12巻

「あれ、もしかして怒られたのか?」

 ふと呟いてしまった言葉に、隣にいるネガイが首を捻って問い掛けてくる。

「怒られたのですか?」

 しかし、格上であり年上のヒトガタに非難された訳ではなかった。

「なんて言うんだろう。ソソギとカレンを大切に、仲良くなって欲しいって」

「ん?それは怒られたのではなく、勧められたのでは?」

「それもそうか。悪かった、ずっと待たせて。ネガイは平気だったか?」

 帰りの列車に揺られながら隣の恋人に聞いてみる。三人は内々に話があるとの事なので、施設に残るとの事だった。問い掛けに対して僅かに視線を外へとやって口を開いた。

「はい、平気でした。だけど、ちょっとだけ驚いた事がありました。それだけです」

「そうか。俺も、ちょっとだけ驚いた事があった。聞きたい?」

「いいえ。必要になったら話して下さい。身内同士での会話は話難い事が多いので。私も同じです」

 思い当たる事があった。ネガイも家族の事は話しても、あまり家族を取り巻く環境については、多くを話してくれていなかった―――それに類する関係を、ここで見つけてしまったようだ。

「もう俺達は、無理に人間世界に入る必要も真似をする必要もない。いつか、ゆっくり話そう」

 自分達にはきっと時間が必要だった。誰からも邪魔をされず、2人だけの世界を享受出来る。そんな雲の上のような楽園が。だけど、それを得るにも時間が必要だった。

 囁くように口元を震わせながら「はい」と答えたネガイに更に問い掛ける。

「それで、いいのか?ネガイも手を貸してくれるって」

「と言っても、私はマトイと共に行動ですから。今回の探索範囲は広いとは言い難いようでしたが、狭すぎる訳でもなさそうでしたので。手分けをした方が良いと話し合いました」

 俺がいない間に話し合った内容らしい。今回、ネガイも法務科からの指名として、オーダーに参加する。ネガイとマトイならば、心配する必要もないが、それは当の鎌鼬に限った話。あのオーダー本部が、今度こそはとふたりに手を伸ばす可能性があった。

「‥‥何かあったら、全力で逃げてくれ」

「いいえ、逃げません。あなたこそ何かあったら逃げて下さい。その時、私が側にいるとは限りません。いいですか?殺してはいけませんよ、例え、何があろうが」

「もう逃げない。オーダー本部からも」

「それだけではありません。本部を許せとはいいません。だけど、いくら彼らを憎んでいようが、許されるのは踏みつぶすだけ。何度でも言います。殺してはいけません。シズクから聞きました、今度こそあなたは一線を越えてしまう」

 どうやら、あれだけ俺に今回の件から手を退けと言った理由がこれだったようだ。確かに、俺は今回のオーダーを罠だとも考えていた、そして罠であるのなら、オーダー本部ごと踏み潰すと決めた。けれど、それらの決心を揺るがす事が起こってしまった。

「知ってるだろう。俺は、そんなに強くない。オーダー本部への復讐も兼ねて受けたのに、一回裏切られただけで、腰が引けたんだ―――俺は、弱い」

「強いか弱いか、そんな些末は関係ありません。あなたは、殺せるヒト」

 日が差す窓に向けた顔を、ネガイに両手で引き寄せられる。

「あなたは罠にかけられたとしても、こうして生還している。それに、あなたの内部はよくわかっています。あなたは、ずっと恨みを忘れない。自分を支配しきっているあなたは、自身の意思で殺せる。正直に言います。私が今回受けた理由は、あなたを止める為。だから忘れないで、私に頼って下さい」

 黄金の瞳に縫い止められている自分がいる。暗示や洗脳、そんな生易しい代物じゃない。天啓でも受けた気分となる。忘れる筈がない。俺という化け物に理性をくれた人を。

「‥‥わかった。何かあっても、なくてもネガイに頼って甘える。もう決めたから」

「それは、いつも通りです。普段以上に甘えていいと、許可してあげましょう」

 誰もいない電車内で挑発的に肩へ頭を乗せてくる。応えるようにネガイの顎に手を伸ばして少しだけ乱暴に求める。相対する女神であり天使は鼻で笑うように振り向いてくれる。

「‥‥見つめるだけですか?」

 心臓に繋がる動脈全てが悲鳴を上げている。化け物の血、ヒトガタの血達が、言うことを聞いてくれない。このままでは血管に亀裂が走ってしまう。

「終わりで、本当にいいんですか?」

 少し、ほんの少しだけ悲しそうな顔を演じたネガイに負けてしまった。柔らかい唇に震える口を押し付ける。唾液ではない、体温と吐息だけの交換を続け一度離れる。

「‥‥優しいですね」

 今度は胸に手を付けて突き放してくる。先ほどとは真逆の行為をしながらも自身の唇に触れてはにかむネガイは妖艶だった。ますます夢中になってしまう手管に喜ばされる。

「続きは帰ってから―――」

 止まらない。我慢など不可能だった。だが飛び掛かる直前で電車が止まる。

「なんですか?」

 電灯すら消えて完全に停止する。日差しはそのまま。地震や台風という自然災害ではない。ましてや駅に到着した訳でもない。本来なら、立ち上がって状況を調査すべきだが、俺とネガイは窓ガラスからの狙撃に備えて座席から転び降り。銃器を確認する。

「撃てるか?」

「誰でも」

 俺が先行して運転席へと向かう。腰を下げての移動は、匍匐前進と同様、どの科であろうと教え込まれる生き残る為の技術。ネガイと共に誰も乗っていない電車を移動して、先頭車両へと辿り着く。三つほど車両を通ってきたが誰も居らず、何も起こらない。

「‥‥誰もいない」

 先頭車両の窓ガラスから運転席を確認する。だが、そこにも誰もいない。倒れているのかと思い、下まで覗き込むが無人である。ここからでは扉が開かれているか、どうかわからないが元から誰もいなかったようにすら感じる。

「離脱しよう。開けるから、見張っててくれ」

 扉の上方、車内モニターのすぐ隣に設置されているドアコックを差して伝える。ネガイも微かに首を縦にふって、腰を浮かし警護してくれる。俺も、外を確認しながらドアコックへと手を伸ばす。カバーを外し、誤作動に注意しながらレバーを確認してゆっくりと下げる。ドアもゆっくりとながら動作に比例して、確実に開いていく――。

「伏せて!!」

 言われた瞬間、腰を下げ、その場から一気に車両の中ほどまでネガイと共に跳びのく。ネガイが叫んだ理由は明白だった。俺が開いた扉、待ち構えていたソイツは首から下を切り落とすように、刃を振るっていた。

「前にもあったな‥‥」

「あの時とは違います。先行します!!」

 何もなさせない圧殺。魔に連なる者が相手であろうと、それこそが最善の一手。ネガイとマトイが言っていた術だった。そこにいたのは、マヤカさんが模倣した人形と似通っていたが、あれとはまた違う見た目の人形。その理由は関節が見えた事だった

「耐えられますか?」

 振り抜き様に、電車内に乗り込んできた人形に対して、ネガイは完全なる無音でレイピアを腹部に突き入れる。レイピアは本物の人肉にその切っ先を突き入れたように、なんの抵抗もなく埋没していく。だが、手応えを受けていた筈のネガイは一瞬で元の場所、隣に戻ってくる。

「‥‥不思議な感覚です」

 戻ってきたネガイが、レイピアの切っ先を向けながらそう呟く。その答えを聞く前に、当の人形は、腕を変化させて作り出していた刃を、尚もこちらに向けてくる。

 球体関節人形、そうとしか言いようのない見た目だった。肩や膝、変化していない腕の肘や指、それらはワイヤーを筋とし、それぞれの関節に埋まっている球体が操る。あの白い肌とはまた違う艶めかしさを覚える。

「無事か?」

 魔女狩り、あのイミナ部長すら戦闘不能に追い込んだ必殺の一撃を引き出す。直撃すれば、単一で動きを確実に鈍らせる毒。だが、それも可能性で言えば、低くなった。

「問題ありません。この刃を受けても腕を動かしました。効かない訳ではなさそうですが、念のため手足を切り落とすべきですね。もしくは、動かないように完全に破壊する」

「後者は避けてくれ。下手に壊すと、怒られる」

「ふふ‥‥その時は、あなたがお願いします」

 様子見はしない。唸り声を出させ魔女狩りを三発、頭、胸、腹へと撃ち込む。縦に人形を切断する弾丸の壁を用いて、人形を列車の壁へと避けさせる。避けないのであれば厄介であったが、どうやら、この弾丸を受けたくないようだ。

「隙を見せましたね」

 瞬きの間もなかった。既に呟きのみを置き去りにしていた。再度、縮地を使ったのだと悟った。初速の勢いが普段よりも遅い。だけど、それは要らぬ心配だと数舜で理解する。

 縮地を使ったネガイは、一歩目を座席のシート端、鉄の棒と壁の間にあるプラスチックの仕切りを踏みつけ、加速、次のシートに足を付け、更に加速。その時には後ろ姿は残した影しか見えなくなった。更に次のシート、掴み棒から蹴りつけるような音がした時、ようやく視認する。壁へと逃れた人形の喉元を突き立てていると。

「では、さようなら」

 一発の発砲音。22レミントンマグナムという小さい、けれども紛れむないマグナム弾を人形の首へとゼロ距離で発射。貫通力はそのまま切断力へと変換され、人形の首は床へと落ちる。そして、ネガイはそれを見終わる事なく、人形を越えて運転席のガラス窓へと膝をつきしゃがみ、重力に身を任せて降り立つ。

「‥‥確実に、俺じゃあ相手にならないなぁ‥‥」

 見るまでも無かった。数秒にも満たない攻防の中でも全く本気など出していないと。あのソソギと正面から打ち合い、一切の反撃を許さず勝利したネガイに、敵などいなかった。

「誰だって得意不得意、相性の関係があります。それに、私は強くて美人なので、敵などいません。誇って下さい。あなたは、綺麗な私と血を混ぜたのですから」

 首が落ちて倒れた人形の目の前で、レイピアを鞘へと戻して胸を張る。一連の間隙など無かったように乱れてしまった髪をかき上げる姿に日が差し込み、強気な笑顔を更に映えさせる。女神の誕生にも匹敵する幻想であるが、硝煙の匂いに現実へと引き戻される。

「油断するなよ。まだ」

「いいえ、終わりました。引き金を引く前、弾丸が到達する前に線が切れたようでした」

 無警戒に人形の首を持ち上げるネガイは、首と身体の継ぎ目である断面を見せてくる。これで動いていたのかと思う程、簡素な見た目だった。砕かれた球体には幾本ものワイヤーが繋がっているだけ。パペットと呼びであろう操り人形に、人間の片鱗は姿しかなかった。

「この弾丸は強力ですが、あれだけでワイヤーまでは斬れません。使い手が、危険だと察知して、自力で操作権を捨てたようですね」

「わかるのか?」

「ええ、少しだけ‥‥」

 それ以上は何も告げずに人形の首を倒れた身体へと戻し、指と指を組ませる。考えるまでもない。これは葬儀だった。想像通り最後に組ませた手を胸の上へと置く。そんな悼む為の光景を、俺は最後まで見る事すら出来なかった。

「大丈夫、これは私が」

「いいや、ありがとう。手伝うよ」

 共に永眠させる為の姿勢を取らせたかった。だけど、やはり俺は足を延ばす程度しか出来なかった。後は全て、ネガイが行ってくれた。

「マトイに連絡しますから、あなたは運転席を見て来て下さい」

「ああ‥‥車掌が倒れてるかもしれない」

 早く立ち去りたかった。そんな俺の視線に気付いたネガイに甘えて外に降りる。コンクリート製の橋、そこに敷かれた石、バラストに足跡を付ける。本来は危険で、降りてはいけないだろうが、此度は緊急事態である。目をつむって貰おう。

「‥‥いないか」

 数歩先、電車の運転席へと続くステップに足を乗せて中を覗き込む。だが、やはり無人だった。それどころか、人がいた形跡すらない。

「誰がここまで運んで来たんだ。あの人形が?だけど、そんな専門的な動き出来るのか?」

「どうでしたか?」

 一般用の扉からネガイが顔を出して、人の有無を聞いてくる。

「いいや、誰もいない。一番後ろの席も見に行くべきかもだけど、待つか‥‥」

 


「これは‥‥」

 そこにはマトイではなく、イミナ部長の人形が訪れていた。自分の上司である女性は信じられない物でも見る目付きで人形に触れていく。既に日は傾き、夕焼けの色を示していた。

「実力の程はどうでしたか?」

「全力で仕留めたので、測る暇はありませんでした。あちら側も早々に退きました」

「そう‥‥いいえ、それで結構。急な襲撃を受け、最低限での破損での確保、見事です。後でまた詳しく聞かせてもらいます」

「なんか、親しくなってないか?」

 ネガイとイミナ部長は、直接的には関係がない筈だが、前日からよくふたりで話している。悪い事とは思わない、むしろ良い事だと思うが、不思議な感覚だった。

「どうでもいいでしょう。それより。襲撃者は一体だけでしたか?」

「はい。この‥‥ひとりだけでした」

「現在、後方車両も調べています。もうひとりいた場合、あなた達にもう一仕事頼む事になるので、準備を」

 微かにネガイに視線を向けた部長は、静かに首を振る。

 ここはオーダー街ではない。よって法務科の人員も最低限、完全に人手不足だった。

 少ない人形に命令を下し、戦力を分散している以上、本来部外者であるネガイにも頼りざるを得ないという苦肉の策に、イミナ部長は更に指を額に付ける。

「私に頼るのが不服ですか?」

「まさか。あなたの力は、処刑人という血筋を知らずとも、頼りになる戦力として数えていました。これは私のプライドの話、流しなさい。では、現在のこの列車の状況について、話しておきましょう。この列車、並びにこの人形は私達、法務科異端捜査部の名の元に置かれています。けれど、この地は我らの管轄外、すぐにでも彼ら、オーダー本部の犬‥‥配下の有象無象が迫ってきます」

「それ、どっちでも変わらないのでは?」

「静かに。それまでにこの列車を調べ上げます。あなた達も手を貸すように、行きますよ」

 制服姿の人形に腕を引かれると、ネガイも後ろをついてくる。そして、残ったイミナ部長の人形によって、横たわっている人形が抱きかかえられる。

「こちらで回収します。今は静かについてきなさい、話があります」

 これ以上見た所で意味はない。そう自分に言い聞かせて人形達から意識を振り払う。隣に踏み込んだ自分に対してイミナ部長は静かに頷きながら、視線を下げた。

「まずは謝罪を。あなたを試すような事をした。ごめんなさい‥‥」

「‥‥俺が使えるか、調べたのですね」

 捕まえられている手を握りしめて僅かに抵抗する。だけど憐憫などではない、心からの謝罪を向けてくる薄紫の瞳から感じ取り、視線を逸らして力を抜く。

「言ってましたね。当初は俺以外の三人で参加するつもりだったって。あれは試練だったのですか?」

「あなたが、どれだけ戦力として数えられるか、どんな敵にでも発砲出来るか、調べる必要がありました。身の潔白を証明するには、捜査に協力する必要があった。マヤカという外部監査科から話は聞きましたね?彼女ら外部監査科は、あなたを疑っていた」

「このヒジリは、つい昨日到着したのですよ。なぜ、彼が疑われているのですか。むしろ数日前から人員を配置していたオーダー本部を疑うべきでは?結局、何も出来ていないのですから」

 空いている腕に、ネガイがしがみついてくる。

「オーダー本部の狙いが、彼を貶める為、延いては特務課に渡す為だったから」

 淡々と告げられる事実で全てを諦めた。本当に俺をオーダー本部は売り渡すつもりだったのか。徹底的に疑わせて、狙わせて、恩人を狂わせた諸悪の根源だと演出する為に。

「‥‥本部が俺の情報を求めた理由が、それですか」

「正確には、あなたを引き抜こうとした。あなたを捜査官として使い捨てるつもりだったようですね。そして、外部監査科は」

「それに手を貸した、か‥‥」

「いいえ、外部監査科は別視点からあなたを疑わざるを得なかった」

 早い否定に顔を向けてしまった。人形が呼気を鼻に向けて吐いた事で脳を揺らされる。罠に掛かったと気付いた時にはもう遅い。乗り移っている制服姿の人形に相応しい茶目っ気を感じさせる悪戯に絆されている自分に対して「ふふ‥‥」と捕食者の笑みを浮かべた。

「早く本題に。そして、私の前で彼を籠絡するつもりですか?」

「もう既に籠絡しています。外部監査科は、あなたの正体を知っています。ヒトガタであるあなたは、今回の鎌鼬、辻斬りに手を貸している可能性があると判断した」

「敵はヒトガタなんですか!?」

 つい叫んでしまった。その声に、イミナ部長はゆっくりと瞬きをした。

「それはまだわかりません。けれど、イネスを監視したのも同じ理由です。彼女もヒトガタである以上、疑わなければならない。これが彼女達、外部監査科。同胞であるという理由で疑い、監視、拘束する。恨むのなら好きにしなさい。けれどオーダーである以上、理解しておくように。行きますよ」

 先ほどと同じ位の力で、電車内を引きずられる。ようやくわかってきた。そして気付かされた。恐らく、こうなったのはイミナ部長、そして外部監査科にとっても想定外。俺をあのやり方で調べたのは、緊急に必要となったから。

「本部の情報がなければ訳もわからず売られていた――。本部の狙いについては、いつから?」

「つい昨夜です。あなたから殺されかねない恨みを持っているオーダー本部が、あなたを指名した時から気付くべきでした。今更と思うかしれませんが、本当に、少なくとも私は知りませんでした。もし知っていたら、無理にでもあなたを保護、私の元に連れて行って、」

「それはあなたの願望では?」

「違います」

 ネガイからの言に、イミナ部長はマトイがたまに出す子供っぽい返事をした。やはり、この人はマトイの身内、家族のようだ。

「それで、外部監査科は何故彼にチャンスを与えるような真似をしたのですか?」

「戦力になると判断、更に言えば、あなたとだけは殺し合いたくなかったから。それについては本人から」

 最後の車両、後方の運転席に通じる車両に付いた時、もうひとりの人形を見つけた。

「イミナ、彼だな?」

 そこにいたのは人らしき何者か。

 イミナ部長とさほど変わらぬ顔付き、髪の色だが、こちらは幾分か背が高い。着ている服は年上のヒトガタと同じ制服。だが、わかった、この方もイミナ部長と同じ何かだと。

「まずは初めまして。そしてどうか私に名乗らせないでくれたまえ。事情は、察してくれたらば、有り難い」

「知りません、名乗れ」

「ふふん。いいだろう」

 大分無礼気味に返事をしたが、嫌な顔どころか、むしろ向こうから出迎えるように近付いてくる。

「私は外部監査科、異端—――すまないがここでは言えない。外部監査科の一部署の長だ。この度の無礼の数々、許してくれとは言わない。ただ謝罪しよう。あまりに無神経な振る舞いと、部下の不手際、すまなかった」

 外部監査科という都市伝説のような部署の、しかもそこの長たる人物が頭を下げてくれる。法務科にここまで浸かっていなければ、理解が追いつかない光景だっただろう。

「そして頼みがある。どうか君の手を貸して欲しい。このオーダーにはあまりに裏があり過ぎる。君には、表立って」

「まだやるとも言っていないのに、命令か?」

「そうそう、もっと言ってやって。身内がどれだけ言っても気に留めない」

 外部監査科の長も気になったが、それ以上にイミナ部長の言葉には、前者を忘れ程の強みがあった。まるでマトイの我儘に振り回される保護者のような、それとも姉妹のような。

「—――失礼、続けて下さい」

「‥‥ふふ。イミナ、君も大分砕けたな。彼に変えられたかな?」

「いいから、続けて下さい」

「では、そうしようか。再三の無礼、失礼した。だが、どうか飲み込んでくれないか?君もわかっているだろう。このままではオーダー本部は、いつまでも君を苛む。都合がいい事に、ここにいるのはオーダー本部の堕落を裁ける法務科、そしてオーダー本部の欺瞞を正せる外部監査科だ。話を聞くに値しないか?」

 なぜだろうか。絶対に断らないという自信があるらしく、僅かに笑顔を向けてくる。そして、手を差し出してくる事から親愛の証を求めているのがわかる。

「‥‥条件があります」

「ん?噂通り女性か?すまないが私は身を固める予定がある。いくら私が美人でも」

「なんの話ですか?‥‥マヤカさん、あのヒトガタを病院に明日一日だけでいいので、休ませて下さい」

 目を背けない。これは、平等な交渉だ。

「俺は法務科所属。そんな俺を使うんだ、同じように外部監査科の所属のひとりに命令を下しても、おかしくない。そうですね?」

 だけど、この交渉に外部監査科の長は固まってしまう。そして、手を降ろす。

「彼女は我らの重要な戦力だ。その彼女を一日とは言え戦線から離脱させるのだ、君にマヤカ君分の働きも出来るのか?」

 イミナ部長もネガイも何も言わない。この人の言っている事が正しいからだ。オーダーのひとりを個人的な理由で、本人の力量に関係なく下がらせる。それは本来、ルール違反。元から必要だからと求められた彼女に戦力外として通告する。

 俺がシズクからされた事とは比べ物にならないぐらい、無礼だった。

「‥‥言って下さい。やれと言われれば、誰の首でも落とします」

「うむ、少し覚悟の程を聞いたつもりだったが、それが出るとは予想外だ。イミナ、彼は本気か?」

「見ての通り、本気ですよ。頷かないように、本当に取ってきます」

「‥‥本当に、末恐ろしい。いいだろう。マヤカ君の入院を伸ばす条件、受け入れよう。手を取りなさい」

 差し出された手に、手を伸ばす。そして、隣のネガイにも。

「君は処刑人らしいな。彼を人質に取られた場合、君はどうする?」

「あなたを殺す」

「ははは‥‥いい勘をしている。よろしく頼むよ」

 ネガイとも握手を終えた長は、乾いた笑いをして一歩下がる。残っている手でレイピアを鳴らしたネガイの殺気が、俺にも伝わってきた。

「そろそろ時間です。行きますよ」

 先ほどと同じように、イミナ部長は腕を抱いて伝えてくる。

「行くって、どこに?」

「外に車両が用意してあります。こちらに」

「見せつけているつもりですか?‥‥いいでしょう、私も」

 もう片方にネガイが抱きついてくる。そして、首元に息を吹きかけてくる所為で、意識が遠のいて腰が引ける。

「ふふふ‥‥どうですか?」

「マトイの言っていた通りですね。けれども、男性を誘う術を知り尽くした私に敵わない‥‥ふふふ」

「知りませんでしたか?このヒジリは、誘うよりも好きな事があります。ふふ‥‥」

 イミナ部長の突然の行動に、ネガイはむしろ受け止めて反撃をする。腰が引けて倒れそうになる俺の足を、自身の下半身で挟んで立たせてくる。

「イミナ」

「なにか?」

「私がいるのを忘れていないか?マトイに告げるぞ」

「既に知っているでしょうね。だって、三人で混ざったのですから」

 俺も知らない事実に、ネガイが睨んで背筋を凍らせてくる。先ほどとは違う意味で、背筋が凍り付いた。




「気に入った子が見つかって何よりさ。年下、悪くないだろう?」

「私は元から年下が好みです。話を続けましょう」

 広いリムジンを五人もの人数が埋めていた。だが、元から異常なぐらい広いと思っていたが、まだまだ余裕がある空間を持っていた。

「‥‥彼は?」

「彼は私の部下だよ。ボディーガードとして連れてきた――イミナ、そう怖い顔をしないでくれ。彼が怯える」

「‥‥していません。それに、元から知っていました。彼も連れてくると」

 車両の隅、外部監査科の長とイミナ部長がリムジンを二分し、俺達側とは別の壁際にいる少年。先ほども見た顔だった。長い杖、錫杖に近い見た目をした得物を抱えていた。

「話を続けよう。君にして欲しい事は、矢面に立って今回のオーダーに参加する事。その過程でオーダー本部から邪魔をされるかもしれないが、その時は殺さなければ何をしても構わないと、私が約束しよう」

「外部監査科が、許すのですね?」

「ああ、そうとも。君がオーダーを全うする上で、いかなる必要な行動しても、我らが是認する。因みに目をつぶるではないから、そこは理解したまえよ」

「‥‥了解。ネガイ、イミナ部長、聞きましたね?しばらく豪遊が出来ます」

「えっ‥‥」

 俺が当然のように、予算での豪遊という権利を使う言ったら、

「楽しみです。みんな呼びましょう」

「では、久しぶりにあなたの金銭に頼るとしましょう。マトイも呼ぶとしますか」

 イミナ部長はスマホを出して、マトイへと連絡を取り始める。そして、俺達も同じようにスマホを取り出すと、外部監査科の長は慌ててイミナ部長に全力で顔を振る。

「冗談はこの辺りにしておきます。わかってると思いますが、イネスを襲った事、俺はまだ許し切れていません。忘れないように。それで、俺は何をすれば?」

「‥‥意外だ。君の事だから、イネス君への襲撃、怒り狂って私に挑んでくると思ったのに。その為の彼なのに」

 杖を抱えて、用心棒のように控えている少年、同い年よりも若干年下に見える彼を視線だけで示してくる。先ほどから一切喋らない少年、十中八九魔に連なる者は視線すら向けて来ない。

「イネスが許さないと言うのなら、俺もそうしていました。だけど―――イネスが、襲撃者の正体を知っていてなお、何も言わなかった。なら俺がやるべき事はない」

「‥‥ふふ、いいだろう。では、改めて――君のやるべき事は、館から奪取された人形、マヤカ君が模したキメラを仕留める為、表立って動いてくれ。そして、最初に告げておく、彼ないし彼女を奪取、呼び起こしたのは、恐らく特務課の人員だ」

「‥‥そういう事か。自分達で目覚めさせたはいいが、手に余ると判断したから俺を逮捕、責任を押し付けるつもりだったと」

「私達はそう踏んでいる」

 何から何まで、全て人間の都合だった。あの方が言っていたように、本来、人間の都合は人間が解決するべきだ。だが、手に余ると判断した人間は、俺のような人外に頼る事にした。

「‥‥因みに聞きますが、館とは?何故特務課は、キメラを呼び起こしたのですか?」

「そうだな‥‥これは、至秘だ。完全なる他言無用、いいかな?」

「慣れてますよ。そもそも、俺自身が口外無用だ」

「ならば、イミナ部長のお目こぼしもあるようだから、話させて貰うか。気付いているだろうが、我々は魔に連なる者、館とは我らの中でも特に力を持ち、力を蓄えていた魔人の所有していた住居、館だ」

 視線をイミナ部長に流すと、頷いてくれた。決して嘘はついていないようだ。

「その館はどこに?」

 そう聞いたが、首を振って口を閉ざしてしまう。試しに、車両の隅にいる少年に聞いてみる。

「俺は、共にオーダーを実行する同盟者だ。何処にあるかも言えないのか?」

「俺はオーダーが嫌いだ」

「気が合うな。俺もだ」

「‥‥そうか」

 顔を杖で隠すようにしていた少年がこちらを向いた時、一瞬、目が合った。

「「—――お前、まともじゃない」」 

 腕が勝手に、脇差しに伸びてしまう。それは向こうも同じだった。仕込みとわかっていた杖に手を伸ばし、白銀の刃をわずかに見せてきた。けれど、俺達の腕をそれぞれの上司、俺にはネガイが止めてきた。

「落ち着いて下さい。彼は敵じゃありません」

「‥‥悪い」

「い、いいや。こっちも威嚇なんてして、悪かった」

 ネガイが耳元で囁く事で正気に戻れた。先ほど人形、サイナの兄、カエルらよりも、優先して排除すべきと本能が訴えかけてきた。目が勝手に起動し、頭が解放される感覚すら覚えた。目が合っただけで、命の危険が迫っている。獰猛な野生動物と檻に入っているなんてレベルじゃない。目の女達と同じ、もしくは、あの方と――。

「顔合わせが、安全に済んで何よりだ」

 落ち着いた様子で言っているが、俺達との直線上に、あの二人がいなければ、どちらかの首が、もしくはどちらもの首が飛んでいた。

「武器を回収させて貰います。渡しなさい」

「‥‥わかりました」

 腰や背中の武装を全て渡す。それは向こうも同じらしく杖を外部監査科の長に渡した。

「お互い、危険らしいな」

「不本意ながら、そうらしい」

 できる限りお互い、お互いを視線に入れない為、顔を背ける。

「ネガイ、手を」

「はい」

 ソファーの上を滑らせた手をネガイと絡ませる。他人がいようと関係なく、恋人に頼る事にした。この光景を何故だか微笑ましそうに眺める外部監査科の長が視線を年下の少年へ。

「ふふ、君はいいのかな?」

「俺は、別に‥‥」

「では、そうしよう。だが、素直に頷くのも大人としての第一歩と言っておこうか。聞いての通り、場所は明かせない。そこは外部監査科の事情として受け入れてくれよ。何故特務課が、キメラを求めたか、無論首輪をかける為だ。戦力としてな」

 ゴーレムは、少なくとも魔に連なる者の技術。特務課がどれ程、向こうの世界と懇意にしているか知らないが、キメラと呼ばれる特殊なゴーレムを使いこなせるとは思えない。そして、それは正しかったようだ。

「私からの話は以上だ。改めて聞こう。君は、このような秘密主義な外部監査科に、手を貸してくれるかな?降りるなら、ここが最後の地点だ」

「‥‥まだ、聞きたい事があります」

 隣のネガイから手を離して、自身の拳だけで見つめ返す。

「オーダー本部が、俺を特務課に引き渡す可能性、外部監査科は掴んでいたんじゃないですか?」

「‥‥正直に言おう。掴んでいた。降りるかい?」

「‥‥あなたが人間であったら、この場で殺していました。だけどイミナ部長と同胞である以上、部長に任せます」

「任されました」

「はははは‥‥」

「それと、最後に、あなたに礼を言わないといけない」

 それには驚いたのか、向こうのふたりは声を出して見てくる。

「マトイが言ってました。ずっと気にかけてくれた親代わりがいたって。あなたではないですか?」

「‥‥親代わりか、いいえ、それは違う」

「マスター‥‥」

 杖を持っていた少年が、近づいてきたが、それを手で静止した。

「私は、あの子の世話こそしていたかもしれないが、結局、追い出すような真似をしてしまった。ふふ、それさえ違うか、実際、追い出したのだから」

「‥‥でも、言ってました。ずっと気にかけてくれたって」

「それは気に掛けるだろうさ。あの子は、とてもいい子だ。ああ‥‥忘れていたよ。私は、もうひとつ謝らないといけない事があった―――」

 正面からこちらを見据えて、頭を下げてきた。

「マトイから聞いた。あの子が、君を殺したと」

「‥‥はい」

「私は、あの子の言う通り彼女の世話を長くしていた。親代わり、彼女がそう言っていてくれたのなら、とても喜ばしい。だから重ねて謝ろう。マトイの暴走を許したのは、きっと私が原因だ。私が、情けないから、何も出来ないからあの子は、君に手を伸ばした――そして、ありがとう。彼女の傍にいてくれて」

 頭を上げたその人は、申し訳なさと同時に、贖罪の覚悟、アルマと同じ顔をしていた。

「済まなかった。‥‥卑怯だな、私は。このような立場を持った者から頭を下げられても、困るだけだろう。言ってくれ、私を」

「俺は、きっとまだマトイを許し切れてない。マトイの事、本当に愛してます。マトイも愛してくれてる。今更、罪を償って欲しいなんていない。だけど、忘れた訳じゃない」

 忘れてる事なんてできない。だって、俺もマトイを傷つけた。

「マトイから聞きましたか。俺が、マトイを斬ったって」

「ああ‥‥だが、それは」

「でも、あなただって許せない」

「‥‥そうかもな。だが、私だって償って欲しい訳じゃない。あの痛みは、マトイにとって大切な痛みになった。‥‥あの子は、いい顔で笑うようになった。戻ってくれた。君のお蔭だ。恨んでなんかいない」

「‥‥よかった。マトイ、俺の事なんて言ってました?」

「ん?気になるかい?そうだな‥‥目の離せない困った彼だと。事実、そのようだな」

「あなたの事も言ってました。一緒に笑って、イミナ部長を困らせてきたって。マトイのあのいたずら好きな性格、あなた譲りですね?」

 そう言ったところ、ネガイが納得したように頷き、イミナ部長は眉間に指をつけた。だけど、懐かしいようだった。

「そうとも。そうだとも‥‥あの子のあの悪い性格、私譲りさ。そこが好きになったのか?」

「そこも、好きになったんですよ」

「‥‥本当に、あの子はいいヒトで出会えたのだな。嬉しいよ‥‥」

 ようやくわかった。イミナ部長だけに育てられてきたのなら、あのわがままでいたずら好きな性格にはならない。きっと、あの蠱惑的で手玉に取られたような雰囲気と性格は、この人譲り。真面目で容赦や手抜きを許さない性格は、イミナ部長から。

「‥‥俺はあなたを裁けない。だけど、裁いて欲しいのなら、あなたに言わないといけない事がある」

「言ってくれ。そうでないと、私も自分を許せない」

 差し出すように、頭を下げてくれる。だから、手を伸ばして両手を掴ませる。

「どうかマトイと、昔みたいに話して下さい。マトイは、もっとあなたとの時間も望んでいる。昔みたいに戻ってくれとは言いません。だけど、話を聞いて上げて。マトイが、自分で自分を許せるように、裁けるように」

 昨夜のマトイの様子を見てわかった。マトイは、あともう少しで覚悟が決まる。今は、まだ自分を明かせないのが見えた。きっと自分で自分を混乱させてしまう。

「‥‥話通りだ。君は、残酷だ。だが‥‥だが‥‥きっとそういう所が、マトイを射止めたのだろうな。聞き届けた、マトイとの時間を大切にしよう。更にイミナを困らせる為にも」

 



「どう思いましたか?」

「‥‥あの人達は、魔に連なる者、しかもオーダーだ。背中を預けるには、まだ足りない。だけど‥‥マトイの大事な人なら、敵になりたくない」

「‥‥そうですね、私にもわかりません。だけど、マトイの大切な人です」

 ホテルに戻った事で、警戒心が抜けてしまい、汗が噴き出した。ネガイと一緒にシャワーを浴びて、ベットの上でネガイに頭を抱きかかえられていた。誰もいない寝具の上で、石鹸の香りがするネガイから、心音だけを聞く、何よりも心が休まった。

「では、どうしますか?」

「何度も、心変わりは出来ない‥‥大丈夫、もう迷わない。ネガイはどうする?」

「私はあなたとマトイを信じています。だから、もう止めません、どうか、あなたの望むままに。帰ったら、また一緒にシャワーを浴びましょう」

「‥‥シャワーだけじゃあ、我慢できないかも」

「望む所ですよ、それに、私だって同じです。昨日から欲求不満です、ふふ、今夜は覚悟して下さいね。さぁ、そろそろ着替えますよ」

 何もまとっていないネガイから背中を叩かれて、離れたくないと腕に力を籠めるが、腕の中からネガイが滑るように逃げてしまう。

「そろそろ今日の実習は終わりです。私達ばかり、快楽に浸るのはどうかと」

 ホテルに備え付けられているゴム止めで、灰色の髪をまとめて顔だけで振り返ってくる。長い灰色の髪は背中を隠しきってしまう。

「ネガイ‥‥」

「はい、おはようのキスですね」

 布団に横たわったままの俺に、ネガイは口付けをしてくれる。隙をついてもう一度ネガイをベットに引き込んで、背中を抱く。鼻で笑ってくるネガイは、抵抗する為に手で胸を押してくるが、無視してネガイの口を求める。傷ひとつ無い腹から下腹部の感触を肌で感じながら、舌を絡ませて、口蓋や舌の付け根まで唾液を注ぐ。

「‥‥来るって、わかってました」

「何もかも、ネガイの手の上か。俺って単純?」

「知らなかったんですか?あなたは単純で、簡単に調教できます」

「‥‥なら、もっと俺を調教してくれ」

「あなたの望むままに‥‥」

 ネガイをベットに押し倒して、逃がさないように肩に手を置く。隠そうとする胸を、自身の胸で押しつぶして首や耳に舌を這わせる。甘い声を上げて、誘うネガイに指示されるまま、口を求める。撫でてくれる背中の手を掴んで指を絡ませた所で、口に指をつけられる。

「ここまでです。もう十分ですね?」

「‥‥ああ、もう十分。着替えようか」

 ベットから降りて、ネガイに手を差し出す。両手を伸ばすような仕草をするネガイを抱きかかえて、脱ぎっぱなしの衣服があるリビングへと戻る。

「今、何時ですか?」

「ん?えーと、6時だ」

 テレビをつけて時間を確認する。昨今というか、他所を知らないがスマホで時間を確認できる現在では、時計をという目に見える圧迫感を伝えてくる品は、ホテルから消えつつあるらしい。

「では、そろそろあちらに着替えますか」

 腕から降りたネガイは、先ほど出てきたばかりの寝室に戻り、衣服を持ってくる。それはネガイの戦闘服、白い軍服の上着と、白いスパッツ。ネガイの運動性を極限まで高め、最低限の布地だけを残した衣服だった。けれども――。

「ネガイ、それは」

「大丈夫です。ちゃんと腰巻や膝当てがあります。ふふ、支配欲ですか?」

 上着はしっかりとした防弾服だが、下半身のスパッツは際どいしわを造りかねない程、薄かった。だが、俺が危惧した事を避ける為、ソファーに座りながら上着を着た後、スパッツの上に白い腰巻、スカートのような物を腰に装着し、膝や脛当てを付けていく。

「重装備になったな」

「ふっふっふっ、これはサイナから注文した、特注品です。上着や下半身の装備、武器の類まで全て計算し、重量は前回と変わらないレベルまで整えた、身体にピッタリの戦闘服です。どうですか?」

 先ほどと同じように両手を伸ばしてくるネガイの顔は、やはり強気で自身の容姿を理解し尽くしていた。灰色の髪と相まって、白い衣服はネガイによく似合っていた。

「似合ってる。本当に、天使みたいだ」

「天使ではなく、私は女神です。知りませんでしたか?」

「‥‥いいや、知ってたよ」

 俺も着替えを済ませる為に、ソファーに投げたままだった黒一色の潜入服を身につける。ネガイとは対象的に、下半身は分厚い布地とブーツ。持っている武器を全て下半身に装着、杭は腿に沿わせて、脇差しは後ろの腰に、薬入りのバックルは前に。そして銃器の類は、左右ともう片方の腿に。

「時間まで待機だ。そろそろ」

「失礼しますね。二人とも準備はいい?」

 声を掛けられた扉へと足を運び、電子ロック制の鍵を操作、電子音を響かせて扉を開ける。ホテルの廊下で佇んでいた客人は黒いヴェールを被ったマトイだった。

 思わず息を呑んでしまう。優し気でミステリアスで、漆黒のヴェールの奥底から覗かれる星を彷彿とさせる瞳に微笑まれ、身体の自由を奪われた自分に更にマトイが問い掛けてくる。

「いかがですか?」

 声が出なかった。そんな俺を置いて、ネガイはマトイを部屋に引き入れた。マトイも白銀の装備に目を奪われてしまったらしく、視線をネガイから離せないでいる。

「それが新しい装備?」

「はい、どうですか?」

「とても似合っています。私は?」

「‥‥ちょっと悔しいぐらい、綺麗です」

「ありがとう」

 白銀と漆黒を見にまとった二人の背中を追いかけて、リビングに戻る。マトイのこの姿は、何度か視界に収めていた。くるぶしまで隠す長い裾と長い黒一色のヴェール。一見、何も持っていないように見えるが、それは違う。この姿は、全身が武器、力そのものだった。

「マスターから、ふたりに伝言です。ネガイと私は、直接現場に。あなたは、アルマ、イネスと共にここから本部へ車両で、そこから時間に間に合うように見計らって赴けと。後で二人が到着します」

「わかった。じゃあ、このまま待機でいいんだな‥‥、イミナ部長から聞いたか?」

「ええ、しっかりと」

 ソファーに、足を揃えて座るマトイは、絵画のようだった。例えるならば、カーンの処女。ブルジョワ層を民衆から強く過激に攻撃を仕掛けた革命指導者をナイフで刺し殺した、美しく愛らしい暗殺者。彼女の首を落とした処刑人の手記によれば、首の落ちる寸前まで、その人は毅然とし、惹かれてしまったと。

「あなたには、何から何まで世話になっています。今晩はあなただけに、責任を負わせません。私とネガイがいます」

「はい、任せて下さい―――私からも話があります」

 マトイの隣に座ったネガイは、向かいのソファーに座った俺を見つめてくる。

「私とあなたで斬った、あの人形、見覚えがあるのを思い出しました」

「‥‥処刑人としてのネガイか」

「はい、あれは一度、私の家に来た事があります。そして、母に撃退されました―――伝えなければなりません、あの人形を倒してから、私の家に公安が入り込み始めました。私の両親の殺害に、関与した可能性があります」

 声が出なかった。けれど、それを話してくれたネガイは、真っ直ぐに視線を向けてくる。

「だから、これは私のオーダーでもあります。私にとっても他人事ではありません、けれど、恐らくあの人形は特務課の関係者、追っているキメラとは直接的には関係ない―――だから、私があの人形類を倒します。あなたは、キメラから公安と特務課を追い詰めて下さい。マトイ、手伝ってもらえますか?」

 あまりにも規模が巨大過ぎる話だった。特務課の前身にして、国家の守護者とも謳われた超法規的組織。そんな組織が、ネガイの両親、処刑人の殺害に関わっている。外部監査科が関わっているというだけでも、話の全景が見えないオーダーなのに、過去に国を牛耳る為、手足として犯罪に積極的に関わっていた組織が後ろにいるなんて。

「マトイ、私は」

「‥‥そう、そういう事でしたか。ネガイ、そのオーダー、受諾させて貰います」

 口元を隠して、逡巡していたマトイはヴェールをかき上げネガイの手を取る。

「高い確率で、それには私も関係している。その場にはマスターも、あの方、ヘルヤ様もいたのですね?」

「ああ、いた‥‥そのままオーダー本部が来る前に、イミナ部長が連れて行った」

「ならば、恐らく気付いている。ありがとうございます、ネガイ、話してくれて。あなたの勇気に、必ず報います。任せて」

「はい、マトイなら信じられます」

 話は固まったようで、二人とも無言で頷き合う。だけど、自分はその話が見えて来ていなかった。マトイの身の上には聞いていない所がある。まだ、話さなくていいと言ったからだ。しかし、それで何もしないという理由にはならない。

「俺は、何も出来ないか?」

「‥‥ふふ、そんな寂しそうな顔はしないで下さい」

 ネガイが困ったように、手を頬に伸ばしてくれる。

「あなたには、キメラを追い詰めるという大役があります」

「だけど、元々は俺に用があったのに―――特務課がまだいるのなら、俺が」

「あの人達が言った通りですよ。あなたには、表立ってやるべき事がある。私達は、今晩裏方に徹しなければ、出来ない事がある。何も出来てなんかいません」

「私達は、あなたの仕事を円滑にする為、今晩を戦う。こういうオーダーは珍しい訳ではないでしょう?それに、最近こういった仕事が多いので、得意になりつつあります。大丈夫、あなたが戦えば、私達の為にもなるのだから」

 ネガイが触れている頬とは別の頬に触れてくる。

「私達を信じて、それにマスターもヘルヤ様もいる。しっかりと引き際を見定めます」

「それとも私達では、力不足ですか?」

 ふたりに見つめられて、涙を拭かれる。ふたりから、何故ここで涙を流すのかと笑られるが、止まらなかった。

「‥‥嬉しくて、ここに来て、沢山の人に裏切られて」

 息が詰まる。続きを吐けない。信じるとは、ここまでつらいのに、信じる事が出来る人がいるという事実は、ここまで幸せなのか。

「アイツらに裏切られて‥‥俺、本当はずっとつらくて」

 ふたりとも、何も言わないで待っていてくれる。

「本当は‥‥もう、立てないぐらい怖いんだ。誰を信じていいのかって、誰が敵なのか、わからなくて。本当は‥‥ふたりに囲まれたまま、朝までこの部屋にいたいんだ」

「はい、あなたは、常人では決して乗り越えられない現実を、ただの数日で経験してきた。人間が作った罠や期待、逆恨みを踏み越えてきました」

「誰に頼ればいいのか‥‥わからなかったんだ―――せっかく、ネガイにもマトイにも、良い所を、楽しい経験を見せようって思ったのに‥‥。全部邪魔された」

「ええ、あなたは数日前から張り切っていましたね。みんな気づいてたのよ。あなたが、私達の為に気付かれぬよう泣いていた事を。一人で隠れて耐えているって」

「‥‥だけど、信じられる。ふたりなら、信じられるんだ。俺のわからない所で、わからない話をしていても―――信じてる。だから、どうか生きていてくれ。ふたりを迎えに行くから。騙していい、利用してもいいから、無事で待っててくれ。裏切らないでいてくれ――」

 涙が止まらない。何も見えなくなってしまった。続く嗚咽の中、ふたりが抱きしめてくれる。何も言わない、けれど、微かな呼吸と体温で、傍にいると教えてくれた。



「それ、懐かしいな」

「‥‥気分は悪くならないか?」

「いいや。よく似合ってる。嘘じゃないぞ」

 バックミラーで、アルマの衣装を見ながら心の内を伝える。それは、流星の使徒としてのアルマの服装に似ていた。分厚かった長いコートは洗練され、薄そうに見えるがアラミド繊維が強く編み込まれた、ほぼ鎧となった外装。ポークパイハットも、ロビンフッドハットと言うのか、顔に向ける方向に尖った角度を持つ帽子だった。

 そして、もう一つ。

「それ、使えるのか?」

「ああ、これは‥‥元は私達の技術だ。過去に使った事がある」

 ミトリがマトイから受け取ったナイフを大型にした刃。ネガイが受け絵取ったレイピアと似通った片刃のそれには、峰の部分に銃口が備わっている。

「君だって、それを使えるのか?—――その弓は、そうそう使いこなせる物ではないのに」

「ああ、なんでだろうな。不思議と手に馴染む、これも流星の使徒の技術か?」

「‥‥そうだ。過去に見た覚えがある」

「あ、見て下さい。あれが猫カフェ?」

 アルマの隣、俺とソソギが回収してきたヒトガタの杖を持ったイネスが楽しそうに車の窓に指を差してアルマに教えている。先程の空気を、破壊したイネスはアルマの腕を掴んで示し続ける。楽しくて仕方ないらしい。

「見て下さい!あれは何?」

「あ、ああ‥‥恐らく―――ダーツやビリヤード、そしてスポーツ観戦が楽しめるバーだ。イギリスで、何度か入った事がある」

「素敵ですね!そうでしたか、あの記憶は、ああいう所の事だったのですね!」

 信号待ちで止まるたびに、イネスは呼び掛けて聞き続ける。真面目なアルマも多くの国々を巡ってきた経験で、質問に答え続けていく。

「時間までは車両で待機だ。それまでに、どこかで休むか?」

「流石に私だって、この服装の異常性はわかっているつもりだ。この車で十分だ。イネスはどうだ?」

「むぅーそうですね。楽しそうなお店は沢山ありますが、それはまたの機会にしましょう。私も車内で十分ですよ」

「なら、直行するか」

 アクセルを踏んで、地方本部前を目指し続ける。地方本部へと近づくにつれて、徐々に人気や活気が消えていく。店も消え続け、行政のビルの明かりのみが街を照らし始める。

「ここでまた30分ぐらい‥‥誘い出す為に、ここで待つ」

「特務課、だったか。どれほどの使い手だった?私は遠目からしか見ていなくて」

「‥‥そうだな。数秒間、着火しないスモークを投げ込んで、にやついてる連中だ」

「本当に、この国のMI5、CIA、FSB、MSSなのか?あ、あまりにもお粗末すぎないか?」

「俺もそう思うよ――この国の公安は、一時を境にただの犯罪者、権力者を守る為だけの無法者になったんだ。昔は、本当にこの国の守護者、正義の人だったんだろうが、もう見る影もない。油断はしない方がいいが、期待もしない方がいい、あれはただの雑魚だ」

「—――この国に、同情する」

 ブーツの紐や黒革の手袋を強く締めて、最後の準備を始める。

「イネスはどうだ?何か聞きたい事は」

「ん?特務課でしたら、私知っていますよ。何度か、私のクラブに訪れていた方々です。私に興味があったのでしょうか?店の方々に、無理を言って私の部屋に来ようとしていました」

 意外な事実が、ここで判明した。特務課は、血の聖女を知っていた。

「アイツらが?なんで」

「それは私にもわかりません。あまりにも傍若無人に振る舞うので、お引き取り願いました。それからも、何度か潜入のつもりなのか、訪れられたのですが、その度に私に会わせろと、何故だったのでしょう?」

「血は飲まなかったのか?」

「はい、成育者と繋がりがあったのか、血にだけは一度も口を付けませんでした」

 血の聖女という、事実上の麻薬を目の前にして放置していた。彼らがイネスを連れ去っていたら、どうなっていたかと思うと同時に、あの実戦経験の乏しさでは、繰り出されるサブマシンガンの波状攻撃には成す術を持たなかっただろうと思う。

「それより、この服、いかがですか?」

 握った杖を膝に置いたイネスは、自身の服装を見せつける為、胸を張ってくる。

「‥‥いいさ。だけど、イネスはいいのか?」

「はい、この服以上に、私達の性能を引き出せるものはありません」

 イネスが着ていたものにも、見覚えがあった。ソソギと共に侵入した時、向こうのヒトガタが着ていた服だった。白一色で作られて長い帯を幾つも繋ぎ合わせて被ったような見た目。上着は詰襟とでも言えばいいが、下半身は分かれた帯が伸びている。

「それに、この服、やはり落ち着きます。無理言って用意してもらったんですよ。けれど、私の知っているものよりも少しだけ細いですね?イミナ様がデザインされ直したのでしょうか?」

 確かにイネスが着ている物は腰が細く、ウエストを絞ったようだった。

「恐らく、そうだろう。私のこれもイミナ局長がデザインしたそうだ。あの方は、厳しい事をよく言うが、それでも何度も手を差し伸べてくれる。報いなければ」

「あの人は、人形使いだからな。服のデザインも出来るのかも」

 思えば、マトイはよくオーダー製の衣服をドラム缶と揶揄していた。それには大いに同意するが、ああいったセンスの良さはイミナ部長譲りなのかもしれない。

「あ、そうそう!!車の運転、得意なのですね!!」

「得意って訳じゃないぞ。これぐらい、て言うか2人もオーダーに入ったら運転免許を―――動いたか」

 特務課かどうかは、まだわからない。けれど、50%の確立で、それに属する人間達が集まってきた。オーダー地方本部前、ここはある意味において、日本中、どこからでも訪れる事が出来る、プロの巣窟。そんな場所に、特務課の素人達が集った。

「私から全ては見えないが、多いのか?」

「ああ‥‥あれで総勢か、20人はいる」

「それは‥‥楽しみだ」

 ビルとビルの間に、斥候か偵察か知らないが、幾人もが詰まっている。車両はどこか、別の建物に隠しているらしく、護送車らしきそれは見当たらない。こちらを取り囲むように、監視するように見つめてくる人間は、どいつもこいつも緊張感が足りていない。

「馬鹿どもが‥‥タバコなんて吹かしてどうする」

「合図の可能性もある。アメリカではよくやられた」

「バレるのも、想定の範囲内って事か――ふたりとも、いいな?もう引き下がれないぞ」

 ミラーを確認するフリをして、ふたりの顔を確認する。聞くまでもない、という事がよく分かった。ふたりとも、膝の上の得物を握りしめて教えてくれた。

「自分達が監視している者が、どれだけ闇に近いか、闇そのものか、教えてやろう――」

 サイドレバーを降ろし切らずに、一気にアクセルを踏みつけ、助走をエンジンに付与する。この車はただのワイルドハントではない。日本オーダー支部技術開発部門が作り出したスポーツセダン。はっきり言ってしまえば、これはセダンではない、けれど4ドアという事でスポーツセダンの枠組みに無理やり入れた動く治外法権。

 それは決して揶揄ではない。オーダーが作り出した通信車が究極的な監視装置ならば、こちらは究極的な潜入、追跡、そして、逃走装置。

「舌ぁ!噛むなよ!!」

 一気にサイドレバーを降ろす。ただの乗用車では決して出せない唸り声をなびかせて、断続的な加速を起こさせる。空気の断層を、その身で突き破る感覚に襲われ笑みが浮かぶ。

「流石!!中身は、見せらないって言われた代物だ!!」

 マトイ曰く、「見れば、あなたは生涯、この車から降りれなくなる」と言われた。

 ロータリーエンジンらしきこれは、熱エネルギーを回転力に変換、そのまま突き抜けるような力をタイヤに叩きつける。あまりの加速に、俺達を待ち構え、道を閉鎖するつもりだったらしい護送車の壁達は手がまるで届かない。バチカンのエージェントが行った逃走術を、まさかここで発揮させる事になるとは思わなかった。

「あはははは!!どんど行って下さーい!!」

「言われなくても!!」

 アクセルとサイドレバー、ハンドルを同時に操作、真横に振り切ったハンドルを一気に戻し、一瞬車体を浮かせて、そのまま片輪だけで走行させる。

 必ず捉えられる。そう思って満を持して準備していらしい護送車の数々は、ワイルドハントの装甲に傷ひとつ付けられない。自身の図体の所為で追いかける事さえままならない。

「揺れるぞ」

 そう言い切ってから、車両をアスファルトに戻す。完全に後ろのアルマと、イネスが浮いたが、ふたりとも何も言わないで耐えてくれる。

 真後ろ、そして真上から狙撃されているらしく何かが前方のアスファルトに弾けるが、まず当たる訳がない。向こうの有効射程が2000mあろうが、弾速が秒速が400mあろが、0.5秒後に既に、こちらのワイルドハントは100m以上距離を作っている。やはり当たる訳がない。当てたければ、150mm砲でも用意すべきだ。

「ん?あれは、なんだ?」

「‥‥へぇ、俺とやり合う気か?」

 高層ビルと高層ビルの間、ガラス張りの森から追ってきた車両は、先ほどの護送車ではなかった。こちらと同じか、それ以上にスポーツタイプの車両。2ドアのそれには見覚えがあった。恐らく向こうは量産品。けれど、車両にとってそれは最強を意味する。

「良いデザインだ」

 恐らくはGT—R、ツインターボを備えた事により、排気ガス増加によるエンジン出力低下を軽減、改善させる為に作られた技術。追跡する上で、あれ以上の代物はあるまい。

「速いですね。近づいて来てますよ」

「もっとスピードを上げなくていいのか?」

「どこまで行っても、どうせ追いかけてくる。なら、確実に足を奪うべきだ」

 それに、恐らく向こうもそのつもりだ。真横からグレネードランチャーでも撃ち込まれたら、後々面倒、ここで自分の立場を教えておくべきだ。

「さて、どう来る?」

 時速は既に200キロ近い。ここで事故でも起こせば、双方共にただでは済まない。よって、若干落とさざるえを得ない。けれど、それが向こうは降参したと思ったのか、「スピードを下げて、投降しろ!!お前達は、既に指名手配されている!!繰り返す」とかいう戯言、虚言を振りまいてくる。

「何が指名手配だ。いつから、警察の一存で、そんな真似が出来るようになった。逮捕状でも出されてるなら、俺達が知らない訳がないだろう。本当に素人だな」

 無視を続けた結果、素人の馬鹿どもが発砲をしてきた。確実に大口の拳銃だが、このスピード、あの腕では当たる訳がない。しかも、まるで向こうでの連携が取れていない。左右に揺られ過ぎて、手元が狂っている。

「向こうの手は終わったか?なら、そろそろやるか」

 最後まで向こうの手の内を見るべきだったが、そう悠長にもしていられない。

「何をする気だ?」

「言った通り、向こうの足を奪う。大丈夫、殺さない」

 M66、サイナから買い付け、そしてサイナから受け取った弾丸が既に装填された、対車両用徹甲銃。

「結局、頼る事になったな」

 腕を窓から出し、風を銃越しに感じ取る。既に星は瞬いた。宝石の星、金星のみならず、恒星、惑星、衛星、全てが目となって答えてくれた。

 ――――其処に来る。――――其処にいる。――――其処から先も――――其処へのルートも。今追ってくる車両が取れる道筋、全てを見せてくれた。その中でも、唯一取れる空間、必ず――――此処に来ると――――――見渡せた。

「よく見とけよ、自分が追ったオーダーが何者か、理解する時だ――」

 必ず使ってくる。そう思っていたが、それは正解だった。エンジンを焼き切るつもりで左に並走してきた特務課は、サングラス越しの目で、こちらに大砲のような巨大な銃口を向けてきた。グレネードかフラッシュか知らないが、殺す気らしい。

「誰の隣に来たか、教えてやろう」

 先ほどから下げていたスピードを、一気に解放する。それにより車両に伝わる揺れを、そのまま抵抗せずに伝える。回転が巻き起こった後列の車輪を振り回し、アスファルトで滑らせる。手すりで使った回転と似た動きをワイルドハントで起こす。

「うわ!!」

「きゃあ!!」

 アルマとイネスの声を、直進方向に振り回す。それにより、着弾する筈だった砲弾は外れ、ビルのひとつに突き刺さる。流れていく爆炎を視界の隅にし、右の窓から伸ばして腕を前方、丁度目の前にいるGT-Rに向ける。

「俺を追うには、力不足だ」

 サイナから受け取った弾丸、それは357マグナムを模したピアス。貫通弾。

 火薬の伝わる感触する遅い。粘り強く重い引き金は、退くたびに軽く、癖になっていく。発砲した弾丸は三発。一発目は防弾性のフロントガラスに突き破る。貫通した弾丸は、ガラスをヒビで白く染め上げる。次いで二発目、窓ガラスから若干見えていたハンドルを隠すダッシュボードに風穴を開ける。

 三つ目の弾丸、それは運転手のシートのヘッド、頭の真横に貫通させる。

「終いだ」

 視界から消す為、ハンドルを操作し進行方向に車のバンパーを向け、加速し続ける。ミラーから消えつつある車は、大人しく引き下がってくれる。緊急事態時の為、自動運転機能がついていたのはわかっていた。

「あのカエルに感謝しろ。廃人になっても、お前達後輩を守ってくれたぞ」




「私も出来ますか!?」

「その前に車の免許だ。それにこの車は特別仕様、簡単には買えないぞ」

「むぅ‥‥困りました」

 繁華街に入った時、緊張の糸が切れたイネスが、そんな事を聞いてきた。

「ちょっとだけ夢だったんです。誰かの運転で、どこかに遠くに行くって。それに、ちょっとしたトラブルがあって、ああいった刺激的な運転をするのも」

「そうそうない方がいいぞ。‥‥そうだな、確かにソソギとカレンと一緒に行くなら、イネスが運転を覚えていても、いいかもな」

「はい!!でも‥‥ソソギさんがいるのなら、安心ですね」

 ソソギの名誉の為、言わないが、おれは驚いた事があった。あのソソギがバイクや車のまともに運転が出来ている事に。ソソギの唯一の弱点、それは運転が荒っぽい事。

「アルマはどうだ?」

「私か?自慢にもならないが、実は何度か運転はした事がある。単車も出来るぞ」

「意外、でもないか。そうか、アメリカで暮らしてたなら」

「ああ、あの国は広大で、更にカントリーサイドでは数百キロ進んでも何もないという土地もよくある。どうしたって足が必要なのだ」

 見渡す限り、地平線の先まで高層ビルが建っている日本はやはり異常なのだろう。国土の七割近くを森林が覆っていると言われているが、そもそもの大きさやこれだけ交通機関が整っている日本は、アルマにとって異質に見えているかもしれない。

「あ、あの方々は‥‥」

 イネスが顔を乗り出して、知らせてくる。

「ちゃんと座って、シートベルトを」

「はーい」

 アルマに引き寄せられて大人しく座ってイネスだが、気になるのは変わらない。

「挨拶を」

「いいや、今は出来ない。アイツらの仕事がわからない」

「—――そうでしたね」

 向こうは気付いていないようだが、こちらからは確認できた。丁度、あのホスト気どりの田舎の学生を逮捕した場所だった。パトロールではないらしく、ふたりとその周辺の学生は全員私服、街に溶け込む為の装備をしていた。

「最悪の事態を想定したい。彼らが敵となって迫ってきた場合の対処は」

「‥‥敵は敵だ。排除していい」

 薄情と思われただろうか。

 しかしアルマは一言「了解」と返した後、何も言わないでいてくれた。繁華街を過ぎ去り、開発途中の街に到着。繁華街からほんの数キロしか離れていないがゴーストタウンの雰囲気が漂っている。建築途中を覆い隠す為のビニールカバーが街中に使われ、街全体を隠している。高層ビルに至っては全てが筒抜け。骨だけ残した人体を無理やり立たせているようだった。

「寂しい街だな」

「だけどここは近く、沢山の人が訪れるのでしょう?寂しい。ではなく楽しみな街ですよ」

 車内の重い空気をイネスが消し去ってくれた。アルマと二人、その言に頷いて合流地点である路肩のモーターホームへと辿り着いた。

「降りて先に行っていてくれ」

「わかりました。だけど、あなたは?」

「少し報告する事がある。それに俺がいない方が話せる事もあるだろう。サイナに話かけてやってくれ。きっと話したがってる」

「あ‥‥ふふ、はい。本当に優しい方ですね。アルマも行きましょう」

「ああ、またあとで」

 ふたりが車から降りたのを確認して、ある人物に連絡をする。

「シズク、イノリ、首尾はどうだ?」

 何度かのノイズの後、車のナビを通して声が返ってくる。

「—――やっぱり、まだ何かやってる。だけど向こうも流石だね。なかなか尻尾を掴ませてくれないや。今わかってる事は送った通り。確認してね」

 ナビから収集出来た情報を見せてくれた。想像通りではあった、だからこそ重い空気を声で醸し出してしまう。スクロールしてまとめられた概要に視線を向ける度に、自分の雰囲気が鋭く諦めたような代物へと変わり果てていくのがわかる。

「オーダー本部からの指示か‥‥」

 元からそう言っていたのだから、嘘はついていない。俺が宿泊する部屋やどのルートで地方本部を目指すか等を事細かにレポートとして報告されている。毅然とまとめられた報告書の端々に、授業で習った見本通りのそれに、自分は野生生物のように扱われている。

「そうか。俺を車に誘った理由も」

「因みにだけどイサラにも確認したけど、イサラは無関係。オーダー本部にもイサラへの依頼を命じる文書とかはなかったからね」

「イサラは、俺と親しいって事で外されたんだろうな」

「‥‥私達にも、来なかったって事はそうだよね」

 ヒジリに近しくて油断を誘えて利用する時は利用出来る。更に言えば、今回の危険性を正しく認識出来ていない、事の重大性、俺が受ける被害が理解しきれていない連中。そういった条件の元、選ばれたのアイツらだったのだろう。

「まったく‥‥オーダーらしい‥‥シズク、俺が渡したスマホ、どうだった?」

「‥‥うん、外部から侵入した跡あったよ。一度だけWi-Fiを繋いだんでしょう?多分、その時だね。‥‥で、でもね!!もう大丈夫!!しっかり私が!!」

「ちょっと、変わって―――聞こえるよね?」

 シズクからイノリに、声が変わった。

「言っとくけど、別に説教じゃないから。アイツらはオーダーとして、依頼を全うした。それだけは、わかるでしょう?」

「ああ‥‥」

「‥‥アイツらのした事を擁護する気はないから。同じように批判するつもりもない。だけど、あまりにもアンタを都合よく使い潰そうとしたって事はわかる。知らないって事を、言い訳にしていいレベルは、とっくに越してるって思う」

 目を閉じて、腿に沿ってある杭を撫でる。

「‥‥ごめんなさい。人間ってみんなこうなの。信頼なんて言って、結局は自己責任扱い。切り抜けられなければ、本人の所為、後で泣いたり、嘆いたりするけど、それにはなんの価値もないの。また‥‥泣かしちゃったね」

「‥‥イノリの所為じゃない」

 マイクの向こうで話している筈のイノリが、涙を拭ってくれているように感じる。

「うんん、きっと私の所為でもある。だって、私だもん。ヒジリが使えるって、どんな場面でも生き残って帰る事が出来るって、情報部を通してオーダー本部に報告したの、後‥‥同じオーダー校の生徒を信頼してるって事も―――どう?私だって」

「俺は―――別に謝って欲しい訳じゃない。ただ、ただな‥‥」

「ただ、なに?」

「‥‥少しだけ、怖いだけなんだ。ちょっとだけな」

「‥‥人間が怖い?」

「怖いに決まってるだろう。だって、この星の支配者で、自分以外の種族を散々根絶やしにしてきた生物—―――わかってたんだ、いつかこういう扱いをされるって。それが今回、回ってきただけだ。それに、イノリだって、同じような扱い、されてきた事あるだろう」

 イノリは、高等部に入学する前から、潜入学科としてオーダーに所属してきた。俺だってわかりきってる。こんな売られ方、オーダーであれば、必ず経験する筈だ。

「‥‥ここまで逃げ道も何もない扱い、される訳ないじゃん。言い切ってもいい、ヒジリは、完全にオーダーに売られた。だけど、これでいいの?」

 少し前、それは俺が言った言葉だった。

「良い訳、ないだろう」

「なら、どうするの?」

「‥‥オーダーにいいように使われるのは、もう嫌だ」

「嫌だ、だけでいいの?抵抗しかしないなら、きっとまた利用されるけど?」

 イノリの言いたい事、わかった気がする。言われるまでもない。もう自分の中で既に出た答えだった。

「‥‥オーダーを利用したい。奴らの弱み、何か持ってないか?」






「はい、水分補給を忘れずに」

 ミトリが人数分の水を用意してくれていた。

「助かるよ。少しだけ、派手に逃げてきたんだ」

「はい、聞きましたよ。また危ない事してきたって」

「ちょっとしかしてない」

「時速200キロ近くで、ドリフトをして、バックで並走したあれがか?」

 アルマが、腰の刀剣を鳴らしながら首を振って嘆いてくる。

「‥‥あれはちょっとだ」

「はぁ‥‥オーダーとは、私が思っている以上に危険なようだ」

 新車となったモーターホームに、運転席のサイナ、イネスが座り、ソファーにネガイ、マトイ、ミトリ、アルマが座っていた。アルマとは決して友好的とは言い難かったミトリは、意外と普通にアルマと共に座れている。

「‥‥ふたりは、その」

「大丈夫です、もう話は付けました。それに‥‥明日の敵が、今日の味方って状況はオーダーであれば、特別な関係ではありません‥‥。だから、私は平気です」

「‥‥ああ、傷の具合を診てもらった。ミトリさんは、良い腕だ‥‥」

 言いながら、首元を示すように、襟を見せてくれる。まだまだ溝は埋まっていないようだが、ひとまずは安心して見ていられる。

「あの、あなたは大丈夫ですか?私‥‥」

「大丈夫。怪我はしてないし、上手く特務課は撒いたから」

「それだけじゃなくて、その‥‥ヒジリさん、また‥‥」

「それも大丈夫‥‥とは言わないけど、どうにかする。それより手土産があるんだ。見てくれ」

 先ほど、イノリとシズクから受け取ったデータをミトリにUSBメモリーで渡す。首を捻るミトリに、モーターホームの奥にある聞き取り用のタブレットを渡し、突き刺すように伝える。

「なんですか?」

「ん?オーダー本部にとって不都合な事実。総勢70人を使って、特務課をこの地方本部に引き入れて、法務科所属の俺の情報を渡した証拠」

 そう言った瞬間、マトイがタブレットを奪い、俺を除いた四人でタブレットを見始めた。壮観だった。それぞれタイプは違うが、灰、黒、茶、金といった色とりどりの髪色が一堂に会するとは。

「—―――っ。70名ものプロは、特務課を監視、予想外の動きを見逃さない為‥‥手引きするように見せたのは、その実、まとめて確保する為だったと。そして、餌はこのヒジリ、まだ憶測の域を出ていなかった証拠書類がここにある‥‥これはシズクさんが?」

「察してくれ」

「‥‥ふふ、本当に恐ろしい人脈をお持ちですね―――ネガイ、ここを」

「はい、私も気付きました。オーダー本部もただの無能ではないようですね。あの人形、やはり公安の物でしたか。特務課を正当な手順で捜査する足掛かりにする為に、放置したと」

 オーダー本部は知っていたんだ。俺とネガイを、特務課は人形を使って襲うと、そして破壊する事を予想し、すぐさま回収に来た。それも、用意したプロを使って。

「イミナ部長が、急いで確保したのは、それを想像してたからか」

「‥‥恐らく、マスターも知っていたのかと。あなた達が襲われるのを‥‥ごめんなさい」

「そこは謝らないで大丈夫ですよ。あの人は、呼んで数分で来ました。この事を知って、慌てて来たのかと。ふふ、素直ではないですね」

「‥‥はい、マスターは素直ではないのですよ。ふふ、バレてしまわれましたね」

 呟くように、そう言うが、それに返事は帰って来なかった。

「サイナ、これを」

「は~い♪データ転送ですね♪お任せを!!」

 運転席から跳ねるように飛び出てきたサイナが、タブレットを受け取って車両の奥に持っていく。破壊されたモーターホームとは、別物と豪語したモーターホームには、情報科から買い付けた謎のサーバー機器らしき何かが積んであった。

 それから伸びるコードを、タブレットに突き刺し、瞬時に転送を終える。

「それ、壊れないのか?」

「これは正確には‥‥世の中には聞いてはいけない事もあるんですよ♪‥‥もう、そんな悲しい顔をしてもダメです!!これは戦車や装甲車、場合によっては戦闘機に積む電子機器ですから、そうそう壊れません。ねぇ、だから泣かないで‥‥」

 サイナに内緒に、ハブられたと感じてしまった。目元が潤んだ時、サイナが目元を指で撫でて、涙を止めてくれる。

 モーターホームのサーバーにデータを、そしてそこから法務科のサーバーに移動、手元と合わせて、計三つのバックアップを取って、オーダー本部の弱みを分散化する。

「マスター、いかがですか?」

「‥‥全く、私達が正当な手段で、苦労して手を伸ばしていたデータを、こうもあっさり‥‥。まぁ、向こうに遠慮をする必要もありませんが――確かに、受け取りました。シズク、彼女には近々、頭を下げに行く日が来そうですね。そして、あなた達にも」

 声だけで返事をしてくれる。その声には、呆れや情けなさを呪うような色香が混ざっていた。

「私達、法務科の正式構成員では成し得ない情報の収集に、公安や特務課の犯罪検挙の手助け、まだまだ言わなければならない事がありますが、まずは――あなた方に感謝を。これでオーダー本部と特務課の関係を洗い出すように、命令できます」

「そんな命令、俺では‥‥」

「‥‥マトイ、伝えてなかったのですか?」

「私は、てっきりマスターが。ふふ、昨夜は訪れたのにですか?彼の夢に」

「我ら異端捜査部は、改めて名が変わりました。私達は異端捜査局となりました」

 正直言って、あまりピンと来なかった。局とは大臣の事実上のひとつ下、今までいた部から飛び出して、省庁を構成する新たな部署、大臣に直接物申せる立場となった。

「きょ、局長!?ついにそこまで!?ヒジリ様♪どうか私めの仕事を、国家的プロジェクトのひとつと数え、後押しを」

「いいぞ、いくら欲しい?」

「きゃあ♪素敵です~」

 膝の上に飛び乗ってくるサイナを受け止めて、目に手を当てて貰う。

「‥‥局と言いつつ、ついにオーダー省の本筋からも追い出された、文字通りの異端。流れてくる予算の増額など望めません。けれど、この立場はなかなかに役に立つようで、今まで行ってきた派閥争いの攻防から抜け出せると思うと、悪いものでは―――情報は確かに受け取りました。後は、自身の役割に徹しなさい」

 そこで鍵越しの通信は切れてしまった。どうやら、甘い物好きのイミナ局長は、外部からくる胃痛に、悩まされていたようだ。

「そろそろ時間ですね、マトイ」

「ええ、私達はこれから離れます。外の車両、お借りしますね」

「ああ‥‥気をつけて」

 立ち上がった二人は、背を見せて外へと降りていく。

「あの、ふたりとも」

 何か言うべきだと思ってしまい、サイナを降ろして、ふたりの背を追ってしまう。

「えっと‥‥」

「はい」

「どうかしました?」

「—――明日こそ、抜け出そう」

 そう言った瞬間、ふたりに笑われる。そして、ふたりに頬を撫でられる。

「はい、ちゃんと私も誘ってください」

「ネガイに悪い事を教えてしまいましたね。私も参加するから、任せて」

 滑るように、頬から離れた手を追うが、風のように、手から流れて行ってしまった。

「大丈夫ですよ、だってネガイとマトイさんですよ。誰にも負けません」

「はい♪私とは違う、本当の戦闘職ですよ♪」

「‥‥そうだったな。それより、自分の身を気にするべきだな」

 襲撃の時間までに、近辺の掃除をするのがふたりの役割。ふたりを心配するのなら、俺達がキメラを早く仕留めれば、それで済む筈だ。

「ふたりは時間になったら、俺達を置いてこのエリアから離れてくれ」

「は~い♪だけど、いいんですか?さっきはああ言いましたけど、私、結構腕には自信がありますよ♪」

「私だって!!」

「だから、ふたりには外部から見ていて欲しいだ。最悪の時に備えての、第2戦力として。正直言って、キメラって言われてるそれの実力がわからない――そもそも本当にいるのかどうかも」

 あの方は言っていた。ここには多くの欲望が渦巻いていると、であれば、これだって俺や俺に関係する誰かを誘い出す為の罠、餌の可能性だってあり得る。

「ああ、ここまで話がこじれている以上、それについても疑ってかかるべきだ。イネスはどう思う?」

「複雑な戦闘である以上、誰が敵で、誰が味方か、慎重に計るべきかと。ひとつでも見逃せば、それがそのまま致命傷に達する。弱点を補おうにも、私達は、まだまだお互いの事を理解し合えていない訳ですから」

 言いながら、後部座席のソファーに座ってくるイネスは、無表情だった。ヒトガタとしての強み。命令には、本能的に従順となり、ただの人間では届かない性能を持つ身体を支配して、淡々と役割を終える。本気になったイネスは、確実に俺よりも格上だ。

「ですから‥‥もっと!!皆さんとお話したいんです!!まだ、ちょっとだけですが、お時間もありますし!」

「はいは~い♪私もそう思っていた所ですよ~♪つきましては、先ほどのお話、いかがですか?お嬢様~♪」

「勿論‥‥前向きに、考えさせて頂きますね♪」

 その無邪気な、そして、先ほどの話は決してあり得ないという心意を、イネスはサイナのテンションに合わせて、告げてきた。あまりの気前のいいお断りに、サイナは一瞬、顔が固まる。

「で、でも‥‥ふふ、私からの誘いを断るだなんて、許しません!!まだまだお見せしたい商品があるのですよ!!こちらを見てから、答えを下さいね!!」

 イネスを連れて、車両の奥、サーバーや見本の銃器が用意してある場所へと連れていく。維持になっているのが、見て取れる。

「彼女は、なんの科なんだ?」

「サイナさんですか?調達科ですよ、ただ最近は装備にも顔を出しているようで、マルチと呼ばれる事実上の複合な所属です」

「‥‥なるほど、確か同時に所属、別の科にも所属できるのだったな」

 ミトリとアルマが自然と話している光景が続くが、ミトリはまだ警戒と解いていない。自身のスカートをなぞるように、触れている。

 アルマにそれを視線で伝えるが、目を閉じて首を振る。わかっていて好きにさせている。無論、このやり取りにミトリも気付いているが、変わらずアルマと話し続けた。




「時間か‥‥」

 アルマがそう呟き、昨晩と同じように三人で背中合わせとなる。

「十字路、というお話は本当だったのですね」

「流石にここまで来て、嘘はつかないだろう。俺達を始末したいなら、話は別だが」

「望む所だ。私も、この得物を存分に振える場を、求めていた所さ」

 アルマとイネスは、それぞれの刃に手をかけている。だが、当のイネスをトンファーのような杖で、アスファルトを突き、楽しげに微笑んでいた。

「懐かしいですね。私―――この杖を取る時は、いつもあなたの隣ですね」

「‥‥そうか、あの時か。だけど、今はちゃんと見えるぞ。しっかり、イネスが見える」

「まぁ‥‥ふふ、嬉しい。もっと私を見て下さいね」

 病院で襲撃された時と同じ構図だった。だけど、あの時は杖を使う機会はなかった、今度こそイネスの本気見えるかもしれない――そう思うと、怖い物はなかった。

「—――いるな‥‥あのビルだ」

 自身の内部、いつか高層ビルに届く筈の骨組みばかりの痩身。乱立する背骨を隠すシートが、遥か彼方であう上空から、その身を風の音で知らせてくる。

「見えるのか?」

「ああ‥‥だけど、あれがキメラで間違いないのか?」

 ただの視力のみで確認できてしまったその姿は、イメージ通りのキメラだった。ビルの最上階、ひとつ下にいるそれは、巨大な四肢を持ち、鉄骨やコンクリートを握りしめながら、月を見上げていた。

「‥‥狼‥‥あれは、銀か?」

「銀の狼?‥‥少なくとも、ただの狼ではない。それがキメラの可能性、筆頭と言えるだろう。だが、襲って来ないのか?」

「‥‥ああ」

 その狼は、ずっと月を見上げているのみ。壁がない灰色のビルから、銀の狼が姿を見せている光景は、どこか自然を感じさせた。灰色のコンクリートの森があるとすれば、確かにあのような狼がいるかもしれない。

「‥‥イミナさん。キメラと思わしき銀の狼を確認しました――イミナさん?」

「—――問題ありません。手間取っただけです。それは―――」

「来るぞっ!!」

 アルマがそう叫んだ時、確かに狼が飛んだ。乗っていたビルから向かいにあるビルの壁に、銀の爪を使い、火花を上げながら滑り落ちてくる。それを数度続けて、低層ビルの屋上へと到達、煙と火花を上げながら、こちらに迫ってくる。

「話してる時間はなさそうだ。あれが、キメラですね?」

「話を聞きなさい、それは―――待って!!その子は、違うっ!!」

「違う‥‥?」

 イミナさんから、声の主がマヤカさんへと切り替わった。その事実には、さほど驚かなかったが、あれがキメラではない、と言われた事には、理解が追い付かなかった。

「敵、ではないのですか‥‥?」

 今もこちらへと迫ってくる狼の眼光は、無機物的だった。だが、瞳のレンズに映っている姿は、紛れもなく俺達三人だった。

「‥‥だけど、あれは、俺達を見てる」

「お願い!!確かに、その子はゴーレム、キメラとも言えるかもしれない。だけど、マーナには役目があるの!!マーナは、私の命令に従ってるだけ!!」

「—―それは、俺達を襲えって命令じゃないのか?」

「違うっ!!」

「どうする!?時間がないぞ!!」

 アルマが先頭に出て刀剣を向ける。それと同時にアルマの夢が始まる。ちらつく電灯と消える月、そして夜空がわずかに赤く染まる。

「あの重量で、棒立ちなどしてみろ!!それだけで、こちらは壊滅するぞ!!」

 アルマが連続する現実を知らせてくる。アルマの言葉に、嘘はない。俺自身も見えている、あの狼の重さは、恐らく見た通りだ。全長は恐らく3mに達する。そんな巨体を、巨大な四肢を使ってこちらに迫ってきている。後200mも無い。

「‥‥あなたは、まず最初に俺達を襲った」

「そう‥‥私は、あなた達を試した」

 狼がアスファルトに降りて、火花を散らせながら迫ってくる。銀の毛皮などではない、あれは銀の鱗、そして上顎から飛び出ている牙は、人間の頭蓋にも匹敵する大きさ。それを何百キロにもなる顎の力で振り回されれば、こちらは楽に引き裂かれる。

「だけど、あれには訳があるの!!私は、あなた達を‥‥同じヒトガタを――」

「—――あなたは、俺を疑った。信頼には信頼を、俺、間違ってませんね」

「イネス!!私達で止めるぞ!!足でも、切り落とせば、あるいは!!」

「いいえ、あの姿は恐らく――異端の技術。私達の刃では、出来て目を潰す程度」

 前へ出た二人の首筋に汗がつたる。月は消えた、けれど、ふたつの星はまだこちらにまなざしを向けてくれている。マヤカさん、俺達を疑ったから襲った。あの狼は、そんなマヤカさんの配下—―であるならば、俺が取るべき選択は決まっている。

「‥‥あなたは、俺達を―――信じたかった。ふたりとも、あの狼は無視していい」

 ふたりをかき分けるように、前に出る。迫りくる狼の身体を、ちらつく灯りが照らす。牙を持つその姿は、到底、人類と分かり合う事など不可能だとわかる。けれど――。

「あの狼は、俺達の同胞だ」

 真後ろにいるアルマの叫び声が聞こえる。

 嵐のように吹き付ける狼の圧が、眼前、ほんの数mまで迫った。生物としての本能である恐怖を擽る尋常の獣は必殺の距離で、必殺の一撃を―――頭上を飛び越しながら使用した。

「やはり―――見えていたのは、あなたもでしたか」

 イネスの言葉に無言で肯定する。俺達の頭上を通過した狼は、ただの一息で、こちらから30m以上も距離を造り自分の質量以上の音を立って、ふたたびアスファルトに到着した。

「アルマ!!後ろだ――構えろ!!」

 言い切る前に、狼の顎から脱した黒のオートマタが、幾つものテクスチャーを貼り付けたような姿をした人形が腕を刃に変えて、アルマの首に腕を一閃—―けれど、夢の中にいるアルマに敵はいなかった。

「こいつか!!」

 オートマタの刃が首に達する寸前を確かに見届けた筈だった。アルマの夢に踏み込んだ腕の刃は時計でも巻き戻すように、アルマの回転した片刃の刀剣に切り上げられる。

 そして態勢を崩したオートマタへと、回転で威力を高めた蹴りを、分厚いブーツを通して叩きつける。

「甘い!!」

 黒のオートマタは蹴りを受けて、アスファルトに腕を突き入れて受ける衝撃から逃れる。

 身体を抑える事にこそ成功するが、それでも尚建築途中のビルへと引き込まれ煙を上げて資材へと弾き込まれる。

「あれが‥‥キメラか。異端のゴーレムにして、我ら、流星の使徒の技術を奪い、造られた人形――この機会に感謝しよう」

 マインゴーシュと片刃の刀剣を手にしたアルマは、夜空の暗闇から生まれたかのような漆黒に身を包み、人外という人間以上の性能を持つ怪物を狩る、使徒としての後ろ姿を見せてくれる。けれど―――。

「アルマさん、私もいますよ?」

「無論だ。私も、ひとりであれが狩れると思っている程、自惚れていない」

「はい!!」

 白一色の帯をいくつも見に付けたイネスが、自身と同じ白一色の杖を持ち上げて、資材から起き上がってこちらを見つめてくるオートマタへ目を向ける。

 最終確認の時が訪れた。今度こそ逃がさない、今度こそ仕留めるべき獲物だと断ずる為に鍵に手を伸ばし問い掛ける。

「確認です。あれが?」

「はい、あれこそがキメラ、我ら魔に連なる者だけの歴史では到底届かない、まさしく異端の人形。言っておきます、破壊しかないと思ったのなら、迷わず使いなさい」

「‥‥了解。ネガイとマトイを、お願いします」

「言われなくても」

 首から下げている鍵を揺らし、黒のオートマタに近づき、見通す。

「—――首だ」

 うなじのテクスチャー、継ぎ接ぎだらけの黒のオートマタの文字が、確かに見えた。

「では、落とすしかないか――――君の刃ならば可能だと聞いた。できるか?」

「ああ、やれる。だけど――――あれぐらいなら。確保できるんじゃないか?」

「‥‥ふふ、流石ですね」

 その声に、どこか懐かしさを感じた。

「相変わらずだな、君は。ああ、その通りさ、私もむやみにゴーレムを、しかもキメラを破壊する訳にはいかないと思っていた。‥‥これは、内密に。人間の形をしたゴーレムの文字、一番最初の文字を抉れ。それだけで動きは止まる」

 その言葉に、少し驚いた。アルマは、あのイミナさんの人形の弱点を教えた事になる。

「理由はこの場では言えない。だが、それだけでいい筈だ。特に――――私達の技術を使っているのならっ!!」

 常人では、影にしか見えなかっただろう。黒のオートマタは、突っ込んだガラス壁を踏み、ヒビが入る前に、こちらに迫ってきた。アルマとイネスは、駆け抜けてくるオートマタを無視して、道を開ける。

「美しい――」

 勢いを消す訳にはいかないと思ったのか、オートマタは二人の後ろ、俺に自身の腕を使い、俺を叩き斬ろうとしてきた。だから、弓を剣のままにし、切っ先で受け止める。

「いい音だ」

 漆黒の刃は、マトイを彷彿とさせた。暗闇に隠れた断頭剣は、寸分違わずこちらの首に突き入れてきた。容赦のないオートマタは、俺の致命傷を求めて、俺の欲しい箇所、剣の切っ先を狙った。想像通りの動きをしたオートマタは、こちらの剣と腕で、金属製の打楽器を奏でくれる。

「大人しくしろよ」

 弓剣を引き、態勢を崩し、俺の胸辺りにオートマタの頭が届くように移動させる。そのまま、左手で持っていた脇差しで、オートマタの首を抱える。丁度うなじの辺りに脇差しの腹を当てる。手応えはあった、けれど、刃が完全に文字を刻む前に、ゴーレムがアスファルトに、倒れ込み、刃のままの腕で膝から下を切り落とそうとしてくる。

「遅いですよ」

 刃が俺に届く前、イネスが杖で腕をアスファルトに叩きつけて、オートマタの破片を散らばせる。だが、それを見越していたように、オートマタは弾かれるように、離れる。

「いい動きですね」

 やはり、何事もなかったかのようなイネスは、幾つもの伸びている帯はそのままに、ゆっくりとオートマタに近づく。

「だけど、私のヒジリさんに刃を振り下ろした事は、いただけません。イネス、オーダーとしての仕事を―――」

 黒のオートマタが影であるのなら、イネスは光だった。一瞬だけ、杖が灯りで照らされたと思った時には、既にオートマタの真後ろ、側頭部に杖の中間を当てていた。

「始めましょう」



「ふふっ」

 イネスの姿は、ただただ優雅だった。

「マヤカ様の変装は正しかったのですね。いい演習となりました」

 左腕の杖を、自身の身体の一部のように操っている。大理石の外装を持った柱に膝をつき、列車でのネガイのように迫ってくるオートマタを、イネスは首を振るだけ、首に刃が達する寸前で避けて、何もない顔に笑顔を向ける。

「確かに、あの方とは相性が合わない。私達が選ばれた理由、わかった気がします」

 イネスの背後に着地した瞬間、まだただの腕だった自身の杖を、巨大な刃、鎌のような物に変える。オートマタは、振り返らずに鎌の切っ先を使い、イネスの首を掻っ切ろうとした。

「ごめんなさい。私、こういった嗜み、よく経験しているんですよ」

 分厚い刃は、ただ全力で振るだけで首のひとつ、楽々と消し飛ばせるだろう。けれど、当のイネスは、先ほどの笑顔の片りんを一切見せない、ただ慈愛に満ちた顔で、切っ先を指だけで受け止めていた。

「あなたの憎しみ、血を使わずともわかっているつもりです。だって、あなたも私と同じ、ただ人間に振り回された被害者―――求められるままに振る舞ったのに」

 次のイネスの言葉が紡がれる前に、オートマタが動いた。鎌を自身の腕に戻し、形を変える。オートマタを背後から見れば、その姿に膝をついたかもしれない。

 黒い翼を広げたような姿となった。自身の両腕をそれぞれ短い刃、長い身の丈程の刃に変えて、自身を包むように腕で携える。だが、それがあと数舜後に迫る、首を狙ってくるイネスは、背を向けたまま、首だけで振り返る。

「だけど、今のあなたはただの獣。怒りをぶつけるべきは、私達でもましてや、この街の人間達でもない」

 黒い刃、重なるギロチンが火花を上げながら、イネスの白い喉に迫る。

「血が欲しい?だけど、あなたは見落としてはいませんか?血だけでは、足りないと」

 ヒトガタの杖、本来の使い方をこうであったのかと、俺達が見様見真似で振り回しただけでは、決して届かない。まさしく、それは腕—―射撃にも似た型だった。

 杖のストッピングパワーを使い、イネスは3連打をただの一瞬としかい言えない時間で放った。初撃を巨大な刃に用いる事で、オートマタのバランスを崩させる。重みこそ変わらないが、その質量に自身の体重にすら匹敵する突きを受けた事で、確実にギロチンに歪みが発生する。

 二撃目で、イネスは短い刃の根元、手首を狙う。寸分違わぬ正確な杖を受けた事で、一直線だったオートマタの刃は、手首の折れが伝わり床の大理石に切っ先が触れてしまい、火花を起こす。

 三撃目—―首を抉る一撃を受けたオートマタは、弾き飛ばされる。後を引く黒い残骸。オートマタの血肉とでも言うべき破片と集めた血らしきものが、大理石にぶちまけられる。

「ごめんなさい」

 月光を受け、宙に舞った血を撫でるように、手を伸ばすイネスは――美しかった。

 だけど、まだ文字に傷はついていないから、オートマタは大理石に背が届いた瞬間、跳ね上がる。

「‥‥便利なものだ」

 アルマの呟きは、首を自動的に修復するオートマタに向けられた物だった。

「あの鎌、総帥か?」

「‥‥ああ、恐らく―――総帥の鎌を模した物だ。イネス、私も」

「はい。もう十分」

 イネスの動いた時間は精々が2分程度、ただ目で追うだけで、イネスとの絶対的な壁を感じさせた。

「あの人形は、やはりアルマさんの?」

「間違いなく。我らの技術だ‥‥だが、それだけではないようだ」

 片刃の銃剣を持ち上げたアルマは、銃口を向けながらイネスの袂へと近づく。

「中身がある。本来、あの姿は余程の事、我らが完全に滅ばない限り、見せない兵器としての在り方だ。恐らく、器として求めたのだろうが」

 イネスからアルマへと狙いを変えた。重ねた二刀を全力を以って薙ぎ払う為、アルマの胴すれすれ、中身を晒させる為に艶めかしい腕を使い、片足を前に出し、滑るように迫った。

「我が同胞よ。きっと、望んで造られた訳ではないだろう」

 黒の装具を翻し、オートマタを受け入れる、受けて立つよう銃剣を手にしたアルマも、滑る、鏡移しのように駆け抜けた。

「だが、我らが狩るべきはただの人間ではない」

 一直線の容赦など持ち合わせていない無機的な一撃と、柔軟な、オートマタの間合いを知り尽くした同胞としての一撃、比べるまでもなかった。

「やはりか」

 アルマが下段からすく上げるように放った一撃は、オートマタの手首を切り落とし、血のようなオイルを吹き出させる。

「なにかを、宿らせられたか」

 オートマタの背後で、回転したアルマは銃口を向ける。狙いはうなじ。

「今は眠れ」

 アルマが発射した銃弾は、確実にオートマタの首を捉えた。だが、一瞬のうちに呼び出した長い毛髪の形を模した身体の一部を使い、弾丸を防いだ。

「‥‥そうだったな。元々、そのような姿ではなかった。あなたはもっと、美しかった」

 防がれた弾丸を見届けたアルマは、銃口を上に向けて離れる。

 毛髪が伸びた所為か、その姿は急激に女性らしく、凹凸のある艶めかしい体付きとなっていく。

「変化の隙、見切れたか?」

「‥‥問題なく、見えた。次は見逃さない」

 毛髪が絡み合い、弾丸を受け止める為の編まれていく防壁が見えた。

「無理はするな、君は」

「わかってる。それに、無理をする必要はない。ふたりがいるから」

 オートマタと同じような姿。黒の潜入服に、二刀一対の刃。

「お前は、きっと破壊すべきなんだ」

 こちらから踏み込む。手首を落とされたオートマタは、足元の手首を踏みつける。それだけで落ちた肉体が溶けて、蒸発するように消えていく。そして、消えた筈の身体が、再生、元からあった場所に戻っていく。

「‥‥魔に連なる者の術。その身体、やっぱりゴーレムか」

「—――――」

 話す訳がない。そもそも相互理解など不要だった。向こうは、それをよくわかっている。今だって、治った腕を確かめるように、腕から刃へ、刃から腕へと変化を繰り返している。

「だけど、それはしたくない―――お前と、俺は、同じだから」

 先ほどから、音速を超える足さばきを使い、滑るように迫ってきたいたオートマタは、腕の刃を槍のような長さに変えて、振り下ろしてきた。

「捨てられるのは、つらいな‥‥。同じ位、逃げ出すのも、つらかったな」

 振り下ろされた腕の一か所、薄い、脆い、骨と骨の間、関節のような部分を脇差しで突き刺す。頭に届く前に切り裂かれた上腕は、入り込んだビルの出口の窓に、吹き飛び、突き刺さる。

「ゴーレムとヒトガタは違うって、わかってる。だけど、求められるままに無理やり生まれた者の苦しさ、俺は、知ってるんだ。自分の性能以上の結果を求められて、それが叶わなくなった時、人間は捨てるか、放置する」

 伸びた腕をすぐさま戻し、残った腕を使い、今度こそ滑るように迫ってくるオートマタと、弓剣で受け止める。軽い一撃だった。腕一本消える、自身の血の多くを失っただけで、ここまで軽くなるのかと。

「だから、俺は人間が嫌いだ。自分の至らなさを、自分で作り出した創造物の責任にする。自己責任なんて言葉で捨て去るなら、そもそも生まなければ良かったのに」

 受け止められた時の衝撃を使い、オートマタは宙で後転した。起き上がるまでに、腕の振るい、目元を狙ってきた。そう動くのは、見えていた。

 そう動くしか、選択肢が無かったのだから。

「遅い」

 目元に届くまでに、脇差しを番えて、髪が重力に従う前にうなじへと放つ。首を捻りはしたが、一条の光は確実に、オートマタの文字を傷つけた。

 オートマタは、それにより、自身の身体を操れなくなり、大理石に倒れながら落ちる。

「俺には、なぜお前が人間を襲ったのか、わからない。血が欲しかっただけじゃないんだ―――とても大切な理由が、お前だけのルールがあったんだ」

 倒れたオートマタを持ち上げて、頭を抱える。

「悔しいし、納得できない。なんで、自分がこんなに傷つけられないといけないんだ。なんで、逃げては、帰ってはいけないんだ。恨みを晴らしてはいけないんだ。皆同じ、人間なんだから、目の前にいる人間に、同じように刃を振るってもいい」

 動かなくなってきたオートマタは、手を伸ばしてくる。それは首を絞める為か、頬を撫でる為か。俺にはわからない。このオートマタには、命は宿っているのだから。

「だけど、だけどな。きっとそれは許されない――この世界は人間の為の世界だ。人外が住むには、人間の許しが必要だから」



「疲れたか?」

「ああ、少しだけ。アルマはどうだ?」

「‥‥そうだな。オーダーとは、こうも疲れるのだな」

 動かなくなったオートマタを乗せた車両が、去っていった。

「君は‥‥君は平気なのか?オーダーの名の下、多くを破壊、人間の不始末を処理してきたのだろう。私達のような、愚か者にも慈悲深い君は、つらくないのか?」

「‥‥つらいんだと思う。だけど、同じくらいわからない。ずっと考えてた。わからないんだ――多分、そうあれかしと生まれたからだ。人に望まれるままに、生まれたから」

「‥‥そうか。また後で会おう」 

 イネスが待っている十字路へと戻ってきた時、アルマが振り返りながら、言ってくれた。

「私達は、ここで車を待つ。君は、行ってくれ」

「はい、お任せください」

「‥‥行ってくるよ。ありがとう」

 塀に飛び乗り、次に街灯に飛び移る。次にまだ背の低いビルの屋上へと跳び、着地する。

「‥‥そこか」

 ネガイとマトイが待っている地点。既に始まっているのは、わかっていた。

「サイナ、聞こえるか?」

「は~い♪イネスさんとアルマさんは、お任せくださいね♪」

 通信はそのままに、跳ね続ける。金星と宝石の星、それらふたつが教えてくれる。見せてくれる。何もかも、事の始まりから現在までを。だから、俺は過去にしに行く。

「‥‥多い。だけど、総帥の人形程じゃない」

 白いというよりも、灰色のそれらはネガイとマトイを取り囲み、襲撃を続けていいた。質より量という、現代戦において、なによりも確かな結果を望める布陣は、確かにふたりを追い詰めていた。そして、後一歩という部分にまで達していた。

 けれど、それが長く、いつまでも、永遠と続いていた。

「上手いやり方だ。あともう少しで勝てる状態を続けてたのか。にしても操られてる事に、まだ気づかないなんて。人形使いとして、三流だ」

 足で駆け上がれる中で、一番高い拠点、先ほどの狼が月を見上げていた地点へと辿り着いた。

「‥‥これは狙撃じゃない」 

 月へと弓を番える。

「誰も逃がさない。俺を見ておいて、ただで済むと思うなよ」

 マトイとネガイは、自身の武具を用いて、人形と遊んでいた。遊ぶから本気への変更地点。それはこちらが、あの黒いオートマタを確保した時。そして、弓を番えた時。

「俺は、お前達の望むままに、何もかもを見届けよう。そして、望まれるままに届けよう。化け物から逃げられると思うか―――誰も逃がさない」




  

 髪状にした布で人形の手足に巻き付ける。身動きが出来なくなった人形を引き寄せて、鎌で迎え撃つ。流星の使徒が作り出した獲物は、当てるだけで、胴体を切り落としてくれる。

「何分経ちました?」

「そうですね。5分ぐらいですか、予定通りならそろそろかと。疲れた?」

「少し汗ばんで来ました、早く戻って浴場に行きたいです」

「同感です」

 ネガイのレイピアが、首を射抜き続ける。底知れない数の人形が、ネガイに鎖を放ち続けるが、ひと撫ですら出来ない。月へと跳ね続けるネガイは、魔物狩りの弾丸を惜しみもなく使い続けて、鎖の使い手、人形達の頭や首、胸に風穴を開ける。

「マトイはどうですか?」

「少し疲れてしまったかも、これではあの人との夜、楽しめないかも」

「残念です‥‥」

 ちょっとした冗談だというのに、ネガイが本当に残念そうにつぶやいた。

「ふふ、ごめんなさい。大丈夫、今晩も沢山遊びましょう」

「初めてマトイを騙せました」

「騙されました」

 そんなやり取りが出来る程には、暇だった。だって、先ほどから人形達は鎖や刃こそ使ってくるが、動きが単調、真っ直ぐか直線、時たま蛇のように鎖をくねらせてくるが、布で引きちぎれる程度の強靭性しかない。

「あの人は無事でしょうか」

「心配?」

「—――あの人は、心が強い訳ではないので」

「‥‥そうね」

 あの人は、既に死んでいる。私達が殺したから。元々、人間離れした思考を持っていたが、戻ってきたあの人は、それすら飛び越えていた。絵に描いたような人外、人形だった。破綻した復讐心、歪な愛、度を越した恐怖心。欠片も残っていない欲望。

 きっと、あの人は私達が殴れば、喜んで受け入れて、殴れと言えば、殴ってしまう。求めるままに振る舞うヒトガタである彼は、私達自身の欲望を叶えて移す鏡。

「あの人には、欲望の形を与え続けなければ、壊れて‥‥いいえ、もう壊れていましたね」

「‥‥ええ、あの人を壊したのは、私達。ヒビを入れたのは人間世界であったとしても、粉々に、跡かたもなく消し去ったのは私達。忘れていません」

 布で鎌を掴み、有効範囲を伸ばして、人形を切り裂き続ける。糸が切れたように倒れ伏していく人形が、あの人のように感じる。血塗れな手から力が消え去ったのを覚えている。

 糸を切る。ハサミでマリオネットを切り落とす。壊れた人形を捨てる。何もかもがあの時の繰り返し、罪滅ぼしのようだった。私はまた、屍を積み上げている。

「ん?はい、了解。マトイ、来るそうです」

「ふふ」

「マトイ?」

「いいえ、あの人はいつも来てくれる。いつだって、私達を見てくれてるのね」

 私もネガイも、動きを止める。諦めたと思ったのか、人形達はゆっくりと陣形を作り直し、改めて鎖の音を出していく。

「そうだ、聞きましたか?この後」

「はい、勿論です。マスターからも参加せよと言われています。言われずとも、無理にでも参加していましたが。抜け出すのは、明日です。明後日には帰宅です」

 様子見なのか、鎖の一本が迫ってくる。先端に返し付きの刃が取り付けられている。あれで腹部や胸に突き刺して、無理やり地面に引きずり下ろすつもりなのだろう。

 見覚えがある。当然だった、だって昔、私は──――。

「残念でした」

 迫りくる鎖の中間、鎖のひとつに矢が突き刺さる。動きを止められた鎖は地に落ちた。

 完全なる無音。矢が突然現れ、空を見上げた人形の頭に突き刺さり、頭を抉っていく。

「相変わらずの良い目。本当にずっと私を見てくれているのね」




「ありがとよ」

 新たな矢を続々と運んでくれる狼に礼を言ってみる。口元が裂けている理由は、無理に黒のオートマタを噛んで止めたから。暴走を食い止めた1番の功労者と呼べるだろう。

「よく頑張ってくれたな」

 入射角と自由落下を目に叩き込む。それだけで、誰に、どこへ向かって、どのように撃てば命中するのか、教えてくれる。この目は望む現実を、示してくれる。この地域一帯を俯瞰して見ているようだった。星からの観測者である化け物からは、誰も逃げられない。

「マトイにナイフを投げておいて、俺から逃げる気か?許さない――コロス」

 前線に30、第二波として待っていた20、50はいた数は、既に半減以下となっていた。動けばネガイとマトイに、破壊され、止まれば俺が射貫く。向かえば二人に、背中を見せて逃げれば俺が。どう足掻いても、破壊は免れない。

「—――破壊する‥‥間違ってないんだ」

 意思を固めれば固める程に目が叶えてくれる。

 肩が破壊され反撃が出来なくなった人形が、ネガイに頭蓋を貫かれ引き金を引かれる。

 はじけ飛ぶ頭部が、鮮やかに正確に見える。

「あれもゴーレムの一種の筈‥‥俺も、何か違えばああなってた」

 ゴーレムにも意思がある。だって俺にあるのだから、武器型のゴーレム、ただの人形としか見えないゴーレムにもあるのかもしれない。

「命令されるままに動いて術者の混乱をそのまま受け取る。俺とお前達の何が違う」

 ふくらはぎを射抜き、アスファルトに倒れ込ませる。

 その隙を見逃さないマトイが、鎌をすくい上げるように扱い首を奪い取っていく。

「間違ってない。アイツらは敵なんだ。ネガイとマトイを襲ってる‥‥人間が人形を壊す権利があるのなら、人形自身が人形を破壊する権利だって、ある――あるんだ」

「わふっ‥‥」

「‥‥お前も、ゴーレムだったな」

 ひとしきり輸送を終えた銀狼が小さく鳴いた。頑丈なカーボン製の矢弾は極めて高い殺傷能力を強力な武器。それは同胞たる人形を破壊するのに、十分過ぎる弾丸だった。

「‥‥お前は迷わなかった。見た目通り、お前は誇り高い――俺とは大違いだな」

 矢を番える前に軽く撫でてみる。神経があるのかどうかわからない、だけど銀の狼は手を求めるように、目をつぶって大人しく鼻を向けてくれる。

「本当に――お前はかっこいいよ。武器を向けてきた相手を、こうして救ってくれる」

「気に入られたみたい、ですね‥‥」

「慣れないなら、ため口でいいぞ。俺も、そうするから」

「‥‥マヤカの言う通り、お前の方が大人か‥‥」

 向こうの戦闘服なのか、白の肩掛け、マントを身に着けた人外がすぐ後ろに来ていた。

「そいつの名前はマーナ。何も言わないけど、意思があるんだ。わかるか?」

「わかるよ。‥‥マーナと俺は、同じだから」

「‥‥そうか。手伝おうか?」

「大丈夫、これは俺がやらないといけない。それに、もうそっちは一仕事終えたんだろう」

 錫杖のような杖を手にした少年は、少しだけ迷ったが監視に徹したようだった。

「外部監査科として、俺に用か?」

「お前を無力化できるのは、俺ぐらいだから――聞かせてもらった、お前は」

「同情するなよ、これは俺の責任だ。選択肢なんて無かったけど、騙されたのも、利用されたのも、俺の不手際。‥‥お前が人外で良かったよ」

 あと数える程度になってきた人形が、散り散りに逃げて行くが、誰も逃がさない。そう決めた。化け物に手を出しておいて、逃げられると思っているのか。

「考えが甘いんだよ。お前が襲った相手が、誰か、知る時だ」

 ビルの屋上。街灯。空中。一切の情けも与えない。誰も逃がさない。人間が求めた化け物は、化け物らしく振る舞う。誰も許さず、誰にも慈悲を与えない。

「さっき、人外で良かったって言ったよな?なんでだ?」

 あらかた撃ち落とし、仕事が終わった所で、そんな事を聞いてきた。

「決まってるだろう。もし人間が監視するなんて、ほざいたら、殺してた」




「いい店だ」

「はい、すき焼きですか―――久しぶりかもしれません」

「覚えていますか?前に言った店舗の姉妹店です」

 仕事終わり、サイナの車両で指定された店の前に行った所、確かに過去に一度だけ訪れた店に酷似した暖簾が下がっていた。

「お店の前に、ふたりは診察です!!」

 我らの衛生優等生であるミトリは、ネガイとマトイを連れて、モーターホームに戻っていく。ふたりとも一見すれば傷など負っていなさそうだが、ミトリは許さなかった。

「ミトリ、私達は怪我なんて」

「そう言って、あの人も怪我を隠していました!!私の前で流血の放置なんて、許しません!!」

 有無も言わさぬミトリの圧力に、ふたりとも苦笑いと共にモーターホームに、引きずられていった。

「彼女には感謝しなければ、私達の身体も診てくれた」

「怪我、したのか‥‥」

「いいや、ちょっとした疲労だ。すぐに水を用意して、横にしてくれた。日本の夏は厳しいな」

「これからまだまだ厳しくなりますよ。アルマも慣れないと」

「‥‥善処しよう」

 やはり、俺がいない間に相当仲良くなったのか、イネスがアルマを呼び捨てになっていた。そして、背の高いアルマの腕を引いて、イネスは店に駆けていく。

「お疲れ様でした。店に入りましょう」

「ふたりを」

「あのふたりは、あなたではないのです。そこまで面倒を見る必要はありません」

「‥‥すみません」

「まったく、手のかかる。さぁ、行きますよ」

 制服姿のイミナ局長に、連れられて店に入る。一歩入っただけで、玄関の石畳に足を乗せただけでわかった。人外の気配ばかりだった。しかも、俺が知らないのもいる。

「‥‥オーダーって、人外を揃えたいんですか?」

「人間以上の性能を持つのですから、人外、非人間族を求めるのは、どこの組織でも変わりません。言っておきますが、あなたに、また多くの組織から経歴開示の要求が届いています。どうしますか?」

「鉛玉でも送って下さい」

「結構。そうしておきます」

 靴を脱いだ瞬間、また腕を抱きしめられて、廊下を歩き続ける。どこかへと案内するつもりらしく、「どこに行くのですか?」と聞いても、答えてくれない。

「イミナさん‥‥何か言って下さい。怖いです‥‥」

「はあぁぁぁぁ‥‥まったく、仕方ない。あなたには、まだ仕事がある。以上」

 ふすまばかりの廊下を歩き続け、頭が混乱してきた。行き止まりは見えているのに、一向に廊下の果てにたどり着かない。それどころか、足を動かしている感覚すら消えていく。夢に入った。

「ようやく成りましたか。相変わらず、手のかかる。本当に、あなたには私がいないと」

「イミナ、見せつけるのなら時と場合を選びたまえ、私の弟子すら呆れているぞ」

「これは私達の日常です」

 成った、の意味がわからぬ間にふすまのひとつに連れ込まれる。揺れる頭の前に、巨大な鍋、すき焼きの香りがしてくるが、意識が朦朧として夢から抜け出せない。

「これを」

 自分に差し出されたと思わしき、小瓶を奪う様に部長が手に取った。毒の可能性も、朦朧する頭の中で想像していたが────イミナ部長の横顔は鋭く、険しかった。

「確認などしなくてもいいぞ。毒見が必要なら、私が」

「この人の身体は、私の物。私が確認します」

 受け取った瓶の中身を舌で毒味をし、口に含んだ分から口移しで飲まされる。躊躇なく行われる親鳥から小鳥への餌付けにも通じる行為が、暖かくて心地良かった。

「‥‥っ!!!」

「何を驚いている、君も何度かしているだろう?」

「た、他人のを見るのは、その‥‥」

「初心なことだ。それでは、リヒトに―――」

「静かに、平気ですか?」

 揺れる頭をが胸に抱かれる。言葉こそ上手く操れなかったが、意識ばかりは取り戻せていく。声よりも動く腕を用いて背中を強く抱き締めた途端、更にふたり分の声が聞こえた。

「怯まないように、まだ続けますから」

 残りの液体を少量に分けて飲まされる。飲み切れず口から零れた液体は、年上の恋人のYシャツによって受け止められ、口元を舐め取られる。それが数度も続いた事で─────ようやく、この液体の正体に見当が付く。その証拠に、今自分は確かに思考出来ている。

「酔い覚まし」

「—―すごい、こんなに早く」

 頭を振って最後の酔いを冷ます。目の前に鎮座していたのは、煮え切れずとも後少しで食べ頃のすき焼き。そして、いつの間にか座っていた掘り炬燵の対岸にいる三人の人外達。

「—――なるほど、人類が創造した最高峰の肉体か。意識はどうかな?」

「ここまで酔ったのは、久しぶりかもしれません」

「すまない。不愉快だったか?」

「‥‥いいえ、まるで物足りない。もっと酔わしてくれても、良かったのに」

 悪くない感覚だった。名残り惜しいと、唇に残った液体を舌で舐め取り、薬特有の甘味を楽しむ。素面の時よりもイミナ先輩の身体を色濃く感じられた気がする。欲を言うのなら、口移しの液体が薬ではなく酒であったなら、どれほど良かったか。

 もう二度三度、やりたい。

「な、なに‥‥聞いてたよりも――」

「欲望に忠実。────しかも、その容姿でその仕草とは。生物の多くを魅了したというのも、紛れもなく事実のようだ。目を合わさないように。簡単に引き込まれるぞ」

「‥‥ここまで強い魅了のギアス。見たことない」

「お、クラーク・スミス、知ってるのか?」

「なに?話しかけないでくれる?あんた―――なに‥‥誰がいるの‥‥」

 テーブルを挟んで交えた視線の持ち主、緑の目が特徴的な少女────イノリと同じ雰囲気を持つ終始不機嫌であった少女が、突然麻痺でもした様に硬直する。

「‥‥あり得ない。ここまでの神性いるわけ」

 全てを言い切る前だった。隣の外部監査科の長が、自身の布で少女の目を覆う。

「ゆっくりと呼吸をしなさい。下を向いて。リヒト、カタリ君を外に」

「いいえ‥‥平気です。この程度の魅力と幻惑に、私は――」

「言っておきますが。この力は普段から流している物の一端にも過ぎません。呼吸しているのと変わらないので、そのつもりで。瞑想が足りないのなら、長く目は合わせないように」

「‥‥本当、あり得ない」

 何が起こっているのかわからないが、隣の少年、先ほど少しばかり話した彼に視線を走らせば、彼は心配そうに、隣の少女カタリ君の肩を抱いて声を掛ける。

「大丈夫か?外に出るなら」

「良いって言ってるでしょう。私だって、自分のやった事わかってるもん」

「‥‥無理はしないで」

「はいはい。先生、これ解いて」

 目隠しを解かれた少女は不機嫌そうに肘をついて、目を合わせてくれない。怒っているのかすらわからないので、それに習って無視するように視界から外す。

「ふふ、本当に君は大人、いいや人間らしくないな。すまないね、こちらにも多くの事情があるんだ。それと、彼女のこれは普段通りだからあまり気にしないでくれ」

「わかりました。身内にも似た人がいるので、気にしていません」

 髪色や長さが異なるが、それでもやはりどこかイノリに似ている気がする。

「‥‥はぁ?似た人?ねぇ、そいつってオーダーで黒髪でショートヘア気味であの無礼‥‥他人でも気にしないで口を差し込んでくる女?」

「無礼で口を差し込むか。それはわからないけど、黒髪のショートで君と似た口調しかもオーダーなら、たぶん俺の身内だ」

 先ほどから不機嫌だったが、輪にかけて不機嫌になった。それを忘れる為か、鍋に箸を入れて面倒を見始めるが、やはり不機嫌そうだった。

「話が流れています。外部監査科として、ここにいるのでしょう?」

「ああ、では、世間話はこの程度にしよう。まずは感謝を。君には我ら魔に連なる者の世界の不手際の後始末をして貰い、感謝しかない。しかも、かのオーダー本部や特務課の妨害、罠も物ともせず切り抜けた。外部監査科としては勿論、私個人からも改めて今回のオーダーの成功を祝わせて貰おう」

 酒が注がれている猪口を持ち上げて、祝杯を上げてくる。

「では、あのオートマタについて、教えてもらえますか?」

「無論、言えないとも。言えるのはあの人形の出自として」

「流星の使徒の技術。あの人形がここにきた理由なら、どうでもいい。あの人形は、今度どうなるんですか?」

 そう聞いた時、当の外部監査科の長は、聞かれるのがわかっていたようだった。

「そんな事を聞いてどうするのかね?」

「‥‥あの人形は、俺と同じです。これじゃあ、理由になりませんか?」

 なんとなくわかっていた。微かに、笑われ、目の前の少女にも呆れるように、溜息を吐かれた。それを諌めるべく、イミナ局長が声を出そうとした瞬間だった。

「カタリ、マスター、答えるべきです」

 隣の少年が、先に声を出した。

「先ほどマスターが言った通りです。こちらの不始末を手伝ってくれたのは彼で、しかも‥‥ヒトガタ。マヤカと同じです」

 知っていて当然だった。それに、向こうは俺を監視すべく派遣されてきた人員でもある。こちらの身の上など、真っ先に通達されているだろう。

「あのオートマタの制作過程は話す事は出来ない。そして今後の扱いについても。あれはあまりにも危険だ。ヒトガタたる君ではわからないかもしれないが、あれを今の人間世界で放置しておくことは危険で不可能だ」

「あのオートマタによって多くの被害が発生しています。私達の心証や一存で今後の在り方を決める事など不可能。あなたもオーダー、人間世界で生きると決めたのならそれに従いなさい」

「‥‥了解しました」

 諦めるしかない。あの方はあの人形は獣だと言った。獣であるのなら人を襲った以上排斥される。だが、獣は何もしない人を襲う事は少ない。むしろ襲うしかない、そんな選択肢しかない程追い詰めたのは恐らく人間だ。あの獣は、怖かっただけだ。

「この話は以上としよう。続きはまたあとで。カタリ君そろそろどうかな?」

「いい感じです。流石、いいお店は違いますね」

「あっはっはっは‥‥それは、いい値段だったからな。まぁ、後で経費として提出するが」

 その発言にイミナ局長は眉をひそめたが、聞こえないふりをして立ち上がる。そんなイミナ局長を見上げていたら腕を引かれた。

「ついて来なさい。話があります」

 こちらの返事を待つ暇もなく立ち上がされて、ふすまの外まで連れて行かれる。

「話はわかりますね?マヤカ、向こうのヒトガタと必要以上に接触しましたね」

「‥‥はい」

「外部監査科、その意味を知っていて近づいたのですか?」

「‥‥話さないといけないって、決めました」

 マヤカというヒトガタとソソギとカレンとの関係は、正直のところ当人たちでさえ歪で曖昧で言葉だけで説明するのは、難しいだろう。

「あなたは、知っていたんですか?ソソギとカレンが」

「私の事はどうでもいい。外部監査科という必要があればあなたを逮捕、そして排除できる人員に接触あまつさえ銃口すら向けたと聞きました。理解しているのですか?オーダーにとって、法務科以上に特異で特殊な立場である」

「イミナ、その点については、私から」

「これは法務科の話です。続けます」

 襖から掛けられた声をいなし、イミナ局長は髪をかき上げる。

 心の底から怒りを滲ませているのが、一際輝く紫の瞳で確認出来た。

「つい最近まで、いち学生であったあなたでは外部監査科と聞いても思い当たる節がないかもしれません。けれど、もはや人間でもないあなたはオーダーも含め多くの組織が求める生体サンプルです。こんな事、私から言われるまでない。違いますか?」

「‥‥理解しています」

「人間として生き続けたあなたが、今後はヒトガタとしても人間世界で生き続けたいのなら、銃口を向ける相手も、無論信じる相手も選び抜きなさい」

 イミナ局長の言っている事は何一つとして間違っていない。その通りだった。俺は銃口を向ける相手を完全に見誤った、マヤカというヒトガタの発言はあの時五分五分だった。そんな相手に刃を向けた。俺どころか異端捜査局全体にまで波及する問題に成りかねなかった。

「‥‥言葉が過ぎましたね」

 いつの間にか、泣きそうになっていた俺の頬をイミナ局長が撫でてくれる。

「これだけ言っても、あなたはきっと同じ事をしましたね」

「‥‥あの三人には、時間が必要です。一緒に話す時間が───」

「それを当人達が望んでいなくても?」

「‥‥望んでいない訳ないです。だって‥‥俺は、同じヒトガタ。同胞です」

 頬の手を握り直して、目を合わせる。

「ソソギは、自分の中の違和感に気付いていました――ヒトガタにとって、自分の中で生まれた疑問は自問自答に、生涯の苦しみ、呪縛になります。俺も同じでした。自分の為に生きる事が、ダメなのかって、どこまで行っても人間の為に生きないといけないのかって」

 目を閉じて、手だけでイミナ局長を感じる。

「やっと、廃棄の恐怖から抜け出せたのに、会いたい、会わないといけない同胞と同じ時間を共有してはいけないなんて、そんなものおかしい。‥‥間違ってますか」

「であるのなら、私の言いたい事もわかりますね?」

 両手で頬を包み顔を掴んで、無理やり向かせてくる。

「あなたは、法務科というただでさえ少ない人員の数少ない捜査員。そして私の異端捜査局の同胞でありマトイと私の恋人。勝手に消える事など許しません。いいですね?」

「‥‥すみませんでした。勝手に動いて」

「結構、ようやく言いましたね」



「ねぇ」

「俺か?」

「あんた以外に誰がいるの?」

 しばらくの会食の後、鍋の残りが3割を切った時だった。

 イミナ局長と外部監査科の長が、見計った様に揃って席を外した瞬間だった。

「あんたもヒトガタ、被創造物でいいの?」

「‥‥ああ」

「謝っておくね。知られたくなったかもしれないけど、私は知ってるから言っておく。じゃあ、続けるけど、あんたのマスターはあの人?」

「—―――っ」

 ゆっくりと目をつぶって息を吐き手の肉に爪を食い込ませる。

 悪意がない純真な問い掛けだった。顔付きも目付きも、唾棄すべき悪性など持ち合わせていない。だけど、たったの数語すら自分は許せなかった。脳の中を反響する言葉の鋭さを抑えつけ、化け物も血が過ぎ去るのを待ち続ける。

 長い沈黙の間、気遣う様子を見せる彼女にようやく応えられた。

「俺に」

 続く言葉はなかった。舌でも噛み切りそうになっていた刹那、

「この人にマスターはいません。そして言っておきます。次、この人にマスターなどと言ったら首から上が無くなります」

 襖を開けて入ってきたのはネガイだった。

「なに?脅しのつもり?言っておくけど、ただのオーダーの弾丸なんて、怖くないから。まぁ、わからないだろうけどね」

 流れるように語る真実かどうか、門外漢たる自分では判断のつかない話に対してネガイは呆れるでも、鼻で笑うでもなかった。ただ隣に座って、鍋の中の肉や野菜をよそって渡してくれる。反射的に受け取った取り皿を眺めていると、ようやくネガイは視線を向けた。

「私の姿を見ておいて、ただの人間だと思うなんて。ずっとあの街にいる所為で外の世界を知らないのですね。所詮、守られないと生きていけない温室育ちの貴族の子は違いますね」

「貴族?」

 受け取った取り皿を持ちながら、聞き返してしまった。

「‥‥殺されたいの?」

「そのまま言い返しましょう。そして殺されたくなければ、二度と聞かないように」

「悪い事聞いたなら謝るけど、ヒトガタとかゴーレムにマスターがいるのは普通じゃない?」

 一瞬だった。ネガイは完全の無音で突き入れるような姿勢となり、鍋から漂う湯気も揺らさず切り裂き、レイピアを首元に当てた。けれど―――

「‥‥銀ですか」

「私から血なんて‥‥」

 見逃さなかった。確かに、真緑色の少女の首は銀となった。首を軽く切るだけに抑えたネガイのレイピアは火花と共に止められるが、僅かに切りつけた首筋から血が落ちる。

「その辺にしておきたまえ」

「全員、動かないように」

 襖から伸びた布で、鍋の上で停止していたネガイのレイピアを掴む。見計らっていたように、それぞれの長が入ってくる。

「下がりなさい」

「けれど、彼女が」

「わかっています。あまりにも勝手な物言いが過ぎた」

「‥‥わかりました。だけど、次はありません」

「ええ、次はありません。ヘルヤ、部下への言いつけなっていませんが、あなたからは?」

 動けないでいた、動かないように取り皿を渡された俺の前に、立ち塞がるイミナ局長は自身の布を羽衣のように纏っていた。その姿でわかった、本気で俺の為に怒ってくれていると。

「部下への叱責の前に、謝らせてくれ。私の部下である外部監査科の一員の貴殿への無礼、重ねて詫びよう。済まなかった―――今後、二度とないように言いつけておく」

 何度も下げて貰っている所為で勘違いしそうになるが、決して簡単に下げる事など出来ない重い首の筈だった。軽みなど一切ない、立場ある者からの謝罪。

「次は首を貰います」

「‥‥その時はどうか私の首で許してくれ」

「‥‥わかりました」

 視線を外して、床の畳みを眺める。

「カタリ君、この席に同席する権利は与えるが、発言権はない。気を付けなさい」

「でも‥‥」

「君の責任の取り方は、些か焦りが混じっている。落ち着きなさい」

「‥‥はい」

「—――仕事の話をしよう。君も座ってくれないか?」

 カタリと呼ばれた少女の隣、こちらから見てふたりの中心に座った外部監査科の長は、しばしネガイを眺めて、声をかけた。

「はい、だけど、次止めればあなたも串刺しにします」

「恐ろしい事だ‥‥」

「冗談だと思っていますね」

「まさか‥‥君の血筋はわかっているつもりだ―――聞かなければならない事がある」

 隣に座ったネガイとイミナ局長に挟まれて、呼吸を整える。まだ、心臓を掴む怒りが、頭蓋骨が砕けるような狂気が、意識を苛んでいた。

「なぜ、君が知っている?」

「自分達以外、何も知らないと思っていたのですか?」

「自らに一切の不備がない等とは思ってなどいないさ。だが、聞かなければならない。重ねて聞こう、なぜ【秘境】を知っている?」

 失望したように言い放ったネガイは、今度は鼻で笑って、睨みつけている。

「言うと思いますか?」

「私は、機関の所属としても」

「それを聞いてどうする気ですか?私が言いふらすとでも?私は、あなた方の住処を踏み荒らすつもりなど、毛頭ありません。それに、私が秘境を知っておきながら、この人にも言っていない、これだけで十分では?」

「‥‥彼と話したい」

「不要です。このヒジリに、ギアスの類でも使えば、その“金の髪”、切り裂きます」

 ネガイの使っている言葉の意味が、何一つわからなかった。ネガイの手をテーブルの下で握っても、ネガイは握り返すだけで、何も言ってくれなかった。

「‥‥そんな事など出来ない。私だって彼方の者、上位の存在の怒りには触れたくない。いいだろう、もう聞くまい。イミナもそれでいいな?」

「ええ、この場には酒がある。そのような場で誰が何を言おうと、一夜の世迷言と流れるでしょう。私自身も幾ばくか嗜んでいるので、聞き流す事もあるでしょう」

 その言葉すら呑み込むように一口、酒に口を付けながら答えた。

「‥‥オーダーについて聞きたい。話して下さい」

「では、そうしよう―――わかっているだろうが、次のオーダーは特務課延いては特務課見習いが中心となる。‥‥私から言える事はあの人形はある場所、館から盗み出された」

 先ほど聞いた話だったが、どうやらそれは秘境とやらと関係しているらしい。だが、それについて言及していない以上、至秘と呼ばれるオーダー法務科のトップシークレット。 

「そして、それを主導したのが特務課の人間だ。彼らまたは彼女らは決して手を出してはいけない場所に、戦力を増強などという理由で忍び込み、破壊工作と略奪行為をした。情けない話だが、本来は我らが行うべき後始末を君に頼る事になった」

「‥‥だから、オーダー本部は無理にでも俺を使って呼び寄せた―――この質問には答えて貰います。あの人形が、人を襲った理由は呼び起こした特務課の命令に従ったからでは?」

 息を呑む音がした。その声の持ち主は、隣の少女だった。

「答えられない、そう言ったらどうする?」

「どうもしない。だけど信頼には信頼を。応えないのなら、俺は降りる」

「‥‥ああ、その通りだ。あの人形は、特務課の命令に従って人を襲っていた」

「そして、集めていたのはただの血だけじゃない筈だ。それは、なんですか?」

「そこまで気付いていたか‥‥これは、我ら魔に連なる者にしかわからない概念だ。理解できないと思うが?」

「それを決めるのは、こちらだ」

「イミナに仕込まれたか?‥‥そうさ、君の言う通り、あの人形が求めていた物はただの血ではない。言ってしまえば、文字だ」

 それを耳にした時、ゴーレムの話を思い出した。俺が使う脇差し、これもゴーレムのひとつの筈だった。そして、杭もそれに類すると感じていた。

「その文字は、血を吸えばわかるのですか?何故、この彼は襲われたのですか?」

「というよりも、血ぐらいでしか判別がつかない。求めている文字の持ち主は、ある特殊な血筋だ。あの人形は、自らの―――これは言えないが、」

「人形は自らの開放の為、文字を求めた。そして、その文字は流星の使徒から強奪した技術。血筋とは言葉の綾だ、求めている物は技術を持つ血筋。文字を求めながら、あの人形は自分に首輪をかけた血筋に恨みを晴らそうと、逃げようとしていた」

 あの人形は、ただ恐れていた。恐ろしかったから目に付く人を襲わざるを得なかった。血を求めるなど、自分の守る為の手段に過ぎない。

「—――恐ろしいよ。ヒトガタの自動筆記は、そこまで見通せるのか」

「これは、あの人形から聞いた‥‥」

 きっと、これはヒトガタしかわからない。マヤカというヒトガタが、あそこまであの人形のふるまいを真似出来たのは、彼女にもわかったからだ。

「‥‥そうか。隠す事は無理そうだ。君の言う通り、件の彼女は特務課の曖昧な命令に従いながら、逃げようと、帰ろうとしていただけだ。無論、それだけにとどまらず恨みを晴らそうとしていたのは、間違いないが」

「聞いておきます。特務課は、一体どこへ差し向ける為に力を求めたのですか?」

「それだけは言えない」

 ギロチンでも落としたようだった。ぴしゃりと言い切った後、続く言葉はなかった。

「‥‥わかりました。だけど、なぜそんなにも大事な事を黙っていたのですか?」

「直接的には不要な経過だからだ。それに、我らは貴重な弱小種族なのでね、自らの身を守る為、与えられる情報は最小限に抑えなければならなかった」

「‥‥一応は、納得しておきましょう」

 先ほどから腰のレイピアを撫でていたネガイは、ようやく腰を落して座り切った。

「こちらから明かせる事は、これでしまいだ。でだ、そちらの答えを聞こうか」

 残りの鍋を取りながら、〆の準備を始めだした。

「同じ釜の飯、などつまらない事は言うまい。君は、真に私達の手を貸してくれるか?」

 長い黒髪を垂らしながら、聞いてくるその姿は冥府の女神を彷彿とさせた。頷けば戻れない、振り返られない。けれど俺が先ほど言ったのだった。

 向こうは俺の質問に答えて、信頼と差し出してくれた。だが、これは同じ事をつい最近、過去にされた。

「最後に聞きたい。何か、そちらに取ってもこちらに取っても予測できない出来事があったなら、あなた達は俺を切り捨てるか。ハッキリ聞こう、そもそも俺を売る気ではないだろうな?」

「言葉だけなら、なんとでも言えるだろう。なぜ、そんな事を?」

「簡単だ。次、嘘を吐けば俺がお前達を皆殺しにする」

 隣の少年が、一瞬腰を浮かそうとした。

「動くか?次はコロス」

 魔女狩りを向ける。恐らく俺とあいつは同類、よってこの弾丸だけは受けたくはないだろう。そして、向こうは総じて魔に連なる者。全員に致命傷を与えられる。

「‥‥バチカン、しかも祓魔師だけが許される兵装か。一体どこで」

「誰が、答え以外話していいって言った?」

 容赦なく引き金に指をかける。

「忘れているんじゃないか?お前達は、一度俺達を襲っている。自分ばかり安全な場所にいられる、そう思ってるんじゃないだろうな?」

 眼球を染め上げる。血の色。深紅などという鮮やかさではない、鮮血の色。血の涙でも流しそうな程、視界が血に染まる。

「落ち着いてくれ‥‥」

「俺が正気だと、勘違いしてるだろう?」

 立ち上がって、星に呼びかける。この三人の眉間ならば、ほんの一息で撃てる。

 ようやくわかってきた。魔に連なる者とは、プレイヤー気取りが多い事に。弾丸など恐れていない理由は、自身は絶対的な安全地帯にいるからだ。だから、ここまで銃口を突き付けている相手に目を合わる事しかしてこない。

 本来ならば必殺級の弾丸を撃てる銃口を向けられれば、安全地帯へと逃げ込む為、脱出経路に気を配る筈だ。だが、こいつら先ほどから動かない。動く気配すら起こさない。自分達は撃たれない。貴族とはよく言ってものだ。自覚がないにも程がある。

「お前は、俺が信頼の証を差し出せと言ったら、大人しく話した。自覚が足りないんじゃないか?なぜ、俺がお前達を信じてやらないとならない。ネガイ」

「はい」

 ネガイもレイピアを抜き、同じように三人に銃口を向ける。

「イミナ」

「言っておきましょう。私も間違っているとは思っていません」

「話すなって言ってるだろうがっ!!!」

 机に発砲する。弾丸は固い分厚い木製のテーブルから跳弾し、壁の漆喰に突き刺さる。

「‥‥次はない」

 俺が正気?同じ鍋を食ったから、仲間?何も知らないし、考えていないようだ。

「お前達は俺の同胞を使って、同胞を襲わせた。信頼?お前達のどこを信用できる?」

 三人の喉元が動くのが見える。血管に気道、垂れる汗にいたるまで、全てが見える。向こうからすれば、髪を振り乱し、血が溢れる程に赤く濁った目を持った俺は、到底まともには見えないだろう。まさしく、化け物としか見えまい。

「‥‥こちらは君の言う通り、言える事は言った。いくらなんでも傲慢過ぎな‥‥い‥‥」

 星から見下ろす3人の姿は、ただただ矮小だった。星の重力を一身に受け、魔女狩りを向けられている、たったそれだけで一呼吸も出来なくなっている。指どころか血管すら動かす事を許さない。ここはこの化け物の間合い。馬鹿な獲物はどちらが狩られるか、知らなかった。

「俺は、まだ何も言っていない、テメェらの面一つ見てねぇ時に試されて騙された。傲慢?鏡一つ持ってねぇのか?‥‥特務課がまだ襲い掛かってくるのなら、俺は自分の身を守る為に、銃を持つ。だがお前達の都合に合わせるのは、もう終いだ。二度と俺を試す真似はするな」

「‥‥承知した」

「祈っておけよ、特務課が来るように。俺を脅して、当の特務課が襲って来なければ、お前達はまた俺を騙そうとした事になる。どこまで逃げ込もうが、必ず見つけ出して、コロス。お前が何人いようがコロス」

 

 



「よかったのか?イミナさんと話さなくても」

「マスターから言われたので、あなたの傍にいなさいと。ふふ、撃ってしまいましたね」

 赤信号になった時、ようやく話しかける勇気が持てた。

「‥‥俺、酷いよな。一緒の時間を過ごして欲しいって、言ったのに――」

「いいえ、あの人の事は大好きです。だけど、少しだけ痛い目に遭ってもらう必要はあると、前々から思っていました。それに、ちょっとだけ許せていない事もありますし」

 後ろのマトイとネガイが、俺から話しかけるのも、待っていてくれた。

「銃声と怒号が響いた時、皆で言いました。絶対にあなただって」

「‥‥単純だな、俺」

「そうかもしれません。だけど、よく我慢してくれました。あの人を、撃たないでくれて。それに、ネガイもありがとう、この人にきっかけをくれて」

「この人は単純なので、簡単でしたよ。私自身、許せませんでした」

 きっと、あの場を設けたという事は、向こうの外部監査科と法務科異端捜査局の親交を深める為だったのだろう。だけど、俺はそれをぶち壊した。間違っているとは思わない。向こうは、散々俺を試し、都合よく手を差し出した。付き合いきれない。

「‥‥まずいよな。あそこまで決定的な別れ方をして」

「彼女らは魔に連なる者、オーダーと同じ位シビアですから、親愛を持てなくとも、さほど気にしないと思いますよ」

「そういう問題じゃないだろう‥‥本当に、よかったのか?俺は――」

「ふふ‥‥先ほど言った通り、あの人も痛い目に遭うべきだったんです。それに、銃口を向けられた程度で、一切の縁を切ろうだなんて、あの方は思わないかと。だって、私なんて、後ろから刺そうとしましたから」

 朗らかに笑いながら言うマトイのそれは、決して冗談には聞こえなかった。むしろ、らしいとさえ思ってしまった。

「オーダーぐらい、シビアか‥‥」

「はい、シビアもシビア。だって、私は、あの方に銃口をつい最近、突きつけましたもの」

「一体、どういう仲なのですか?」

「ん?こういった仲ですよ。大丈夫、本気かどうかなんて、あの方ならばわかります」

 マトイが銃口を向ける時なんて、基本的に本気の時、向こうの動きによっては容赦なく引き金を引く時と同意義。どうやら、先にマトイが怒ってくれていたようだ。

「それで、どう思いました?」

「そうだな‥‥話自体は、信用できるさ。実際、俺は特務課に襲われてる。それに、今後特務課が襲い掛かってくる可能性も、あるってわかってるし」

「そうですね。あなたは、特務課見習いの彼らからすれば、恩人の仇。しかも、今回、あのオートマタを確保したのは、こちら側。特務課にとって、すぐにでも回収すべしオートマタを奪われ、罪を着せようとしていたあなたには、あっさり逃げられる」

「恥を上塗りしてでも、あなたを逮捕しに来るでしょうね。辻斬りの犯人として」

 握っているハンドルが、重くなりそうだった。何もかもが、向こうの都合によって成り立っている。しかも特務課だけではなく、本来、どうやらそれを食い止めるべき外部監査科は、俺に頼るという名の押し付けを決めようとしている。

「あのオートマタは、今どこにいるんだ?」

「ここでは言えませんが、察しはつくのでは?」

 十中八九、地方本部。回収班たる法務科の主力が来るまで、あのビル預かりとなるだろう。

「最悪の場合、襲撃を仕掛けてでも、取り戻しにくる。そして、あなた自身も」

「‥‥面倒だ。全部俺に来てくれれば、楽に済むんだけど」

「それは危険ですよ。彼らの総数は、恐らくあの人形を含めれば‥‥あなたが大半射抜いたのでしたね。追いかけられたのでしょう?規模はどのくらいでした?」

「‥‥4から5人ぐらいの隊が、10はあった」

「中隊程度、恐らく特務課見習いの総戦力ですね。彼らは、本来、選ばれた血筋の人間の中でも、身体的にも能力的にも高水準の者しか招かれないエリート中のエリートにのみ許された教育機関に入学し、多くの試練をパスした、選ばれし方々です。ふふっ、そんな人達がまとめオーダーに逮捕されたら、一体どうなるかしら?」

「壮観だろうな。向けてくる視線が楽しみだよ、一つ気掛かりな事がある。俺がホテルで叩きのめした連中と、追いかけて来た連中の中にも、リーダー格で実力者らしい顔がいなかった」

 シズクが乗っている車に、乗り込もうとしていた1人に近づこうとした時、邪魔して来た奴。それほどの実力とは思わなかったが、頼りにされている様子だった。

「‥‥気になりますね。既に、あなたへの逮捕作戦の主導者たる方は、逮捕済み。自己顕示欲の塊のような組織の実力者が、姿を見せないなんて。次は、何を考えているのでしょう」

「罠、ですね。大方、正面からスモークを投げ込んでも勝てないあなたに、狙撃でもして無力化する気では?」

「‥‥狙撃で、俺を仕留められるって思ってるのか」

「ふふ‥‥」

 マトイが、溢れるように笑った。そうだ。俺に対して、完全なる不意打ちの一撃は、不可能だ。もはや自動と言ってもいいレベルで星が告げて、身体が動く俺に対して、狙撃などどれほど効果があるか。

「向こうの狙撃手を見極めてやろうーー向こうが罠を使うなら、わざと踏んでみるのも、一興だな。ネガイ、明日、散歩でもしてみるか?」

「いいですね。って言いたいですけど、傍らにいるのが私では、向こうに気付かれます。確実に顔が知られていますから、同じ理由でマトイもです」

「そうね‥‥私達では、むしろ警戒させてしまいます。狙撃を使わないとしても、確実に罠だと気付かれるかと」

「向こうに顔が割れていない身内か‥‥俺1人じゃあ、それもそれで警戒させるし‥‥」

 サイナ、ミトリもダメだ。サイナは血筋の問題で、知られている。ミトリは一度あのカエルに恨みを買われて、狙われた事もある。そして、俺が乗っている可能性を予測して、踏み込まれたシズクもダメだ。また俺の兄弟姉妹だと伝わっているソソギ、カレンも同様。

「なら、イノリでは?」

「いいえ。彼女の顔を、これ以上晒す訳にはいきません。イノリさんの姿は、私達だからこそ知っているのです。あれ程の実力者の情報を特務課、警察達には渡せません」

「‥‥確かに、そうですね。あの潜伏技術は影にいるから強いのでした。だけど、流石に1人では」

「‥‥1人、頼れる人がいる。顔が割れてない、しかも、俺と同じくらい狙撃とかの不意打ちに強いオーダーが」

 再三振り回す事になってしまうが、どうにか付き合ってもらおう。それに、少しふたりだけで話したいと思っていた。

「‥‥わかりました。こちらから、話を持ちかけておきましょう。だけど、彼女を信じられるの?元々、彼女は不意打ちで襲ってきたのに」

「—――信じられる。アルマは、外との付き合い方を知らなかっただけだ。‥‥アルマは、きっと俺と似てる。怖がっていた理由がわかるんだ。それに――マトイも」

「ふふ‥‥」

 ミラー越しのマトイが、頬に手を当てて微笑んでくる。車内という事もあり、暗く度々入る街灯の明かりでしか顔が見えないが、それの美しさ、妖艶さ、そして恐ろしさは、よくわかっている。

「近づく事は出来ませんが、私達も待機します。サイナとミトリにも、頼りましょう」

「‥‥結局、世話してもらう事になったか。サイナ商事から、いくらか買うか」

 最近よく見る白昼夢とでも言うべき幻想がいる。それは、サイナに頼るたびに映り、サイナ自身がソロバンと電卓を両手で持って、振っている姿。

「ふたりは、どうだった?何か、わかる事とか」

「あの人形は、公安、今の特務課の術師が操っている、であろうという事がわかりました。これは重大な事実です、なぜなら、辻斬りの犯人であるあのオートマタを確保せずに、むしろ守ろうと動いていた。ふふ‥‥犯罪を野放しにしようとしていた」

「私も、いくつか収穫がありました。あれは、私の母が撤退させたものと似ていましたが、細部が違うように見えました。言ってしまえば、後継機に近いかと」

「後継機‥‥わかるのか?」

 ホテルに近づいてきた事により、今夜のパトロールを終えたらしいオーダー本部に選ばれた面々が、道端でたむろっている。到着前に、情報を共有しているようだ。

「‥‥裏から入ろう」

 ふたりは、それに応えずに許してくれた。

「先ほどの質問に答えると、あれは母と対峙した時のものより、弱くなっていました。あれらは集団での動きを重視しています。列車で襲ってきた人形の方が、いい動き、過去に見たものと近かったかと」

「今夜のは量産品って事か。やっぱり、一体を操る方が強いのか?」

「場合による、としか言えませんが、あなたを襲ったマヤカさんでしたか?恐らく、それは人形、彼女が直接操ったゴーレムかと」

 地下に入りながら、昨夜の事を想い出していた。確かに、あれほどの力を持った人形が、量産品として蠢ていたならば、いくらふたりでも苦戦しただろう。地下駐車場には、既にサイナのモーターホームが駐車してあり、俺が一度乗ったシズク達のバン、そしてシトロエンが停まっていた。

「先行っててくれ、適当に止めてから戻るから」

 ふたりにそう伝えると、返事をそれぞれしてから、車から降りてエレベーターへと駆けていった。マトイの方が背としては高いが、長い髪を揺らすふたりは、どこか血の関係性を感じさせた。

「さて‥‥それで、なんのようだ?」

 スマホを握って、呼びかける。先ほどからバイブレーションが揺れている事に気付いていたが、無視し続けていた。

「まずは、依頼達成おめでとう」

「本題は?」

「君が捕まえた犯人。彼女か彼か知らないけど、その人をこちらに渡してくれないかな?」

「オーダー本部にか?」

「ああ、そうだよ。君は言っていたでしょう?立場なんて関係ない。解決さえすればいいって。なら手柄はあげるから身柄は渡してくれないかな?」

 複数人の鼻息が聞こえる。それも、スマホ越しだけじゃない。窓の外、柱の影、隣の車両。目に入る全てから人影が確認できる。

「また罠か?」

「そんな事したかねぇーから、見せてるんだろうが。それに、どうせ全力で隠れても、お前は見つけるだろようがよ。因みに言っとくが、俺達はオーダー本部の犬じゃない。だけど、今回のは話がちげぇ。—―お前に、疑いが掛けられている」

「くだらない‥‥一体、どんな罪状だ?」

 首を鳴らし、目を一端閉じて、開ける。まばたきとしか確認できない、ほんのわずかな動作。だが、星に呼びかける、頭を開放する感覚のスイッチ、怒りを思い出させるトリガー、全てが整った。

「君には、辻斬りの犯人、もしくは共犯者としての疑い、武器の供給に斬撃の教唆、それに逮捕という名の保護の疑いもかけられている。大人しく、全部話してもらえないかな?」

「殺されたいか?お前達が全部話せ」

「なら、その車から降りてくれないかい?」

「ふざけるな。数を揃えて、脅しに来てる奴を、誰が信じるか。そのまま言え」

 指だけで、残りの弾丸、引き金の重みを確認する。

「‥‥昨夜の仕打ちは、すまなかった。君の事を、こちら側は」

「こちら側か」

「‥‥僕は、考えてなかった。君なら、必ず生き残ってくれるって思ってた――そして、君は僕達の想像通り、むしろ想像以上に上手くやって、自らの潔白を証明してくれた。オーダー本部は、君が繋がりがあるのでは?って思ってたあの警察組織の逮捕の尽力してくれれば、君に対する逮捕状を――」

「逮捕状か。嘘をつくなら、もう少しマシな嘘をつけ」

 ハンドルを握りながら、サイドレバーを解除する。

「俺の為に、お前達がオーダーを受けたとする。なら、なんでお前達は、誰一人あの場にいなかった。言ってやる、お前達は、俺が公安に捕まろうが、オーダー本部に捕まろうが、どちらでも良かったんじゃないか?」

 その言葉に、誰も答えなかった。やはり、俺をどちらかに渡したも構わない。更に言えば、どちらでもいいから、引き渡したかった。あの人形を手にする為。

「少なくとも、オーダー本部の胸中も、公安の腹積もりも測れないお前達を、今も脅しに来てる敵を信じる訳にはいかない。上手く、避けろよ」

 一気にギアを上げて、ハンドルを操作。アクセルを踏みつけ、タイヤを地下駐車場の床で焦げ付かせる。駐車場内を疾走し、装甲車が壁を作る為、顔を出してくるが、甲高い音を響かせてそれらを紙一重で避けていく。いい車にはいいタイヤが標準装備だった。いくら焦げ付かせても、まるで欠けない。

「くっ‥‥相変わらず多芸多才だね‥‥しかも、総じて高水準の」

「高水準なんてレベルじゃねーぞっ!!なんで、今の角度で回れる!?」

 追突覚悟で迫ってきたトヨタのハイラックスサーフ、かつて国内でも生産されていたが、現在は北欧のみで販売されている車種。悪路を縦横無尽に闊歩する為に作られたSUVに、キドウはフロントガードを設置し、文字通りの突撃をしてきた。

 けれど、手の内を知っている俺にやるべきじゃなかった。

「車がいいんじゃないか?」

 前面同士が追突する寸前、ハンドルとハンドブレーキを握りしめて、一瞬、完全に停止、ほぼ同時に起る慣性を使い、車体全体を振り回す。ハイラックスサーフの真横へ前面、後面を交互に見せて素通り―――そのまま駆け抜ける。

 そして出口が見えてきた時、数人が、タイヤを止めるべく、タイヤ止め、針や弾丸のようなニードル状の金具が付けられたマットを広げている事がわかった。だが、そんな物に価値はない。

「わかってるのか!?ここで、逃げれば――」

「手柄が失せるか?」

「オーダー本部からの心証なんて、どうでもいいに決まってるだろうが!!だけど、今度こそ、お前はオーダー本部に逮捕される‥‥俺達も、お前を捕えないといけなくなる」

「それは、あり得ないんじゃないかな?それに、出来る訳ないでしょう?」

 不意打ちの第三者の声。イサラの声を確認し、ブレーキをきつく踏みつける。ニードルの寸前、借り物を傷つける前に、間に合った。

「シズク達は?」

 スマホから何か、正確に言えば誰かの頬や鳩尾を殴りつける音と息を吐き出させる声を鳴らしながら、イサラは鼻歌まじりに反応してくれる。

「糖分不足でダウンしてるよ。で、唯一動ける私が、代表で来たってところ。どう?親善大使っぽくない?」

 自分の記憶の中で、最も親善という言葉とは縁遠い当の本人から、聞かされるとは露程も思わなかった。オーダーに身を狙われている危険地帯で、まさか微笑むとは思わなかった。

「一番似合わないぞ。助かった、ありがとう。俺は眠いから、後は任せる」

「うん、任された。それに私がいない間に、こんな仕事を受けた同期には、少しだけ注意しなきゃって思ってたしね」

 スマホが切れた瞬間、窓を開けて、目を閉じると、聞き馴染み達の叫び声や逃げ惑う嘆き、そして、イサラの高笑いが聞こえてきた。




「あはははは!!」

 楽しそうに、心底楽しそうに、我が愛である仮面の方は、足を振って喜んでくれる。

「ふふ‥‥沢山、笑ってしまいました。いいですね、ああいった関係も友情と言うのですか?」

「‥‥どうなんでしょう。俺にもわかりません」

「なんと言うのでしょうか、捕まえるのなら、自分の手でしたいという感覚、私にも覚えがあります。彼らがどれだけ愚かだったか、想像も尽きませんが、あの欲望は中々得難いものですね」

 イサラが持ってきた書類、それは俺への逮捕状を求める裁判文章の偽物。あまりにも、巧妙な文章だった所為で、俺自身も信じそうになってしまった。だが、それを求めた部署の名が、俺とマトイ、そしてイミナ局長がまだ部長だった頃に逮捕、解体した部署だった。既に存在しない部の名を騙って、何者かが俺を貶めようとしていた。

「どうして、あそこまでして俺を、あのオートマタを手に入れようと?しかも、オーダー本部だけじゃない。特務課の方も。それほどまでに、価値があるのですか?」

「うん?そうですね、確かに価値があるもの。なんと言っても、あのオートマタは、今人間が使えるゴーレムの技術とは、一線を画すもの。それに‥‥どうしてもその内が欲しかったようです」

「‥‥戦力増強を求めたのは、特務課だけではなかったと‥‥マトイが喜んで、本部に殴り込みそうです」

 俺達、三人がいたからこそ、背中を気にしないで自由にやり合えたが、一対一であった場合、かなり苦戦を強いられていただろう。あれは、流星の使徒の技術、マトイが過去に言っていたが、流星の使徒はその技術をオーダーに教える事で、傘下に入っていた。オーダーの中でも一部が独占していた技術があるとわかれば、手を伸ばすのは普通の事なのかもしれない。

「多くの欲望、全てはあのオートマタを求める人間達が作り出した狂気‥‥特務課は、自分の手下を。オーダー本部は、オーダー校の生徒を――当人達は、きっと何も知らなかったのでしょうね。‥‥騙されていたのは、皆同じか‥‥」

 銀の椅子の上で、腹に両手を当てて、息を吐き天井を見上げる。落ち着く為に見上げる空として、最上級の光景。手を伸ばせば、届きそうで、いつまでも見ていられる星々。

「彼らの事は、どうしますか?同じ人間に狂わされた者同士と、許しますか?」

「どうもしませんよ。それに、結局アイツらは俺を罠にかけた事実は、変わりません。向こうにとっても理不尽でしょうが、しばらう距離を保ち続けます。それに」

「それに?」

 仮面越しの赤い瞳と、深い宇宙を思わせる髪色を揺らし、見つめてくる。

「やっと、夏休みです。ずっとオーダーばかりでは、つまらない。ネガイ達を休暇を取ります。それに――あなたと一緒に」

 ゆっくりと、笑いかける。この言葉を聞いて、嬉しくなってくれたのか、両手の指を組んで、輝くように笑ってくれる。この場でいつまでも見ていたくなるのは、空の宝石だけではない。ただひとり、この場で神とも支配者ともなれる、俺の恋人。

「嬉しい‥‥私の為に、時間を作ってくれるのですか?」

「言って下さい。あなたの為なら、いつまでも眠っていられます」

「そんな事を言って‥‥今度こそ私に勝つ気ですか?」

 強気に振る舞ってくるが、両手を離して作ったふたつの拳が、嬉しそうに揺らしているのがわかる。その度に、ドレス越しの肉体が揺れて、目を離せなくなる。

「そんなに見て‥‥確かに、この身体は私が心血を込めて作り出した、究極の肉体。既に私に溺れているあなたでは、自然と目を追ってしまうのも、わかりますが」

「我慢、しないといけないんですか‥‥」

「が、我慢なんてしてはいけません!!私だって、いつもあなたの身体が欲しくて仕方ないのですから!!ここでは、好きなだけ私を求めて下さい。私も、あなたを求めますから!!」

「‥‥良かった」

「‥‥なぜでしょう。負けた気分です‥‥」

 仮面越しでもわかった、負けた気になったのが、とても不服らしい。頬を膨らませている仮面の方は、銀のテーブルを床に戻し、自身の座っている椅子をベットに変えて見つめてくる。

「さぁ、来てください。いくらでも私を求めて、何度でも溺れて下さい」

 両手を伸ばして、受け入れる恰好になっても頬を膨らませてくるので、遠慮なく仮面の方の肉体に溺れる事にする。柔らかいベルベットにふたりで包まれて、まずは肺の膨らみ、血の熱を重ねた肌で感じ合う。

「ふふ‥‥そうです。あなたに我慢など似合いません。その理性も、己が欲望を叶える為の手段。ゆっくりと、溺れて下さいね」

 呼吸が耳をくすぐる。撫で上げられる首筋が、背骨を揺らしてくる。身体中が心臓か脳になったようだ。ただ手を当てられる、撫でられるだけで、意識が遠のく。

「良い顔‥‥私好みの―――綺麗なあなた」

 両手で顔を掴まれて、顔を付けられる。なめられ、貫かれる唇。されるがままに身を任せると、頭を完全に抱きかかえられて、逃がさないように、舌を絡ませられる。

「美味しい‥‥私も、いつの間にかあなたの体液に溺れて、痺れてしまっていたようです。もう、あなたがいない寝屋など、あり得ません」

「‥‥俺の、好きですか?」

「あなたが好きなんです。私の為に、自分の為に、何もかも捧げてくれる、この純粋な欲望に塗れたあなたは、とても美しい‥‥私の宝石よ‥‥」

「俺も、好きなだけ俺を求めてくれるあなたが、大好きです。俺に、快楽も痛みも、何かも捧げてくれる―――食べて下さい」

「‥‥ふふ、前に言いました。そんなに私を誘惑しては‥‥いけませんよ」

 心臓をやっと掴んでくれた。仮面を投げ捨て、刃のように細められた血のような目、真横に切り裂かれたような口を―――見せてくれる。

「あっ‥‥」

「痛かったですか?ふふ、敏感ですね。まだまだちょっとだけ管を止めただけなのに」

 心臓に繋がる血管は、大きく分けてふたつある。大動脈と大静脈。その前者、動脈という身体中に酸素を届ける為に出口を、指で止められた。

「あははは!!流せなくて、苦しい?苦しいですよね。苦しいって言って!!」

「‥‥苦しくて」

「苦しくて?」

「‥‥気持ちいい」

 心臓が破裂しそうだった。そして、脳に届く筈の血が止まり、酸素を供給できなくなり、視界がおぼつかなくなる。それだけじゃない、息も吸えないように、口すら塞がれる。空気を吸おうと、呼吸をしても、それは仮面の方の口。藻掻けば藻掻くほど、苦しくなるのに、温かくて柔らかい唾液が、口の中を求めてしまう。

「まったく‥‥最近のあなたには、魅了ばかりされてしまいます。うふふ、元から私はあなたしか見えていませんでしたが」

 口と心臓を離し、乱れたドレスを整えて、ベットに腰かけてしまう。

「もっと‥‥」

「まだまだ身体の準備は出来ていないのでしょう?大丈夫、後で何度も食べてあげますから。それに、まだ話すべき事があります」

 離れて行こうとする仮面の方の手を引いて、口を付けてみる。驚いた、呆れた、けれど満更でもない――そんな表情をした仮面の方は、隠しきれない笑みを我慢しながら。

「仕方ありませんね。そうですね、あなたに、後でなんて出来ませんでしたね」

 口を付けた手を胸に移動させて、埋没させてくる。身体に入り込む異物を、本能が排除しろと命令してくるが、それに抗うという退廃さが、快感となっている。

「美味しそうなヒト。心臓を潰す代わりに、食べてしまいますね」

 ゆっくりと動脈を指でつたって、心臓に到達する。穴でも開けるように、指で強く突いてくるが、薄皮に傷ひとつ突かない圧力で、焦らせてくる。

「どうしました?」

「はやく‥‥」

「どうして欲しいんですか?」

 舌なめずりをしてくる。既に身体のどこかに穴でも開いてしまったのか、吐血が溢れてくる。だから、血を拭きながら、伝える。

「‥‥食べて下さい」

「—―――嬉しい‥‥」





 イネスの言っていた意味、わかった気がする。

「確かに、人を待つの、悪くないかもしれない、かな?」

 少し前にシズクと待ち合わせをした時を思い出す。あの時は、誰かわからない人間達に、勝手に写真や動画を取られていた。不愉快だったが、腰に銃をぶら下げている俺が、止めに入れば、どちらが犯罪者かわからなくなる。

「アルマ、どこだろう?そろそろ来てほしい‥‥」

 外での気候を鑑みて、オーダー地方本部のビル内で待ち合わせをする事にした。俺とネガイを導いてくれたあの受付さんは、今日も生徒の案内に尽力していた。

「昨日、来られませんでしたが、どうしたんですか?」

 生徒の案内を終えた受付さんは、一階休憩所でソファーに座っているこちらを見て。話かけてくれた。

「あー色々あって、こちらでも仕事を」

「ああ、なるほど。お疲れ様です」

 それだけ言って、去っていく。これも気配り、説明し辛い仕事だと察してくれた。

「ヤッホー!!」

「おう、昨日は助かったよ。おはよう」

「うん!!おはよう!!やっと、肩の荷が降りた感じ?」

「まだまだこれからだ。そっちは?」

「準備運動には、なったかな?」

 無遠慮に隣の一人掛けソファーに座ってくるイサラは、ついこの間まで入院していた事など嘘のような顔色で足を組んでくる。

「アイツらは?」

「ん?今日は一日中休むって。なってないねー、一人10発も殴っても、撃ってもないのに。私が入院してる間に、みんなサボってたんじゃないの?」

「最近、忙しかったけど間が空いたからな。気の緩みがあったのかもな」

 髪がシュート気味のイサラは、割と不満そうに前髪を手で整えて、頬を膨らませる。

「それに、忘れるなよ。イサラが最近関わってるのは」

「わかってるって♪今までが特別だったってだけでしょう?‥‥うん、私も少しだけ休もうかな。これが終わったらさ」

「単位が足りないとか、嘆くなよ」

「あははは!!‥‥その時は、助けてね」

 跳ねるように立ち上がったイサラは、最後に腰を曲げて顔を近づけてくる。それに反応する前に、頬ではなく口に付けてくる。

「ヒジリもなってないよーー。またね」

 完全な不意打ちだった。今のイサラには、この化け物も反応出来ない圧倒的な魅了の力があった。化け物から一本取ったイサラは、腰のボーイナイフを撫でながら、去って行った。

「‥‥また甘い‥‥」

「君はあれか?モディリアーニか何かなのか?」

「俺は、あそこまで酒癖は悪くない。それに、絵を見ないかって言って誘ったりもしない」

「だが、君の周りにいる女性は、軒並み君がどうしようもないから、傍にいるように見えるぞ」

 イサラとは別の意味で、不機嫌そうに真正面に座ったアルマは、足を組んで肘掛けで頬杖を突いてくる。

「‥‥そんなに、俺ってダメそう?」

「誰かから言われたか?そうではなく、君は正真正銘の―――ダメだ」

「—―そうか」

 認めざるを得ないらしい。

「話は聞かせてもらった。君と私での、街の散策、引き受けさせて貰おう」

「‥‥有り難いけど、いいのか?どこから弾丸が」

「それがわかっているからこそ、私を呼んだのだろう?最悪、周りを気にしないで夢を使わせてもらう。それに、私達からすれば不意打ちでの狙撃など、そう珍しくない」

 真っ直ぐに向けられた青い目にビル内の複数の光があたり、それにより、六条の光が生まれ、スターサファイアと呼ばれる至宝が誕生する。けれど、この宝石はアルマが持つからこそ、ここまで輝く。出来過ぎた彫刻を思わせる容姿に、言葉を失う。

「君はどうする?私を信じてくれる?」

「‥‥わかった。頼む、俺に手を貸してくれ」

 アルマが手を伸ばす前に、手を差し出す。それを見たアルマは、満足に笑って手を握ってくれた。白い筋肉質な手だが、やはり少女の柔らかい手だった。

「それで、まずはどうすればいい?」

「取り敢えずは、情報を共有しておきたい。昨日のオートマタ、あれは魔に連なる者達がアルマ達から奪った技術、それでいいのか?」

「ああ、間違いなくあれは我らの技術だ。この目で見るまで、信じていなかったが、紛れもないキメラだ。聞いたが、彼女はここで保護されているのだろう?」

「そう聞いてる。‥‥安全で、明かされない為って事で、具体的にはどこにいるかわからない。だけど、マトイとイミナ局長が言ってたから、大丈夫だと思う」

 ふたりでビルの天井を眺める。高い天井には、巨大なステンドグラスを多くのLEDで照らしていた。

「次だ。あのオートマタは、元々特務課の連中がある場所から奪取、だけど何かの手違いでこの街まで来て人を襲っていた」

「私には、それが不思議だ。彼女の同型機はとても温厚だ。あのような姿で、襲い掛かってくるなどあり得ない。あれも、特務課という組織が?」

「悪い、それはわからない。どうやら元々は別の誰かが造り出したらしいんだけど」

「その製作者が、どのような目的で作り上げたのか、不明という事か」

 俺よりも向こうの世界、しかも誰よりもこういった異質な世界に住んでいたアルマは、詳しく言わなくても、自身の経験で思案してくれる。

「こっちから聞いていいか?あのオートマタは――どれだけの能力があるんだ?」

「‥‥そうだな。我らにとって、あのオートマタ、彼女は大事な家族だ。能力といった一側面だけ切り取るのなら、彼女は―――すまない、言えない」

「なら、いいさ。どっちにしろ、俺は彼女を守るって決めた」

「すまない‥‥ありがとう‥‥」

 流星の使徒にとっても大切な存在であると同時に、アルマにとっても大事な方のようだった。

「だけど、あのオートマタの力を特務課は勿論、オーダー本部も求めているのは間違いない。少なくともオーダー本部は、現在法務科が抑えているから強硬手段には出て来ないだろうが」

「特務課は違う‥‥」

「その為には、唯一の手掛かりである俺を狙ってくる可能性が高い。というか、唯一手を出せるのが、俺ぐらいだ。流石にこのビルに強行する事はないだろうから」

 ここもやはりオーダーの建物だと、初めて一目でわかった。分厚い二枚重ねの防弾ガラスは、対戦車ミサイルすら防ぎ切るだろう、そしてそれを使ってくるのが、あの特務課であるのなら心配する必要もない。

「わかった。では私達は、その特務課を迎え撃てばいい」

 アルマの言葉に頷いて、腰を上げる。それに習ってアルマも腰を上げて、Yシャツのネクタイを整えてくる。

「‥‥だけど、制服じゃらしくない」

「らしくない?」

「俺達は、油断してるフリをして、誘い出すのが目的なんだ。こんな完全に本職の恰好をしてたら、警戒されるだろう?—――頼む」

 そう首元のマイクに言って、待機している身内に呼びかける。

「はいは~い♪」

「アルマを、それらしくしてくれ」

「お任せを!!」

 何が起こるのかわからないアルマは、不安そうに首を振って腰が引けてくる。

「い、一体なにが起こるんだ?」

「ん?変装、仮装もオーダーの仕事のひとつだよ」




 昨日のセダンを返却しないで運んできたのは、これが理由であった。

「‥‥セダンって今時珍しいよな」

 オーダー製の白いセダンは、なかなかに好評らしく停めている店の駐車場に、人が集まって写真撮影を始める程だった。元々、オーダー製の車などそうそう見る機会がないというのも、加味されているのかもしれない。

「そうだな‥‥今時はSUVが人気で、そもそも日本外だとセダンは小さくて、2ドアのスポーツタイプに偏ってしまって―――」

「失せろ」

 アルマにスマホを向けた連中を睨みつけて、腰の拳銃を揺らす。

 長い足をデニムパンツで包み、くるぶしから先を高いサンダルで晒している。あまり半袖には慣れていないアルマは、七分丈の白いシャツの上に、薄い透けるようなカーディガンを羽織っていた。背の高いアルマは、椅子が低すぎるらしく、足を延ばしテーブルの下に隠している。

「悪いな、あんまり、なんていうか人権意識が低いっていうか」

「いいや、時たまこういう事があったさ。それに、恐らく彼女らは君が目的だ」

「‥‥それは、無いんじゃないか?」

 確かに店内には男女がそれぞれ、女性の方が多くいたが、それでも皆一様にアルマを見ながら、トイレへと入るフリをしながらスマホを向けてきていた。

 アルマと共にまず最初に目指したのは、地方本部のすぐ近くの喫茶店。アルマを待ちながら適当に喉を潤していた所、外から歓声が上がった事により想像通り、アルマが店舗に入ってきた。

「言い方を変えよう。半分は、君が目的だ。私と同年代の子達は、間違いなく君を目指していた」

「‥‥なんで、言い切れるんだ?」

「同じだから。外から窓越しに見てもわかった。君は、この店で一番目立っていた」

「‥‥なんていうか、褒められてるんだよな?」

「ふふ、知らないのならいいさ。それを武器に使う気など毛頭ないだろう」

 よくわからないが、納得したようにカップを口に付けて微笑んでくれる。改めて見ても、絵になる。長い手足を絡ませて窓から差す光を受けながら、笑んでいるアルマからは朝の不快感など一切感じさせない。眠気覚ましの為ではない、ただ楽しむ為に時間を使っているようだった。






「あのふたりだけでギャラリーが埋まりそうですね♪車内に飾って、購買欲を高めてみますか?」

「その場合、あのふたりの写真を買いたいと言われるのでは?私も模写をしてみたいですっ!!」

「あ、いい考えですね~」

 似た、どこか姉妹を思わせる高い声が運転席と助手席から聞こえてくる。

「あんた達ふたりのでも、売れば?」

「むむっ!!もしや新たな商売のチャンス?‥‥まぁ、そんな事あの人が許さないかと~、だって、私はあの人の物ですし♪」

「自分は、アイツの写真を売っても良い訳?」

「あの人は私の物ですから~」

 ああ言えばこう言う。これが商人というものか。アイツが相棒として選んだ理由がわかる気がしてきた。これを敵に回したら、誰よりも手ごわいだろう。

「まぁ、ぜーんぶ冗談ですけど♪ふふん♪」

「えー、私には?」

「イネス様になら、特別価格でお譲りいたしますとも♪お客様だけの‥‥特別ですよ」

 そう言い終わったや否や、ふたりで鈴でも転がすような声を上げる。この声を録音して売れば、何よりも高く売れるのではないだろうか。シズク達はまだ頭痛が止まないという事で寝静まっている。カレンがオーダー本部にあのイミナという人に声色を変えて、ひとつの部署に連絡を取りつける。そこで目当ての部署が無いと確認、その部署が最後に出した命令をいつか調べ上げて、日付を元にしらみつぶしにサーバー内を探す。

「シズクさん達は、いかがでしょうか?もしよかったら、私名義でいいので何か差し入れをして上げて下さい」

「じゃあ、そうさせて貰うわ。頑張ってくれたから、喜んでくれると思うし―――それに、また頑張ってもらう事になりそうだし」

 言われるままに、サイナの部屋の番号でホテルに連絡、適当に甘味を上から下まで選んでシズクとソソギ、カレンがダウンしてる部屋に運ばせる。

「メニューの上から下まで全部で。そう全部で。じゃあお願いしまーす」

「ぜ、全部ッ!?あの~流石に全部は‥‥」

「アイツは自分の物なんでしょう?アイツの為に頑張ったみんなの為に、身銭を切れば?」

「‥‥うぅ~わかりました。私からお支払いさせて頂きま~す‥‥」

 総額どれほどになるかわからないが、声の所為でどこか芝居がかった感じがするサイナには、不思議と罪悪感が湧かない。これはアイツからも感じる現象だった。

「それで、マトイ達は?」

「マトイさん達は別行動です。監視はするけれど、何かあった時は私達に任せると」

「‥‥ま、もう依頼料は貰ってるからいいんだけどね」

 こちらも適当に寛ぐ為、モーターホーム内、座席に下にあるクーラーボックスから飲み物を取り出す。それにサイナが「あの~‥‥」と言ってくるので、また適当2本取り出して、ふたりに持っていく。

「あ!ありがとうございます。そして、サイナさんも、ありがとうございますね」

「うぅ‥‥いいえ、喜んでくれまして、こちらこそ用意した甲斐がありましたとも‥‥私の商品が~‥‥」

「で、特務課が来るんでしょう?」

 長い栗色の髪を流したふたりは、それぞれ表情は違うが真っ直ぐに少し離れた喫茶店にいる見慣れた馬鹿と見知らぬ女優を見つめている。

「‥‥絵になるじゃん」

「ふふ、素直に隣にいたいと」

「何か言った?」

 何も言わせない為に、首を絞めてみる。割と顔が青く、白くなっていたが隣のイネスとかいうアイツの身内はじゃれ合っているだけと思い、笑って流してくれる。

「アイツ、オーダー本部と謎の組織に狙われてると思ったら、今度はオーダー校の生徒と特務課?アイツに味方っていないわけ?」

「うん?いるじゃないですか。ここに、たーくさん♪」

「はい、ここにいますよ」

「呑気ね。わかってるの?アイツは、この国で数えるぐらいしかいない銃の保有許可を許された組織、しかもオーダーと警察、それどころか公安とも敵対関係にいる。本当に、この国にはアイツの居場所がなくなりつつあるの。いつか、完全にオーダーとも別れてしまうかもしれない。いくらなんでも、厳し過ぎない?」

 アイツ自身、この程度の事わかっているだろう。だって、法務科というオーダーにとっても最大の敵、障害となる組織に所属している。一応は味方関係である査問科だって、いつ敵になるかわかったものじゃない。

「そんな事、わかってると思いますよ?」

「それはわかるけど、でも」

「だって、あの人にとって敵とは人類全体ですから。別に血肉を持った銃を撃ってくる人達だけではないですよ。あの人の敵は、人類の歴史そのものですから♪」

「‥‥人間全てって言いたいの?」

「勿論♪だって、人間は一度でも、あのヒトを受け入れた事、ないでしょう?散々排除、拒否してきたくせに、自分ばかり受け入れて貰おうなんて、わがまま、流石にあのヒトでも許さないかと」

「あの方はずっと人間の為に、身体をすり減らしてきました。無論、人間にだって自分達の秩序維持の為、消耗せざるを得ない品々はあったでしょう。けれども、それで許すという理由にはならないかと。‥‥だけどもあの方は、ずっと人間に期待していた」

 ヒトガタ、それの存在理由を、なんの為に生まれてきたのか、私は知らない。いや、違う―――生まれた理由なんて明白だ。人間が己が欲望を満たす為に作り出した。なのに、アイツはここにいる。文字通りの消耗品だ。もういらないから、捨てられた。

「もう期待してないの?」

 何を話しているのかわからない。金の髪に青の目をした映画にでも出てそうな子とアイツは、楽し気に話している。それが自分とは別世界。それこそ映画の中での出来事、遠くに行ってしまったように感じる。

「さぁ、それは私にもわかりません。だけど、もう諦めているのかもしれません」

「‥‥そう、なのね」





「本当?」

「本当本当。本当だって」

「疑わしいなぁ‥‥ふふ、だけどどこかにある武器庫ねぇ。そこには、他に何があるんだ?」

「取り敢えずは―――いいや、この辺りで止めておくぞ」

「なんでだ?教えてくれないのか?」

「ここから先は、オーダー校に入ってから自分で調べた方が良いし、何より楽しいぞ」

「ふふ、いじわるめ。ヒントでいいから、くれないか?」

「ヒントか、仕方ないなぁ‥‥まずは、教員たちがどこからか持ってくる対戦車ライフルの」

「もうその時点で都市伝説とやらが成立しているじゃないか、まったく‥‥ふふ」

 喫茶店から出た所、確実に視線を感じた。それに目立つアルマ、アルマ曰く俺もそうらしいのふたりが店から出た瞬間、窓ガラスの向こうの人間達が合図したように動いた。

「わかりやすい連中だ。次はどうする?」

「ん?しばらく引き連れて、動き回ろう。隙を見せないと」

 勝手にどこかの馬鹿が触ったらしく、手形や指紋が付いたセダンを運転して、後ろから追いかけてきているレクサスLSをミラー越しに確認する。

「アイツら、隠す気ないんじゃないか?」

「あの車種は特別なのか?」

「フランスで言うところのシトロエンだ。大統領が凱旋門に行く時とかと、同じ。もしくはアメリカのビーストにキャデラック、つまりは公用車」

「なるほど。ん?彼らは、あれで尾行出来ていると思っているのか?」

「多少デザインを変えてるみたいだけど、ほとんど変わらないな。まぁ、アイツらが追いかけるのは基本的にスパイだ、破壊工作員だ、そんな所だし、多少バレてもいいのかも。見張ってるって威圧感さえ与えられれば」

 見張られているのは百も承知だが、ここまで威圧的ではつまらない。

「しかし意外だな。どうせならVTOL、ヘリコプターでも来るかと思ったのに」

「本格的だ。だが、攻撃型のヘリコプターなど持って来られては、流石に」

「この国では兵器の類を国内で使用する、市街地で使うのなら沢山の手続きが必要になるんだよ。どこでも一緒とか思うなよ、本格に沢山あるんだよ。そんな国で、勝手に兵器を使うそぶりでも見せれば、それだけで堂々と逮捕出来たのに」

 鼻で笑ってしまう。あのバチカンのエージェント程の腕前ならば、中々に楽しかったかもしれないが、あのエージェントのように、車高は調整されていない。ただただ普通の公用車だった。こういった扱いや扱い方にも慣れているらしい使徒の一員は、小さく嘆息した。

「あまり期待は出来そうにないか。だけど、彼女らが相手にした人形使いは、まだ姿も見せていないのだろう?油断しない方がいい」

「それもそうだな。そうだ、アルマはどこに行きたい?」

「話を聞いていたか?まったく‥‥君は仕方ない人だ。そうだなぁ、君に任せよう」

 挑発的な言葉に、耳朶を叩かれた。そして、目が覚めるような事を言ったアルマは、楽しそうに意地悪そうに微笑んでくる。

「任せるか‥‥本当なら少しぐらい遠出してもいいかもだけど、出来るだけ地方本部から離れたくないから―――」




「流星の使徒って、こういう事も出来るのか?」

「嗜みのひとつさ。それに、我らだって常に浮世から離れた生活をしていた訳じゃない、オーダーの傘下としてそれなりの経験をしてきたのだ、違和感があるか?」

「いいや、よく似合ってる。似合い過ぎてる」

 布でキューを磨いているアルマは、本当にどこか映画のワンシーンでも抜粋したような見た目だった。昼間からこういう場というのも、どうかと思ったが意外な程、人々が集まっていた。

「夏休み中の集会の場なのかもしれないな。どうだ?日本とそれ以外の遊技場は」

「あまり変わらないさ。ただ、こういう場では大半がアルコールが付き物だからか、少しだけ上品な印象かも」

 ビリヤードにダーツ、そしてバーカウンターにモニター。ここはスポーツバーも兼ねているようで、サッカーやアメリカンフットボール、そしてボクシングなどの見ていて楽しめるスポーツやくじ関係を放映していた。

「どっちかって言うと、アウトロー気味じゃないか?」

「まさか。こういう場にしては、店の人間は物腰柔らかだ」

「ああ、あの店員‥‥」

 先ほどまで台の前でキューを配って簡単なルールを説明していた店員が、今はバーカウンターにいる。丁寧な説明ではあったものの正直俺とアルマの扱いに差があり過ぎた。

「アルマばっかり見てたな。あれもよくあるのか?」

「間々ある事だが、あそこまで態度に出ているのは珍しいかもしれない。あとこういう場ではアルコールが付き物————つまりカードに薬や暴力、店の隅にはダウナーが数人溜まっているものだ。それに―――」

 アルマが次の言葉を紡ぐ前に、その意味がわかった。ビリヤード台を挟んで話していた俺達を無視して、アルマにふたりの男性が話かける。いや、男性とは言えないかもしれない。

「君、どこの学校?前の奴、彼氏さん?ふたりじゃあ暇じゃない?」

 制服こそ来ていないが、使う言葉で中高生だという事がすぐさまわかった。

「私は、この街の学校には通っていない。ここへは休暇で来ているんだ。他所へ行ってくれ」

「まぁ、そう言わないでさ。これから夏休みなんだし、どうよ?‥‥もし良かったら酒もあるぜ?」

 あまりにも馬鹿過ぎた。既にいくらか嗜んでいるらしく腰が見えないようだ。

「私の腰を見ろ」

「え?何、見ていい‥‥わ、け‥‥」

 下卑た顔をしながら覗き込むようにアルマの臀部を眺めた時、ようやく顔が青くなる。

「さっさと失せろ。まだ見逃せる」

「ああ、私達が休暇で来ている。遊んでいるのなら、見逃そう」

 アルマの腰には、ベビーイーグルとマインゴーシュが差してある。ろくに武器など見た事がなくとも、本物だとわかるだろう。だが。

「おい、ここがどこだかわからないのかよ?」

「なんだ、ここはお前達の縄張りか?」

「あ?縄張りとか舐めた事言ってんじゃねーぞ?」

 自分達の身内らしきメンツが集まったテーブルに視線を投げた途端、わらわらと数人が集まってくる。溜息を吐きそうになったが、その手に持っている物へ視線をやった時、アルマと顔を向け合わせて、キューを置く。

 持っていたのはパイプと色鮮やかな3Dプリンターで作られた拳銃。

 確実に、本物。信頼性など皆無だが、一発は放てるであろう拳銃を受けった少年は、

「ここは、俺達の店だ―――わかるよな?無事に出たかったら」

 拳銃を持った腕で、アルマの肩を抱こうとした瞬間、銃身が切り落とされる。鮮やかだった。胸に当てようとした拳銃を、アルマはむしろ引き寄せて指でつまむみ抜いたマインゴーシュで、一瞬のうちに断ち切った。

「—――は?」

「悪いけど、流石に背伸びをしてくる子供には、負けはしないんだ」

 断ち切った筈のマインゴーシュは、いつの間にか腰の鞘に戻っていた。

「それに、君達はまだ10代前半だろう?」

 銃身を掴んでいた手を、少年の手首に移動させ持ち上げる。腕から肩にかけてアーチを造り出し、潜り、少年の背後へと移動、そのまま握りしめていた腕を背中に持っていきビリヤード台に押し付ける。押し付けた時、頬に当たるキューが痛々しく骨を削っていくのが見える。

「テメェッ!!」

「動くなよ」

 腰のM&Pを撫でて、見せる。まだアルマの背後にいる少年たちは、見た事のないであろう本物の鈍い照り返しを見て、息を呑んだのがわかる。

「まだ遊びの範疇にできる。それと、俺は子供は撃てない」

 M&Pだけではない。確実に、腰を抜かさせる為に、脇差しを抜く。人を刺し、斬った事のある脇差しは、不良が持てるバタフライナイフとは比べ物にならない。手招きでもしているような艶めかしさに、視線を奪われている。

「わかるか?俺は、撃って、刺せる側だ。それと逮捕も。未成年だからって、許されると思うなよ?少年でも、実刑判決、少年院なんて生易しい場所じゃない。牢屋でだって成人式を送れる。アルマ」

「—――ああ、行け」

 最後に腕を引き寄せて、近場の少年に、取り押さえていた子供を投げつける。

「調子乗ってんじゃねぞ‥‥俺は――」

 全て言い切る前、アルマの襟を掴もうとした瞬間に鼻頭に突きつけられる。ベビーイーグルの銃口ならば、9mm弾では火力不足という事で世界中の警察で採用された40S&W弾を放てる。あの弾丸ならば、確実に脳髄まで達する。

「自分ではないから、動けるとは思わない事だ」

 取り囲んでいる少年達全員に、アルマは言った。

「数秒なんて時間はいらない。次はお前だ」

 銃底で殴りつけて、鼻血を流させる。鼻を抑え屈んで隙を狙い、鳩尾にサンダル越しだが、鋭いつま先を突き入れて、床に崩れ去る。倒れていく少年に気を取られている隙に、アルマはもう一人、お手製の銃を以っていた少年に銃底をぶつけて、仰向けに倒す。

「そろそろいいか?私は、彼と時間を楽しんでいる」

「オ、オーダーなんて、知ってるぞ!!人を殺せないんだろう!?」

「殺せないだけで、撃てるぞ?」

 耳元で叫んだ少年の襟を掴み、膝を腹に叩き込み、身体を『く』の字に曲げる。そのまま、頭をビリヤード台に叩きつけ、M&Pの銃口をこめかみに押し付ける。間髪入れずに、頭蓋骨とフレームで音を作り出す。

「う、撃てない。撃たない、よな‥‥?」

「それを決めるのは俺だ。わかるか?銃を持って、オーダーに喧嘩を売った。その意味を知らないなら、ここで学んでおけ―――」

 銃を腰に戻し、キューを掴み上げる。ビリヤード台に押し付けている少年はそのままで、近場の少年に首に叩きつける。倒れていく時間すら惜しい。首から取り戻した先端を、隣の少年に突き入れて意識を奪う。

「そら」

「助かる」

 アルマにキューを渡し、ビリヤード台に寝そべっている少年の腹を、杭で突きあげて意識を奪うと同時にビリヤード台を開ける。

「この服は私の為に、みんなが選んでくれたんだ。素手で触るな」

 やはり、俺よりもアルマの方が長物に慣れていた。俺では途中で折れてしまうような使い方、キューを少年達のひとりに突き入れて、持ち上げる。そのまま一切角度も変えずにビリヤード台に落とし、息を詰まらせる。

「調子に乗ったな」

 落ちてきた少年の鳩尾に杭を突き落とし、眼球から光を失わせる。

 その後もアルマは、喉や頬、眉間にキューを叩きつけ、確実に意識を奪う。

「‥‥自力で作ってるのか?」

 落ちているパイプと3Dプリントの拳銃を持ち上げて、見つめる。分厚い銃身とは対照的に、銃口自体はかなり狭い。弾丸ではなく、針でも撃つようだ。

「‥‥威力よりも、頑丈性を狙った訳か。商売じゃなくて、抗争用か?」

 その後もアルマは、キューで肉を打つ音を立たせて、本場仕込みの遊技場争いを見せてくれる。もう周りの客は、悪鬼羅刹並みに暴れるアルマを恐れて、逃げ出していた。

「ひとまずは、これでいいか‥‥」

「もう、いいのか?」

「ああ、もう十分」

 使い終わったキューを磨き、渡してくれるアルマは、やはり映画に出てくる女優のようだった。首から流れている汗が美しい。

「‥‥少し、やり過ぎたか?」

「いいんじゃないか?見てくれ」

 バーカウンターにいる店員は、この光景を見て愕然としていた。

「店に迷惑をかけたみたいだ‥‥」

「違う違う、あの店員もグルだ」

 店にいる全員、先ほどまで我が物顔でソファーやテーブルを占領していた少年達の身内らしい少女達は店の隅で縮こまり、道を開けてくれる。

「おい、お前も殴られたなければ、大人しくしておけよ」

「お、俺には、なんのことか‥‥」

「ああやって、身ぐるみ剥ぐように、アイツらに命令してたんだろう?相手が女性だったら、連れてくるように言って」

 アルマに真っ先に声をかけた理由は、おそらくコイツからの命令だろう。自分の言う事を聞けば、多少の無法も許すと言って。

「オーダー相手に調子に乗ったな?出て来い。手錠でも付けてやるよ」

「その仕事は、僕がやるよ」

 後ろから出てきた奴が、小声を使いながら、肩を叩こうとしてきたので、避けてネガイ譲りの舌打ちを向ける。

「あははは‥‥後は任せて」

「—――後ろから、話かけるな」

 それだけ言って、襲ってきたアイツらに近い服装をしたオーダーから離れて、アルマの元へと戻る。店の閉鎖してこそいないが、店中から視線を感じる。驚きだけではない、それぞれの思惑を持ち、見つめてくる。

「‥‥話を付けたって見せたかったのか」

 確実に特務課がいる。そんな中で、俺がオーダーにでも通報すれば、いやでも警戒させる。アイツは、この店の人間のふりをして、俺に接近してきた。

「—――今更、なんの真似だ」

 一連の動きを見ていたアルマは、何も言わずに腕を抱いて、外へと連れ出そうとしてくれる。これで警戒させた可能性もあるが、それ以上に無法者としてアイツらの目には映っただろう。

「彼は?」

「俺達の敵のひとり。アイツらこそ、油断するなよ」

「‥‥承知した」

 特務課よりも現場を知った本職。正面から挑めば、かなり際どい事になる。数だけの問題じゃない、本格的に捕えに来たら、逃げきれないかもしれない。

「敵が多いな‥‥」

 視線を背中に感じながら、アルマに従い、外へと出る。熱気と湿度が首元にまとわりつく。日光が完全に頭上にあり、とてもではないが、外を歩き回る気にはならない。

「暑っつ―――適当に、昼でも取るか」

 連れられていたアルマを、逆に引きずって、近場のレストランに入るべく、車に戻る。ここ一帯は、若い消費者向けを獲得する為、洒落たレストランやカフェ等が軒を連ねていた。近場の学校の帰り道なのか、買い食いするに都合がいい路面に面した店も多い。

「‥‥ふふっ」

「ん?どうした?」

「‥‥いや、こうして同年代の、しかも使徒でもない知人にこうして引きずられるなんて。新鮮だと思って‥‥」

 楽し気に青い瞳で覗き込んでくるアルマから、慌てて離れて車に逃げ込む。あの目は、ずるかった。時間を忘れて、アルマの望むままに棒立ちになっていたかもしれない。

「逃げなくてもいいのに。私が怖いか?」

「アルマは、ずるいな」

「そうか。私はずるいのか――ああ、その通り私はずるい」

「‥‥怒ったか?」

「いいや、むしろ君こそ怒っていないか?自分の容姿を武器に、君をいじめている私に」

 やはり、アルマは自身の容姿に気付いていた。自分の並みを大きく引きはがす、見た目という武器を使って、先ほどから俺で遊んでいた。ビリヤード台で姿勢を低くしキューを構えるアルマの四肢は、衣服を上からでもわかる程、肉感的で引き込まれそうだった。

「‥‥少しだけずるいって思った」

「ごめんね、だけど、あなたの反応がその‥‥可愛くて。少しだけ魔が差してしまった。—――彼女達が、君から目を離せない理由がわかったよ。君は、まさしく宝石の類だ。誰かに奪われるかもしれないという感情もあるが、それと同じくらいに、人に自慢したくなる。そして、君で遊びたくなってしまう‥‥」

「‥‥たまにそう言われる。俺って、どう見えてる?」

 車内の冷房を強めながら、足を組んでデニムパンツに包まれた腿を見せつけてくるアルマの次の言葉、次の加虐的な言葉を求めてしまう。この容姿で、弄ばれる。マトイとは別の支配者層の容姿。強気なアルマに、首輪でも付けられた気になってしまう。

「そうね‥‥誰よりも強い危険な猛獣、化け物としての在り方が強いのに、私達には何よりも服従してくれる。そばに連れ歩くだけで、人の目を引き寄せて、自慢できる」

「自慢?‥‥そうだよな‥‥アルマの隣にいるのが俺じゃ、分不相応だよな」

「—――流石にそこには気付くべきだ」

 下を向いた時、顎に手の付けられてアルマの方に向けさせられる。

「ヒジリ、君の容姿や雰囲気は、何よりも人を引き付ける。さっき言った宝石とは言葉の綾ではない、君ほどの容姿を持った者に認められ、隣にいてくれるのなら自身の容姿に自信を持ってしまう程だ。決して引き立て役などではない、欲望を叶える鏡、概念を煮詰める魔法の窯に近い。自信を持ってくれ、君は美しい」

 真っ正面からそう告げてくるアルマの顔を直視できなくなる。なのに、視線外す事を当のアルマが許してくれない。声と息を忘れて、アルマが吹きかけてくる息に身を任せていう自分がいる。

「‥‥そういう所だ。まったく、わかりやすい。少しだけ単純過ぎないか?」

「だって‥‥それはアルマが」

 最後に突き離すように顔を手で弾いて、窓ガラスにぶつけられる。

「こうされて向けてくる顔もだ。頬を叩かれたかったか?」

「‥‥アルマが、そうしいたなら」

「却下だ。これ以上のご褒美、君にはまだやれない。昼食なのだろう?そろそろ行こう」


 


「先ほどからどうかしたのか?ふふっ‥‥」

「‥‥ご褒美が」

「しない。今はまだな。相応しい時に、私の気分でくれてやろう。‥‥ちょっとだけ、積極的過ぎるかも‥‥」

 アルマの指定で入ったのは、ここもバーカウンターが設置され、ワイングラスやボトルが飾りとして置かれた洒落た店だった。もしかしたら、アルマはバーカウンターが好きなのだろうか。カウンターにこそ座らないが、先ほどからそれを見ている。

「‥‥カウンターに移動させてもらうか?」

「いいや、ここでいい。見ているのが、好きなんだ。君こそ、ここで良かったか?」

「‥‥いい感じの店だ、俺ひとりじゃあ、なかなか入らない類だよ」

「それは良かった。また、こういった店に一緒に行こう」

 ただの水だというのに、グラスに注がれた液体を飲むアルマから目を離せない。フェルメールに、こういった絵画があった。タイトルは、そう‥‥紳士とワインを飲む女。だが、この絵画は、紳士は女性に大量の葡萄酒を飲ませるという描写が描かれているので―――不倫関係ではないか?とも言われている。

「ふふ‥‥もう少し、下心を持ってくれてもいいのに。見惚れさせているだけでは、つまらない」

 水で汚れた唇を、使っている化粧が落ちないように、軽く紙を当てるだけに留めている。そんな仕草だけで、非現実的な環境にいると思ってしまう。

「私も、フェルメールは知っている。あの絵の男性は、今の君と同じような顔をしていた‥‥私はあのふたりは恋仲だと思っているのだけど、君はどちらが好み?」

「お、お待たせ致しました」

 肺に残った最後の空気を吐き出そうとした瞬間、店員さんが注文したサラダを運んできてくれる。助かった、そう俺自身は思ったが、運んできてくれた店員さんは、仕事仲間である同じスタッフに、引きずられていく。

「いい所だったのにっ!!」

「だって‥‥少しでも近くで」

「なら、私達も誘ってよ!!」

 同年代よりも少し上ぐらいの女性達が、それぞれ好きに話している。

「ちょっと‥‥お手洗いに」

「逃げるの?ふふ、待っているから、早くね」

 アルマから逃げるべく、急いで椅子から降りる。できる限り自然とを心掛けるが、前に出す足が、速くこの場から去りたいと訴えかけてきた。




「アルマだっけ?いい感じじゃん」

「‥‥怒ってるのか?」

「別に――」

 お手洗いに逃げ込んだ時、イノリから連絡が来た。

「報告しとくね―――あの特務課が、その店を取り囲み始めた。そろそろ来ると思う」

「取り囲んでるのは、特務課だけなのか?」

「‥‥まぁ、気付くよね。あんたを餌にして、アイツらも特務課を逮捕する構えにしたみたい。敵ではないかもだけど、別に味方でもないから、気を付けた方がいいかもね。それと、この事はアルマって子にも話したから、待ってると思う」

 想像通りだった。オーダーであるアイツらが、ただの義理人情で同じオーダーである俺を助けるとは、思わなかった。それが正しい――アイツらは、自分の為に、俺を使っている。ただそれだけだ。

「ねぇ‥‥大丈夫?」

 鏡に写った顔を見て、我に返る。

「‥‥鏡は嫌いだ」

「なんの話?‥‥そのまま聞いてて、別にヒジリが可哀想とか思った訳じゃないから、そこだけは覚えておいて―――なんで、そこで笑う訳?」

「いや‥‥いいや、名前、始めて呼んでくれたと思って」

「ふーん、あっそう。じゃあ、ヒジリよく聞いて、今あなたの周りにいるものは、全部あなたの敵。この程度わかってるだろうけど、一応言っといてあげる‥‥ねぇ、なんで、この世界には、あなたの居場所がないの?」

「わからないよ、そんなの。俺だって、ずっと不思議だ」

 大理石の頑丈な流し台に背中をつけて、そう答える。

「‥‥産んでくれって、頼んだ訳じゃないんでしょう?」

「ああ、そうだ。産んでくれなんて、頼んでない」

「なのに、勝手に捨てられたの?」

「そうだ。勝手に産まされて、捨てられる――自分の望んだ性能に達しない俺は、いらないんだ。最後の役目、唯一の役割は、ただの餌、生贄なんだ‥‥。だけど、きっと感謝しないといけないって、思うんだ」

 スマホの向こう。イノリの方から、何かを握り潰したような音がした。

「大丈夫か?」

「なんで、そっちが心配してるの?—――なんで、人なんかの心配を出来るの?」

 この声には、聞き覚えがあった。あの夜、あの喫茶店、あのクラブで俺を叱ってくれた時のイノリの声だった。

「‥‥ごめんな。俺の事、嫌いか?」

「‥‥嫌いなんかじゃない。嫌われないといけないのは、こっちだから。だって、なんで誰もあなたの為に泣かないの?ヒジリは、みんなの為に怒って、泣いてくれたのに―――自分が作ったヒジリを捨てて、被害者面してさ、挙句の果てにはただの餌?ふざけてるにも、程があるでしょう‥‥」

 イノリは怒ってる訳でも、ましてや泣いている訳でもない。ただ一心に、俺の為に――。

「これでいいの?こんな世界で、いいの?」

「‥‥いいって?」

「—――こんな世界、捨てていいじゃん。見限っていいじゃん。誰も、本当の意味であなたを理解なんて出来てない、誰も理解できる訳ない‥‥ヒジリは」

「人間じゃない‥‥ヒトガタではあるけど、それからさえ離れている。‥‥わかってるよ、俺だって。だけど、ここにいるしかないんだ」

 天井を眺めながら目を閉じる。だけど光は目蓋を貫通して眼球まで届いてしまう。

 きっと、世界のどこかには最新のヒトガタが生まれている。俺やソソギとカレン、イネスやマヤカさん、それさえ上回る性能を持った、真なる器がいるだろう。

「今オーダーから離れたら、もう帰る場所もなくなる」

「聞いたけどさ‥‥ヒジリ、世界中の組織から引き抜かれそうになってるんでしょう?」

「誰から聞いた?シズクか?あのおしゃべりめ」

「なに、楽しそうにしてるの‥‥あれだけの組織から、呼ばれてるなら、どこかにヒジリを、本当に大切にしてくれる」

「ないんだよ、そんな所」

 そんな所があれば、いや、世界中探してもどこにもない。だって、ないからこそ、俺はここにいる。ヒトガタの廃棄方法はふたつ、オーダーに任せるか、廃棄するか。

「俺はさ‥‥俺はな、オーダーに来なければ、リサイクルされたんだ」

 その言葉に、イノリが声を詰まらせる。純然たる事実だ。だって、実際そうなっているのを、俺は見た。

「外の世界には、俺よりも純度の高い、性能の高いヒトガタがいる。俺は量産品って訳じゃないからこそ、役割に徹するべきだったんだだって」

「怒るよ、嫌いになるから‥‥それ以上言ったら」

「‥‥ごめんな」

「ごめんね」

 いらないからこそ、捨てられる。簡単な話だ。望む性能に届かないからこそ、破壊して、残ったパーツから次の製品を作り出す。よくある話だ。だって、受付にいたアンドロイド達は、ずっとそうされてきたからあそこにいる。多分、俺だってそうだ。

「怒るつもりなんてないの。だけどね、だけどさ、理不尽過ぎるでしょう‥‥オーダーなら、何したっていいの?ヒトガタなら、ヒジリなら何したって許されるの?」

「‥‥それは人間に聞いてくれ。俺には、わからない」

 スマホの通話を切って、アルマのいる席へと戻る。そこには、丁度パスタが到着する所だった。時間を見計らってくれていたようだ。

「外はどうだ?」

「なかなかさ。君は?」

「暑そうだし、食事が終わったら、すぐに車に戻るか」





「あの」

「心配してくれなくていいから」

「‥‥はい」

「‥‥ごめん、別に怒ってる訳じゃないの」

 シートに身体を投げ出して、冷房を全身で感じてみる。

「私達人間のこと、どう思ってるんだろう」

 額と目に腕を置いて、考えてみる。だけど、生まれるのは熱ばかり。

「ふふ、そう聞いたら、多分あのヒトは怒るかと〜」

「‥‥どうして?」

「だって、あなたとただの人間を一緒にしたら、あのヒトは許さないと思うので」

「だから、どうしてよ」

 起き上がって、ふたりに詰め寄る。自分という人間に、詰め寄られて怒るかと思ったが、ふたりはただ微笑んでいた。言葉を投げかけられたサイナに至っては、朗らかでもあった。

「あなたが特別だからですよ。だって、あなたは私達の世界をまったく知らなかったのに、あの人を叱ってくれたから」

「‥‥それが、なんなの。もう一本貰うから」

「あぅ‥‥はい、どうぞ~‥‥」

 座席に戻って、ペットボトルをひとつ開ける。

「アイツは、私にとって許せない事を言った。だから、怒っただけ、それがなんなの?だって、アイツ、人じゃないんでしょう。なら、知る筈ないんじゃん」

「そこですよ、あの人があなたを特別だと思ってる所は。だって、一度もあの人は、人間から人間扱いされませんでしたもん。あの人の魅力に、唯一かからず、あのヒジリさんに人の道を説いた――私では、出来ない事でした」

「‥‥アイツには、マトイにネガイだっているでしょう、なら」

「いいえ、あのふたりは、あの人の心の支えであって、心を保つための器。依存なんてレベルではありません。あのふたりから否定されたり、消え去られたりしたら、きっとあの人は、ヒトガタでも人間でもない、ましてや生物でもなくなる。そこにいるのは、化け物」

「‥‥化け物ねぇ」

 度々聞いていた。アイツは、化け物。襲い、奪い、誰も逃がさない。そんな噂を。

「そんな化け物相手に、あなたは理性を与えた。あの人が、あそこまで人間相手に穏やかでいられるのは、イノリさんがいるからですよ。勿論♪私がいるというのも、理由ですけどね~♪」

「‥‥あっそう」

 私にはわからない。だけど、確かにアイツの最近の雰囲気は、常人離れしている。あまりにも、危険だ。自分の喉からなんて、矮小なものじゃない。自分の胸が裂けて、手が伸びそうなぐらい、アイツが欲しくなる時がある――この感情は、なんなのか。

「‥‥ねぇ、あんた達から見て、アイツってどう見える?」

「最近の彼ですね?」

「そう、わかるの?」

「はい、私はまだあの人を数えるほどしか会っていませんが、それでもわかります。あの人は、徐々に人間が耐えられない魅了の力を放ち始めています」

「なにそれ?あいつ、危ない薬でも使ってる訳?」

 その問を言った時、後悔した。あまりにも無礼だと思った、なのに、ふたりは否定せず微かに笑った―――なぜだろう、窓ガラスに映る自分達を、眺めている。

「私達ヒトガタは、人間の欲望を叶える為に生まれた生命体。であるのなら、人間を欲情させる為、人間の理性を失わせる為、魅力とでも言うべき力が備わっています」

「‥‥なに、それ、冗談じゃないの?」

「ふふん♪私達を見て下さ~い、そして、ソソギさんとカレンさんも、みーんな、美人でしょう?まぁ、確かに、あの人の周りは皆さん、すごいですけど‥‥」

 冗談を言っている雰囲気ではなかった。同性である自分だからわからないのか――いいや、違う。だって、自分は既にそれらしき物を彼から感じつつある。

「理性を失わせるね‥‥もしかして、人間があいつを使いたがるのは」

「高い確率で、そうでしょうね~。だって、あの人は、神をも落とした方ですから♪」



「パスタとはスパゲッティやペンネ、フィットチーネの総称だ」

「日本だと、こういう長いいわゆるスパゲッティをパスタって言ったりするんだけど、それは間違いなのか?」

「間違いとは言わないが、それが通じるのは、この国だけだ。国外で仕事がある時は、気を付けた方がいい。場合によっては、店員を怒らせる事がある」

「‥‥覚えとく」

 ベーコンと玉ねぎ、そしてブラックペッパーという一見すると簡素な食材に見えるが、魚介類が使われているソースが、鼻にエビやカニと言った甲殻類の芳醇な香りを届けてくる。食べている、というよりも香りを吸っている、が正しいかもしれない。

「美味い‥‥」

「いい香り‥‥香辛料が、魚介の香りを邪魔していないのに、しっかりと味を感じる。輸入品?食べた気がする‥‥」

 多くの土地で暮らしていたアルマは、過去に通った悠久の土地を思い起こさせるらしい。味を楽しみながら、思い出に浸っている。

「本場と比べると、どうだ?」

「そうだなぁ‥‥比べられる物じゃないだろうか。このスパゲッティは、日本独特の食文化の中で生まれた新しいパスタだ。こういった物を、私自身始めた食べた」

「美味しいって事、だよな?」

「ああ、勿論。とても美味しい」

 誤魔化してなどいない。水で味を薄める事なく、スパゲッティを食べていく。食べ方ひとつ見ても、やはり食文化が違うとわかった。吸わずに、口に運ぶアルマはフォークの使い方が、俺より数段上手だった。

「それで、何を話してきた?」

「‥‥つまらない話だよ、それにいくらか聞いただろう」

「にしては、長く話していると思ってな。それとも、私には話せない内容か?」

 冗談かと思い、水に手を伸ばした時、水を奪われる。

「アルマ?」

「私だって、わかっているつもりだ。それに我らもオーダーには、何度もいいように使われた。今、使徒がどうなっているかわからないが、同胞や自分の在り方を憂うのは特別じゃない」

「‥‥そうだな。聞き流してくれ」

 パスタソースをすくう為のスプーンを掴んで、スパゲッティにかける。

「俺は、元々オーダーに来るつもりはなかった。ずっと、関係ない生涯を送るんだろうって思ってた」

「意外な気がする。君ほどの腕を、総帥と正面から殺し合えるオーダーなど、アメリカでも見なかった」

「それは俺の目が関係してる。これは魔眼の一種だ、正確には違うけど」

 昼時という事もあり若い男女が連続して入店していく。変装をしているようだが、あまりにもおそまつだ。顔を隠すような帽子、袖先まで隠すアウター、極めつけは全員が全員、シンボルカラーのように黒い靴やブーツを履いている。

「俺は、この目を使って誕生種、自分の役割を全うする為だけに生まれてきた。こうして、人間みたいに食事、あと自分の趣味とかの自我も、本来不要だったんだ」

「‥‥そんな事は不可能だろうに」

「‥‥ああ、俺は研究施設暮らしじゃなくて、一般の世間の中で、身分を隠しながら育てられるプランだったから、嫌でもこういうのが生まれた。名前もあった訳だし」

 店員に注文をしながら、こちらを見てくる。今度こそ、油断してはいけないと思ったのか、出入口を封鎖すべくトイレに行って裏口を目指し、わざと出口近くの席を取り始めた。

「俺のプランは、破綻してたんだ。当然、俺は自分の役割を全う出来ずに放棄、俺の成育者達は俺を見放し、オーダーに入学—――そして、今に至る」

「‥‥つらい日々だったか」

「ずっと幸せだったとは、言えないかもしれない。だけど、俺は運が良かった。早い段階で、いい人間に会えた、恋人も家族でも出来た。‥‥全部、ここに来るまでの過程だったって、言われれば、受け入れられる」

 少なくなってきたスパゲッティにパスタソースを絡ませて、一度に頬張る。残りの具材を口に放り込み、最後の一口を演出する。

「だけど、今の幸せと引き換えに、人間にいいように使われるのは、気に食わない。‥‥言われたよ、これでいいのかって。なんで、ずっと人間は俺の敵にしかならないのかって。なんでオーダーにずっといるのかって」

「‥‥生きる為じゃないのか。君は、どうしたって人の手がなければ、生きられない」

「—――そうだ、俺達はひとつの種族だけで生きていけるほど、強くない。オーダーの世界で、秩序の世界にいなければ、生きていけない」

 イノリは、何も間違ってない。イノリは、ただ俺の身案じてくれていた。理不尽の中で生き続けるしかない、誰も彼もが敵として闊歩する世界に、なぜいつまでもいるのかと。人から見れば、それは自殺行為、自殺願望とそう変わらないだろう。

「‥‥なんて、言えばよかったんだろう」

 最後に口を拭いて、水で口の中をゆすぐ。

「なんで、オーダーとか、人間は俺に何したって許されるのかって、聞かれたんだ」

 アルマも丁度食事が終わったらしく、店員を呼んで領収書を見ている。札を奪って、カードを手渡して下がらせる。

「俺が払うよ。必要経費として」

「ふふ、では任せるよ‥‥答えは出たか?」

「俺は人間本人じゃない。わかる筈ないだろう」

「本当にそうなのか?」

「お会計済みました。またお越しください」

 領収書とカードを受け取って、一息つくと、肩を掴まれる。

「ラストミールはどうだった―――」



「伏せろ!!」

 人ひとりが、軽く80キロはある筈の巨体が降ってくる。しかも、その人はあれだけ頼りになった、何人もの犯罪者を逮捕、素手で殴り倒してきた巨人だった。

「逃げろ――」

 中隊長として名が挙げられていたひとりに、もうひとりのリーダーが降っている。

「—―――――‥‥」

 声が出ない。次に続けという声に、腰が上がらない。だって、その声も、途中でかき消される。私達はエリートの中のエリート、特務課への本配属が約束された特務課予備生だ。毎日、誰も彼もに頭を下げられる、選ばれた家柄の持ち主でもある。

「なんで‥‥」

 また放り投げられる。壁に叩きつけられて、飾ってあった額縁と共に降ってくる。

「どこだ‥‥?」

 その声に、身の毛がよだつのがわかる。次の獲物、次の狩りを始めようとしている。あの真っ赤な目で、あの巨大なかぎ爪のような警棒で。

「どこだ?」

 死んだのか、気絶したのかわからない死屍累々の中に紛れて、通り過ぎるのを待ち続ける。先ほどまで悲鳴を上げていた店員は、金髪のオーダーによって、壁の端に避難させられていた。もう、悲鳴を出す気力どころか、声を出す勇気もわかないらしい。

「う、うう動くなッ!!」

 馬鹿だ。そう思った。

「お、俺達は特務課予備生ッ!!わかるか!?俺達はお前を逮捕する為に、ここへ‥‥」

 固い鋼鉄のような警棒を眉間に突きつけられているのを見てしまう。

 膝立ちの状態で突きつけていたSIG SAUER P230が揺れているのを視認できる。人を投げ飛ばし、殴りつける事で血に染めた警棒を眉間をに押し付けられている所為だ。対象の腹にシグ・ザウエルを向けているというのに肩が震えて引き金を引けないでいる。

「う、動くな‥‥」

「お前は動けるのか?」

 その瞬間、目を覆う暇もなくひと一人が壁に叩きつけられる光景を見てしまった。額に突きつけていた警棒を対象は膝で蹴りつけたのだ。蹴りつけられた馬鹿は頭蓋骨の前だけじゃない、背中を強くぶつけてのたうち回っている。

「ひ、ひとじゃない‥‥」

「お前達と一緒にするのか?」

 杭のような踵をとどめとして打ち込んだ。ひとつの鈍い音と振動を起こしただけで不快な声を止めてしまう。

「次だ」

 何事もなかったように、足音を立ってて、次の獲物を探し始める。来ないでくれ、そう祈っているのに、対象はゆっくりと確実に近づいてくる。

「死んだふりをするなら、見逃してやる。だけど―――」

 その言葉に、頭中の血が凍り付く。耳鳴りが酷い、冷房を付けていても、あれだけ暑かった気候は、変わっている。濡れた身体に、吹雪が吹きつけているようだった。

 目をつぶり、覚悟する。だけど、奪われるのは握っていた無線機だけ。

「死ぬふりをするなら、ずっとそこでそうしてろ。動けばコロス」

「‥‥はい」

 返事が聞こえたのだろうか、そう思い。目を薄く開く。見えたのは、真っ直ぐにこちらを覗き込む化け物ではなかった。先ほどの悪鬼羅刹ではない。

「本当に、あなたはさっきの化け物?」

「‥‥わからない。だけど、人間からすれば、俺はそうなんだろう‥‥」

 そこにいたのは、私達が付けた傷に苦しむ、ただの―――。





「平気か?」

「このぐらいなら、日常茶飯事だ。そっちは?」

 問答無用で、H&KP2000を落とされて、肩を痛めた。だが、殴ったり放り投げたりしている内に、上手く戻ったようだった。

「店員や一般の客には手を出させなかった。何度か、人質にしようとしていたが、ふふっ君がその度に、こちらへと人を投げてくるからな。何も問題なかったよ」

「そうか‥‥」

 しゃがみ込み、青い顔を向けてくる店員に、声をかけようと思ったが、止める。

「裏口にまだいるかもしれない。ここは任せた」

「ああ、行ってきてくれ。キーをくれ、準備しておく」

 アルマとの短い作戦会議を終えて、先ほどのトイレへと続く廊下に向かう。念の為、腰の拳銃や杭を確認しながら歩いていくが、その度に壁で縮こまっている一般の人間が、短い悲鳴を上げる。

「すぐに別のオーダーがくる。そいつらに頼ってくれ」

 弾倉をチェックするまでもない。一度も撃ってないのだから。

 廊下には掃除道具をしまう部屋に、スタッフ達の休憩室、バックヤードがある。それらを尻目に一番奥にあるトイレを素通りした時、全ての扉が弾かれるように、開け放たれる。

「特務課だっ!!お前を逮捕―――」

 狭い廊下で、怒号を飛ばし、頭を揺らせてくる。だから、容赦なく踵を叩き込む。腹に踵を喰らった特務課予備生とやらは、ドミノの最初のように後ろへと倒れて、周りを巻き込む。

「ま、待て―――」

 上から鳩尾を踏みしめる。そのまま一番前の奴が起こした余波からまた復帰出来ていない奴の鳩尾に、杭を突き立てる。それからも変わらない。また踏みつけて、また突き立てて―――ただの作業。昨日のオートマタと同じように、機械に徹する。

「お前で最後か?」

 若い少年。俺と同じか、それより下。そんな少年が倒れている仲間の身体に邪魔をされて動けずにいる。そんな少年を、俺は見降ろしている。

「特務課予備生、だったか?」

「お、俺達にこんな真似をして、ただで済むと」

「お前達は、俺にこんな真似をした。ただで済むと思ったのか?」

 杭を軽く投げて、鳩尾に落とす。杭が倒れる寸前、踵で踏みつけて、一息で意識を奪う。なんの感慨もない。ただの作業、ただの必要事項。ただの―――オーダー。

「まだいるか?」

 杭を拾い上げて、裏口へと進む。廊下で倒れている連中は放置する。恐らく、もう介入を始めただろう。結局、アイツらは今回にも手を貸さなかった。必要なかったから、気になどしていない。だが、これもアイツらの手の上にいると思うと。

「不愉快だ―――」

 そもそも、特務課が俺を見つけ出したのも、アイツらが情報を売ったからだろう。まず最初にシズク達を襲わせて、俺を向かわせる。そこで、ひと悶着起こして、狙いをつけさせる。いいように、操られた。

「声が聞こえる。震えてるのか?」

 歯と歯を擦り合わせる音。きっと、見ていたのだろう。

「出て来い。殺しはしない。だが、つけは払ってもらう」

 廊下の最後、トイレを過ぎ去った時に見えるT字路の中心に立った時、左右からナイフが迫る。武器を使ってくるのは、察していたが、容赦なく刺しにきた。

「甘い‥‥」

 左右の腰に下げていた脇差しと杭で、いなす。全体重をかけて刺すつもりだった筈が、勢いをずらされてそれぞれ俺の前と後ろにつんのめるように、身体を晒す。体制を整えさせる前に、左右の刀剣の底を回転しながら、それぞれの鼻先にぶつける。

「訓練ばかりじゃなくて、喧嘩のやり方でも覚えたらどうだ?」

 最後に、左手にある裏口前で待ち伏せしていた奴に杭を投げつけようと、構える。だが――――そこにいたのは、イノリだった。

「イノリ‥‥」

「そうよ、アンタの愛しいイノリ。調子はどう?」

「‥‥悪い」

「でも、止まったじゃん。酷い顔ね。一度も私に怪我をさせた事ないでしょう?」

 襟を緩めながら歩いてくるイノリは、ボーイッシュな服装をしていた。アルマと似た白いシャツに、デニムパンツ。黒いネクタイと黒のベスト。ショートに切った黒髪のイノリに、よく似合っていた。

「で、首尾は?」

「悪くないよ。俺が負ける筈ないだろう」

「そう、それは良かったわね」

「イノリはなんで?ここは、危ないぞ」

「はぁ?私だってオーダーだから。危ないから来ないなんて理由、ある訳ないでしょう」

 腕を組むようにして近づいてくるイノリが、正面から見つめてくる。その目を、見返す事が出来なかった。

「話てる人の目を見る、この程度もできないの?」

「‥‥俺は人間じゃない」

「だから何?これは、潜入学科なら真っ先に習う、最低限の技術なんだけど?はい、オーダーならしっかりやって。ちゃんと私を見なさい」

 イノリに顔を掴まれる。強引に、息を吹きかけながら目を合わせてくる。

「酷い顔ね。そんなに、私と話したくないの?」

「‥‥話したいよ。だけど‥‥俺は、まだ自分の答えを持ってないんだ」

「ふーん、めんどくさい事言うのね」

「‥‥ごめんな」

「‥‥ま、いいんだけどね。それより、ちゃんと見なさい」

 顔に付けられているイノリの手を取って、出来る限り真っ直ぐ見続ける。カラーコンタクトもヘアカラーも使っていない。そのままのイノリをここまで見続けるのは、初めてかもしれない。

「見なさいとは言ったけど、見つめろとは言ってないんだけど?」

「‥‥イノリを見たいんだ」

「へぇ、私を見たいんだ。それ、人によっては気持ち悪いって思われるから、言うなら私だけにしておけば?」

 普段通りのイノリだった。俺の心証や感情を敢えて考えないで、自分のペースで話かけてくる。不安定な俺の心に、イノリは心の呼吸のペースを教えてくれる。

「落ち着いた?」

「ああ‥‥やっと。めんどくさくて、ごめんな」

「良いわよ。だって、会った時からヒジリって、めんどくさかったし」

 手を離そうとするから、逃がさないように握力を強める。

「何、まだ不安な訳?」

「俺の話、聞いてくれるか?」

「なら、早くしてくれる?私も暇じゃないから」

「なら、一言だけ。俺は――イノリに会えた良かったって思う。感謝してる。ありがとう、俺の為に祈ってくれて」

「—―――そう。良かったじゃん」





「それ、使えそうか?」

「は~い、問題なく探査できそうですよー」

 別れ際にイノリに手渡した通信機。見覚えのないそれは、やはり独自の暗号化した回線を使っているらしく、その独特のネットワークのお蔭で、逆探知は可能との事だった。

「なかなか珍しいものですね。くふふ‥‥新たな商売の始まりかも♪」

「そうなのか?」

「だって~、これを使っての通信が行われれば、私達はすぐにでも傍受できる訳ですし♪一時、散々一般回線を傍受した方々に、逆に噛みつけるなんて、こんなに楽しくて、利益のある事もないですよ~」

「なら、任せる。後でな」

「は~い♪今夜こそ、遊びに来て下さいね♪」

 サイナとの通信を切り、改めてアクセルを踏みつける。機嫌のいいサイナの調子に触発されて、こちらも自然と笑顔がこぼれるが、隣のアルマは不機嫌そうだった。

「ど、どうした?」

「—――ふふっ、わざわざ私に聞くか。謝るのなら、今のうちだぞ」

「悪かった‥‥」

「ああ、君が悪い。私と一緒にいるのに、廊下の影に隠れて、逢引きなんて‥‥近いうちに必ず踏みつけるから。それで、今から行く所に、特務課の拠点があるとは、本当なのか?」

「拠点そのものかどうかはわからない。だけど、少なくとも隠れ家はある筈だ。さっきサイナに探知して貰ったら、あれと同じ機種の通信機が、一か所に集まってる」

 あの店に入り込んでいたいた数は10人前後。昨夜の総数の4分の1程度でしかない。全てと殴り合うつもりではないが、出来る限り捕まえ切りたい。

「ここから先は、過分に俺の私怨でもあるけど、付き合ってくれるか?」

「無論だ。その為に、装備を積んできている‥‥それに、ああいった何をやっても逆恨みや禍根を残す手合いは、やるのなら徹底的に、始末すべきだ」

「‥‥そうだな」

「そうだ。少なくとも、情けなどかけるべきじゃない」

 俺以上に組織闘争を知っているアルマは、さも当然のように、言い切った。アルマは正しい。だって、誤解という訳ではない。俺があのカエルを狂わせて、廃人とした。自分の行いを、決して間違っているとは思わない。向こうの独善に、これ以上付き合う必要はない。

「—―――俺が迷ったら、叱ってくれ」

「ふふっ‥‥承知した。それから、後ろから追いかけているあれらは、いいのか?」

「ああ‥‥あれか。どうでもいいんじゃないか?」

 先ほどから、後ろをそれぞれふたつの組織が追ってきていた。ひとつは間違いなく特務課予備生、もうひとつはオーダー校の生徒。それぞれどんな思惑があるか考えたものではないが、いいように使われているようで、不愉快だった。

「捕まれよ」

 ミラーを直しながら、そう言うとアルマは吹き出すように、頷いた。

「ああ、また見せてくれ―――」

 この車両なら出来る。昨夜に、ふたつの組織から逃げ出し、翻弄したオーダー法務科から支給されたセダン。おおよその想像は付く、十中八九、これは技術開発部門から生まれた資金など度外視された怪物。湯水の如く費用を飲み込むリバイアサンは、燃料を吸い込み、アスファルトの上を滑るように加速してくれる。

「ちょっとばかし乱暴な運転だ。ついて来れるなら、ついて来いよ!!!」

 一瞬で加速する車両は、こちらの想像を超えてGを起こしてくる。だが、アルマは受ける慣性力がむしろ心地いいらしく、鼻歌まじりにミラーを見ている。

「あっはっはっはッ!!すごいぞ!!続々と離していく―――」

 直線上でこのセダンとスピード勝負が出来る車両など、向こうは持っていない。これの性能を、ある程度両組織は計測出来ていただろうが、この疾走力に通ずる四輪など、そうそう存在しない。追い付きたいのならば。

「サーキット場からいくらか拝借すべきだったなぁ!!!」

 何事かと歩道の人間達がふり返り、あるいはスマホ片手に撮影している。一般の乗用車も走る中、車両と車両の間を縫うように、セダンは疾走する。とても口が裂けても言えない時速の中、化物は雄たけびを上げながら、アスファルトにタイヤ痕を残していく。

「相変わらずすげぇな。全然タイヤが削れてる気がしない」

「何か特殊なゴムか何かか?」

「そもそもゴムでもないかも。中身を見たいけど、下手に見ると逮捕されるだろうな」

 後詰めとしてらしく、それぞれのセダンのスポーツカーが前に出てくるが、それでも徐々に距離を離していく。しかも恐ろしい事に、このスピードの中、自動運転機能とやらはまだ健在らしく、半自動的にギアの上げ下げを行ってくれる。

「一体、どんなテーマで作られた車なんだ」

「こういう時じゃないのか?」

「違いない」

 T字路に当たり、全くのノーブレーキで突入し、ドリフト。現代日本の公道でこのような真似をすれば、警察にもオーダーにも逮捕されるが、その双方が俺達に追い付くべく違法な追跡を行っている。

「対象を追う時は、まずは呼びかけ。最初からぶつけるつもりで、来るのなら違法な逮捕だ。敢えてスピード違反を起こして点数稼ぎをしたって判断されるから」

「なるほど‥‥だが、私達は最初からスピード違反じゃないか?」

「—――盲点だ」

 アルマと世の心理に迫った時、真横からこちらにぶつけるべく、あの護送車のような車両が、脇道から顔を覗かせてくる。だが、俺もアルマも「ほう」と言うだけで、特段驚く事はしなかった。

「甘い甘いッ!!」

 広い交差点を良い事にブレーキなど一切使わずに、ハンドルを回す。完全にスピードを回転力に変えた瞬間、セダンは操作性を失い、アスファルトの上を空回りする。だが、それでいい―――回転したセダンを操れるのはブレーキのみ。今度こそブレーキとハンドブレーキ、エンジンブレーキを使いセダンに道筋を教える。

「タイミングを失ったな」

 前方と後方から火花が出ない、接触しないぎりぎりを護送車の車体に向けて放ち、護送車の側面を昨夜のように通り過ぎる。向こうにとっては透過したかのように、素通りする。

「あばよ」

 護送車から離れた瞬間、そこは丁度十字路に差し掛かった時だった。全力でアクセルを踏みつけて、旅客機ように安定するスピードまで戻す。

「丁度いい」

 アルマの呟きに頷いて、原油を運ぶタンクローリーの前に踊り出る。そのままタンクローリーで十字路を分けて貰い、逃げ去る。あのスポーツカー達は、既に後方の車両は消えてしまい、追いかける事は諦めたようだった。

「これから地下に入る、少し揺れるぞ」

 それだけ言って、近場のビルの地下へと入り込む。通信車から衛星で確認されている可能性がある以上、出来る限りのかく乱、そして装備を整える必要があった。地下駐車場に入り、適当に柱の影になる場所に車を停める。

「5分後に集まろう。俺は適当にトイレで着替えてくるから」

「不要だろう。ふたりで着替えればいい―――それとも、私のを見たくないのか?」

 外に出ようとシートベルトを外した時、腕を掴まれた。白い筋肉質な手の平が、温かくて近づけてくる顔と髪から、甘い香りがしてくる。

「‥‥流石に、それは‥‥アルマだって‥‥」

「ふふ、煮え切らないな。あれほどの運転技術を見せつけたのに、こんな初心な反応をして。急ぐのだろう?」

「‥‥せめて、後ろで着替えてくれ」

「了解した。じゃあ、ふたりで行こう」

 眼球を舐められるのでないかと思う程の距離で、そう言われてしまい、頷く事も出来なくなる。漂うアルマの呼気に当てられて呆然としていると、いつの間にか外に出ていたアルマによって外に連れ出されて、車両の後ろへと連れ込まれる。

「ふたりで手伝った方が‥‥早いでしょう‥‥」

「‥‥無理は、しない方がいいんじゃないか‥‥顔、赤いぞ‥‥」

「そっちだって‥‥いいから、早くしよう‥‥」

 用意していたアタッシュケースを座席の下から引き出し、膝の上にそれぞれ置く。しばしふたりで無言になるが、アルマが自身のシャツを脱ぐ事を皮切りに、自分もYシャツ気味の上を脱ぐ。

「‥‥多分、特務課に敵対したら、アルマは一般的なオーダーからかけ離れる事になると思う。改めてだけど、いいのか?」

「もう既に敵対関係だ。気にしなくていい。それに‥‥私は既に、多くの組織や人種から敵対関係となっている‥‥もう気にしてもしかたない」

 揺れるアルマの胸元を出来るだけ見ないように、していたが、シャツを完全に脱いだ時、脇や首元を晒した瞬間に漂ってくるアルマの香りに引き寄せられて、顔を向けてしまう。

「ほら、やっぱり見たかったんじゃないか‥‥」

 金の髪を後ろにまとめて、ほくろひとつない肌を持ったアルマの肉体から目を離せなくなってしまう。それに、その香りの所為で、呼吸を無駄にしてしまい過呼吸となる。

「そ、そんなに匂わないで‥‥私だって」

「は、早く着替えよう」

 隣にアルマがいる事を忘れる為、急いで靴やズボンを脱ぎ始める。だけど、下着姿になった時、アルマが小さい悲鳴を上げた所為でまた見てしまう。

「やっぱり、アルマだって慣れてないじゃないか‥‥」

「君で、慣れたかったんだ。私だって選べるのなら、君を選びたい‥‥」

「—――っ、嬉しいけど、今はダメだ‥‥」

 中からあの潜入服を取り出し、急いで被っていくが頭が上手く出せないでいると、服を掴んで手伝ってくれる。

「手伝うから、後で私のも」

 頷く前に頭が出てしまい、下半身を下着だけにした状態でアルマを見つめる。そこには、髪とよく似た色の下着をしたアルマが胸を隠すように、肩を震わせていた。

「‥‥ダメ、か?」

「さ、先に手伝って貰った訳だし‥‥手伝うよ」

 アルマの服は、やはりあの頑丈なコートのような物だった。だけど、恐ろしい程に布が軽くて風をよく通している。弾丸を通さないように頑丈に編まれてこそいるが、その実、実際はわざと隙間を開けるように作られているらしく、コートの内側に手を入れても、風を感じる程だった。

「そ、そんなに私が一度着た服に、興味があるのか‥‥?」

 だけど、気にした所とは別に要因をアルマ自身は気にしているようだった。アルマに言われて気付いてしまった。いつの間にか――鼻を付けてしまっていた。

「そ、装備として興味を持っただけで‥‥」

「装備としてだけなのか?」

「‥‥アルマが気になるから」

「ふふ、そう言ってくれると、嬉しいよ。手伝ってくれ」

 そもそも自身の容姿に自信を持っているアルマは、正直な返答に微笑んでくれる。アルマのコートを掴んで、アルマ自身を抱きしめるように肩の上からコートを被せる。コート自体は二段構造になっているようで、中に俺が着ているボディースーツのような薄い布地に袖を通してコートを裏返し、腰に流した。

「下も頼む」

「流石に、そこは‥‥」

「ここまで見ておいてか?」

「‥‥‥‥もう慣れたのか‥‥」

 ドアに背を付けて、長い足を延ばしてくるアルマに従い、こちらも薄いデニムパンツのような衣服を履かせる。だけど、足先をデニムパンツから出した瞬間、酔ったような気分になった。

「—――やはり、私の足が好きなのか‥‥」

 サンダルという通気性がある靴を履いていたとは言え、この気候の所為だった。

 アルマの足から汗の香りが漂う。

 汗と皮脂の濃い足の匂いに、アルマ自身の甘い香りが混ざり、湿り気を持った空気として鼻に届き、温かなよく香る臭気として鼻腔をくすぐる。

 匂いだけじゃない。ひび割れなどしていない綺麗な爪、血管が通っているのがよくわかる白い肌。決して万人が望むとは言えないかもしれない湿っぽい香りが、白い美しい足からするという生理的な現象。それは、思い起こせばアルマの素顔を見た時に似ていた。

「か、噛むのかっ!?」

 まだデニムパンツを履き切れていない、下着のままのアルマの足先、つま先に口を付けて舌を這わせていた。汗の味を舌で吸い取り、汗の香りを肺に取り込む。先ほどまで強気に、足を押し付けていたアルマも鳥肌を立たせている、だけど、反抗などしてこない。

「食べないで‥‥悪かったから」

「‥‥まだ、舐めたい」

 指の間と、足の裏、そして踵。汗が残っている部位を全て舐め切った所で、改めて指を口に含み、蒸らす。そうした所為で再度アルマの足の指の間から汗が噴き出てくる。鼻を突き抜ける生々しい体液の香りを肺に溜め込み、舌で味わい、一息として逃がさない。

「—――そんなに、好きか?」

 足に口を付けながら、残りの足のふくらはぎに手を這わせる。筋肉の形を残した強靭な脚部でありながらも、少しだけ握り締めれば女性の柔らかな吸い付く脂肪が指を包み隠す。

 同時に鼻で笑う、嘲笑う声が聞こえてしまい、なおの事舌と手の動きが止まらなくなる。

「好きで、美味しい‥‥」

「君、頭をどうかしたんじゃないか?」

「アルマが美味しいのが原因なんだ。アルマが俺を狂わせた」

「ふっ‥‥無様。素直に最初からこうしたかった。私の足と身体を好きに蹂躙したかった、そう言えばいいものを。見てみろ、君の所為でこんなにも照り返している」

 唾液が跡引くつま先を口から引き抜き、顎に足の甲を添わせてくる。まだ漂う足の香りに、着替え途中の白い肌が見えてしまい、未だ握り続けているアルマの足を離せなくなる。

「素直に言えば、しゃぶらせてあげる。だけど、君の今の姿、わかるか?これ以上無いぐらい、無様で醜いぞ?」

「‥‥‥‥俺は、そもそも美しくなんかない」

 握った足から手を離し口元を袖で拭う。アルマの足からも、顎を離して、呼吸を整える。

「着替え、続けようか‥‥」

「もう終わりなのか?」

「言っただろう。5分で済ませようって」

「なら、口を洗ってきてくれ。流石に、私の足を吸ったままでは衛生的じゃないだろう?」

「‥‥ああ、言ってくるよ」

 車から降りて、コンクリート製の駐車場を歩く。あのホテルほど広くはないが、それでもかなりの規模のビルだったのは間違いない。いくつもの高級車が並ぶここは、適当に入ったにしては悪くないチョイスだったようだ。

「もしかたら、本当は許可証とかは必要なのかも‥‥」

 独り言をしながらトイレへと向かう。扉を押して開けた瞬間、やはりここは選ばれた者しか入り込めないビルなのだとわかった。床の黒い大理石は、ついさっき掃除でもしたように輝き、いくつも並ぶ個室は、立ち並ぶ壁の感覚を見るだけ、かなりの広さだと理解する。

「‥‥どうでもいいか。どうせ、もう来る事もないし」

 まだアルマの足を、口に入れているような気がする。汗の香りに、アルマ自身の香り、全てが口にも肺にも残っている。

「適当でいいか‥‥」

 蛇口に手をかざして、水を流させる。アルマの言われた通り、水で口を洗い吐き出す。

 トイレで口を洗うなど、あまり気が進む事ではないかったが、トイレ特有の香りなど一切しないここは換気が行き届いており、床や壁、全てを殺菌加工でもされているのか、怖いくらい清潔に見えた。

「‥‥行こう」

 そうまた呟いて、トイレの出口に手をかけた時、扉の向こうから声がした。だが、足音は聞こえないので、こちらに入ってくる様子ではなかった。

「‥‥やっぱ、マズイよな」

 仕方ない、そう考えて人影が去るまで待つ事にした。

「—――どんな人種なんだ?こんな所に入れるなんて」

 仕事柄、盗み聞きをしてしまうのが、悪い癖だった。だけど目を使い、扉の向こうを見渡した瞬間、その判断が正しかったと押し黙る。数は3人。息を潜め、気配を完全に消し去る。影すら消す勢いで、ただの無機物のひとつ、空気のひと撫でとなる。

「イミナ、君がここに来るなんて‥‥どうかしたのか?」

「まだ、私からの返事をしていないと考えました。マトイ」

「はい、マスター」

 聞き覚えのある声だった。

「改めて、お久しぶりです、ヘルヤ様」

「‥‥ああ、久しぶりだ。‥‥成長したのだな」

「はい、あの時から10年、いえ11年は経っています。私は、高校生になりました。それに、恋人もできました。ふふ、喜んでいただけますか?」

「当然だろう‥‥また、笑ってくれるようになったのだね」

 聞いているこちらが嗚咽を漏らしそうな声だった。

 声の震えを抑えて涙すら我慢する。真にマトイの事を想っているのが、ただの言葉だけで伝わる。あちら側とマトイの関係など知る筈も無いとしても、確かな絆を感じさせた。

「私の事も聞いてくれ」

「はい、ヘルヤ様もお元気でしたか?」

「ああ、勿論。‥‥ふたりがいなくなって、私は教員となったんだ」

「覚えていて下さったのですね」

「ただの気の迷いさ。だが、なぜだろうな。決めた時、マトイ、君の顔が浮かんだ」

 人形ではない、背の高いその人は、金の髪を揺らしてマトイの目元に指を添える。

「‥‥美しくなったな」

「あなたも、記憶のままの美しさです。‥‥まだまだあなたに届きません」

「私など目指さなくていいと前にも言っただろう?マトイは、自分の美しさを磨けばいい。それを君の恋人も望んでいるだろう」

「はい、私もそう思います。ふふ‥‥いかがでしたか?あの方は――」

 親し気に話すマトイと外部監査科の長は、周りに全く見えないでいた。すぐ側で聞き耳を立てている事に一切気付かないでいる。異端捜査局の長さえ、気付く素振りも無かった。

「本当にマトイの事を大切に想っているのが、わかったよ。本当に‥‥」

「ええ、あの方は私の事を、本心で想ってくれています。ふふ、自慢の大切な私のヒジリ‥‥きっと、私がオーダーに行ったのは、あの人に会う為」

「—――マトイにそこまで言わせるか。くくく、少しだけ嫉妬してしまいそうだ」

「あなたこそ、見ない間に年下なんて‥‥」

 マトイの言葉でわかった。あの長い仕込み杖を持った少年は自身の長とそういった仲だという事に。確かに、言われてみれば、そういった雰囲気ではあったかもしれない。仕えるとは、違う守るような姿は、同じ位にいるからこそ、纏える空気だった。

「不思議かな?」

「いいえ、そもそもあなたに、人間の大人など似合いませんでした。あなたに導かれた私が言うのですから、間違いありません。年下の非人間族。私と同じですね」

「—――――」

 声が出そうだった

「私は後悔などしていません。あなたに救われた。ただそれだけ。人間としてのマトイと、あの姿としてのマトイ。どちらにしても私はあなたを愛しています。—――ありがとうございました。私を守ってくれて」

「‥‥結局、私の出来た事など高が知れているさ。あの時からイミナが。今はあのレヴァナントが。ふふ‥‥だが、そうか、私にそう言ってくれるか」

「はい、このマトイはあなたに感謝しています。マトイは、今も昔も、そして未来も、幸せです」

 床に水滴が零れ落ちるのが見えた。

 逡巡する間無く、もう目を閉じた。見るまでもない。涙が止まらず、金の髪をした外部監査科の長が自身の白いローブを、そして駆け寄ったマトイの黒いローブをも涙で濡らし始めるとわかったからだ。啜り泣く姿に痛々しさなど感じ取れない、あるのは誇りただ一つ。

「‥‥私のした事は、間違ってなどいなかったのね。ここまで君を成長させる事が出来るなんて‥‥」

「—―—―—あの時も、今も、マトイは愚かでした。あなたの優しさに気付かずに」

「いいさ‥‥もう、いいんだ。また笑ってくれた、それだけでいいんだ」

 膝を突いた長に身体を貸しながら共に膝を突くマトイは、泣きじゃくる俺をなだめる時と同じ姿で頭を抱えて背中を撫でていた。誰から受け継がれた姿なのかも知れてしまった。

「‥‥俺にしてくれた事は、あの人譲りか‥‥」

 自分がちっぽけになった気がした。きっと、真にあの人はマトイの幸せを願った。

 そして、その願いは俺と言うふたりの関係を何も知らない他人が成してしまった。何も知らないなんて言えない。自分は、マトイの真の姿を知る時が訪れたと悟る。

「ふふ、今度はあの人も交えて、挨拶させて下さい」

「その時は、私も彼を連れて来よう。私達の馴れ初めは、その時話させてもらう」

「まぁ‥‥楽しみに待っていますね」

「ああ、待っていてくれ。そして、その時こそイミナの事も話して貰おう。—―—―まさかマトイと共に同じ人を想うだなんて。隠していた積年の色欲がついに姿を現したか?」

 あちら側の長が挑発でもするように言い切った瞬間、足音を立てて近付いた—―—―色こそ同じではあるが、デザインも心情も異なるローブ姿のイミナ局長が無言で鼻先まで迫る。

「では、私からも返事をしましょう」

 駐車場中に、思わず目を開いてしまうような音が響き渡る。その正体はイミナ局長の手と外部監査の長の頬から発せられた平手打ちの音であった。

「‥‥優しい事だ。この程度でいいなんて」

「これ以上は彼が既にしました。あの弾丸を我らに向けた、それで8割です」

「では、これで10割か?」

「いいえ、これで10割です」

 続いて、マトイの手からも音が鳴った。

「‥‥いい力だ。腕を上げたな」

「はい、あなたから受け取ったものですから」

「いいものを返して、貰ったよ」

 それぞれ同じ部位を叩いた事で、若干以上に赤く染まった頬を嬉しそうに撫でながら、外部監査科の長は微笑み続ける。それに、どのような意味があるのか。恐らく、それは当人達にしかわからない—―—―約束そのものなのだと頭の何処かで察した。

「これで、ひとまずは口裏合わせの対価とします。話は上で――」

 




「ん?そんなに見てどうした?」

「‥‥見てない」

「ふふ、そうか」

 しばし足音が去るのを待ち、アルマの元へと戻った所。どうやら、ここは魔に連なる者達の拠点らしく追手の影も形も見受けられない。そもそも、ここを見つけ出す事すら出来ていないようだった。視線で、魔に連なる者に通づるアルマへと伺った気だったが、

「また私の足を舐めたくなったら、いつでも言ってくれ。汚して会いに行こう」

「‥‥俺は、綺麗なアルマの足が好きなんだ」

「ふふ、では、君の舌で汚してくれ‥‥あなたになら、いいから」

「‥‥そうする」

 と、お互いの装備をシートに座りながら見つめるだけに留めた。アルマの装備は、昨夜と変わらない装備だったが、若干違う部分、追加された物があった。

「それは‥‥」

「ああ、これは砕けた私の剣の一部—―—―もう、ゴーレムとしての力はないけどね‥‥」

 腰に佩いて筈のマインゴーシュは別の短剣に変わっていた。あの時とは違う、もう包帯を巻く必要はないらしく剣は、折れた刀身を短く削って作り直し鞘に納められていた。

「だが、そもそもあの剣は特別な金属で造られていた。この姿になった事で、大人しく私の言う事を聞くようになった。ふふ、それとも君に砕かれたからかな?」

「恨んでるか—―—―」

「いいや。そもそも、あの剣を手にした事で私は完全に狂っていた。——―自分でだってそう思う。あのままでは、真っ当な生活など送れなかっただろう」

「オーダーが真っ当か?」

「今まで私がしてきた事からすれば、真っ当だ。ふふ、侮るなよ、私は――—―流星の使徒だ。言い方を変えよう、私は、引き返せない狂気に身を任せる事になっていた」

 今目の前でシートに身を預けているアルマは、ついさっきまで足を吸わせてくれたアルマと何も変わらない。忘れた事などない、このアルマは俺の腕を夢の中でとはいえ切り落とした。切断されて、飛んでいく腕を、失くした質量を忘れてはいない。

 忘れてなどいない。アルマは、紛れもなく狂人だ。

「恨んでなどいない。私は敗北した。流星の使徒は、君達に敵わなかった。だというのに姿を変えたとは言え、この剣を手元に戻してくれた‥‥ありがとう‥‥とても嬉しいの‥‥」

 微笑みんで顔を向けてくれるアルマ、先ほどのマトイの姿が重なった。

「そんなに私に見惚れて‥‥ふふ。先ほどの話をしよう、君が美しくない?そんな筈がないだろう」

「急にどうした?」

「君には、はっきりと言うべきだと思ってな。さぁ、そろそろ行こう」

「あ、ああ‥‥」

 慌ててエンジンをかける。静かな音を立てて、ゆっくりとタイヤを回転させる。外に出るべくしばらく車を転がすが、やはり違和感があった。警備員などいない筈なのに、これだけの規模の地下駐車場に誰も入って来ない。

「ここは人払いを常にしているのだろうか‥‥」

「人払い?ゴーレムの一種か?」

「強いて言えば術式の一つにして、土地の力だ。恐らく、レイラインに望んだ力を吸わせて運ばせている。恐ろしい念の入れようだ。土地どころか血の奔流に手を加えているなんて」

 窓に視線を向けながら、何やら呟き出したアルマに首を捻ってしまう。

「そうだったか、君はこういった魔に連なる者達の世界には、疎かったのか」

「悪い、勉強不足で‥‥」

「いいや、それでいい。きっと、あのふたりがそう決めたのだろう。必要があれば、マトイさんが教える時が来るさ。だが、やはりここは異常だ」

「このビルか?」

 ビルの地下から飛び出して、もう暗くなっていた夜道に躍り出る。

「ビルもそうだが、この街全体が異常だ。まるで‥‥あの湖のように―――ここは、忌み地のひとつなのか?」

「‥‥わからない。だけど、そう思うのか?」

「所詮、勘でしかないが、そう感じる。あれほどの魔に連なる者が数人もいるのが、良い証拠だろう。土地の支配者がいなければ、この程度では済まない」

 忌み地とは、その名の通り、忌み嫌われた土地の事とされている。なぜ、忌み嫌われるか、それは大きな災い、自然現象での災害や、人為的な事件や事故、そしてなぜそれが起こったのかわからない、理解できない、まさしく怪異がいる土地。

「済まないって、ここでの事は全部肉体を持った―――」

「おかしいとは思わないか?あまりにも、人が狂い過ぎている。人だけではない、君達人外に、私達人の道に外れた者達もだ。ここは異常だ、あまりにも土地に意図的な手が入り過ぎている‥‥いいや、元々安定化させる為に作り出していた陣に、破壊目的で何者かが‥‥」 

 その時だった。

「口閉じてろ!!」

 左からだった。何かに弾かれるように、顔を持たないあの人形が車の窓ガラスに突っ込んできた。寸前でハンドルを操作して、右のガードレールギリギリまで、避ける。

「アルマッ!!」

「ああ‥‥もうここは、何者かの夢だ」

 言われるまで、そしてアルマも気付かなかった。いつの間にか、ここは何者かの夢、身体の中に入っていた。

「‥‥何が起こってる。これは俺達に対しての攻撃なのか?」

「わからない。だが、あのゴーレムは間違いなく、私達か、この車を狙ってきた」

「動くものに反応したかもしれないって事か‥‥サイナ、聞こえるか?」

 そうナビに呼びかけるが、何も返ってこない。既に、サイナ達もこの異常に取り込まれたようだ。

「俺達は、あのビルに守られていたのか‥‥直行しよう。目的地が合流地点になってる」

 サイナ達との約束だった。何かあった時、どちらかが必ずあの特務課達の本拠地に乗り込むと。

「準備しろ、ゆっくり降りる暇はなさそうだ」

 真後ろから、あの人形達が迫っているのが見えた。それだけじゃない。こちらのスピードを気にも留めず、サブマシンガンではない、拳銃を握り、歩道やビルの上を駆けて、こちらを追ってきていた。

「‥‥力を分ける事で、総帥なみの数を呼び出すなんて」

「あれは、危険なのか?」

「—――恐らく、危険だ。使っているもの、あれは恐らく魔狩りの力」

 その言葉に、身に覚えがあった。

「俺の魔女狩りと同じか‥‥?」

「力の方向こそ同じだが、それに届く力は持っていない。けれど‥‥ただの弾丸とは思わない方が良い。人にとっての弾丸と同じ威力を、人外に起こさせる。これだけは聞き届けてくれ。絶対に君は受けてはいけない。致命傷になる」

「‥‥厄介な身体だ」

 そもそも何者かを対象にしていたか知らないが、ネガイの言っていた意味が、ここに来てわかった。あれらは集団の力を高める為に作り出された性能、一撃必殺など無用、集団としての弾幕を使ってくる気だろう。だが、不思議だ。

「撃って来ないな‥‥あの銃は知ってるか?」

「始めて見る類だ。知らないようだから言っておく、君が持っている程の力を持った銃など、世界中探してもそうそうない。そこまでの逸品なら、ただの弾丸でも多少は効果があるだろう」

「‥‥聞いていいか?そもそも魔女狩りとか、魔狩りってなんだ‥‥?」

 この状況で聞く事ではないなど、百も承知だ。だが、今だからこそ聞かないといけない。あれは、そもそも誰に向ける為に作られたのかを。

「‥‥気を悪くしないでくれ。それらは、人間が人外の領域、領地を奪う為に作り出した、まさしく毒の類だ。もちろん、襲い掛かってくる怪異から身を守る為、護身用に持っている者もいる。だが、あれらが抜かれた時、それは大方が、人間から離れた者達を狩る時だ」

「—―――勝てないから、毒か‥‥」

「ああ‥‥そして、それらは我らの技術も多かれ少なかれ、混じっている」

「だけど、これは流星の使徒にも通じた。なんでだ?」

「‥‥我らも、真っ当な人間ではないからだ」

 そう言ったアルマは、なぜだろうか胸のつかえが取れたようだった。

「我らは、怪異を、人外に落ちた者は狩る為に生まれた。勝手に産まれたんじゃない、自ら身体を造り変えたのだ。‥‥人外達の血肉を使って。—――正直に言おう、恐らく、君達ヒトガタのそれもだ」

 ハンドルを握る手は、何も変わらない。徐々に近づく特務課の拠点に、心拍が上がる事もない。今俺は、アルマが正直に話してくれる事を静かに聞いていた。

「‥‥前に、同じヒトガタ達が言ってた。一度、私達の研究所にも、流星の使徒が来た事があるって。だけど、私達にはなんの危害も加えなかったって」

「—――そう、あの中にいたのか。私は、その場にいた訳ではないから、はっきりとは言い切れない。だが、我らの目的は、怪異、人外に必要以上に近づく者達‥‥起こしてはいけない事象を未然に防ぐのが、役割だ。無為に人外であれ、人間あれ命を奪う事はしない。信じてくれるか?」

「信じるも何も、今生きてるヒトガタ達は、俺の家族だ。信じるよ」

「‥‥ありがとう」

「よし、そろそろだ。降りる準備は?」

 その声に、アルマは返事をしなかった。だが、杖のように握っていた片刃の銃剣の鞘を軽く鳴らして、教えてくれた。いつでもやれると。

「俺が合図したら、ドアを開けてその場に降りろ」

「君は?」

「少しだけ、追い払ってから降りる。ほんの数秒だけひとりになるけど、降りたら絶対動くな」

「なぜだ?」

「アルマに怪我をさせたら、‥‥泣くから」

「—――っ!そうか‥‥ああ、信じるとも。君が、私を信じてくれたように」

 街中からは既に去り、開発途中の地区に入り、数分。ナビによれば、目的地まで後数十秒。

「あれか‥‥」

 そこにあったのは、建設途中のビル群の中に開けた土地の中、ポツリとひとつだけ建ったガラス張りのドーム。どこか植物園を思わせる建築ながら、実際は博物館のようで大きく看板にはそのように書かれていた。

「丁度いい‥‥アルマ」

「言われなくとも‥‥信じてる。どうか蹴散らしてやれ」

 車道からレンガ造りの床に乗り上げる、既にアルマは合図を持っている。向こう側の人形達も、開けた場所に逃げ込んだ俺達を仕留めるべく、その身を呈して車両に掴みかかるべく、手を伸ばしながら接近してきた。

「—――今だ」

 言われた通り、アルマは車から降りる。慣性など起こさせない、アルマが降りる寸前にハンドルを操作、アルマを囲むように車体を振る。対象のひとりであるアルマが下りた事で、狙いがふたつに分かれる。一瞬の戸惑い、一握の優先順位、一瞬の判断。だが、迫りくる人形達が足を止めた、しかも化け物の間合いの中で。

「—――ここは私の鏡界」

 アルマのその言葉に、どんな意味があるのかはわからない。だが、それだけで十分だった。

「遅いっ!!!」

 アルマに手を伸ばすか、車を止めるか迷った人形達を重量数トンにも及ぶ車両で横殴りに砕いていく。時速にして既に200キロ近くに迫っている中での車両による旋風—――全てあの人形の責任にして、自らの行いを一切顧みない者への罰。

 ここで巻き起こっているのは、紛れもなく鎌鼬の怒り。

「逃げられると思うなッ!!!」

 窓から腕を出し魔女狩りを疾風で撫でさせる。逃げ惑う人形達に容赦なく放ち続ける。アルマを中心に目とし、車両で動けずにいる人形達をすり潰す、魔女狩りで一歩ずつ後ろに逃げ続ける人形達の頭を―――そして、目の中にいるアルマは、自身の夢の中から銃剣を放ち続ける。

「遅い遅いっ!!」

 拳銃では出せない轟音を立てながら、アルマは自身の肘の内側で射撃台を造り、建物の上にいる人形達を撃ち続ける。

「撃たせると思ったかよ!?」

 アルマに向けて発砲された弾丸を車両の装甲で防ぎ続ける。あれは俺のような人外に対しては圧倒的な殺傷能力を持つ。だが、それ以外はただの拳銃。技術開発部門が満を持して送り出したこのセダンに、豆鉄砲が叶うはずがない。

 マトイとネガイに襲撃をしかけていた数よりも若干少ない数、恐らく――これが特務課の最後の戦力、よってこの場にいる全てを破壊しなければならない。

「逃がすなっ!!ここで取り逃せば」

「ああ、わかってる―――誰も逃がさない、誰も救わない。全て奪う――」

 ブレーキとハンドルを使い続けて、床にタイヤ痕を残す。せめてもと思ったのか、まだ現実が見えていない術者は、タイヤを止めようと残った僅かな人形達で車両に迫る。

「甘い―――」

 魔狩りと放ちながら飛び跳ねるように迫る人形の弾丸を防ぎ、アルマの準備を整えさせる。人形とアルマの間に入り、車体を預ける

「取った」

 最前線にいた一体をアルマが狙撃し、人形達に隙を作る。隙を見せた、ならば抉るしかない。ドアを開け放ち、アルマと共に走る―――先ほどから向こうがやっていたように、床を跳ね、街灯に足を乗せ、狙いを見誤らせる。既に人形達は、指で数える程に頭数を減らし―――直接術者が操作するレベルまで、追い詰めていた。

「—――まずはひとり」

 アルマが真上から銃剣で、殿を破壊する。

「ふたりめ―――」

 過ぎ去り様に、脇差しで頭を落とす。

「さん」

「いや、よにんだ」

 空から舞い降りたアルマは、自身の体重を使い、人形を串刺しにする。溶けるように床がアルマの銃剣を迎え入れ、胸に銃剣を受けながら、弾丸を撃たれた人形は、心臓が破裂する。アルマが三人目の人形を破壊した時、アルマの眉間を狙おうと拳銃を向けた人形の側頭部に魔女狩りを突き付け、引き金を引く。

「最後だ―――」

 残るひとりは、人形であるにもかかわらず腰を抜かし、震える手で拳銃を向けてくるが、アルマの一刀によって腕が飛ぶ。

「‥‥気分はどうだ?」

「‥‥早く、終わらせたい」

「私もだ、帰って続きをしよう」

 アルマと共に魔女狩りと銃剣を向けて、別れを告げる。




「‥‥やはりか」

 アルマが残った拳銃から弾丸を抜き出し、ゴーレムだった短剣で切り落とし、中の火薬を調べ始める。

「わかるのか?」

「‥‥これは、この土地でのみ使える―――間違いなく、これは」

「私達を狙っての罠だった、ですね」

 後ろから声が聞こえた。そこには、二日前の夜と同じ姿のイネスが立っていた。後ろにはサイナにイノリも。

「無事だったか‥‥」

「何心配してるの?こんな実力者がいて、怪我ひとつするわけないじゃん」

「は~い♪わたくしも頑張ったんですよ~」

 アタッシュケースを持ったサイナが、腰に抱きついてくる。息が出来なかった―――サイナの腕力により、その胸の普段以上に圧力を感じる。しかも、それだけではない。一瞬で離れようとするサイナの背中と腰を抱いて、鼻で笑わせる。

「‥‥サイナ、それは」

「大丈夫ですよ~それに、この服中々便利でー」

「そうか―――よく似合ってるよ」

「はい♪ありがとうございま~す」

 サイナが着ていたのは、イネスと同じ。ヒトガタ達の服だった。

「なに抱き合ってるの?さっさと行けば」

「イノリ、後で話がある。待っててくれるか?」

「‥‥まぁ、いいけど」

 サイナと離れて、ガラス張りの建物へと視線を向ける。夜の博物館など、そうそう行ける場所ではない。しかも、俺達ならばわかる。あのガラス張りには、中に何者かがいる。あそこにいるのは、十中八九―――。

「ここから先は、俺とアルマ、イネスだ。サイナとイノリは待機」

「ええ、そうさせて貰うわ。だって、私みたいな普通のオーダーじゃあ‥‥はぁ、なんでそこであんたが泣きそうになる訳?めんどくさいんだけど」

 溜息まじりに、近づいてくるイノリが、目元を拭ってくれる。

「‥‥イノリは、普通なんかじゃない。俺よりも――俺なんかよりも」

「あんたこそ普通なんかじゃないから。もしかして、自分が劣化品だと思ってる?いい?はっきり言ってあげる―――人間は、あんたとだけは殺し合いたくないから、あなたを使いたがってるの。ヒジリ、ようやくわかった、人間があなたをいいように使ってる理由が」

 一歩前に出て、頭を抱いてくる。イノリの肩と髪に頭を預けて、目を閉じる。

「ヒジリは、いくらなんでも優し過ぎる」

「‥‥俺は、優しくなんか」

「いいえ、言い切れる。あなたは、優し過ぎる。もう少し――人間世界での身の振り方、考えれば?」

 その言葉の疑問に、答えて貰う前にイノリは頬を叩きながら離れて、背中を見せながら去って行く。その背中に声を数度呼びかけても、返事はなかった。

「‥‥怒られたのか?」

「こっちを見たまえ」

 次にアルマに声をかけられ振り向いた時、イノリと同じように頬を叩かれる。

「アルマだっけ?ありがとう‥‥」

「いいや、私も最初からこうすべきだったと、今更ながら思うよ」

「私も同意見で~す」

 続いて、サイナにも。手慣れた動きだった、腰を捻りながら空いている腕を振り、勢いをつけた一撃。サイナからのビンタには慣れていたので、今一つ物足りない。

「もっと強い方がお好みでした?」

「やっぱり、怒ってるよな」

「‥‥ふふ♪イネスさ~ん」

「はい、では―――失礼します」

 最後のイネスは、力加減を間違えていた。全身と全体重を使っての一撃に、顎と首に大きな負荷を受けてしまい、タイヤ痕が残る床に叩き飛ばされる。車の袂まで飛ばされた自分は、叩かれた頬をさすりながら四人を見つめると―――当の四人は手を上げて、ハイタッチをしていた。




「いはい‥‥」

「位牌?ああ、痛いですか。では、私が―――」

 本人が叩いたというのに、イネスはあの方のように頬を優しく撫でてくれる。先ほどのイネスと何も変わらない優しい雰囲気に、一抹の不安を感じるが、目が合った瞬間、笑ってくれるイネスに頬が垂れてしまう。

「ふふっ‥‥そのようなお顔、見せてはいけません」

「イネスが、こうしたんじゃないか?」

「じゃあ、私以外には見せてはいけません」

「イネスなら、いいのか?」

「はい、好きなだけお顔を歪ませて下さいね」

 ならばと遠慮しないで、イネスと笑い合う。口元を隠しながら、笑い続けてくれるイネスと指と指を絡ませて、展示品たちを眺める。そこには博物館と美術館が合わさったような展示品が所狭しと並んでいた。過去の動物の骨格標本に、動植物の模型、そして遠い異国の文化に通じる品々、中には宗教的な物すらも。

「凄いなぁ」

「ええ、ここまでの展示品、なかなか見られないかと―――あ、見て!!」

 ベンチで通信機群の最後の探知をしている中、イネスが楽しそうにアルマと俺と連れて、一つの展示品、植物や薬が描かれた本—――錬金術に近い内容に感じた。

「‥‥錬金術か」

「わかるの?ああ、これは錬金術の写本だ。恐らくオリジナルや原典ではない」

「そっちも、わかるのか?」

「無論だ。こういった本の原典には―――まぁ、これはいいか。これが気になるのか?」

「はい!!だって錬金術ですよ。もしかしたら私達に関係しているかもって」

 俺達ヒトガタはホムンクルスの一種である。ホムンクルスとは錬金術師の手により生まれた。確かにイネスの言う通り、ここにある古ぼけた写本は俺達に関係しているかもしれない。

「—――ふむふむ。なるほどなるほど」

 見開き二枚だけの状態でガラスケースの中に展示されている写本を、イネスは食い入るように眺めている。正直言って俺では読む事は出来ても意味が理解できない。まるでプログラミング言語でも読んでいる気分になってくる。

「そろそろ行こう。錬金術とは、現在の科学技術とは違い、概念的な思考の創造に近い。形而上のものを物質にする事にある。これらは、そもそもの『その概念』の知識、一派のルールを知らなければ、読み解けない―――まさか、こんな本物をこんな場所で見る事になるなんて‥‥」

 ガラスケースに張り付いているイネスをふたりで引きはがして、スマホを眺める。ここが特務課の隠れ家とは想像できないが、通信機が集まっているのは、間違いなくここだった。

「残念です‥‥では、探索の再開しましょう!」

「イネス、楽しんでないか?」

「‥‥ごめんなさい」

「いいや、いいよ。だけど、ここは敵の拠点だ。油断はしないように、な?」

 腕の杖と腰の二刀を揺らしながら、縮こまるイネスに、アルマが肩を叩いて慰める。アルマと顔を見合わせて、俺が前に、アルマが殿を務める事にする。スマホからは高低差は確認できないが、真上か真下にいる今の状況からして、おおよその見当を付ける。

「地下に行こう。流石に、あの連中がここの二階とか屋上に集まってるなんて、想像できない。アルマ、後ろ頼む」

「ああ、任せてくれ。行こう、イネス。頼りにしているぞ」

「あ、はい!!お任せください!!」

 やはりアルマにイネスを任せながら、地下に続く道を探す。下手にエレベーターで行けば、途中で止められてしまう、よって階段を探す。前にシズクとの仕事で、こういった公的な施設での探索は慣れているので、バックヤード気味な階段の捜索には時間はかからなかった。侵入禁止と書かれた板の裏の廊下、スタッフルームと緑の蛍光板のついている避難扉の近くに、階段があった。そして、そこには見慣れた電子ロック。

「開けられるのか?」

「これでな」

 M&Pを抜きながら、アプリを立ち上げて電子ロックのパネルに押し当てる。電子音と共にロックが外れる音が鳴り独りでに扉が開く。中の光景に、銃口を突き付けて息を呑む。

「‥‥倒れてる」

 そこには監視か防衛か、特務課予備生のひとりが扉の向こうで倒れていた。

「死んでるのか?」

「確認する。後ろ見ててくれ、イネスは前へ」

「はいッ!」

 アルマに展示品が並ぶ部屋を、イネスには一歩前に出て貰い、中の様子を見張ってもらう。中は開けた場所で、スタッフルームのひとつのように見える。中央には広いテーブルが広がり、上にはタブレットやノートパソコンが無造作に転がっている。その中には大量の通信機も。そして、同じように多くの人が倒れている。

「死んではいない。だけど、この跡は‥‥」

 首元に何かを押し当てられたような跡があった。それだけじゃない、後頭部には外傷、たんこぶがあり、壁に強く押し付けられたのだとわかった。

「‥‥なんだ。これ、岩石か?」

 首元の跡には、岩石特有の角張った傷が多く付けられていた。大きく広く、青く染まっている首元は、岩石を発射されたというよりも、岩石状の長物で意識を奪われたと思わせる傷だった。

「何がいるんだ?」

 腰を上げて、改めて部屋を見渡す。テーブルの上の電子機器こそ無事だが、それ以外、壁の棚や蛍光灯はやはり長物に破壊されたような跡、しかも最近、ついさっき破壊されたような匂いも漂っていた。

「先を越されたか‥‥アルマ、もういいぞ」

「ああ、わかった」

 イネスと部屋の奥に入り、アルマを引き入れて扉を閉める。

「これは‥‥」

「はい、魔に連なる力。しかも、かなりの力‥‥」

「‥‥私よりも格上だ。言っておこう。これをした奴とやり合うのなら覚悟しておく事だ。少なくとも私よりも強い」

「その時は、俺より先に行くか退いてくれ。俺が始末する」

 アルマとイネスは、この場に漂う何かで感じ取ったらしかった。ここで暴れた者は常人じゃないという事に。

「了解した。私とイネスが先頭を行く、君は何かあった時ように待機していてくれ」

「そうさせて貰うよ‥‥」

 部屋の奥には、まだ扉があったが、そこは階段ではない。エレベーターの扉だった。辺りを見渡してもそれ以外には何もなかった。入るしかなさそうだと思い、ふたりを見つめて確認を取ると、ふたりとも頷いて返してくれた。

 エレベーターに近づき、ひとつだけのボタンを押す、数分、下から登ってきたエレベーターが開くの待ち、俺から飛び乗る。続いて二人が入り、それぞれの武具を引き抜く。

「なんだ、雪?じゃない」

 エレベーターの内部には白い塵のような物が舞っていた。雪かと思ったのは、それが結晶のように輝いていたからだった。

「—――有り得ない‥‥イネス」

「はい、これは少なくとも人間の持てる力ではありません。だけど、だからこそ脆いようです。—―――ふふ、楽しくなってしまいます」

「イネス?」

 一瞬、イネスの雰囲気が変わった。当のイネスはそれに気づかず、アルマの声に返事をしながら、首を捻ってくる。—――俺にはわかった。今のイネスの雰囲気は。

「そろそろだ、構えろ」

 そう告げて、ふたりを前を向かせる。軽い音と衝撃を受けながら、エレベーターが開かれる。—――――そこには、あの少年が立っていた。

「‥‥先に行ってくれ」

 アルマにそう呼びかけて、正気に戻す。

「彼は‥‥一体」

「いいから、先に―――」

「悪いけど、それは出来ない」

 首筋に冷気が漂ってきた――――なにかを、使ってくる、しかも――――。

 イネスとアルマの間を縫って、縮地を使う。その時には、既に星が付き従っていた、どれだけの地下であろうが、星が答えてくれる。縮地を使いながら、右手で警棒を引き抜き、居合のように奴の身体を杖越しに全力で殴りつける。まともな動体視力では、目の前に瞬間的に出現したように見える勢いをそのまま使う。だが、少年は床に杖を突き刺し、警棒の衝撃を逃がした。

「重いッ‥‥」

 ガードには反応出来ていた。だが、半歩遅れたガードは、衝撃を完全に逃がす事は出来ずに、杖をに頼りながら立ち続ける足を突き立てている。

「イネスッ!!」

「はい!!」

 イネスから杖を受け取り、空中で左腕に杖を装着、容赦なく真上から杖を振り下ろす。

「仕込みなのに、よく耐えられるな」

「—――なんだ、それ‥‥」

 仕込み杖だとわかっていたからこそ、容赦なく叩き割るつもりだった剣に、ヒトガタの杖は防がれる。だが、一瞬で引き抜いた剣は片手でしか防げなかった所為で、確実に肩に負荷を与える事には、成功した―――。

「ここは任せるっ!!私達は―――」

「先で待ってますね。ふふ‥‥」

 俺達の両脇を駆け抜けて、イネスとアルマは少年の背中にある扉まで手を伸ばす。

「行かせるか!!」

 杖を突かせるな。邪魔をしろ。星がそう呟いた。目の端に漂っていた血が完全に引いた。少年の次の動きが見えた、だが、そこから先は見えない。何者かに邪魔をされている――――。だけど、止めろ、必ず止めろ。さもなければ―――死者が出る。

 少年が握っている杖と足元を足ですくい上げて、バランスを崩させる。肉弾戦は慣れていないのが露呈した少年に、警棒を突き入れて、壁まで弾き飛ばす。

「痛ッ!!待て!!」

「なんで、そこまで邪魔するのですか?しかも、今—――私達の事、殺そうとしましたよね?」

 魔女狩りを引き出す。この少年が人間ではないのは、とうに知っていった。外部監査科という立場からして、真っ当な人間など相手にしていないのは知れている。ならば、法務科にとっての俺と同じような化け物を飼い慣らしていても、おかしくない。

「ふふ、では行かせて貰いますね」

 扉の電子ロックパネルに、スマホを投げつけて扉を開ける。開かれた扉に一瞬で滑り込んだアルマとイネスの背中を確認しながら、銃口を向け続ける。

「‥‥自分達がなにをしてるか」

「誰が話せって言った?」

 魔女狩りを放つ。こめかみギリギリの壁で煙を上げる少年の杖と仕込みの剣を蹴り飛ばし、首元のマイクに呼びかける。

「何があった?」

「—―――」

「アルマ?」

 声の主はアルマだと呼吸でわかった。だが、そこから先は何も言わない。

「おい、向こうには何がある?」

「‥‥俺には、言えない」

「次はない、何がある?」

 二発目を先ほどよりも、致命傷近く、首筋寸前に弾丸を送る。

「答えろ、何がある?」

「オーダーが、拷問か‥‥?」

「俺もお前も、人間じゃないだろう。それに、化け物に鞭を使うのは、よくある事だろう?」

 何も答えない少年に、苛立ちが募り出した。なぜ、答えないのか、なぜアルマもイネスも応答しないのか―――それ以上に、この先から、なぜ、ネガイとマトイの。

「‥‥お前は、そうされてきたのか」

 少年は声を絞り出しながら、自分の足を抱いた。

「—――お前は、違うのか」

「‥‥ああ、違う。俺は―――放置された。それから、全部奪われた」

「そうか‥‥。俺は、言われた通り動いて、求めた結果にならなかったから、捨てられた―――――答えろ、先に何がある?身内の流星の使徒が言っていた、ここの土地に、何者かが手を加えたって」

「‥‥っ!?誰から!!」

 腰を浮かし、立ち上がろうとしてきた白いローブ姿の少年の胸に膝を突き入れて、壁に戻す。ようやく、俺が本気で撃てる相手だとわかったのか―――拳を作って、次の一手を使おうとしてきた。だから、肩に銃口を押し当てる。

 完全に目が合った。ふたつの星を真正面から受けた所為で、呼吸を忘れている。この身体に何が入っているか知らない、切り裂いた時、何が噴き出てくるか、知った事じゃない。だが、彼は、紛れもなく、こちらに敵対的な行動をしてきた。

「動くなって言っただろう。シネ」

「待って下さい」

 扉の向こう、電子ロックのパネルから声がしてきた。

「ネガイ‥‥無事か?」

「はい、無事です。‥‥ふふ、間に合いましたか」

 言い終わった時、ネガイとマトイが、一緒に部屋から出てきた。魔女狩りをしまいながらふたりに駆けより、息を整える。

「‥‥なにもなかったか?」

「はい、何も。ふふ‥‥まさか、勝ってしまうなんて。あなたの星は、一体どれほどの力なのですか?」

 マトイが壁に倒れている少年を見ながら、笑ってくれる。なんの事か分からず、首を捻っていると、後ろから続々と見知った顔が扉から出てくる。

「正面から殺し合うには、相性が悪いと思っていましたが、ヘルヤ、あなたの弟子は油断が過ぎるのでは?」

「そこは許してくれ、あの魔眼に対抗できる者など、まずいない。私こそ、我が弟子では勝てる筈がないと思っていたとも」

 ヘルヤ、そう言われた外部監査科の長は、一緒に扉から出てきた目が真緑の少女と共に壁の少年に、駆け寄って行く。

「まずは一言、よく来てくれましたね」

「えっと、俺は通信機の周波数を探って」

「‥‥なるほど。そんな手が―――私達もそうすれば、ここまで回りくどい事もしないで、済んだかもしれませんね。マトイ、彼を連れて中に」

「はい、ふふ‥‥」

 マトイに手を引かれて、扉に入ろうとした時、肩を掴まれそうになったので、遠慮なしに魔女狩りを向ける。掴もうとしたのは、ヘルヤと呼ばれた長—―。

「何か用か?」

「—―――恐ろしい‥‥これ程までの力を持った目なんて」

「何か用かって言ったんだ。応えろ――」

「落ち着いて、少し驚かせようとしただけだから」

 マトイに腕を引かれて、扉の中に引き込まれる。扉が自動的に閉められる。

「だけど、私も驚きました。あの方のアレに気付くなんて‥‥」

「なんの話なんだ?」

「ふふ‥‥さぁ?こっちに来て!!」

 腕が引かれるままに、廊下を歩く。灰色のコンクリート打ちっ放しの壁に、灰色のブロック絨毯。なぜかこのブロック絨毯だけを見ると、地方本部を思い出す。

「ここは、一体‥‥」

「そうですね、ここはこの土地の地脈とでも言うべき」

「レイラインって奴か?」

「‥‥もう、また勝手にどこからか情報を手に入れて――はい、その通りです。そもそもレイラインとは、そうですね、土地の血管、そう考えて間違いないかと」

 引かれていた腕が、いつの間にかマトイの胸によって抱きしめられていた。呼吸を乱しそうになる中、出来る限り平常心を装うが、足がもつれる。

「ふふ、気を付けてね」

「‥‥悪い‥‥」

「歩くだけで、私に甘えたいの?本当に、あなたってダメですね」

「マトイがダメにしたんだろう」

「知らなかった?あなたは、元からダメです。さぁ、頑張って」

 先ほどよりも体重をかけてくるマトイが、目を細めて笑ってくる。気付いた時には、歩くことすら忘れて、マトイと抱き合っていた。

「さっきのアイツ、危険だったのか‥‥」

「ええ」

「‥‥俺よりも、強いのか?」

「魔に連なる者の戦力は、既に陣地を張った者こそが優位に立てます。現代戦のそれとは、比べ物にならないくらい。だから私とネガイ、マスターもそう思っていました」

 正直に言ってくれるマトイを強く抱きしめて、目を閉じる。

「だけど、私の言った事、ちゃんと覚えていましたね。魔に連なる者には、何もさせない圧殺こそ最大の攻撃。彼の力は、とても強大でしたが、あなたは彼に完勝した」

「相性が良かっただけだよ、向こうには向こうのルールがあったみたいだったから」

「そこに気付いた。私も鼻が高い。『神獣』に『化け物』が勝ったなんて」

「神獣?」

 そう聞いた時、マトイにも唇へ指を押し付けられる。

「はい、それ以上は聞いてはいけません」

「‥‥なら、もう少しこのままで‥‥無事で良かった」

「‥‥ごめんなさい、また心配をかけてしまいましたね」

「心配ならいくらでもかけてくれ―――だけど、俺は」

 マトイの腰と背中を強く引き寄せて、声を潜める。また、涙をこぼれだしてしまった。ここ最近、泣いてばかりの目元を、マトイは鈴を転がすような声で拭いてくれる。

「大丈夫、大丈夫だから。私もネガイも、マスターだっていたのだから。‥‥ありがとう、外のあれらを全て引き受けてくれて。あれほどの数の魔狩り、私達ではどうする事もできませんでした」

「マトイには、あの布が―――」

「私達の布では、あの弾丸は防げません。もし、私達の誰かが受けていたならば、その時点で瓦解していました。ふふ、これは秘密です、実を言うと逃げ場がないから、ここで待っていたのです」

「‥‥間に合ってよかった」

「そう、間に合ってくれてよかった。ありがとう、助けに来てくれて」

 ようやくマトイから離れる事が出来た、改めてマトイと手を繋いで廊下を歩く。

「それで、どこに行くんだ?」

「ここは、あなたの言ったレイラインに直接干渉できる数少ないスポット、遺跡とでも言うべき地区です」

 マトイの話を聞きながら、廊下の突き当たり、扉に手を付いて開ける。そこには、巨大な黒い筒状のなにか、工事現場で使いそうな杭打機らしき何かが地面に突き刺さっていた。その杭打機には大量のコードが突き刺さり、コードを辿ると石板のような見覚えのない物に繋がっていた。

「‥‥不思議な光景だな」

「ああ、私もここまでも地脈操作、初めてみた」

 ひとつの石板の影に隠れていたアルマが、束ねたコードを抱えながら顔を見せてくる。

「アルマ、無事だったか‥‥」

「君こそ、無事でよかった。すまなかった、置いて行ってしまって」

「俺が置いて行けって言ったんだ。気になんてしてないよ‥‥イネスは?」

「ここでーす!!」

 イネスもイネスで、大量のコードを抱えながら、また大量のコードに埋もれながら杭打機の裏側から顔を出してくる。先ほどの雰囲気は既に消え、普段通りのイネスに戻っていた。

「ふたりして、何やってるんだ?」

「彼女達の知識に頼って、ここで作業をお願いしているんです。ふふ、まったく‥‥揃えたような人員の数々です。片やゴーレムの専門家たる流星の使徒で、もう片や自動筆記を引き出せるヒトガタなんて―――本当に、作られたような状況ですね」

「‥‥ここに俺達を、引き寄せる。ここにマトイ達を繋ぎ止める―――これは」

「ええ、恐らく―――誰かの術中に嵌っていますね」

 同じ事をされたようだ。昨夜のネガイとマトイは、あともう一息で押し勝てるという状況を造り出し、後から俺が全てを射抜いた。こうまで上手く化かされるとは。

「彼女達ふたりが参加すると決まったのは、このオーダーがオーダー本部から打診されたから‥‥オーダー本部はわかっていたのでしょうね、あのふたりを有する法務科ならば、この状況に陥れれば、手を離す事はしないと―――あなたに頼みたい事があります」

「ここにいた筈の何者か、恐らくは特務課の術者を探す」

「ええ、その通りです」

 オーダー本部と特務課が繋がっている可能性こそあるが、恐らくそれはない。裏で手を握るような真似をする愚か者は、もうあの本部にはいない。けれども、狡猾な策士がいる。特務課見習いたる連中をまとめて逮捕、更に言ってしまえば特務課という公安にメスを入れる為に、俺達をダシにした奴がいる。

「上手く騙された‥‥特務課に俺を狙わせる為に、アイツらを騙し、特務課見習いを引き入れる。そのまま、特務課見習いをまとめて逮捕」

「そして、あなた達が回収したあのオートマタはそもそも特務課が盗み出した―――正面から聞き出そうにも、どうせ知らぬ存ぜぬを突き通される。だから、本部は再度狙わせる事にした―――彼らの狙いはあのオートマタ、まさか‥‥それ以外の全てを捧げてでも、もう一度狙うなんて」

 それほどまでにあのオートマタには、価値があるようだ。一体、新たな技術とやらに、どれだけの価値があるのか。ヒトガタを作り続けたあの組織と、結局の所変わらないらしい。

「‥‥イミナ局長はこれに気付いていた」

「だから、どうにかしてでもオーダー本部に、あのオートマタを奪わせる訳にはいかなかった。だけど、本部はそれでも構わないと作戦を続行した。—―――こうなる事すら」

「勿論、想像していました。外部監査科からも、それに類する報告がありましたが、少なくとも、これを放置するわけにはいきませんでした。では、頼みましたよ」

 後ろを振り返ると、ヒトガタの三人が立っていた。

「ソソギ、カレン‥‥」

「話は後で、私達には役目がある。あなたと同じように」

「じゃあ、後で」

 ソソギとカレンが、それぞれ肩に手を置いて、大量のコードに立ち向かっていく。声をかけようとした時、後ろから口を塞がれる。

「ふたりは大丈夫、無理しないように見張っておくから」

「‥‥頼みました」

「任せて―――」

 もうひとりのヒトガタ、マヤカというヒトガタも、コードに立ち向かっていく。ヒトガタの自動筆記をろくに引き出す事の出来ない自分では、この布陣の中には入れない。だけど、意味はわかった―――ヒトガタには人外の、貴き者と呼ばれる何者か達の血が流れている。それがなんなのか、誰もわからないが、人間だけでは決して手の届かない物の為、生み出されたヒトガタならば、人の技術を理解する事が出来るだろう。

「どうして、ソソギ達に?」

「昨夜、私の名を勝手に使った報いを受けて貰っています。それより、あなたにはここの主を探し出す為に力を割いて貰います。あれに、触れなさい」

 指で差されたそれは、やはり黒い杭打機だった。マトイの手を握りながら、杭打機に近づくと、ふたりから笑われるが無視する。

「‥‥聞いていいか?」

「はい、なんですか?」

「ここにいた筈の術者、そいつは――人間か?それとも‥‥ヒトガタか?」

「それを聞いてどうしますか?もし、ヒトガタだと知ったら、どうするの?」

 イミナ局長は、言っていた。アルマがもし秩序維持に反する行動を、だけど俺にとってそれが正しいと思わせる行動であったなら、どうするか。言われるまでもない、それに既に俺は答えている――――。

「何も変わらない、俺にとって不都合であるのなら、始末する。もしヒトガタであったなら、思考を推測できるって思っただけだ」

「‥‥そう、明言は出来ません。けど、その可能性は限りなく低い。ヒトガタの術者であったなら、ここであの人形達と共に、私達を迎え撃ったでしょう。マヤカさんの力を見たでしょう?それに、あれほどの力を持っていれば、オートマタを暴走させるなんて真似、決してしなかった—――大丈夫、敵は人間だから。‥‥だから、どうか‥‥頑張って」

 心のどこかで、安心してしまった。だから、ゆっくりと杭打機に手を付ける事が出来た――――握った手をマトイが強く握り返してくれる。俺が目を使って、何者かを探し出す時、それは星に身体を捧げる時に他ならない。総帥を見つけ出した時とは違う、今回はほぼゼロから探し出す。だけど、今はマトイがいる、マトイだけじゃない、ネガイもイミナ局長もいる。だから、耐えられる。




「隠したつもりが、むしろ見つけさせてしまったなんて‥‥」

「奪われるのを避ける為に、ホテルに移動させたのが、裏面に出たか――」

 それぞれの長が口元を抑えて声を絞り出した。

 星は素直に呼びかけてくれた。あの杭打機の残滓を手元に、他天体から地球を見つめた。逆探知でもするかのように、残滓を辿って今もあのホテルにいる人間を見つめる。確かにいた、だが術者は傍らに自らの人形達を置かずに、術者だけでホテルの一室にいた。空を見返さなかったのは、俺を知っていたからか、それとも空を見上げる程の余裕もないのか―――どちらにしても、化け物に手を出し、見つけてしまった。

 ならば、ここから先はただの狩りだ。獲物は人間、狩人は化け物―――。

「誰も逃がさない―――全て、奪う――」

「目を閉じて」

 マトイに頭を抱えられて、ようやく星の眼を閉じられた。目の前が血に染まる、息が収まらない、心臓が破れそうだ。喉もとからせり上がってくる血を飲み込め切れずに、吹き出してしまう―――マトイのローブを血に染めてしまった。

「落ち着いて、横になって」

 ソソギ達と別れて、外部監査科達も待つ部屋に戻る。そこで膝をつきながら全てを説明し終わった時、目を全力で使った反動が、目を始めとした身体の全てに、跳ね戻ってきた。内蔵という内蔵を直接殴りつけられたかのような衝撃。肺に血が入らないように、息を止める。だが、そんな真似は許さないと心臓が命じてきた。

「聞こえますか?息を吸って下さい。マトイ」

「はい、マスターも」

「わかりました」

 ネガイが頭に足を入れて、角度を作ってくれる。そのまま目に手を置いて、視界の邪魔をしていた血管を、ゆっくりと細めて、血に染まる視界を晴らしくれた。

「顔が見ますか?見えたら、頷いて‥‥そう、そのまま楽にして下さい」

 顔を見せて安心させてくれたネガイに目を預ける。マトイとイミナ局長が左右から心臓と気道に手を付けて、血が逆流するのを食い止めて、息を吸わせてくれる。だけど、一度せり上がってきた血を呑み込む事は、難しかった。

「そのまま息を止めて、気道に力を込めて。血だけじゃない、全て吐き出しなさい」

 血だけじゃないという意味がわかった。喉にやきつく胃酸や気管を詰まらせる唾液まで、全てをマトイと共に吐き出させてくれる―――ようやく、ゆっくりと呼吸が出来るようになると思ったのも束の間、次の血がまた迫ってくる。

「しばらく横になっていなさい。ふたりとも、後は任せました」

 イミナ局長が、どこかに去ろうとするので、血に染まった手を握って逃がさないようにする。ひとつ溜息をして、手を握り返してくれた。

「見ての通り、私自身は迎えません。先にあなた達だけで」

「‥‥ああ、了解した。—――それほどまでに、無理を強いるなんて」

「先ほども言いました。この人の目は、都合のいい内蔵ではありません―――もう、この人に無理強いは、させません。次はありませんから」

「—――そうすべきだ。カタリ君」

「だけど‥‥」

「この場で一番の重傷人は彼だ。それに、ここまで彼を振り回し、追い詰めたのは、私達だ。命令だ。渡しなさい」

「‥‥わかりました」

 薄れていく意識を、手放すような真似、未だにせり上がり続ける血が許してくれない。黒の潜入服を、血に染め続けて、その上からマトイとイミナ局長が手を置いて、癒し続けてくれる。

「これ、飲ませてあげて」

「‥‥彼は人間ではありません」

「マヤカにも効いた薬だから。それを飲ませれば、ひとまず出血は止まると思う」

 ネガイが片手を離した事で、視界に光が差し込む。そこには、ネガイが瓶を片手で握って口に付ける光景だった。

「毒なんて」

「信用する為です。‥‥大丈夫でしょう、口を開けて」

 マトイの手によって、肺の蓋が閉められる。そこにネガイが薬を流し込み、イミナ局長が身体の中に引き入れてくれる。もはやひとりで呼吸ができないほど、無理をしたようだった。飲み込む力すら湧いて来ない。

「‥‥息が、出来る」 

 あれだけせり上がっていた血が、ピタリと止まった。気管に空気が通り、落ち着いて呼吸が出来た。鼻に詰まっていた血すら溶けていくようだった。

「—――っ。これが錬金術師の」

「そうよ、へぇー気付いてたんだ」

「‥‥あなたには、謝る事があるかもしれません」

「別に良いから、そんなの。それに、そっちの事情も知ってるつもりだし」

「‥‥わかりました。ありがとうございます、薬をくれて」

「‥‥こっちこそ、散々試す真似して、悪かった。じゃあ、行くから」

 去っていく三人分の足音に身体全体で感じながら、息を整える。本当ならここで意識を手放せば、眠れればこれ程楽な事もないだろう。だが、目に焼き付いたあの光景、オートマタのいる部屋にあの術者がいるのを見てしまった。

 あのオートマタに、指一本でも触れさせるわけにはいかない。

「待って‥‥くれ‥‥俺も」

「自分の状況がわからないのか?言っておこう、その死に体で来られても迷惑―――」

 縮地を使う―――あの外部監査科の長が先ほど仕掛けてきた事を真似てやる。だが。予測していた、そしてあまりにも動きが鈍すぎたのか、真横を過ぎ去り背後に現れた俺の首を掴んで、床に倒れ伏させてくる。同時に血がまた喉を伝うが、全て飲み込む。

「その身体で、ここまで動けるとはな。予測していなければ、一突きだった」

「少なくとも‥‥そこのふたりなら、殺せる。現場にいる自覚が足りないんじゃないか‥‥それとも、場数が足りないのか?」

「‥‥ああ、その通りだ。私達、魔に連なる者は、総じて現場経験がまるで足りない。君達本職のオーダーに比べられてしまえば、そう映って当然だ。だが、それとこれとは話が別だ。立ち上がって、退きたまえ。君を跨ぐわけにはいかない」

 首を離して、手を伸ばしてくれる。その行動にも、苛立ちが積もった。手を払ってひとりで立ち上がり、身体を引きずりながら、壁まで自力で移動する。

「最後に聞かせろ、どうして、俺の邪魔をした」

「先ほどまで、あの場では核分裂とほぼ同列程度の繊細な作業を行っていた。下手に―――まともではない君があの場に入れば、レイラインは我らの手元から離れ、暴走していただろう。では、あとで」

 外部監査科の長は、最低限の言葉だけを使って、ふたりを引き連れてエレベーターに入っていった。緊張の糸が切れた事で、内蔵の痛みが戻ってくる。

「‥‥散々、いいように使って、これかよ!!?」

 叫んだと同時に、残りの血が全て噴き出てきた。ネガイとマトイが、先ほどと同じように身体に処置を行ってくれるが、一度こびりついた狂気は、簡単には流せない。

「まずは休みましょう。エレベーターが戻ってきたら、サイナの車に。ミトリもいる筈です―――私達のオーダーは、終わったのです」

「‥‥俺の、役目は終わりか‥‥」

「—――ここから先は、ヘルヤ様達、外部監査科の世界です。魔に連なる者の戦いに、オーダーであるあなたでは、相性が悪い。‥‥どうか、もう無理しないで、もう血を吐かないで‥‥お願いだから」

 マトイが祈るように、手を拾って額に付けてくる。‥‥あの時と似ていた、手の感触がない。全くない訳ではないが、感じるのは、熱の有無だけ。マトイの手の感触はほぼ感じない。

「‥‥これは、おかしい。なんだ‥‥」

「あなたや私の目に対して、何かしらの防衛策を張っていたのかもしれません。そこまでの力、ほぼ呪詛、いえ呪殺と同意義—―――どうやら、ここの地脈をあそこまで荒らしていたのは、自身の力を底上げする為でもあったようですね」

「呪い‥‥?」

 そう聞き返しても、マトイもイミナ局長も、何も答えなかった。

「—――改めて、あなたの規格外の力を知ったようですね。土地神に見立てた地脈からの、その身を削った呪詛に、あなたは耐えている。そう‥‥あなたが来たから、大人しくなったのですね」

 横になっている俺のの手を、もう一度握って熱を分け与えてくれる。

「私達、法務科の仕事は終わりました。褒めてあげましょう、あなたは、特務課予備生の逮捕に尽力――また、盗み出され暴走していたオートマタを確保、そして外にいた魔狩りの力を持った人形達を、全て撃破した。これだけで、あなたは―――」

「それに、どれだけの価値があるのですか‥‥」

「‥‥少なくとも、外の人形達を撃破した。それによって、私達が無事にここから出る事が出来る。あなたに感謝を―――あなたのお蔭で、私は怪我を追わずに、外に出られる」

 その言葉に、ネガイとマトイも、同様に頷いてくれた。三人に感謝されている。自分の命にも関する、危険な自動人形達を全て撃破した。そして、襲ってきた特務課予備生も逮捕し、近く特務課全体にメスを入れる事になる。オーダー本部のお膳立てには、殺意が湧くが――――これで、俺はまた―――また―――。

「—―――あのオートマタを、救えるのは俺だけだ」

 あのオートマタと分かり合ったとは、思ってなどいない。だけど、あのオートマタは、俺だった。暴走したのは、ただ人間に命じられたから、だけど‥‥危険だと判断されたあのオートマタは、きっと廃棄される。

「‥‥俺が救わないといけない。今度こそ、もう傷もつけたくない」

 心臓と目に血を通す、見通すは人形達の術者。ホテルの窓から、あのオートマタに触れている術者を見つめる。

「‥‥見返したな?」

 奴は、見た。俺の目を、俺の星を。凶星に目を向けた――この化け物を見たな?見返したな?見えるぞ、背筋が凍り付くか?口元が震えるか?顎から音が鳴るか?

「見えるぞ、見たな?俺に気付いたな?目を向けたな?俺を狙ったな?俺に銃口を向けたな?」

「—―っ!!目を閉じなさい、また」

「‥‥いいえ、もうありません。もう、砕けました」

 奴の『力』を見た瞬間、術者の首元の装飾品が砕け散った。これは、自動筆記なのだろうか‥‥魔に連なる力とは、一瞬で消える筈だった力。それを、この目で見て顕在化、形を与える。そんな脆弱な代物を、ふたつの星で見つめれば、星の圧力を加えれば、砕け散るとわかった――――誰が教えてくれた?わかりきっている。この目は、俺が見たい物を見せてくれる。それと同時に、見たくないものは、見せないでくれる。

 そう教えてくれたのは―――。

「まだ目は見える。まだ、俺の秩序は整ってない――手を貸してくれるか?」

 壁に背中を擦りつけて、立ち上がる。

「いいや、手伝ってくれ。俺の為に―――」

 ふたりは何も答えなかった。だけど、ふたりで鈴でも転がすような声を立てながら、手を伸ばしてくれる。ふたりに頼って手を伸ばし、エレベーターに向かう。

「待ちなさい。私達、法務科は」

「私は、法務科でも、オーダー本部でもありません。彼の恋人、伴侶です」

「マスター、どうかお許しを。私も恋人であり、オーダーなのです、この人の秩序の為なら、私も手を貸さなければなりません―――それに、マスターはいいのですか?」

 大きな溜息が、背後から聞こえる。

 後ろへ振り返る為に、力を割くことすら許されない。後、残っている力は、車に向かい、目的地に向かう、そして指を動かす程度。ならば、もう何も無駄には出来ない。俺がオーダーにいる理由は、何者かにいいように使われる事ではない筈だ―――人が化け物としての俺を求めるのならば、俺は、そう振る舞うしかない―――敵は、人間、ならば、真に化け物になれる。狩りの時間だ――――。

「‥‥まったく、勝手に‥‥何が必要ですか?」




「どう?指は、動く?」

「‥‥ああ、大丈夫。助かったよ」

「だけど、白兵戦は許しません。テーピングは、決して万能なんかじゃないんですから。ちょっとでも無理したら」

「無理したら?」

「おしおきですっ!!」

「—―望むところだ」

 そう言い切った所、ミトリにも頬を叩かれた。これも、もう慣れた痛みだった。

 モーターホームの中央、床からひと一人分の寝台を呼び出し、横になっていた。これも俺の為に作ってくれたらしく、横も縦も余裕があり、快適だった。

「もう!!なんで、そこで笑うんですか?いいですか?冗談なんかじゃありませんからね。誰が何という言おうと、無理したら私が許しません。しばらく、監禁してでも、大人しくして貰います」

「よし、ベットは確保したって事だな」

 更にもう一度叩かれる。右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ。それは、非服従、非暴力などと言われているが、真意は違うのでは?と言われている。手で奴隷を殴るとは、汚い事とされていた時代、手のひらでは人を殴れない、もっと言えば奴隷を手では殴りたくない。そして右手で右の頬を殴ったとすれば、それは裏拳で殴ったとなる。であるならば、右の頬は裏拳、ならば左の頬を差し出すとどうなる?

 もし、奴隷が手のひらで殴られたとすれば、その時、奴隷と奴隷の主は、対等な立場となる。その時、奴隷は、殴った者に対して、これ以上ない屈辱を与える事と、

「聞いてますか!?」

 更にもう一度殴られた。

「そうそう、もっとやりなさい。それだけ血塗れで、まだ動きたいなどと言うなんて‥‥まったく、私があれだけ手を回したというのに‥‥それで、勝算はあるのですよね?」

「ただ遠距離で放つ。以上です」

「結構。はぁ――」

 モーターホームの壁に立てかけてある弓剣を眺めて、溜息をつかれた。まったく‥‥美人とは何をしても美人だった。ミトリは怒りながら治療しても美人で、イミナ局長も呆れながら溜息を吐いても美人。そんな風景をミラー越しに笑いながら眺めるサイナも、また美人だった。

「サイナ、あとどれくらいだ?」

「はい、あと5分程度かと~」

 サイナは疑いもせず、俺の言う通りの目的地に向かってくれた。向かう先は、オーダー地方本部。あそこからならば、あの夏の扉を探したビルならば、俺の一射が届く。

「ミトリ、喉が渇いたから」

「あ、はい、ここでしたね」

「—――あぁぁぁ‥‥皆様に使っていただき、私も用意した甲斐がありました‥‥よければ、皆さまもどうぞ‥‥うぅぅぅ」

 ミトリが腰を浮かせて、ソファーの下から飲み物を取り出してくれる。今のサイナ嘆きには、誰も反応せず喜んで飲み物に手を付け始める。

「どう?開けられる?」

「‥‥悪いやって」

「はい」

 起き上がって受け取ったペットボトルだったが、自分で開けられる程の握力が返ってこない。あと五分でどれだけ回復するがわからないが、あと一度ならば、耐えられるだろう。そう、信じるしかない。

「外部監査科は、直接ホテルに向かっているんですよね?」

「そうでしょうね。いち早く確保する為ならば、彼女らもなりふり構っている余裕はない‥‥それで、本当に私達は直接出向かなくていいのですね?念の為、私の人形も放ちましたが」

「ええ、それで十分。散々、いいように使われたんだ、今度こそ、こっちが利用してやる時間です―――あれも、人形ですか?」

 隣のミトリが、なんの事かわからないと言った感じに首を捻ってくる。だけど、そう聞かれたイミナ局長は、無言で頷いてくれる。ホテルの地下にいるそれ、見えたのは、あのオートマタとは似ても似つかない巨大な何か―――あれを形容する言葉を、俺は持っていない。

「‥‥見えているのですね。ならば、先ほどと同じように」

「そんな事をしたら、今度こそ逃げられる。現場は向こうに任せて、俺は遠距離から狙います。自分は守られている、そう思っている内に、射殺します」

「—――ふふ」

 笑うとは思わなかった。

「射殺す、それは許可できませんが、ええ、彼女らにはいい薬になるのでは?あれは、外部監査科に任せて、私達は私達の秩序を行いましょう」

「えっと?」

「ミトリは、俺と一緒に地方本部に。多分、ちょっとだけ無理すると思うから」

「‥‥わかりました。サイナさん、救急箱、使わせて貰いますね」

「はい♪お代は、患者様に頂きますから、ご自由に~♪」

 時間が差し迫ってきた。既に血塗れの潜入服から身体を拭き、制服に着替えているが、正直言って寒気が収まらない。やる事を終えたら、ろくに動けなくなるだろう。

「でさ、マトイ達は?」

「マトイとネガイは、ホテルの裏口に行ってもらってる。裏から物を奪取して貰う為に」

「いいの?だって、外部監査科が狙ってる訳でしょう?」

「外部監査科を出し抜ける。そう思うと、悪い気はしなくないか?」

「‥‥そうかも。地方本部には、私もついて行くから」

 先ほどから不機嫌なイノリが、意外な事を言ってきた。

「‥‥これは、俺の個人的な件だ。いいのか?」

「なに?私じゃあ、関わっていけないって言うの?」

「‥‥本当に引き返せなくなる」

「—―――あっそう。行くから」

 足を組んで、窓の外を眺めるイノリは、それ以上何も言わなかった。イノリだってわかっている筈だ。あまりにも、このオーダーは常識から外れ過ぎていると。

「オーダー校生徒の暴走、特務課予備、候補生の暗躍、わけのわからない人形の軍勢、挙句の果てに人形の守る為に、戦う?あれだけ血塗れだったのに?」

「‥‥さっきは助かった。血、怖くてなかったか?」

「は?血なんて怖い訳ないでしょう。—――潜入学科で、何度も見たし」

 車両に戻ってきた俺の身体の世話をしてくれたのは、ネガイ達だけじゃなかった。

イノリは、何も言わないで服を脱がし、血を拭いてくれた。

「言っておくけど、別に手伝う為じゃないから。ヒジリの世界を、見せてもらうってだけだから」

「見たら、どうするんだ?」

「さぁ?それは私の勝手でしょう?邪魔もしないから―――これは、法務科の仕事じゃないんでしょう。なら、付いて行くから」

 先手を打たれてしまい、イミナ局長も、もう勝手にしろと視線で伝えてくる。イミナ局長にも、まだやってもらう事があったので、こちらに来てもらった。

「あのオーダー地方本部は、オーダー本部の傘下です。すみませんが」

「私すらも顎で使う気だなんて‥‥マトイから余計な事を拭き込まれましたか」

「いいえ、これはあなたに教えてもらった事です。俺は、奪うしかできない。なら、奪う為に俺は何でもしないといけない―――すみませんが、付き合って貰います」

「‥‥好きにしなさい。ふふ、年下、やはり悪くないですね」

「俺が、悪くないんですよ」

「生意気ばかり―――そんなに、私が好きだなんて」

 弱っていた心臓が急激に高鳴った―――目隠しを外したイミナ局長に、寝台に押し倒されたから。あのイミナ局長とは思えないぐらい強引に、そして卑猥にローブを捲り上げて寝台の上を取られる。声を出そうとした瞬間、またも口を口で塞がれる。体力を使う訳にいかない。そう理解し、力を抜いた瞬間、イミナ局長に口や身体を貪られた。

「「お、大人の――」」

 ミトリとイノリが声を揃えて、声を詰まらせる。

 その後も、何かを言っているように感じたが、行為の音の所為で何も聞こえない。

 舌を絡ませ、僅かに口と口の隙間が開いた瞬間に隠されていた唾液と肉の音が響いてしまう。抱きしめられた頭に、イミナさんの舌の音が幾重にも重なる。腰を引き寄せようと腕を伸ばした時、その手が弾かれる。そして、口からお互いの唾液を垂らしながら、離れた時、再度頬を叩かれる。

「調子に乗らないように。動けますか?動けますね」

 寝台から降りた時、再度叩かれる。

「まったく、手のかかる。少しだけですが、これで動けるようになる筈です。後は好きにしなさい。まだ到着しませんか?」

「は、はい!!もう目の前です!!」

「早くしなさい」

 乱れたローブを直しながら、ソファーに戻るイミナ局長の手を掴んだ所、三度頬を叩かれてしまった。




「お、大人のってやっぱり」

「あ、あんなに激しいのね‥‥ちょっと、ちょっとだけ驚いたかも」

 ミトリとイノリが、後ろで何かを言っているが、聞き流す事にした。イミナ局長からの命令で、オーダーの正装、背広姿に着替えてオーダー地方本部に訪れた。イミナ局長と横に並んで弓剣を構える俺を見て、一階の受付フロアにいたオーダー校の生徒やどこからか報告に来ていたオーダーの本職も、目を広げて見つめてくる。

「静かにしなさい―――今晩だけは、あなた達も法務科。無様は見せないように」

 先ほどの事など、一切勘づかせない足取りで、見知った受付さんにイミナ局長が迫る。

「法務科です――――わかっているとは、思いますが邪魔をすれば、あなたを逮捕する」

「ど、どのようなご用件でしょうか!?」

「屋上への道を開きなさい」

「お、屋上へはオーダー本部の許可を―――」

「聞こえませんでしたか?」

「た、ただいまご用意いたします!!」

 だいぶパワハラ気味の文言により、受付から飛び出た受付さんは、俺とネガイが黒い猫の栞を押し当てて動かしたエレベーターへ走り寄り、パネルに何かしらを入力し始めた。

「なぜ、屋上に行くだけで許可が必要なんですか?」

「見当は付きます。恐らく、この上には観測所がある」

「‥‥そこで俺の動きを見張っていたと」

 エレベーターが一階まで到着し、二重のガラス扉が開かれる。

「あなた個人を見張っていた可能性もありますが、それだけじゃない」

 話しながらエレベーターに乗り込んだイミナ局長の後ろをイノリが、そして先ほどから緊張して息を忘れていたミトリを連れて飛び込む。

 続けて屋上へのボタンを押し、ガラス扉が閉まるのを見届けようと振り返ると、受付さんが深々としたお辞儀を最後まで施していたのが見えた。

「どうしよう‥‥今度学校で会ったら、ちゃんと話せるかな‥‥」

「私だってそうよ。そう、これが法務科なのね‥‥」

「自然と慣れるよ、俺だって最初は話かけ辛かったから」

 両手を頬に当てて、今後の悩みを抱えるミトリと、自然体を装っているが、まだ頭を下げている受付さんの頭を見下ろしているイノリに、声をかける。

「それに俺だって正式な法務科って訳じゃない。そんなに気にしないでいいと思うぞ」

「は?正式じゃないって」

「彼は、正式な法務科所属のオーダーではありません。扱いとしては、法務科候補生。彼ら特務課予備生よりも、立場としては固まっていないかもしれません―――はぁ、また知らなかったという顔ですね」

 顔に出ていたようだ。

 知らなかった。俺は、法務科異端捜査局候補生という扱いだったのか。なぜだろう、肩書きだけ見ると、それらしい気がする。

「あれだけ、法務科とかオーダー本部に手助けしておいて、まだ候補生扱いなわけ?どれだけ法務科って、優秀な人材がいるの?」

「‥‥耳が痛い。ええ、その通り法務科には彼以上に優秀な人員が数多くいるのでしょうね。ただ、実際のところ彼はまだ経験が足りない。周りを納得させられる程の実績だけで、正式加入が許されるほど、法務科は能力主義ではありません」

 まだまだ法務科、延いてはオーダーも日本の行政のようだ。手続き主義も結構だが、それでは能力のある人員が、国外のオーダーに流れるのもわかる気がする。

「あ、あれ!!」

 ミトリが、ガラス扉越し一階フロアを指差した。そこには丁度、オーダー本部に雇われていたらしいオーダー達が地方本部の扉を開ける光景だった。それが見えたのは一瞬だけ、すぐに吹き抜けを通り過ぎて、床が見える階層に到達してしまう。

「厄介な‥‥私が出来る限り時間を稼ぎます。あなた達だけで行きなさい」

「‥‥わかりました」

「心配なら不要です。所詮、彼らは雇われただけの存在、法務科という、誰もが忌み嫌う公的組織の局長たる私に、問答無用で攻撃など加えないでしょう」

「了解しました―――できる限り、早く始末してきます」





 エレベーターが屋上一階前に到着した時、自動的に止まってしまう。そもそもそういった設計なのか、それとも下から何かしらの妨害があったのか、どちらにしても全員が神経を研ぎ澄ませるには、十分な事実だった。

 念の為、ミトリとイノリに視線で拳銃を抜くように指示する。それぞれH&KP2000、スプリングフィールドアーモリー XD-S、3.3インチバレルを抜かせて、下に向けさせたまま、俺はひとりで外の最前線に躍り出る。

「こちらは、オーダー法務科異端捜査局、銃を降ろせ!!」

「オーダー本部からの指示だ。お前達を確保―――」

「邪魔をするなら、お前達は敵だ」

 容赦なく弓を放つ。弓の強みは、その重量だった。

 オーダー本部からの指示だと抜かした連中は、ライオットシールドを手にしたオーダー本部に雇われたプロ。現代戦で弓を持ってきた俺を鼻で笑ってくる奴、青い顔をして慌てて頭を下げる奴、反応こそ千差万別だが、総じてライオットシールドを楽々溶かすように貫通する全長80cm、重量30gの巨大な矢弾がこめかみを過ぎ去った時、ようやく自覚する。

「殺せないって思ってるだろう?次は、そっちが避けろ」

 腰の矢筒から次を引き出し、発射する。

 その時間0.2秒、マガジンを使うオートマチックの引き金を引いてからの発射ラグとほぼ同等。その上、こちらは火薬など使わない為―――完全なる無反動で放てる。

 時速にして精々が時速200キロ、拳銃の弾速は軽く1000キロを超えるが、撃つまでの時間がほんの数舜かかる。それぐらいの――少なくとも人間が反応できない時速があれば、ただの一射でライオットシールド越しの拳銃を撃ち抜く事など、いくらでも可能だ。

 そして、弓とはそもそも連射するものではない。動物の動脈を切断し、確実に息の根を止める―――拳銃を射抜き、ライオットシールドに手を縫い付けるなど、簡単なものだった。

 悲鳴が聞こえる。自分を鼓舞し、弓から手を引き抜こうとする音が聞こえる。

 『返し』などついていないとしても、自らの手からカーボン製の矢を引き抜くなど―――正気では済まないだろう――馬鹿な奴らだ。目の前でライオットシールドを貫通したのだから、ライオットシールドに隠れても意味がない。

 だが、身体そう反応してしまった。自らの失策、過ちに気付いた奴から廊下の曲がり角まで逃げて行くが、矢とは真っ直ぐに飛ぶものではない―――文字通り弓なりにしなった矢は、逃げようと背中を見せた奴のふくらはぎを容赦なく射抜く。また、悲鳴が聞こえる。

「殺せない―――そう思ったか?勝手に死ぬ分には、構わないんだよ」

 2射3射4射5射――――射抜けば、必ずライオットシールドを貫通する。

 必ず悲鳴や呻き声が聞こえる。骨のある奴が来た、飛ばす矢を見ながら避けて、走ってくる奴――――見覚えがあった。奴は俺の鳩尾に二丁のグロッグを突き入れて、そのまま引き金を引こうとする―――目が教えてくれた。

 だから、奴が銃を突き入れてくる寸前に、弓を剣に変える。

「え?」

 奴の銃を避けて、一瞬だけ奴を同じ方向を見つめる。そして自ら飛び出してきた奴は、ゴールテープでも破るかのように、胴体を剣に押し付けてくる。

「それは、ずるくないかい?」

「シネ」

 ただのひと抜き、撫でるだけで身体の前面に、一生癒える事の出来ない、そして生涯、取り返しのつかない量の血を流させる事が出来る。逆に言えば、俺はそれが出来る。

 散々—―俺がされてきた事だ。だから、剣に力を籠める事が出来る。

「ま、待って!!」

「止まって!!」

 ミトリが剣の刃を握ってきた。

「ダメ!!」

「—――わかってる。大丈夫だ」

 剣を降ろして、襲撃科のミヤトを壁に突き飛ばし、剣の平で頭を軽く叩く。

「痛ったぁ!!」

「大人しく寝てろ」

 頭頂部を抑えて、倒れるミヤトは、なかなか見れるものではなかった。

 本当に殺す。そう感じたのか、ミヤトを犠牲にして突っ込んできたオーダーの背広組を剣で叩き、腕の骨を叩き割る。だが、ひとりやっても何も変わらない。

 掛け声と共に、最後の抵抗として目隠しにも、無論盾の役に立たないライオットシールドを持って迫ってくるので、ミトリを抱えて後方に跳びながら、一射、着地してもう一射。

 最後に一本でも残れば、それでいいので容赦なく射抜き続ける―――。

「うわ‥‥よく撃てますね」

「なんでだろうな。こうすればいいって、なんとなくわかるんだ」

「流石ですっ!!」

 腕の中にいるミトリが邪魔をしないようにと、腰に抱きついてくるが、そう思うのならエレベーターに戻ってくれればいいのに―――いいや、このままでいい。

「動くなよ―――動いたら」

「動いたら?」

「殺すかも」

「なら、離れませんから!!」

 ミトリからの断固とした意思を感じて、仕方ないと連中の足元を射抜き続ける。骨や血管を射抜かないように気にかけるのは、なかなか骨が折れたが――やりがいがあった。

「うわぁ‥‥よく撃てるね」

「なんでだろうな、こうすればいいって、なんとなくわかるんだ」

「弓の撃ち方じゃなくて、人間相手によく撃てるね!!って事!!」

「ん?普通じゃないか?向こうだって、銃向けてるんだしさ」

 全員を無力化する事が出来た。まだ傷ひとつ負っていない奴もいるが、手を上げたり銃を捨てて、投降の構えをしてくる奴らに放つ矢の残りは、もう無かった。

「時間を取られた。早く行こう」

「私はここで―――」

 イノリとミトリと共に、この場がイミナ局長に任せて、足や腕を射抜かれて倒れている連中を跨いで廊下を走り続ける。

「残り一本だけど、本当に大丈夫?」

「大丈夫だ。それより、イノリとミトリもいいのか?アイツらの救護をしなくても」

「別にーー?どうでも良くない?」

「あれだけの数で待っていたなら、確実に治療科のオーダーがいます。彼らだって、あそこまで無策で確保しにきた訳ではないでしょうし」

 この場で一番容赦がないのは、救急箱を持ったミトリだった。本来、治療科のオーダーは誰であれ、怪我人には看護や治療をしなければならないという取り決めがあるが。

「それに、あそこまでの装備を持っていたのですから、私達を無傷で確保する気など無かったかと。そんな中で治療科がいない、そんな自分達の不手際で怪我や感染症を起こすようなオーダー、付き合い切れません」

「‥‥頼りになるのね」

「ああ‥‥ミトリは、昔から頼りなるんだ」

 後ろで呻き声を上げて、射抜かれた矢を撫でている馬鹿どもを無視して、エスカレーターを駆け上がる。元からここは許された者しか入れない階層だったらしく、どこもかしくも認証パスが必須らしく、駅の改札のような物が廊下のたびに設置されている。

「無視するぞ!!」

 三人で障害物たる改札を飛び越えて、警報を鳴らせる。背中を追いかけてくるような警報を無視し続けて、一際巨大な認証受付を飛び越えて、その向こうのエスカレーターを駆け上がる。

「ここで屋上に行けると、いいんだけどな‥‥」

「だけど、行くんでしょう?」

「そのつもりだ。イノリも来るんだろう?」

「そのつもり――」

 エスカレーターを登り終えたところで、両開きの扉が現れる。だが、そこはパス認証は必要ないらしく、体当たりひとつで開く事が出来た。

「なに、ここ‥‥プラネタリウム?」

「ここで、人工衛星を操作してたのか―――」

 イノリの言ったプラネタリウムという感想に、ミトリも頷いた。ドーム状の天井を覆うように、歪曲したモニターが設置され、青白いブルーライトを映し出していた。だが、違和感もあった。まるで、元々は会議の場の為にあった場所に、無理矢理多くの機器を運び込んだようだった。

「‥‥出口はあそこか」

 ドーム内を走り抜けて、向かいのガラス造りの扉を開けて、外に飛び出る。風が吹きつけてくる中で、庭園の樹々が揺れて、夏の花がその香りを漂わせている。

「ちょっと、ここから撃てるの!?」

 風にあおられているイノリは、腕で顔を隠しながら言ってくる。弓矢だけではない、ここまでの強風ではどれだけの重量を持つ弾丸、狙撃銃でも風に煽られて弓なりにも飛ばない。しかも、ここはビルの屋上、入り乱れる風が狙撃手の経験を狂わせる事になるだろう。

「—――ああ、余裕だ」

 だが、それは所詮、自らの目しか持たないただの人間でしかないからだ。

「ここまで開けてるのなら、好都合だ」

 剣から弓に戻す。固い鋼鉄製の弓が、ゼンマイとバネを使い、本来の形に戻ってくれる。別れた刀身から強靭なワイヤーが生まれる。ただのひと撫でで、固い高い音を生み出し、耳や頭を震わせる調べを届けてくれる――――。

「星が‥‥」

 ふたつの星が、暗い空を覆われた庭園を光を落としてくれる。風は変わらない、気温の不均一化も変わらない、だけど、これでいい。俺には、常にこの程度の邪魔は付き物だった。

「そこか―――」

 星に呼びかけて、ソラからホテルを見下ろす。ホテルの一室、先ほどと変わらず人形の術者がオートマタのいる部屋に居座っている。けれども、その額には汗が伝っている―――。

「ああ‥‥今度こそ、直接操っているのか‥‥」

 外部監査科と、あの最後の人形との戦闘が続いているようだ。だが、そこに目を向ける余裕など、今の自分にはない。俺は、アイツらではない、あのオートマタを救いにきた。

「星から逃げられると思うな」

 金星の光は、地球の全てに向けられている。例え深海であろうが、地中の深くであろうが、光は姿を変え、生物であろうが、化け物であろうが―――全てをその光で包む。そして、俺にはもうひとつの星、宝石の星がある。

 あの方から受け取った星、それはあの方と同じように強欲に―――全てを奪い取り、その手で慰撫する底なしの欲望の顕現。見て奪い取る。どちらも俺の目にある。

 最後の一射。何者も逃がさない究極の一射。そして、何者にも悟られない、射抜かれたと知ってようやく気付き、絶望する。その時—―化け物に狙われていたとわかる。

「誰も逃がさない―――」

 弓を星へ―――矢を光へ―――狙うは、人間。放つは欲望――守るは、我が同胞。




「どうだった?」

「光が眩しくて、見えなかった。本当に撃ったの?」

「ほら、手元にないだろう?」

 庭園のベンチにて、ミトリの治療を受けていた。限界まで引き絞った結果、そもそも弱っていた身体を酷使した限界が来たらしい―――両の爪が割れ、両腕と肩周辺を痛めた。肘など自力で曲げる事すら叶わない。もう動けなかった。

「指は動きますか?」

「‥‥ああ」

「良かった‥‥神経が切れた訳じゃなさそうですね。イノリさん、もう少しそのままで」

「ええ、わかった。絶対動かせないから」

 イノリの膝が、頭を動かないように固定してくる。柔らかいイノリの膝に、頭が受け止められる感触は、悪くなかった。なんとなく、頭を振っただけで、その感触が更に感じられる。

「なに楽しんでるの?次やったら」

「やったら?」

「‥‥何やっても、ご褒美になるんだった‥‥。いい?大人しくして。でないとミトリに怒られるから」

「はい、怒りますよ」

「‥‥楽しみだ‥‥どうだった?法務科は」

 そう聞いた瞬間、イノリが空を見てしまう。

「あれって、普通?あの中の数人って、ヒジリの友達でしょう?」

「‥‥ああ」

「—――ねぇ、答えて。あなたの答えを。なんで、人間はあなたばかり苦しめるの?なんで、苦しめてはいいって、思い込んでるの?法務科みたいな嫌われた組織にいるからってそんな理由でいいの?」

 その質問は、今日二度目だった。

「‥‥わからない。多分、向こうだって、なんで良いのかってわかってないと思うんだ。—―――不思議だな、俺も向こうも、答えなんて持ってないんだ。ミトリはどう思う?」

「‥‥‥‥」

「ミトリ?」

 かろうじて動いていた手を、ミトリが無言で握ってきた。

「‥‥ごめんなさい。私は、なんとなくわかる気がします。だって‥‥だって、あなたは壊れても、きっと治るって思ってしまうから‥‥」

「治る‥‥?」

「—―ごめんなさい。前に、人間がどうしてあなたを、身勝手に使いたがるんだろうって、でもあなたは人間を代表しなくていいって」

「大丈夫、大丈夫だからミトリ。ゆっくり深呼吸して―――」

 手を握り返して、ミトリに目を向ける。混乱していたミトリは、落ち着く為に空を見て肺を膨らませる。

「‥‥心のどこかで、初めてあなたを見た瞬間、人間じゃないみたいだなって思ってました。‥‥‥‥私みたいな普通の人間がそう思うんだから、多分、人間はみんなそう思うんだと思います―――なんて言うんでしょう。壊れても壊れても、あなたなら‥‥‥‥壊れてもいいから、あなたで―――」

 ミトリが次の言葉を続けてくれなかった。その先がわかったからだ。だって、そんな事最初からわかっていた。俺は、そもそも人間の求めたスペックに達しなかったから、オーダーに来た。ならば、人間が俺に性能やスペックを求めても、不思議じゃない。

「‥‥俺が壊れても、次の俺が来るって、そうじゃなくても―――修理できるって思ってたのか。‥‥‥‥俺は、正しく人形扱いされていた訳か」 

 まるで子供だ。壊れても、新たなおもちゃを買い足すように、性能が物足りなければ、新たなバージョンアップが行われるを待つように―――壊れても構わない、だって、そもそも壊れるのも人形の目的でもあるからだ。

「—―――消費文明か‥‥羨ましいし、憎らしい‥‥こんな文明がないと、俺は生まれなかったのか――――」

 少しだけ、少しだけ腹が立ったから、八つ当たりをする。あの形容しようがない人形を見つめる。それで終わり、それで壊れる。俺も、人形を破壊する事が好きなようだ。





「オートマタは確保しましたよ。外部監査科ではなく、法務科預かりとなったそうです。マトイから聞きました」

「‥‥良かった。ネガイ達が確保できたのか‥‥」

「はい、私達で確保しました。術者も逮捕しましたよ。ふふ、両腕を射抜かれて、あれではしばらく大人しくするしかないかと」

 畳の上で、ネガイに膝を貸してもらい、寛ぎ続ける。昨夜と同じ店で、同じすき焼き。二日に渡ってここまで豪勢な物を食べられるとは、自分も出世したようだ。

「ひとりで食べれますか?」

「‥‥いいや、手伝ってくれ」

 ネガイから起き上がって、箸で食べさせて貰う。一応、腕は上がるがネガイが食べさせてくれるので、遠慮なく甘える事にした。

「アイツら、外部監査科はどうなったんだ?」

「ん?彼らなら、ここにいますよ。話してきますか?」

「‥‥いいや、その前にネガイと話したい。今日は、ずっと向こうと一緒にいたのか?」

「う~む、そういう訳ではありませんが、結果的に同じ場所にたどり着いてしまいました。誘い込まれた、あなたが言った通り、気付いた時にはあの博物館に閉じ込められていました」

「—――結構、危険な状況だったみたいだな。褒めてくれる?」

「はい、あなたのお蔭で私達は無事に済みました。それに、あのオートマタも、無事確保できました。全部、あなたのお蔭です。流石、私の伴侶‥‥」

 灰色の髪を揺らして、笑ってくれるネガイに、軽く口づけを交わす。唇に軽く歯形を付け合って、笑い合う。

「アルマが言ってたんだ。この街はわざと狂わせているように感じる。ここは異常だって、ここを鎮める為の陣を、敢えて乱しているように感じるって‥‥人間があそこまで狂ってたの、その所為か?」

 教えてくれるかどうか、可能性は低いと思っていたが、ネガイは自身の髪を撫でるだけで、特段気にした様子でもなかった。

「—――そうですね、私は口止めされていないので、正直に言えます。まず私達が行っていたのは、地脈捜査、狂わされたレイラインを鎮める為に奔走していました。不愉快でしたが、外部監査科達の手も借りながら、お互いの区分を担当していました」

「外部監査科が‥‥それが、向こうのそもそもの目的か?」

「それは、わかりません。だけど、どうやら、あの博物館は、オートマタが盗み出された館と同じ持ち主らしくて、あの部屋も館の主が造り出したそうです。‥‥‥‥確かに、この街は異常でした、私には分かりませんが、事実としてあの狂ったレイラインが、人間に直接心理的なストレス、汚染を与えていた可能性もありますね。狂ったから、あなたで怒りを発散していたのかもしれません」

 なぜだろう、ネガイは過去に同じ事例を見てきたように言ってくる。

「‥‥そうですね、あまりにも、私達への妨害は少なすぎた。多少は特務課からの手が来るかと思いましたが、全てあなたの元へ向かった。私もマトイも、あのカエルの仇であるのは、間違いないのに」

「作戦が上手く行き過ぎた―――だけじゃあ、説明は付きそうにないな」

 ネガイが鍋から肉に豆腐やネギ、しらたきをよそってくれる。小さい器に、小さい鍋を作り出して、箸で食べさせてくれる。

「ありがとう。確かにおかしい、オーダー本部が特務課に情報を渡してたなら、ネガイ達の位置を流してもおかしくないのに――――いいや、ネガイ達を渡す必要はない」

 首を捻ってくるネガイに、しらたきを催促する。ひとかじりして、器を受け取りネガイも自身の器に口を付けだす。

「えっと、それは?」

「‥‥オーダー本部は、俺を引き渡したかった」

「—――あなたの上司から言われましたね。だけど、何故それが正しいと思うのですか?」

「特務課と、俺を造り出した研究所は繋がってる―――」

 襖から音が鳴った。

「入ってこい」

「—―いつから?」

「ヘルヤって呼ばれてる人が、あなたに命令してこの場に残るように言った時から」

「‥‥本当に、何もかも見えているのね。私達は、あなたに見逃されていた――」

 入って来たのは、マヤカというヒトガタだった。襖の前で立ったままだったので、視線で掘り炬燵状の畳みを示すが、首を振ってくる。

「座れ、そこは邪魔だ」

「‥‥ええ、わかった」

 平常心を装っているが、首元の産毛が逆立っているのが見えていた。

「身体はどう?」

「見ての通りだ。便利な機械だとでも思ったか?」

「—―――ごめんなさい」

「ソソギとカレンにも、似たような事をされたよ。世間話は後にしよう、特務課と研究所は、繋がっている。でなければ、あの特務課がゴーレムなんて異次元の技術、求める筈がない。オーダーにとっての流星の使徒と同じように、特務課にとっての研究所。間違いないな?」

 まさか、気付かれるとは思っていなかったのか。細い鋭いソソギと瓜二つな目元を、大きく広げて、息を呑んだ。

「黙認、と受け取る。ハッキリ言おう、あのゴーレムには、外へと続く力があるんじゃないか?」

「誰からっ!?」

「ネガイ」

 腰のレイピアを引き抜き、立ち上がろうとしてきたマヤカというヒトガタの喉元に、切っ先を突きつける。

「座ってくれ、まだすき焼きは残ってる。続ける―――あの研究所群の目的は、総じて外へと続く何かを求める。そんな事はどうでもいい、どうせ失敗を続ける。だけど、それによって奪われる命があるのなら、話は別だ。アルマが言ってたんだが————あのオートマタの中には、何かがいるって。それはなんだ?」

「—――――っ!!」

 唇を噛み始めた。これだけは全力で隠すつもりだったのか、それとも特務課が何処へ力を向ける為に、ゴーレムを求めた。それに類するのだと想像した。

「‥‥そ‥‥‥‥それは」

「貴き者、ですね?」

「水ならあるぞ、飲んだらどうだ?」

 ネガイの射抜いた的は、正しかったようだ。

 あのオートマタには、貴き者が宿っている。それは、あのオートマタの装甲を開けば内にいるという話ではないだろうが、残るものはある筈だ。

 残るのは―――血—―――。

「特務課が手下を全て使い切ってでも、あのオートマタを求めた理由は、中の貴き者の血、もっと言おう―――半永久的に血を流す貴き者を手元に置きたかったからじゃないか?この街全体が狂っていたのは、貴き者を具現化、実証を証明する為の儀式か?」

 レイピアを突きつけられているというのに、マヤカというヒトガタは、身体中から力を抜き、畳にへたり込んでしまう。全て、正しかったようだ。

「‥‥どうやって、あなたの自動筆記とは、私とは別物なの‥‥?」

「オーダーにいると、色々な事件、頭のおかしい宗教団体に対する仕事も、少なくないんだよ。場数が足りないんじゃないか?」

「—―――魔に連なる者は、己が内で願望を求める。‥‥私も、外を見なくてはいけないという事なのね。ええ、あなたの言う通り」

「誤魔化さないのですか?」

「そこまでわかっているあなた達に、もう誤魔化しは通じない。あの子達も騙せたつもりだったのに‥‥弟というのは、なかなか御せない存在‥‥ふふ‥‥」

「彼が弟?なら、あなたは私の姉ですね」

「—――嬉しい、家族がまた増えた」

 そう言われた瞬間、ネガイはレイピアを腰に戻してしまった。ネガイにとっても、家族という関係は特別な物だった。

「今更、責任を取ってくれなんて言わない。だけど、あのオートマタをどうするつもりだったのか、それは教えて貰う」

「‥‥ごめんなさい」

「言えないのか?」

「そうじゃない‥‥だけど、あのオートマタ、ゴーレムだけは、絶対に渡せないの」

 立て掛けてあった剣を手に持ち、急いで立ち上がろうするが、身体が言う事を聞いてくれない。血が足りない―――倒れてしまった身体をネガイが、起こしてくれるが、言う事を聞かないのは、変わらない。

「‥‥そこまでして、このヒジリを苦しめたいのですか?」

「私達は、外部監査科。例え法務科であろうと、私達を止める事は出来ない。マトイもイミナ局長も、あなただって逮捕する気も告発する気もない。そんな事をすれば、私達が排除される―――だけど、あのオートマタだけは、渡せない――信じて、あのオートマタを苦しめるつもりなんてない」

「つもりか‥‥俺をここまでしておいて」

「‥‥ごめんなさい。だけど、これが私にとってのオーダー。最後に感謝を、あなたのお蔭で、私達は生き残れた―――」

 ゆっくりと立ち上がったヒトガタは、無防備に撃てるのなら撃てと言わんばかりに、背中を見せて襖まで歩いていく。

「忘れないで―――本当に、私はあなたに感謝してる。ソソギにカレン、そしてあの子、イネスに名前をくれた。私の家族を守ってくれて、ありがとう‥‥」

 動けない身体に命令しながら襖に手を伸ばすが、外部監査科のオーダーは出て行ってしまった。舌打ちをする時間すら惜しい、急いでスマホを取り出しマトイに連絡するが、反応はない。

「聞こえますか!?」

 首元から鍵を取り出し、呼びかけるが、やはり反応はない。

「—――ふざけるなよ」

「止まって下さい」

 目を使おうとした瞬間、ネガイは目に手を置いてくる。

「‥‥諦めろって言うのか‥‥」

「涙を流しているから、拭いているだけです―――怒りますか?」

「—――怒る訳ないだろう‥‥ごめんな、情けなくて」

「いいえ、あなたは誇り高く戦い続けた。もう、休みましょう‥‥もう、傷つかないで‥‥」

 その言葉に、身体が動かなくなった。腕を持ち上げていた腕も、スマホを握りしめていた手からも、血が抜けていく。身体中の血管が冷えていくのがわかる。

「だけどネガイ‥‥俺は、あのオートマタもマトイも‥‥」

「いくら外部監査科だとしても、命を奪うような事はしない。同じように怪我をさせる事も。法務科に正面から敵対するような真似、彼女らが魔に連なる者であろうと、オーダーである以上、絶対に出来ません。そんな事をすれば、今度こそ排除される」

「‥‥排除って、なんだよ。なんの話だ‥‥」

「—――ごめんなさい」

「‥‥みんなそれだ。謝れば、俺が許すって思ってるのか‥‥」

 壁に寄り掛かるながら、ネガイが抱きしめてくれる。灰色の髪に涙を吸わせながら、声を漏らし続ける事しか、今の俺には出来ない。

「ネガイ‥‥行ってくれ。この事を、みんなに」

「不要です」

「‥‥もう、手遅れなのか?」

「はい‥‥もう、私達が出来るような事はありません」





「つらかったですね。だけど、あなたは全てに打ち勝った―――あなたは、やはり私の宝石。誇らしく輝くあなたは、私の誇りです」

「‥‥ごめんなさい‥‥」

「謝らないで下さい。あなた、よく戦った。誰にも負けていないのですから」

 ベルベットに包まれながら、仮面の方の肩に顔をうずめる。優しい香りに温かい血。冷たい手で背中を抱いて貰い、涙が枯れるまで待って貰う。

「せっかく、あなたがこちらの世界に来てくれたのに‥‥全然、俺は」

「ふふ、気付いていましたか。そんな事ありませんよ、あの博物館?というのですか。あの建築物は、なかなかに楽しかったですよ」

「‥‥ソソギ達とは、どうでした?」

「ああいう手を合わせるという行為も、なかなかに楽しめました。ふふ、楽しかった、そう言えると思います。怒りますか?」

「‥‥いいえ、あなたが楽しんでくれたのなら、こんなに嬉しい事はありません」

 イネスから感じていたこの人の脈動、あれは間違いではなかったようだ。

「イネスは?」

「彼女にお願いして、数度身体を借りさせて貰いました。ちゃんと話し合って、目や身体を貸してもらったので、大丈夫ですよ。近く、記憶は消えてしまうかと」

「‥‥イネスは、どうでした?」

 ようやく涙が枯れてくれた。ベルベットから起き上がって、仮面の方に腕を貸して引き起こす。

「とてもいい子でした。それに、やはり私と似た子でもあったので、とても話しやすかったです。ふふ、ちょっとだけわがままを言って、絵をかかせてもらったり、景色を見せてもらったり、好きに走らせてもらったり。アルマさんには、ご迷惑をかけてしまったかもしれませんね」

「きっと、アルマも楽しんでいたと思いますよ」

「本当ですか?ふふ、なら嬉しいです‥‥」

 両手を重ねて、笑ってくれる。俺のわがままを聞いて、向こうでもしばらく一緒にいてくれた。イネスが言っていた、友人を待つという楽しみは、この方の楽しみでもあったようだ。

「ネガイに、怒られてしまいましたね」

「‥‥はい、怒られてしまいました。だけど、あれは私が悪かったんだと思います。ふふ、背後に這いよるのは、特技でもあったのですが、肉体を持つと心が躍ってしまうみたいです」

 心底楽しかったようで、満面の笑みで手を握ってくれる。仮面の方の笑顔を見れた、それだけで心に食い込んでいた不快感が、消えていく気がする。

「ふふ、暗いお顔です、ダメですよ」

「‥‥すみません」

「大丈夫、マトイさんもあの紫の乙女も、怪我などしていません。ふふ、笑いながら怒っているようではありますが」

 その光景が目に浮かぶ。きっと、次に会えば、マトイもイミナ局長も全力で俺にわがままを言ってくるだろう。それだけじゃない、楽しくいじめてくるだろう。だけど。

「乙女、ですか?」

「ええ、あの方は乙女。ふふ♪」

「乙女、ですか‥‥」

 元から、真っ当な人間ではないと思っていたが、それと乙女という言葉に、どんな関係があるのか、まだわからない事だらけだった。

「聞いてもいいですか?あのオートマタは‥‥どうなりますか?」

「‥‥ちょっとだけ、私がいたずらをしてきましたので、大丈夫ですよ」

「えっと?」

「とにかく大丈夫ですっ!!私を信じて―――帰るべき所に、帰してあげました。あのオートマタも、中の子も―――信じて、もらえますか?」

 仮面の方が、握っている手を胸に当てて、お願いをしてきた。この方からのお願いは、これで二度目だった。だけど、あの時とは違う。これは―――宝石を受け取った時と似ている。

「はい‥‥はい、信じます。あなたは、俺の恋人。愛してます」

「—――嬉しい‥‥ふふ、私もです」

 掴んでいる腕を引き寄せて、先ほどと同じように身体を重ねる。黒いドレス越しの仮面の方の肺の膨らみを感じながら、仮面を口で外す。ようやく深紅の瞳が見れる。まとめられた髪留めを外し、宇宙を思わせる色を指で撫でる。

「獣のようです」

「獣ですから」

「私は、獣に身体を預けるのですね」

「俺は、星に目と心臓を捧げています。口を開けて下さい‥‥」

 鼻と鼻をつける。最初から舌を絡ませて、耳を慰撫し、甘い声を出させる。火傷しそうだった、舌の凹凸を楽しみながら、粘液のぬめりと傷ひとつない口内を舌で触れる。

「いい香りですね」

「あ、気付いてくれましたか?ふふ、ちょっとだけ遠くに行ってきたんですよ」

「遠くですか‥‥」

「はい、遠くです♪」

 そこで香油でも取ってきたのだろうか?それとも、前に行っていた花の香りがする海だろうか?—――いいや、どうでもいい。この香りを肺に入れるだけで、意識が薄れる。

「もっと‥‥」

 首元に鼻を付けて、香りを楽しむ。仮面の方はそれを楽しそうに背中を撫でてくれる。それだけじゃない、耳元で声を聴かせてくれる。五感全てを仮面の方に奪われる。心臓など既に奪われている、ならば、身体の全てなど捧げても何も問題ない。

「あなたの全て、これで私の物ですね」

「‥‥知りませんでしたか?俺は、ずっと前からあなたの物です」

「‥‥ふふ、そうでしたね」

 背中を撫でていた手が爪を立ててくる。来る、そう思って身構えても、何も来ない。早く、そう思い反撃の為に首元に吸い付いても、笑い声を上げるだけで何もしてくれない。

「早く」

「なんですか?」

 甘い声だった。ご褒美を待つ俺を焦らしてくる、意地悪な仮面の方。前にもされた事だった。

「早く‥‥寂しい‥‥」

「‥‥ふふ、卑怯ですね」

 一瞬で潰された――口から致死量に達する血が流れてくる。止まらない血は仮面の方の髪を汚し、ベルベットの上で重なっているふたりの周りを血の湖にする。身体全体で血を楽しんでいる仮面の方は、血に濡れた自身の髪を楽しそうに持ち上げる。

「ふふ、真っ黒ですね」

 青黒い髪と鮮血が混ざりあい、仮面の方の髪はマトイのように漆黒に変わる。ベルベットでは抑えきれなくなった血が、床の大理石にまで届く。

「綺麗ですね。黒髪、やっぱりいいですね。如何ですか?」

「—―――」

「ふふ、もう死んでしまいましたか?では、聞いて下さい。起きたら―――」






「イミナっ!?ちょっと待ってくれないか!?」

「いいえ、逮捕されないだけ、感謝して下さい」

「マトイ!?」

「ふふ、私、あなたから受け取った物を返しているだけですよ?」

 魔女狩りをイミナ局長に渡して、ネガイ、アルマはそれぞれの魔狩りを、俺は脇差しを向けていた。今どこにいるか?寝起き一番で目を使い、ゴーレムの居所を探し当てた。やはり、魔に連なる者とはプレイヤー気取りだった。この期に及んで、まだ同じ街をうろついているなんて――しかも、同じホテルの一室に。

「彼から聞きました。あのゴーレムは、貴き者を内に宿していた。私の目すら誤魔化す程の術式を、いいえ、あれは錬金術師の業、彼女が関わっているのですね?」

「—――そこまで気付いていたか、では、私と彼女をどうする?」

 両手を上げて、自分の部下を背中で守る為に身体を広げている。

「外部監査科としての役割を全うしたあなたを、逮捕するなど出来ない。けれども、しばらくは大人しくして貰います。その自由な行動力も抑える楔を打ちましょう。これからオーダー本部に行き、全てを吐い頂きましょうか?端的に言います、オーダー本部の暴走の証拠として、あなたを提出する」

「それは、逮捕と同意義では!?」

「静かに、彼よりは私は気が長いですが、積もりに積もった恨み、この場で果たしてもいいのですよ。あなた達もです」

 同じ部屋で朝食を取っていた長い杖の少年、真緑色の少女、また見覚えのない人外の少女にも銃口や刃を向ける—――少なくとも、人間ではないと断言できた。

「お久しぶりですね、では私はこれで」

「逃げられると思うのか?」

「私は、ずっとここで」

 立ち上がって出口に向かおうとする少女に、アルマが何の躊躇いもなしに、引き金を引いた。床の絨毯に煙を立たせる弾丸は、紛れもなく魔狩り、撃たれた少女はあまりの状況に、座っていた椅子に腰を降ろしてしまう。

「すみません、許可も持たずに」

「いいえ、よくやりました。ロタ、自分だけ逃げられると思わないように」

 ロタを呼ばれた少女は、実戦経験があったのか、逃げ道となる扉を確認し出すので、目を合わせて動きを止める。やはり、この目は魔に連なる者には特別、効果がある。

「‥‥これが法務科ですか」

「立って、手錠を受けなさい。次はありません。あなたは、次の場に。こちらは、今日一日借りさせて貰います」

 イミナ局長の命令に従い、俺は脇差しを向けながら扉から出ようとした時、声をかけられた。声の主は、外部監査科の長だった。

「昨夜の人形、手を貸してもらい感謝しよう。君が見てくれなければ、反撃を受けていた」

「なんの事ですか?勝手に話すな、俺が魔女狩りを持ってなくて、良かったな」

「—――はぁ、君もあの存在も、恐ろしくて仕方ないよ」

 やはり、昨夜会ったのかと確信した。あの方の言っていた、いたずらとは一体なんなのか、まだわからないが、人外ばかりの外部監査科を恐れさせるには十分な事をしたようだった。

「あ、終わった?」

「ああ、急ぐぞ!!」

「ええ、そろそろ次の実地訓練場か、帰り始める生徒もいる筈」

 イサラとソソギを引き連れて、ホテルの一階に急いで向かう。あの場は、法務科とネガイに任せる。ならば、こちらはオーダー校の実力者に頼るのが筋だった。

「サイナ!!」

「は~い♪準備万端で~す!!皆々様も、喜んで手を貸して下さるそ~で♪」

「恩を売っておいて正解だったな!!」

「サイナ商事は、皆さまの信頼と―――」

 長くなりそうだったので、通話を切る。その光景にイサラとソソギが笑ってくれるが、それに反応する時間はなさそうだった。

「いやーまさか、まだ日も出てない時にたたき起こされるなんて」

「人の部屋で、寝起きしてたやつが使う言葉か!?」

「ふふっふー、まぁーねぇ」

 胸を張るに値する事実が、どこにあったのか、俺には計り知れない。

「‥‥ひとつ心残りがある。あの中にマヤカさんが」

「あの人なら心配いらない」

 エレベーターに三人で滑り込んで、一階を指定する。一階にソソギとイサラという二大実力者が一緒にいては、作戦がバレるという話になり、この場で合流する事になっていた。

「どうしてだ?」

「あの人は、今日一日、カレンとイネスに振り回される事になってる。ふふ、あとで私も合流する予定‥‥私も、久しぶりに甘える事にする」

「ソソギのおねぇさんだっけ?」

「そう。久しぶりに会えた姉さん―――今日は、沢山困らせないと」

「そうそう。家族には、沢山甘えた方がいいよ、いついなくなるかわからないからね」

「ええ‥‥そうしないと」

 ソソギとイサラが、それぞれの拳銃、ヨーク連発銃に、FNブローニングハイパワー、そしてブレン・テン。それぞれ本気でやってくれるとわかった。

「いくら欲しい?いくらでも払うぞ」

「うーん、もう一丁のブレン・テンかな?」

「‥‥ああ、いいぞ」

「あは♪冗談だからね!!ソソギは?」

「そうね。前々からしたかった事。一日、私だけしか見てはいけないルール。カレンもダメ、一日中私しか見てはいけない―――ふふ、どう?」

 冗談を言っている様子ではなかった。後ろから感じる寒気に思わず振り返ったが、そこにいたのは普段通りのソソギだった。目が合った瞬間、鋭い顔で、微笑んでくれる、だが、イサラもあまりの圧力に、エレベーターの壁に背中をつけていた。

「も、もしかして、ソソギって監禁趣味?」

「監禁ってほど危ない趣味じゃない。ただ、一日中一緒の部屋で遊んで欲しいだけ。ふふ、一緒のベットでもいい‥‥これは、本気」

 もしかしたら、俺の身内で一番過激で危険な思想を持っているのがソソギで、一番まともなのがイサラなのかもしれない。

「す、すごいねぇ‥‥すごい積極的‥‥」

「ふふ、イサラもこの人と一日中一緒にいれば分かる。みんな、こうなってしまうから」

「‥‥予約しておこうかな?」

「話は、そこまでだ」

 長いエレベーターの時間が終わる寸前、時計を確認する。まだギリギリ間に合う。いや、丁度全員まとまっている筈の時間は、今しかない。

「行くぞ!!」

 俺はM&Pではない、M66、357マグナムを放てる強力な拳銃を携えて、一階フロアへ突撃する。それを皮切りに一階をマークしていたお得意様達が、この一件に関わって、オーダー本部からの指示に従っていた奴らを包囲する。

 こうなる事は想像していたらしいが、数があまりに膨大だった。向こうは精々は20人程度。だが、こちらはその三倍、60人を超えた。

「動くな」

「ま、待てよ。俺達はお前の矢で」

 知らない。容赦なく引き金を二度引いて、前に見せた連射で足元を撃ち抜く。防弾性とは言え、Yシャツ一枚しかない身体に向かってマグナムを、しかも片や足に包帯、片や頭に包帯を巻いたふたり、そしてそれぞれもどこかしらに包帯を巻いた奴らは、大人しく手を上げて跪いてくる。

「これで、一旦は許してやる。だから、大人しくオーダー本部に行ってもらう」

「‥‥まさか、ここまで」

「ここまで、なんだ?」

「ここまでオーダーの女を堕として」

 危ない一言、具体的には後ろの二人から寒気を感じ始めたから、急ぎ撃って黙らせる。確かに、周りを見渡すと、全員がオーダー校の女子だった―――。

「全員、サイナ商事のお得意様だ。妙な事を言うな、サイナに狙われるぞ」

「あはは‥‥それは、勘弁—――にしても、まさかここまで嫌われてなんて」

「嫌われてるって訳じゃないかな?だけどさ、いくらオーダー本部からの指示とは言え、あまりにも人を利用し過ぎたんじゃない?」

「ええ、ここにいるオーダー達は、この人の人脈、人徳もあるけど、それ以上にあなた達への仕返しでもある。オーダー本部の大義名分があったとは言え、勝手が過ぎたようね―――全員、大人しく指定された車両に乗って。さもないと護送車で輸送される」

 それは犯罪者に対して行う処置であった。

 オーダーの所属が、そのような扱いを受けたのなら生涯オーダーとしての仕事に支障もとい後ろ指を差される。いい笑い者にもなる―――裏切り者として。

 それだけは避けたいと思った面々は、大人しくソソギとイサラの指示に従い手を上げて、ホテルの外に出ていく。最後に残ったキドウとミヤトには、俺自身が銃口を向けながら外へと促した。そのまま他の連中と同じように地下駐車場まで向かわせた。

「まったく‥‥オーダー本部に良いように使われて、足まで射抜かれるし。ミトリさんには無視されるし‥‥」

「僕なんて、この見た目だよ‥‥」

「お前はいいだろうが、ただのたんこぶだろう?」

「昨日の夜は酷かったよ‥‥骨こそ大丈夫だけど、耳鳴りが酷くて‥‥」

「ほら、うるせぇ事言ってないで、とっととてめぇの車に乗れ」

 そう言った俺に、振り返ってくる二人の顔に銃口を向ける。

「え、いいのかい?僕の車なんて」

「当然だろう?下手な動きをすれば、撃つからな?新車で事故りたくなければ、大人しく運転しろよ――――人質は、キドウの車だ」

 今度は奪われるではなく、接収されるという事実上の競売一歩手前。鹵獲扱いにキドウは声を上げて嘆くが、うるさいので銃口を後頭部に押し付け無理やり乗せる。

「はぁ‥‥じゃあ、お客様、どこに向かいますか?」

「決まってるだろう?サービスエリアに寄りながら―――オーダー本部だ」

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