため息をつく。


 本当に、冬華の頑固さには呆れてしまうことばかりだった。


「その日は俺が氷室の分も弁当を作る。どうせなら最後までお節介を焼かせろ。弁当箱も予備があるから大丈夫だ」

「……お任せしてもいいですか」

「最初から大人しくお任せしておけ」


 やはり、ちゃんとした理由を述べれば素直に冬華は聞き入れてくれる。


 ただ、必ず一度は手を借りようとせず、一人でやろうとするのは何かしらの癖なのだろうか。

 最初から素直に頼る。当然と言えば当然だが、そういった信頼関係がまだ冬華と築けていない証明のような気がした。

 

(まさか、千昭と日菜美みたいなことになるとはな……)


 弁当を作る、に含まれる意味合いは大分違うが、奇しくも今日の昼休みに話していたことが朝陽の頭に過る。


 せっかくだし少しだけ豪勢なもの作るかと、早くも球技大会当日のお弁当の中身を考えながら、朝陽は手際よく味噌汁を作る作業に移った。





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