断章 ヒトガタ達の受肉祭 

「カワウソ、いませんね」

「今は寝てるんだろうな。また来よう」

 孤児院での一件が終わって数時間後、自分達は水族館のレイトショーとも言える展示に足を運んでいた。巨大なアクリル水槽を照らす青と黒の光が夜中の海を表現し、日中は活発な動きを見せる海の住人達も、海藻や水槽の隅で寝静まっている。逆に深海を棲家とする異形の者達は、自分の刻限だと告げる様に漂っている。

 そんな逆さまの時間を、隣の恋人と手を繋いで楽しんでいると────後ろから視線を感じた。

「どうしました?」

「いや、クラゲも好きだっただろう。行こう」

 気分を変えようと手を引いて歩くが、やはり視線を感じる。具体的に言えば、カレンだった。

「マトイは、また入院って言ってました」

「ああ。だけど、数日で退院できるって言ってたから見舞いに行けるな」

 目が覚めたマトイは、杖さえ使えば自力で歩ける程だった。自分からは言わなかったが、横転した車内からサイナやカレンを守った結果、怪我を負ったのだろう。

「良かったんですか?残らなくても」

「言われたぞ。君には説明する義務があるって」

 後から現れた法務科の背広が、肩を掴んで話しかけてきた。法務科の言う事はもっともだが、従う筋合いは無いと判断した。

「義務とやらを果たさせたいなら、テメェの仕事を果たしてから抜かせって言ってやったよ。実際、今回は役に立たなさ過ぎたんだから」

「ふふ、マトイに怒られますよ」

 ネガイがクラゲのいるエリアに顔を向けながら笑った。カワウソなどの哺乳類のエリアからクラゲのエリアに足を踏み入れると、一気に様子が様変わりする。

 暗いクラゲのエリアは、深海を表現している為、天井の明かりは最低限しか灯っていない。

「‥‥美しい‥‥」

 鮮やかだ。巨大な水槽の中の数多の半透明なクラゲが青や赤のライトを当てられている。光を差されたクラゲが七色に輝き、幻想的で神秘的、どこか不安定な夢のような光景を見せてくる。

 美しさとは、針の上でのみ成り立つ残酷で儚い芸術なのかもしれない。

 空間を飾るか、時間を彩るか。クラゲという思い通り動かず、望んだ通りの輝きをしない生物を檻に入れて、求めた輝きを求める。

 人間はクラゲが何を考えているかなど、考えもしないだろう。

 

「綺麗ですね‥‥」

 ネガイが気に入った水槽の前で足を止める。

「あなたにはどう見えますか?」

「ネガイと同じ、すごい綺麗だ」

「良かった‥‥。それはどっちの意味ですか?」

「どっちもだ」

「‥‥どっちもですか」

 この言葉を吟味しながら、クラゲを見つめているネガイの後ろ姿を見て、人々が息を飲む。灰色の長い髪で背中を隠したネガイを、水槽から漏れ出る色とりどりなライトが包み込んでいる。

 プリズムに囚われた少女の造り出す泡沫の髪色が、このエリアを制圧する。

「‥‥綺麗‥‥」

 若い女性からの言葉はクラゲに向けてか、それともネガイに掛けられた言葉か。

「あ、こんばんは」

「こんばんは、今日は彼氏さんとですか?」

「はい。恋人とです」

 案内の係員さんが、話し掛けてきた。

 ネガイはここの常連になりつつあり、見た目も関係して知られる存在となっていた。係員さんと親しげに話すネガイの横顔にもライトが差す。白い肌が青や赤に変わり、多彩な表現でネガイを輝かせてくれる。

「もうカワウソはいませんか‥‥」

「はい、もうお休みの時間で、申し訳ありません」

「いえ、わかりました‥‥」

 心の底から残念そうな声色に、係員さんも心底申し訳なさそうだった。

「後でもう1匹、人形を買うか?」

「‥‥そうですね。今日はそれで我慢しましょう。カレン、あなたもどうですか?」

「えっ!?」

 気付かれていないと思っていたのか、カレンが跳ねるように声を上げた。

「‥‥わぁ、可愛い‥‥あの子はお友達ですか?」

 壁の影から頭ひとつ飛び出してしまったカレンに、この場にいる全ての目が向けられる。例え薄暗い廊下であろうと、光り輝くと言っても過言ではない容姿。ネガイとはまた違った美少女像に誰もが驚いている様子だった。

 そんな美少女こと、名前を呼ばれたカレンが渋々近付いてくる。

「友達って言うか‥‥」

「この人の家族です」

「—―――え‥‥え!?」

 ネガイが視線で教えた時、係員さんが中々に無礼な声を上げた。

 だが、仕方がない。全く似ていないのだからと、呑み込むに留める。

「そ、そう!!家族です!!似てないのは、血が繋がってないからです!!」

 いわゆるセンシティブな発言をしたカレンが、ネガイとは別の腕にしがみつく。続けざまにネガイを軽く睨むが、軽くにやけて受け流すだけだった。

「ふ、複雑な関係なんですね‥‥」

 否定できない。詳しく説明したいが、誠に残念な事に、この場には純粋な人間などいないので、純粋な人間である係員さんは理解が出来ないだろうし、納得できまい。

 今もカレンは睨み続けているが、やはりどこ吹く風と、ネガイは猫のように肩に頬擦りしてくるだけだった。

「複雑だな‥‥」

「複雑過ぎでしょう‥‥」

 あちらこちらから疑念の声が上がる。正直言って、どことなく、どこかとは言えないががするのが当人たる自分でもわかる。

 ――――視線が痛くなってきた。

 いくら化け物でも、好奇な目に晒され続けたらストレスで胃に穴が開く。牙を剥く獅子身中の虫に耐えながら、クラゲのエリア外へと足を向ける。

「そろそろ行こう‥‥」

「いいんですか?私達がいるのに?」

「‥‥私、まだ全然見れてないのに」

 胃痛の種たるネガイとカレンが、それぞれ自慢気味に不服いじけ気味に嘆いてくるが、今こうして間にも人間達からの視線に穴が開き始めている。

 よって、ふたりを腕の力で持ち上げてエレベーターに逃げ込むのだった。



「‥‥これ‥‥」

「これも可愛いですね」

 それぞれ1匹づつ、カワウソの人形を抱いた2人がペンギンの人形を見つめていた。

「うん‥‥可愛い‥‥」

「いいですか?」

「いいぞ。1匹づつか?」

 ネガイとカレンの視線に答えて、カゴの中にペンギンの人形を2匹入れると、それなりの重量となり思わず肩が抜けそうになってしまう。

 なんとか持ち直しながらも――――ここに来ても。ネガイとカレンは遠目からも人間の目を惹きつける力を持っているのだから、当然だった。

 むしろ、このショップの方が人がいる為、息が詰まりそうな感覚を覚える。

「‥‥ふふ、見られてますね」

「うん、見てる見てる」

 だが、元から2人は理由は違えど人から見られるという状況に慣れている。その上、自分の容姿に絶対的な自信がある2人は、むしろ楽しんでいた。

 そんな2人に誰も話しかけてこない理由は、明白だった。

「やばくない‥‥あれ、本物?」

「銃ならまだしも‥‥あれ、剣か?」

 ネガイの腰に差してあるレイピアが、想像通り見られている。

 オーダーの制服を着た生徒が帯刀しているのだから、まず本物。

 そんな事誰でもわかるだろう。だが、こんな場所でオーダーの生徒が遊んでいるなんて想像もしていなかったに違いない。目に見えての武器は人を萎縮させてしまう。

「ペンギンもカワウソも、1匹づつでいいのか?」

 どうにか視線を紛らわせようと2人に話しかけると、2人は無言で会議をして振り返ってくる。

「私は十分です」

「うん、私も十分」

 

「いいのか?ソソギの分は―――」

「‥‥この私が、気付かれるなんて‥‥」

 ネガイとの会議を終えた瞬間、ある方向へカレンが視線を向けてからだ。そして2人で人形を見つめている時も、カレンはネガイの

 

 不満かつ特別捜査学科としての誇りにかけて、人に心を読まれたのが、よほど悔しかったようで、カワウソを抱いたカレンは背中を向けて固まってしまった。

 返事も聞かずに、ペンギンとカワウソをもう1匹づつカゴに入れてレジへ向かう。

「え、あ‥‥いいの?」

 後ろからネガイとカレンが追いかけてくる。

「いいぞ。流石に本物は無理でも、人形なら何匹でも」

 前を向きながらカゴを2人に向け、カワウソの人形を入れて貰うと、やはりかなりの重量となってしまった。受け止める覚悟を持っていなければ落としていただろう。

 またレジに着いた時、ため息が出そうだった。なぜこうもレジは混むのかと。

「‥‥俺が待ってるから、2人は休んで来ていいぞ」

「どうしますか?」

「‥‥うん、少し休みたい。ちょっとだけ、疲れた」

「では、そうしますか。お願いしますね」

 2人が離れていくのを見送ってカゴを持ち直す、適当に陳列棚を見つめる。

 人形は人気らしくカワウソにペンギン、イルカによくわからない海底の虫。これは、一体誰が買うんだ?そう口を衝いてしまいそうになる。

「人形、多いな‥‥」

 並んでいる人達のカゴや、今まさにレジで会計を済ました商品にも人形がいた。

 ――――人間にとって人形とは、どういう扱いなのだろうか。物言わぬ形に、人間は何を思うか。家族だろうか、友達だろうか、恋人だろうか。それらだったのなら、これ以上望ましい事はないだろう。

 しかし、物言わぬからこそ、感情の捌け口になってはいないだろうか。

 ――――だが人形というものが生まれたのは、そういった人間の儀式が始まりとも言われている。呪詛や生贄の身代わり、そして神への捧げ物に、王と共に眠りにつく最後。人形とは、人間にとって便利な消耗品なのかもしれない。




「‥‥高かった‥‥」

 具体的には述べないが、昼代3週間分は飛んだ。人形とはこれ程までに高い。人間がこれほどまでに人形を求めるのは購買欲―――どうでもいい、ただただ高かった。

 しかも、レジの店員さんに人形6匹分を男性の俺が買っているので、だいぶ怯えた顔をされたが、そこはプロだ。

「レジ打ち早かったな‥‥」

 あの鬼気迫る早撃ちには、少しばかりジェラシーを感じた。

「‥‥まぁ、いいか」

 両手を塞ぐ人形達を見て、仕方ないよなと慰めを求める。物言わぬからこそ、会話が成り立つ。魂を込めるとは比喩ではない、実際に己が心を授ける物でもある。

 2人は恐らく近くのカフェだろうと目星をつけて店に入ると、それは正しかった。

「あ、来ました」

 ネガイがカップ片手に頭を少し傾けてくれる。

 正面にいるカレンは軽く手を振ってくれる。やはり絵になる。

 周りにいる人達は全員カップルらしく、男女の2人ばかりだった。何も起こらなかったのは、それが理由らしい。

「時間が掛かりましたね」

「少しだけな。何話してたんだ?」

 店員さんに同じ物を頼んで下がらせる。2人が座っていたのは店の中央。2他の客を店に足を運ばせていたようだ。

 その作戦は成功し、例え女性でもあっても魅了する2人の容姿は、その力を遺憾なく発揮していた。しかし、かなり混んでいたとは言えそこは深夜、テーブルの7割が埋まっているに過ぎなかった。

「特別捜査学科について、少しだけ聞いていました」

 ネガイにカワウソの人形を渡して、カップの到着を待つ。

「どう思った?」

「プロの技だと思いました。私では真似出来そうにありません」

 言うと思った。ネガイでは、カレンのような事は出来ないと分かっていた。

 カレンが幻惑的な色彩で人を惑わせる蝶だとしたら、ネガイはまさしく蜂だ。時間が掛かるとわかったら、すぐさま腰のレイピアに手が伸びる。

「でも、学ぶところは沢山ありました」

「例えば?」

「それは帰ってから実践します」

「楽しみだな」

「はい、楽しみに待っていて下さい」

 実践の初手として手を握りながら微笑み掛けてくる。

「‥‥私もいるの!!」

 結果的に先ほどから無視してしまい、不機嫌に成ったカレンが腕を引き寄せて自身の胸に―――――いくら腕を渡しても辿

 ソソギが話してくれた内容は間違いではなかったようだ。サイズだけなら、。その評価は伊達ではない。まるで幽谷に身投げをしたかのような、底知れぬカレンの圧倒的に物理的な包容力に慄いてしまう。

「ソ、ソソギはどうだ?」

「多分、病院についた頃だと思う。だけど、少しだけ1人になりたそうだった‥‥」

 腕から離れがなら、答えてくれた。

 俺が『先生』と2人の関係に、入る事は許されない。精々が2人の足場になれる程度。ソソギ自身が楔を抜き去り、捨てなければならない。

「距離を考えればふたり共着いた頃ですね。イサラはサイナのコンパスで行きましたが、ソソギは―――法務科の車両で運ばれて行きました」

 ソソギとイサラの両名とも、気丈に振る舞おうとはしていたが、事実としてふたりは重傷者の枠に入れられてしまい、強制的に前線から外された。

 その上―――ソソギは法務科の車で連行されてしまった。

「捕まってた私とは比にならないぐらい怪我してたのに‥‥ソソギ‥‥」

「今回のエースは間違いなく、あの2人だ。俺達の代のランキングトップと2ndトップの威厳を使って、俺達を守ってくれた。悪い扱われ方なんてされないし、俺がさせない」

 ソソギとカレン、そして法務科との締結が具体的にどうであったのかは、俺では知り得ないし、カレンも話す事は許されない。けれど、ソソギは『先生』を確保し、『ハエ』の確保にも尽力している。つまりは、施設解体の最大の功労者と言えた。

「俺達は人間じゃないんだから、特別な病室に搬送された。それに重傷者であるソソギには面会謝絶が必要なだけだよ。許されたら人形を持って、面会に行こう」

「あのマトイが契約を反故にすると思いますか?必ず、皆完治して帰ってきます」

 俺とネガイが全力で鼓舞した事で、カレンは言葉こそなかったが、頷いてくれた。

「落ち着いたか?」

「‥‥うん。?」

「何が?」

「だって‥‥」

「大丈夫、呼ばれたら行く」

 スマホを取り出して連絡を確認するが、今の所、誰からも届いていない。

「もしかして、カレンがだったんですか?」

 ネガイが味を変える為に、

「そういう訳じゃないけど‥‥でも、本当に2人で遊んでるとは、思わなくて‥‥」

 カレンがカップを突いて、

「気にしなくていい。あれは――――ただの人間だ」

 届けられたコーヒーを飲みながら答える。

 カレンが指を差した方向は、店の出口近くのテーブルに座るだった。

 出口を見張りながら、こちらの動きを逐一何処かに報告しているようだが、あまりにもわざとらし過ぎた。もしくは舐められているのだろう。

 水族館やショップは勿論、遂にはこの喫茶店で客として入っていた。

「最後の最後まで、爪が甘いな。あれで俺に勝てると思ってるのか?」

 あの人間達の頭の中では、もう既にこちらは。今も口に付けているコーヒーは、作戦成功目前の最後の一服のつもりのだろうか。

「あ、サイナのモーターホーム、あれはどうなるんですか?修理に出すんですか?」

「あそこまで変形してると、もうパーツ取り替えた所で、買い直すのと変わらないだろうな。思い入れはあったみたいだけど、諦めるみたいだ」

 テセウスの船に近い。元の状態に戻すには、パーツの大半を取り換える必要がある。それでは、もう

 最後にサイナはハンドルを撫でていた。あれに乗ってまだ半年も経っていないが、あのモーターホームには多くの記憶が詰まっている。

 サイナとの初仕事もあのモーターホームで、仕事によっては車内で夜を越した事もあった――――あの車には、サイナとの関係を築かせてくれた礼がある。

 もう、休んでもらう時だ。

「思い入れがあるのに、捨てるんですか?」

「‥‥ああ、サイナはそう決めたみたいだ」

 冷酷だろうか。それとも合理的だろうか。使えなくなったら捨てる。無用になったら買い換える。

 人間の消費文明は、生まれるべくして生まれたイデオロギーだ。人間は残酷に、まだ想っている物でも目を閉じて捨てる。

 その傲慢さを1番知っているのはサイナだろう。サイナという商人は、初めて俺に売ってくれたククリが折れても、気にも止めず次の商品を促してきた。

「ネガイもあのモーターホームは気に入ってたか?」

「はい、あの車のソファーは、お気に入りでした。あと、あなたが運転している時に座る助手席も好きでした‥‥」

 ミルクを入れ過ぎて、真っ白になったコーヒーを啜っている。

「カレンは、どうだ?」

「‥‥私は、少ししか乗ってないけど、あの車は好きだった。拐われる時に、受けた攻撃から守ってくれて、あなたがあの車で。数える程も乗ってないけど、あのモーターホームには、最後まで守ってもらって、感謝してる」

 無理してブラックを飲んでいるカレンに、砂糖とシロップの入った籠を勧める。

「平気です!!」

 施しを受けない無頼派らしく、カレンは無理に飲み続ける。

「なら、それでいいじゃないか?」

 ネガイやカレンは勿論、最近はマトイも率先して乗っていた。イサラなんか、隙が有れば乗り込んできた。最初は俺とサイナしか乗っていなかったモーターホームは、本当に一つの家になっていた。これ以上の手向けは無いだろう。

「あのモーターホームは、最後まで自分の役割を果たした。少しだけ別れが早かっただけだ。?」

 あの車に意識があったかどうかは、関係ない。本当に、本当に最後まで俺の大切な人達を守ってくれた。

 俺にとって、あの車は、1

「‥‥そうですか。そういう考えた方があるんですか‥‥」

「わかるような、わからないような?」

 同い年の女性方には、この考え方は伝わらないらしい。でも、それでいい。

「ソソギもカレンも、しばらく休暇か?」

 話の流れを変える為に聞いてみる。しばらくの間、ソソギとの会話は出来そうにないので、カレンの言葉で聞かなくてはならない。

「‥‥うん。‥‥私、初めてソソギの気持ちがわからないの――――もしかしたら、これで、私達は‥‥」

 もうオーダーを辞めるかもしれない。言葉に出さなかったが、そういう事だろう。

 2人をオーダー街に捨てた悪魔は去った。牢屋オーダーにヒトガタの呪縛で、ふたりを繫いでいた研究所は消え去った。法務科との契約も終了した。

 もう2人は、真の意味で自由となった。

「‥‥でも」

 ブラックを飲み切ったカレンは、少しだけ大人の表情となる。

「私、オーダーを続けたい。ソソギがいなくなるのは、嫌だけど、あの街にいたい」

 、目の前の人外にでも、ソソギに言った訳でもない。

 カレンの誓いの言葉だった。

「なら、ソソギに直接伝えないとな」

「ソソギ、怒らないかな‥‥。私、結局、ソソギにもイサラさんにも守られて、邪魔だった‥‥」

「不安か?」

 ブラックコーヒーの効果が切れたらしく、声に幼さと不安定さが入り混じる。

「‥‥もし、ソソギがオーダーを辞めるって言ったら、私、1人じゃあ‥‥」

「ソソギも

 追加の注文はないか、と聞きにきた店員さんに、同じ物を注文する。2人で客足を稼いでいるのだから、机一つ分はサービスして欲しいというのに。

「カレンが連れ去られて、あの施設にいるってわかった時、ソソギは俺に殺気を向けてきた」

「え‥‥なんで、喧嘩でも?」

「まさか‥‥」

 首を振って答える。

「ソソギは覚悟を見せる為に、俺に殺気を向けた」

 あの場にいた俺やネガイ、イサラとやりやったとしても、ソソギは施設の中に入っただろう。ソソギは自分の覚悟を見せる為—―――

「カレンを奪ってくれって、ソソギから匿名で依頼された時と同じだ。自分から率先して前に出てくれた。自分の覚悟を見せる為に」

 法務科のマトイと組んでいたというのに、ソソギは望みをかけて依頼を出した。

「でも、それと私と、どう関係‥‥」

「わからないか?ソソギは、自分の身とカレンの身を。カレンを救助するのが、危険だなんてあの場にいた全員が知ってた。ソソギは自分を対価に俺達に頼ったんだ。オーダーとしても、家族としても、カレンが大切だから」

 ソソギに迷いなどなかった。利用できる物は、自分でも利用した。

 それは―――ただただカレンの為。

「怒る訳ない。カレンと離れる訳ない。ソソギを、自分の家族を信じてくれ」

 今の話を聞いて、どう思ったか、それはカレン自身にもわからないだろう。

 嬉しいのかもしれない、怒ったかもしれない、嫉妬したかもしれない。だけど、それは乗り越えなければならない。

「ソソギを、

「‥‥。うんん、信じてる」

 首を横に振らずに、答えてくれた。

「ソソギは、私の為に戦ってくれた。なら私がソソギを守る。私の戦場で――――」





「対象確認。1人だ」

 写真通りの見た目だった。

「これより確保する。抵抗した場合—―――

 つい呆然としてしまう。想像を超えて、あのガキは成熟している。

 長くこんな仕事をしているのだから、美女を攫えなどという仕事、飽きる程実行してきた。小国の王様気どりの息子や、適齢期から遠く外れた老人からの命令で何度も成功させてきた――――だというのに、他人の物になる予定の女に、のは、初めてかもしれない。しかもあんな人形を抱えた子供に。

 隣にいる奴も同じだったようで、

 写真を見た時から目の色が変わったと思ったが、実際に姿を確認したら、この様だ。どの国の法律から見ても、未成年、更に輪をかけて幼く見える少女に対してだ。

「できるだけ傷付けるな、それが命令だ」

「‥‥ああ、でも、できるだけって事は、って事だろう?」

 危険だ。あの子供にどれだけの価値があるかは知らないが、少なくとも、こいつを野放しにすれば依頼者からのタスクを守れない。

 から受け取った――――弾丸さえ弾くカップが搭載されたこの背広がなければ、汚い部位の膨らみを見せられていたかもしれない。

「言っておくが、あのガキは遺伝子の問題で、」

「うるせぇ‥‥いいから、早く初めさせろ‥‥」

 狂っている。後ろにいる人員を見渡しても、皆一様に同じ顔をしている。俺の知らない間に、何かをやったのか?見張りから報告された時も、それに近い物を感じた。

「言った筈だ。俺の指示下に入る上で、使

 もはや何も聞こえてもいない。唾液を垂れ流しながら、股座を抑え始めている。

 言語化も視覚化も出来ない『何か』が、この男達の間で蔓延している。

「‥‥おかしい」

 あのバイクは、もう1人のガキの所有物—――だというのに、あの女はひとりで座った。しかも、この無防備な時間を長く続けている。どう見ても異様だ。

 いくらここが、今も上で一般人どもが彷徨く施設だったとしても、ついさっきまで銃撃戦の中心部にいたオーダーが、1人で出歩くだろうか?

「‥‥応答を。罠の可能性がある」

「‥‥実行しろ」

「繰り返す、罠の可能性がある。男のガキがいないのに、女の方だけ出歩いているのは、不自然だ」

「実行しろ‥‥あの女を、俺の元に連れて来い――――早く!!今すぐに!!」

 通信機越しの命令に耳を疑った。第三者の視点を持った雇い主も、現状がまるで理解出来ていない。それどころか『何か』が移ったように、鼻息を荒くさせる。

 何が起こっている?今もこの様子をカメラで送り続けているのに、実行だと?

「‥‥通信を終了する。提案だ、もう少し様子を見」

「うるせぇってんだよ!!さっさとやらせろ!!」

「ッ!?――――俺は降りる‥‥」

 用意されていた車両から降りて、逃げるように

 事故に遭うとわかっている船から降りる感覚だろうか?否、まるで違う。獰猛な猛獣の視界から逃げ去る――――否、それすら違う。極寒の吹雪から、灼熱の日光から身を隠すに近い。惑星の直撃から自分だけは助かろうと逃げ去るに過ぎない。

「聞いた通りだ。違約金でもなんでも請求しろ」

「‥‥どういうつもりだ!?早く、早くあの女を連れて来い!!」

「最後に親切心で教えてやる。近辺整理は早めにやれ」

 通信機を破壊して、車を発進させる。餞別代りに背広をもらっていくとしよう。

「‥‥なんだ、あの目は」

 俺しか

 あの女を―――俺達を、

「クソっ‥‥」

 手が震えて、レバーを握れない。

「なんで、気付かなかったんだ‥‥」

 あの女は、だった。

 直接どころか動画で間接的に見るだけでも、男どもの目を全て奪い去っていく。それを長時間直視してしまった所為だ。もはや、あの女以外何も見えていない――――だから、誰も

 女から目を離せなくなったアイツらは、もう逃げられない。あと数秒で手を伸ばす。その瞬間――――あの眼球から見つめられてしまう。

 俺は運がいい。

 あの眼の話は、世迷言と流すには到底足りなかった。

 もはや振り返る事すら出来ない。振り返ってしまっては、必ず囚われてしまう。

「あれが魔眼‥‥日本オーダー支部が、あんな物を飼ってるなんて‥‥。もうこの国では、二度と仕事は出来そうにないな‥‥」

 見た物全てを焼き尽くすようなあの眼球には、もう二度と会いたくない。




「1人離れた。追跡を」

「既に向かわせてる。気付かれた?」

「みたいだな。だけど、残った奴らで実行する気らしい。気付かれても構わないから、泳がせて拠点まで案内させろ。終わったら、俺が行く」

「了解」

 マイク越しでシズクとの意見交換を終えて、ドアに手を掛ける。

 あの男は、出来る奴だ―――俺の目を見ただけで撤収した。実力を測れる程度には、経験があるらしい。その上、迷いなく決して振り返らなかった。

 どうやら、

「で、どうするよ?」

「今あの車内で、次の頭を決めてる。もう少し出方を見たい」

 リーダーらしき男が、こうなる事を見越して別の車両で出て行った。という事は、今は次の現場トップを、決めている所だろう。

「にしても、可愛いなぁ‥‥。本当にお前の兄弟か?」

「ああ、話したかったら俺に話を通せ。もしくはソソギを」

「どっちにしろ、覚悟決めろって事かよ‥‥」

 前にいる整備科がわざとらしくため息を吐くが、俺は知っている。

「情報科の子と知り合いになったんだろう。身を慎めよ」

「お前が言うか!?」

「君が言う!?」

 運転席と助手席から揃って抗議の声を受けるが、無視してネガイへ連絡をする。

「カレンの様子はどうだ?」

「暑いから車内に戻りたいそうです」

「問題なしって事だな」

 カレンが抱えているカワウソには、

 傍目には美少女に抱えられた可愛いカワウソだが、その実、銃火器を揃えたオーダーと交信出来る怖いぐらい有能で可愛いカワウソだった。

「お、動きがあるな」

「‥‥決まったみたいだね、行くかい?」

「—―――そろそろか。付き合ってくれ」

 2人は無言でドアに手を掛けて答えてくれる。

「しかし、アイツらも馬鹿だな。こんな目の前にいるのに。普通、気付かないもんか?」

 整備科が言った通り、俺達は襲撃者達のほとんど目の前に止まっていた。

 カレンが座っているバイクは、この地下駐車場の隅にある。アイツらは、隅から数えて5台目の向かい。俺達はカレンの2台横。即ち、紛れもなく真っ正面だった。強いて言えば、彼方側は真横の5台が邪魔で、俺達を確認し難いかもしれないが、節穴にも程がある。

 いや、きっと気にする事すら出来ていない。

 あの人間達は車内の人影すら確認出来ていない――――これが、カレンの力だとすれば、ますます恐ろしい。自身がもっとも魅力的に見える角度、陰影を使いこなし、自身の身ひとつで罠を造り出している。

「君がここを選んだ時は驚いたけど、成功するもんだね」

 3人でドアの鍵を開けて、一瞬で飛び出せる準備、隙間を作る。

「必要な時は、‥‥いいんだな?」

「いいけど、周りを見ろ」

「‥‥これは、凄いねぇ」

 ベンツにポルシェ、アルファロメオ、ベントレー。示し合わせたみたいに、周りには高級車が並んでいた。もし傷でもつけたら、大ごとだ。3人でしばらく雲隠れしなければならない。もしくは終わりが見えない借金生活が始まる。

「‥‥予定変更。無しだ」

「言われなくても」

「だな‥‥」

 軽く触れるだけで、金を取られる気がする。

「‥‥行くぞ」

 奴らが隠しもしないで全員で降りて、カレンに向かっていく。鼻息荒く、スーツ姿の成人男性達が、足音も気にしないで未成年のカレンに向かっていく。どう見ても危険だ。相手がオーダーでなくても通報した事だろう。

 全員で車のドアを開けて、しゃがむ。

「まだだ」

 狙いはカレンに手を伸ばすか、拳銃を抜いた瞬間。

 囮捜査は、本来違法すれすれなやり方。わざと相手に犯罪を起こさせる必要がある為、

 よって、そこは

 そこでの犯罪は、日常生活の秩序維持を目的とされた法が適用されるかどうか、危うい部分がある―――だが、

 どれだけ危険で、どれだけ理不尽な判断を下されようと、戦い抜き生還する。

 危険は百も承知だが、それは同時に、圧倒的に優位で合理的な捜査方法でもある。

「やるぞ‥‥っ!」

 カレンを囲むように陣形を作り、拳銃を胸から抜いた瞬間を狙った。計3人。目の色でわかった。全員がカレンを求めて、我先にと手を伸ばし、拒否したら拳銃を向けて脅すと。

 縮地でカレンの前、男の1人の前に躍り出る。

 息も許さずに鳩尾に杭を叩き込み、そのまま男を担いで盾とした。同時に、正常な思考が取れなくなった一団の男達が盾となった同僚がいようと構わずに発砲する。

 無数の発砲音が響く中、振り返らずにカレンを手招きし背中に隠す。

 やはり目が異常だった。もはや焦点すら合っていない眼球のまま雄叫びを上げる。

「寄越せッ!!その女を―――」

 カレンを求める声が途絶えた。

 襲撃科の異端児が一歩遅れながら、肘で1人の後頭部を打っていた。ようやく今の状況が呑み込めたもう1人が、滑りながらも車に逃げ帰ろうとした時、壁まで吹っ飛んでいった。

「軽い軽い。もっと筋肉つけろよ」

 重戦車。或いはサイの突撃のような重い一撃が脇を抉り、アッパー気味に男を壁まで殴り飛ばした。

「これで終わりか?」

 俺とカレンを守るように、2人が背中で隠してくれる。追いかけていたのは1台だけと報告されていたが、やけに呆気ない。

「シズク」

「現在の所、そこに近づく人影も車両も無し。作戦成功。法務科に連絡するね」

「ああ、任せた」

 男を捨てて、シズクからの報告を受けていると、盾にしていた男の襟から声が聞こえた。

 この声、聞き覚えがある。そうだと思っていた。法務科が連れていく連中の中に、あの顔が無かった。

「‥‥久しぶりだな」

 襟のスピーカーを千切って整備科と襲撃科に手で指示する。周りを見張るように伝えると、長い付き合いとなった2人は無言で聞き届けてくれた。

「‥‥生きていたのか」

「なんで死んだと思ってたんだ。あんたが俺を生かしたんだろう」

 シズクを殺せと命令した人物にして、俺の成育者。父と仰いだ人物だった。

「あの人に関わって生きたヒトガタはまずいない。逮捕されたそうだが、同時にお前は死んだと思っていた」

 落ち着いた声からわかるのは、自分は安全地帯にいるという慢心。そして、絶対に自分は逮捕されないという傲慢。

「とても残念だ‥‥くくく、有能で、才能に溢れた人だったのに‥‥はははは」

「あんたの身内だった筈だ。何も思わないのか?」

「ああ、身内だったとも。お前は知らないだろうが、あの人はお前の世話をして貰っていた事もある。ふははは、あの人が、私の命令に従っていた。この意味がわかるか?私は、あの女よりも上だと判断されたんだ。あの時の私の感情がわかるか?」

 ついさっきまで、この人は「先生」の部下だったらしいが、もう違うようだ。恐らく、今の立場はあの「先生」と同列以上なのだろう。

「お前が私の言うことを聞いている時は、本当に可愛かった。本当に我が子のように感じていた。ははは、私も若かったのだろうな」

 当時を回想しているらしく、遊んで貰っていた当時と同じ声を発した。

「‥‥今の俺は憎いか?」

「憎いとも。ああ、これ以上無いほどに憎い。私の命令を無視し、育ててやった恩義を忘れて死のうとした。その結果、私は失墜した。お前は自分の価値がわかっていない。目の50%が完成するまでは、素直だったのに、痛みだなんだと理由をつけて私を無視した!!」

 テーブルにグラスでも打ち付けたようだ。硬い音が響く。

「あの時の苦労がわかるか!?順調に進んでいた究極の人が、お前の個人的な都合で頓挫した!!お前が素直に、身体を明け渡していればよかったものを、拒否した。‥‥それでも、お前には価値があるとオーダーに渡された。さっさとくたばるかと思ったが、お前を見直したぞ」

 グラスの中身は酒だ。呂律が回っていないのがわかる。研究職の人間がアルコールとは。

「‥‥なんだ、今日はやけに饒舌じゃないか。あの時は、俺を怖がって一言も」

 今のは違う音だった。グラスを投げる音でもテーブルを叩く音でもない。柔らかくて質量があるものを殴る音だった。

「私がお前を怖がる!?自惚れも休み休み言え!!お前の全てを、私は知っている!!今のお前の状況も!!」

 呻き声が聞こえる。高い声だ。

「言ってみろ」

「チッ‥‥!いいだろう。お前は、今、究極の人として法務科に協力しているのだろう?」

 鼻で笑いそうになるのを我慢するが、後ろにいたカレンは耐えられなかった。

「全然違うのに」

 止まらずに、カレンは吹き出すように言った。

「お前は知らないだろうが、究極の人というのは」

 カレンの声は聞こえなかった人間は意気揚々と得気に話じ始めた。過去の出来事をふと思い出した。自分の専攻に触れた時、こうやってプレゼンでもするように話していたのを。時間潰しにラムレイに座った所、カレンも隣へと座った。長く、懐かしいご高説に耳を澄ませるが、限界だと口を衝く。

「知ってるよ。こっちにはあんた以上の専門家がいる」

「‥‥私以上の専門家が、この国にいるものか」

 この国にいるかどうかは知らないが夢の世界にはいる。あの方を超える人間なんていない。

「‥‥まぁいいさ、許してやろう。話す手間が省けて合理的だ。‥‥それに、お前には感謝してもいいと思っている」

「どういう風の吹き回しだ?」

「お前がいや、お前だった者が究極の人として目覚めてくれたお陰で、私はあの施設のNo.2となっていた。あの女の補助なんかじゃない。私は、招かれてあそこで研究をしていた。そして、私は実績を認められていた。ふふふ‥‥お前みたいな子供では、わからないだろうがな、元いた立場に戻れたという事は、何よりも重要なんだ。しかもあのような施設まで作り出してくれた。はははは」

 知らないようだ。あの施設は全て「先生」の為に用意された設備なのだと。それ以外の研究など「先生」の施設を間借りしていたに過ぎないと。盲目にも程がある。

「今すぐ家に帰ってこい。その力を適切に運用してやれるのは、私だけだ。お前の望む通りに改造してやろう。その力は、外の世界からの知識の産物なのだろう?」

 何も知らないらしい。本当に、可哀想になるぐらいの蚊帳の外だ。

 今更俺が言うことを聞くと思っているのか。もう俺は既にヒトガタの呪縛から脱している。見通しが甘過ぎる。

「そして、隣の女もだ。いいか?」

「‥‥理由は?」

「その女は究極の門足りうるヒトガタだ。その女がいれば、もう一度究極の鍵が作れる。その女は、私の物だ。はははは!!」

 究極の門の意味がわかってきた。外への扉を開けるのは、究極の鍵。だが、鍵を用意するには、門であるヒトガタの子が必要という事か。究極の門とは、究極の鍵を作り出す為の門、つまりは器—―人間らしい、穢れたやり方だ。カレンに子を宿らせたいなんて。

「あのソソギというヒトガタも連れてこい。数が多ければ多いほどいい。いいな?私に」

 最後まで聞く前に、通信機を壊した

「‥‥ごめん。あんな奴が」

「わかってる。それに私達の成育者も、ああだったから。‥‥毎日違うヒトガタを連れていくけど、朝にはいなくなってた。帰ってきても、もう」

 カワウソを抱いている腕に力を籠るのがわかる。カワウソが少しずつ歪んでいく。

「シズク、アイツはまだ家にいるかもしれない。もう、アレは俺の父親じゃない。ただの犯罪者だ」

「‥‥うん。まだ人員がいるから、取り囲むように伝えるね」

 そうだ。もうあの人は、俺の家族じゃない。カレンとソソギを寄越せと言ってくるただの犯罪者だ。渡せば何が待っているか楽に想像できる。アイツは自分自身の手で、鍵を造り出したいのがよくわかった。

「お互い、苦労するな‥‥」

「‥‥うん」

 カレンが腕に寄り添ってくる。

「悪い、カワウソ貸して」

 無言で渡されるカワウソの腹に声を掛け、許可を得る。

「ネガイ、聞こえるか?」

「今日はシズクと一緒に帰ります。あなたにはカレンと話す義務があります」

「‥‥ありがとな。明日の朝には帰る。全部終わらせてくる」

 カワウソを返した所で、聞き慣れた足音が近付いてきた。

「先導、いるか?」

「道を作っといてくれ。少し話してからいく。それと、詳しくは聞くな」

「おう」

「後でね」

 友人の2人は、一言だけ言ってシトロエンに乗って出口へと向かって行く。断片的にしか聴こえていないから、ヒトガタの話は知らないだろうが、いつか明らかになる時がくる。いつか話す時がくる。必ず隠し通せない時がくる。

「‥‥生きづらいな」

「‥‥うん」

 カレンの肩を抱いて引き寄せる。どうしてこうも、ヒトガタは。カレンは生きにくいのだ。サイナの格好をして罠に嵌める筈が、サイナ共々誘拐されてあの女と再会してしまった。しかもカレンだと見抜かれていた。─────どれだけ怖かったか。手術台の上にいる時はサイナの姿だったとしても、あの女の記憶は今も残っている。挙げ句の果てに、俺の成育者はカレンとの子を望んだ。研究という名では隠しきれない欲望が溢れていた。

「‥‥私、いつもこうなの。いつも人間に」

「言わなくていい」

「‥‥でも、あなたは違ったね」

 カワウソを抱いたカレンが微笑んでくれる。

「初めて会った時、あなたは私の顔も見ないで守ってくれた」

「怖くなったか?」

「全然。だってずっとあなたの声が聞こえてたから。‥‥初めてだった、私の顔も容姿も関係なく助けてくれる人。道に迷ったりしてると、大体皆んな助けてくれるんだけど、‥‥皆んな、見てくるの‥‥ねぇ、聞いていい?」

 カワウソが、カレンの身体を守っているように見えた。そんな姫君が足に手を突いて、迫ってくる。自然と俺も顔を近づけてしまう。鼻先にいるカレンのグリーンの瞳に吸い寄せられる。

「あの時はソソギもマトイさんも、サイナさんもいた。それにあの車もあった。なんでもあって、皆んながいた。もし、もし‥‥私とあなただけだったら、あなたはどうした?」

「‥‥救いに行った」

「じゃあ、もしサイナさんと私、どっちか1人しか救えないってわかったら、あなたはどうした?」

 ついさっきの状況を言っているようで違う。あの時はソソギとイサラがいたから敵に専念できた。だが、もし俺1人しかおらず武器も昔のままだったら、俺はどうしたか。1人しか救わないのではない、1人しか救えない状況だったら、どうしたか。

「あなたはどうした?」

 目を逸らす事を許してくれない。カレンの声に嘘偽りなく答えなければならない。そうしなければ、カレンを守れない。

 ソソギとの約束を果たさなければならない。カレンを1人にする訳にはいかない。

「決まってる。前に出る」

「‥‥あなたも自分を捨てるの?」

「カレン、前提条件が間違ってる。その質問は、人間かヒトガタにすべき質問だ」

 あの時の俺とは違う。人間の振りをしたヒトガタでも、目を恐れて逃げ回っていた奴隷でもない。

「人間かヒトガタだったら、どちらかしか選べない。でも、そんな人間のルールに従う必要も、そんなヒトガタの運命を受け入れる必要もない。俺達はヒトガタではあるけど、もう人間が作り出したヒトガタの在り方に苦しめられなくていいんだ。それは意味のない質問だ」

 カレンの腕を引き寄せて、肩に頭を乗せる。

「俺に問うなら、こう聞け。あなたはまず最初にどちらに語り掛けるか」

「‥‥甘いヒト。もうどちらも取り戻したつもり?」

「カレンこそ、俺の観察が甘いぞ。俺はサイナを見つけた時、何をした?」

 急激にカレンの体温が上がってきた。強く抱えられ、歪んでいるカワウソから聞こえる筈のない鳴き声が聞こえてくる。

「あ、アレは、ソソギとイサラさんが!!」

「いなくてもした。目の前で無傷の敵がいてもした」

「‥‥はい‥‥」

 カレンを離して、ラムレイの上に座らせ直す。

「それでも、カレンの問いに答えるとしたら、俺は全員皆殺しにしてから2人を攫う。実際、俺はそうやって突き進んだ」

 カレンとサイナは知る由も無い事だが、俺はあの地下に戻る過程。目に映った奴は全員潰して進んだ。誰にも獲物を渡さなかった。

「‥‥私よりも敵ですか?」

「敵がいたら、カレンと話せないだろう。そこで寝てる連中も」

 知らせるように視線を向けると本来倒れている筈の3人の内、1人が減っていた。

「ほら」

 話に夢中になっていたが影で気付いていた。真後ろから拳銃を振り下ろす直前、逆手で持った杭を再度鳩尾に入れる。今度は、彼方側が接敵してくれたお陰で楽に済む。しかし、鳩尾の痛みに慣れたらしく壁に倒れるはするが、構わずに銃口を向けられる。

「お、女をよこせ‥‥」

「—―誰に、物を言ってる?」

 ラムレイを跨ぐように超えて銃口に杭を当てて暴発。破片は背広の手を裂くだけで済ませる。裂けた手を抱え、呻き声を出しながら睨んでくるが、怯え過ぎて肩が震えている。

「カレンは俺の物だ‥‥。失せろ」

 カワウソを奪い、カレンを抱えるようにM66を抜く。カワウソと腕でカレンの耳を塞ぎ舐めた口を叩いた人間に357マグナムを連射する。顔を伏せて動かなくなったが、死んではいないだろう。この背広の頑丈性は、サイナに滅多打ちにされたハエで学んでいた。

「—―やっぱり、あなたはすごいね‥‥」

「これぐらいなら、ソソギもできる。撃ってみるか?」

「え、いいの?もう倒れてるのに」

 カレンもソソギにだいぶ影響されている。笑いが止まらない。

「な、なんで笑うの?」

「いや、まさか‥‥人に向かって撃ちたいって言うとは思わなくて。今度学校で撃とう。人に向かって撃つのはもう少し後に」

 カワウソを返した後、不服そうにカワウソで口を塞いで睨んでくる。

「じゃあ、そろそろ行くか?」

 遠くから足音が聞こえてきた。恐らくシズクが通報した法務科だろう。

「‥‥うん、行く。守って、くれる?」

「ああ、勿論だ。それに、今から守る事になったようだッ!!」

 近付いてきたのは法務科ではなく、倒れている連中の仲間らしく背広達だった。背広達はまたも容赦なく発砲してくるものだから、早々にここから去らねばならない。それは何故か、周りの高級車がさっきから何発も被弾しているからだ!!

「捕まれ!!」

「はい!!」

 単車にはソソギと乗り慣れているらしく、しっかりと腰に抱きついて隙間を無くしてくる。ラムレイのエンジンは一瞬で立ち上がり、クラッチとアクセルレバーを操作した瞬間、命令通りに発進して、刻一刻と傷を受ける高級車達の森から連れ去ってくれる。

「ネガイ!シズク!聞こえるか!?」

「はい、私が対処しておきますので、行って下さい」

「終わったら、法務科に全部説明してくれ!!周りの車の傷は俺じゃないって!!」

「ん?よくわかりませんが、伝えておきます」

 ネガイが首を傾げている映像が頭に浮かぶ。ネガイもシズクも知らないらしい、あの一帯で家一つ買える額が集まっていると。

 背後から聞こえる、後を引かない銃声に意識を向けてカレンへと声を掛ける。だが、カレンは呻き声すら返さない。

「どうした!?」

 地下駐車場を疾走しながら、更に問い掛けるがカレンが黙ったままだった。舌を噛むのを我慢している様子ではなく、苦しそうに唸っている。

「まずい‥‥撃たれたか!?」

 この状況で止まる訳にはいかない。今も後ろからセダンが追い掛けてきている状況で、隠れるならもっと距離を稼がなければならない。

 カレンが着ているYシャツだって防弾性の筈だ。着弾時に骨折でも可能性すらあり得る。

「待ってろ!!すぐにシズクとネガイに合流するから!!」

「あははははは!!」

 壊れたように、カレンが笑い始めた。

「ど、どうした!?」

 地下で鳴り響いている銃声とラムレイの並列4気筒にも、一切劣らないカレンの美声が駐車場中に木霊する。セダンから身体を出して発砲していた素人どもが、余りの声量、絶叫に慄き車内に戻って行くのをミラーで確認する。

「‥‥今しかない」

 メットも被らないで坂を駆け上がり、駐車場バーも破壊して外に飛び出た。誘導係が眼球でも飛び出すんじゃないかと心配になるような顔をするが、無視して横目に駆け抜ける。

 遺憾ながら、説明している暇は無いので、ネガイと一度辿った道路を走り続けた。

「ふふ‥‥おかしい‥‥」

 ようやく落ち着いたカレンが、背中に顔を埋める。後ろから追って来ていた連中は、駐車場で仕留めるつもりだったらしく、公道までは追って来ていない。仲間を拾いに行ったのだとしたら、今頃ネガイの餌食だ。

「少し止めるぞ、ヘルメット、被らないと」

 流石にオーダーとは言え、堂々と道交法を破っていたら、今度は警察に追われる。

 正直気が進まないが、すぐ近くの公園に止まり、周りを確認しながら降りる。

「これ?」

 カレンがサイドバックに気付いて、中からヘルメットを取り出し被る。ネガイのサイズと合うと目を使ったのでわかっていたが、だいぶ印象が変わる。目の色が違うからか。

「被せるから、動かないで下さいね」

「いや、自分でやるから」

「早くして下さい!!」

 鼻がなくなりそうな勢いで被らされた。ヘルメット内部柔らかいとは言え、脳天にくる振動はかなりのものだった。なのに、カレンはどこか誇らしく目を細めてくる。

「ほら、早く行きましょう」

 ラムレイに乗ったままのカレンがシートを叩いて、急がせてくる。

「‥‥次はもう少し優しく」

 シートに跨って、エンジンを軽く吹かす。今日初めて乗ったが、これもこれで以上マシンだ。エンジンや廃棄ガスの音がだいぶ軽減されている。マフラーには特殊な器具でも取り付けてあるのかもしれないが、エンジンもここまで静かだと少し恐怖心を覚える。

「すごい静か‥‥これはオーダー製?」

「ああ、ラムレイって言うだけど、俺も今日初めて乗ったから、驚いてる」

 用意してくれたのが、あのイミナさんだからか、一般人では触れる事もできない技術を搭載されているのでないかと勘ぐってしまう。

「もしかしてゴーレム?」

「‥‥あり得る」

 スロットルを操って、発進させる。あの地下駐車場では相当音が出ていたと思っていたが、閉所と開けた場所とでは驚くほど音の響きが違う。

「乗り心地もいい‥‥」

 ダンデムシートを楽しむように、腰を揺らしている。

「このヘルメットもいいデザイン。これも貰ったの?」

「いや、それはネガイのメット。サイナのモーターホームに積んでたもの」

 あのモーターホームは、本当に最後の最後まで俺たちの為に働いてくれている。

 高速下の大動脈流を走って、今法務科を筆頭にオーダー本部が周辺地区の立ち入りを規制している住宅街に向かう。

「どのくらい掛かる?」

「ここからならバイクで30分程度、ここに来る時もその程度だったから」

「‥‥準備できるの?」

「行って撃って、手枷、それで終わりだ」

 恐らく、今もあの家に住んでいる。証拠に俺に対して家に帰ってこいと言った。確実に、まだいる。あの家で新しいヒトガタと共に暮らしている。

「‥‥それより、どうしたんだ、さっき」

 カレンの笑い声がまだ耳に残っている。

「舌噛むから程々でいいからな」

 普通に喋るだけでも危険なんだ。カレンに怪我でもさせたら、ソソギに殺される。

「‥‥ふふ、あなたが意外と普通だと思って‥‥」

「俺が?」

「だって、あれだけ人を撃ってるのに、周りの車にはすごい慎重で‥‥」

 思い出し笑いを始めたカレンが、背中にメット越しで顔をうずめてくる。言われればその通りかもしれない。だが、実際、あの男達と周りの車体だったら、確実に車体の方が高い。

「おかしいか?」

「‥‥普通な事言っていて、おかしい‥‥」

「そうか‥‥」

 これから行ってやることを考えると、場違いな程、普通な事で笑っている。路地裏で襲ってきた男達や、さっきの男達は、あの人の私兵なのだろう。ヒトガタを信じていないのが伝わってくる。事実、一度裏切られているからだ。

 土壇場で、あと一歩のところで梯子を外された気分だった。そう言わんばかりだが、最初から欲望まみれでは、蜘蛛の糸が切れるのも当然だと知らないらしい。

「‥‥私も行くから」

「いいのか?背中に隠れる気は」

 無論、そんな物はある訳ないと自信満々に首を振る姿に、自分は呆気なく折れてしまった。スロットルを掴み、握力をそのまま前へと押しながら伝えた。

「‥‥仰せのままに」



 全ての住人が、今回の事件に関わっていた訳ではないのは分かっていた。その証拠に自宅での待機を許された家々のいくつかには、今も明かりが煌々と灯っている。だが、数時間前のアレらに気付かない筈がない。関わりたくないと敢えて突き放した家もある事だろう。

「全員締め出すと思ってた‥‥」

「私も」

 拠点を築いていた公園に止め、ラムレイから降りる。

 今も塀に撃ち込まれた弾丸の持ち主を調べる解析科、残されている車の中を先輩方の指示の元、慎重に調べている爆発物解体学科などが、見られる道でバイクを乗り回す訳にはいかない。緊張感の程度で言えば、銃撃戦の時とそうは変わらないだろう。

「‥‥もうすぐ?」

「もうすぐ‥‥」

 後ろのカレンに事実を伝える。最短距離で、歩を進める。

「今日で、見納め。もうシズクもいないし」

 既にシズクの家族は引っ越しているので、ここは今日限りの付き合い。

「‥‥ねぇ、ほんとにここにまだいるの?」

「いなかったらいなかっただ。だけど、多分いる」

 俺が関わって来たヒトガタの研究者は、数こそ少ないが、共通する部分がある。軒並み、当事者意識が低い事。自分達は安全な所にいると最後の最後まで思っているから、逃げない。あの「先生」も「ハエ」も、結局逃げ遅れている。

「連行された研究者達、結構いただろう」

「‥‥うん。そっか‥‥私達が、盾になってくれるって思ってるんだ‥‥」

 連行されたのは研究者だけじゃなかった。両手を広げて成育者を守るヒトガタもいた。

「‥‥じゃあ、私が囮になるから」

「待った。俺に考えがある。付き合ってくれ」

 背後で呟いたカレンの手を掴み歯を見せる。これで伝わりはしないだろうが、これでいい。伝わってしまってはならなかった。しかし。こちらの思考を読んでか知らずか、

「‥‥わかった。あなたと付き合う」

 と、カレンが囁いた。が、この言葉を聞いた瞬間、周りのオーダー校生徒が皆一様に顔を向ける。失敗した、首を折れんばかりに振るが、もう間に合わなかった。

「あの子‥‥誰?」

「‥‥あ、特別捜査学科の、ほらソソギさんと一緒にいる」

「やばくね、特別捜査学科にまで手伸ばしてたのかよ‥‥」

 それぞれが思い思いの視線を、同時に指を差して向けてくる。

「カレン‥‥言い方が」

「ん?なんですか?」

 この状況を最も冷静に理解している筈のカレンが、わざとらしい困り顔で首を捻ってくる。例え演技だと自分自身はわかっていたとしても、周りからすれば美少女を困らせた敵対者としか映らない筈だ。

 そして、この想像は正しく、皆等しく小声がざわめきへと変貌する。

「だから、ほら‥‥」

「ふふ、どうしました?2人きりの時はもっと——」

 怒号と歓声が聞こえた。あと殺意も。

「おーす、シズクから——どうした?」

「あ、どうも。はじめまして」

「はじめまして」

 後ろから訪れた声に向かって、演技が染み付いているカレンが頭を下げた。

 俺は咄嗟の判断を思い付き、誰にも気付かれぬよう笑みを浮かべた。戦場で持つべきは恋人だけじゃない。

 友人もだと気付いたのだから。軽く胸を張り悠々と問い質す。

「なぁ、俺とカレンの関係って、覚えてるか?」

 カレンとは比べ物にならない。演技性など皆無な質問で、この場の乗り切りを目指す。

「あ?兄弟だろ」

「そう、俺とカレンは兄弟なんだ!」

 急に俺が声を上げたものだから、驚いた整備科は襲撃科へ視線を向けて確認するが、疑問を同様に持った襲撃科も首を振ってわからないとジェスチャーを取る。だが、それが功を奏した。周りから安堵の声や驚きの声が聞こえてくる事に、そっと胸を撫で下ろす。

「‥‥でよ。あの背広どものボスがあの家にいるってシズクから言われて、バレない程度に監視してんだけど、その話本当なのか?」

「なんか、シズクさんも歯切れが悪くて、詳しくは君にって」

「ああ、間違いない。あそこにいる」

 二人の間を通ってあの家のすぐ近くの角に隠れる。一見すればあの時と変わらない真っ白い家だが、所々記憶との差異がある。自転車の色やサドルの高さが違う。植木の数と種類が違う。車も違う。別の家にも感じるが、紛れむなく俺が住んでいた家だった。

「近くの住人は、何か言ってたか?」

「聞いた所で信用できねぇよ。実際、どのくらいの奴らが関わってたのかわからないんだぜ」

 来るまでに見た明かりが灯っていた家々には、オーダーの人間が隠れながらも張り込んでいた。誰も信用すべきではなかった。便衣兵を一度でもされれば、近くのコミュニティー全員が捜査対象になる。まさしくテロリストだ。

「まさか。少年兵として教育する施設とはね‥‥それも、女の子ばっかり‥‥」

「チッ。気に食わねぇ‥‥で、やるのか?」

 珍しく怒りを滲ませた様子の二人は、共に前線に出る為の完全武装だった。襲撃科は頭を守るヘッドギアを、襲撃科独特の装甲である必要最低限に留めた兵装備。そして、重武装科の装備を借りた大盾を持った姿。これだけで、文字通り100人力の戦力を期待できる。

「—―他の奴らも行けるってよ」

 整備科が、ヘルメットにつけられたマイクで確認を取った。

「‥‥悪いな」

「なんで、お前が謝ってんだよ。気にすんな」

「そうそう。これがオーダーの仕事だから」

 二人の肩に手を置いて角から出る。後ろを二人とカレンが着いてきてくれる。二人には、いつか話さなければならない。それが、どんな結果を生もうと。

「‥‥俺とカレンで、少し話してくる。聞かなきゃならない事があるんだ」

「大丈夫なの?」

「ああ。俺が守る」

 振り返ってカレンを見つめ、それ以上の詮索はせずに、瞬く間に二人はカレンの為に道を明け渡した。—————そして、カレンも一歩前に踏み出した。




 変わらない物をつい探してしまう。見つけた所で、意味なんかないのに。

 この玄関は、こんなにも狭かっただろうか。こんなにも浅かったのか。知らないサイズの靴がある。カレンとさほど変わらないが、確実に年下だ。

 しかも少女のローハーだった。

「大丈夫?怖くない?」

「まさか‥‥やっと、」

「やっと?」

 カレンが背中に触れてくる。

「別れを言える」

 玄関を上がった所にある階段を見上げた。

 曲がり角にある窓ガラスがステンドグラスへと変化していた。あんな物を取り付けたのか。今度のヒトガタはだいぶ洒落ている。差し込む月光が紫と緑へと変わっているのを見つめ、改めて目指す先、二階の突き当たりである、あの人の書斎を思う。

「上に行こう」

「うん」

 カレンに手を伸ばして、後ろ手に握る。無言で階段を上り、廊下を見渡した。

 廊下には扉が三枚あり、その中の一つは俺の部屋だった物と思い出す。しかし、そこに用はない。あるのは突き当たりの扉。

 あの人の書斎にして、入る事を許されなかった特別な部屋。

 だというのに、廊下を渡る過程で視界が赤に染まる濃厚な血の香りに包まれた。

「‥‥血だ」

「うん、匂う…」

 俺の扉を超えたあたりから、匂い始めた。電気もついていない廊下から、血を感じる。生臭い。そして、冷たい。普段自分から漂う所為で、目元をさすってしまうが、何もない。

「‥‥人間かな‥‥」

「わからない」

 この家には日常的に少なくとも三人いる。あの男でないとすると、どちらか、もしくはどちらもだ。瞬時に意識を変え、自分はオーダーであるのだと固定、世界へ偽る。

「武器を」

 後ろのカレンから衣擦れの音が鳴り、続いて金具の音がした。

「いける」

 軽く振り返ってみると、カレンはスプリングフィールドXD、そのサブコンパクトモデルを抜いていた。いいチョイスだ。シングルアクションだが、保守的でグリップセーフティー、マガジンキャッチ等がある手堅いデザインが特徴だった。

「向ける時は俺が指示する。それまでは絶対に上に向けてる事、いいな?」

「‥‥はい」

 緊張感が伝わってくる。だが、二人で進まないといけない。カレンを身体で守りながらP&Mを抜き、ライト替りに引き抜いた警棒状態の杭の先端で書斎のドアを開ける。

 芳醇な果実酒の香りに塗り替えられた鼻腔を無視し、許されなかった部屋へと移動する。

「久しぶりだな」

「ああ、6年ぶりか?」

 書斎には、木製の書斎机があり、ついさっき会った男が肘掛け椅子に座っていた。

「‥‥もう一人はどうした?」

「入院中だ。会いたければ直接行け」

「連れて来いと言った筈だ!!また、私を裏切るのか!?」

 この6年でだいぶ癇癪持ちなった。どうやら今の立場がそうさせたらしい。それとも約束されていると思っていた快楽が半分減った思ったからか。椅子の座り方一つ見ても、過去の威厳ある姿には見えない。時間とは残酷だ。

「まぁいい。明日にでも連れて来い。ソイツを渡せ」

 いきなり渡せと来た。俺が連れてきたのだから、当然自分の物になると思っている。

「聞きたいことがある」

「その前に渡して出ていけ。私はこれから実証の為に」

 立ち上がって迫る男が、カレンへ手を伸ばした。だから杭で叩き返す。

「なんのつもりだ!?お前もその女が欲しく」

 叩かれ瞬時に赤く染まった手を抱きしめ、後ろの棚まで下がり怒鳴りつけてくる。アルコールの所為で血の流れが良過ぎる所為だ、痛みと腫れが瞬間的に湧いてしまったらしい。

 だが、まだ立場が分かってない為、更に銃口を向ける。

「ああ、欲しい。カレンは俺の物だ。向けろ」

 逃げると見せかけてベストの中から抜いたH&Kを手から撃ち落とし、カレンに指示する。

「あれは防弾性だ。間違って撃ってもいい」

「わかった‥‥」

 片方は杭で叩かれ、もう片方は弾丸で弾かれる。真っ赤に腫れた手が痛々しい。

 前に俺を撫でて褒めてくれた手を、俺が壊した。

「あんたには聞きたいことがある。動くなっ!!!」

 足元に40S&W弾を放って威嚇する。

「そのまま立って答えろ。カレン、壁に」

 カレンに指で示し、書斎の壁沿いに背中をつけさせる。

 十字掃射の構え。この構えのいい所は対象の動きを常時詳細に確認できること。そして、逃げ場を無くせるので、相手を撃ちやすい。動きに逐一意識を回せる尋問の構えだった。

「な、なんだ!?」

 動くことも座ることもできなくなり、二丁の拳銃に狙われている姿は、ただ滑稽だった。

 俺は、こんな男の元に帰りたがっていたのかと、我ながら笑みを浮かべた。

「なぜ、俺を狙った?あの背広達は、常に俺を狙ってのものだった。しかも、暗殺の為の。あんたは俺が憎かったらしいが、今更なんの用だ。俺の事なんか、放っておけば良かった物を。何故だ?」

 銃口という殺意の現れに慄き、口が震えて呂律が回らない酷い言葉使いだった。

「き、決まってるだろう‥‥お前の近くには、私に必要なヒトガタや研究対象がいた‥‥。お前を殺せば、全て私の物に」

 9mm弾が発射され、窓ガラスを破る。男の腹すれすれだった。

「カレン」

「ご、ごめんなさい」

「次はもう少し肘に力を入れてみてくれ、次は必ず当たるから」

 少しだけ不器用なカレンに少しだけアドバイスをする。カレンは早速、肘を伸ばして腕全体で男を狙い始めた。

「いいぞ。そのままキープだ。疲れたら、肘を伸ばしたままで下に向けて。いいぞ」

 素直に従ってくれるカレンが頼もしい。何度か練習すれば、必ず当たるだろう。シズクとは大違いだ。

「じゃあ次だ。サイナを狙った理由は?」

「サイナ?ああ、あの女が狙ってた子か‥‥。私は、狙ってなどいない」

「サイナはなぜ生まれた?」

 ほとんど答えに近い事を言ってもまるで気付いていないようだ。という事は、当然、サイナがヒトガタと人間の間の子だと知らないらしい。本当に蚊帳の外だ。

「‥‥次だ。カレンとソソギを求めた理由は?」

「決まってるだろう。究極の鍵を」

「撃て」



「聞こえるか?」

 誰?

「前ここにいたヒトガタだ。ヒトガタはわかるか?」

 今日、教えられた‥‥。私は、ヒトガタだって。

「つらいか?」

 ‥‥。つらいし、痛い‥‥。

「大丈夫。血は流れてるけど、オーダーが保護する」

 オーダー‥‥。お父さんが、いつも悪く言ってた。

 ——あそこには、—―あそこには、失敗作がいるって。

「—―そうか。あの男は、父親か?」

 違う。少し前まで、そう思ってたけど、今は違う。

「それでいい——あんな人間、親だなんて思わなくていい」

 ‥‥なんで、あの人は、私に、こんな——

「言わなくていい。少し眠って」

 また。

「ん?どうした?」

 また、会える?

「‥‥どうだろうな。あーでも、」

「でも?」

「オーダーに来れば、会える。覚えておいてくれ」




「どう思った?」

「先にカレンが落とされるなんて、思わなかった」

「そうじゃなくて‥‥」

「わかってる。あそこにいたのは確実にヒトガタだと思う。でも、アルファじゃない」

 ヒトガタは軒並み傷の回復が早いらしく、イサラよりも一足早く退院していた。傷一つない長い足を組みカップを啜るソソギの姿に、周りの人間が男女問わず魅了されている。

 ヒトガタは人間ではないからこそ、人間以上に魅了的になれる。元々人間の欲望を満たす為に用意されたのがヒトガタなのだから、人間以上に美しいのは当然なのかもしれない。

「自分で取りに行くのって、少し慣れないかも」

「俺もそう思うよ」

 丸いガラステーブルにカップを置いたカレンが隣に座り髪をかき上げる。ソソギに目を惹かれていた人間達がまたもや目を惹きつけられる。横顔とドレスシャツに包まれた肢体を見た人間達がコーヒーを飲む振りして、カレンを見始める。一般学校の生徒や大学生らしき人間達が、指を差して立ち上がったのを見て、唐突にカレンへと提案した。

「カレン、場所の交代だ」

「ふふ、はい。守って下さいね」

 楽し気に一回転。スカートを翻して立ち上がったカレンと、窓側に座っていた俺と場所を交代する。通路側の座席をカレンから俺に変わった事により、舌打ちが聞こえてくるが、それでも止まらない足音に腰の武装を鳴らす。

「うっオーダーかよ‥‥」

「あの腰の拳銃か‥‥?」

 今の俺の腰には両脇に杭と脇差し、それにM66とP&M、それにベストには見えないようにだが魔女狩りの銃まで仕込んである。

 ここまで人間を威嚇出来る装備もそうそうないだろう。わざと椅子から滑らせて見せている二丁の拳銃に2人を見ていた人間が怯え始めた。一体、どれだけ2人に視界を盗られていたのだ。外の人間は愚かだ。真っ先に視線がいくのが美女で、自分の危機ではないらしい。

「ふふ、見てる見てる」

「私達よりも、あなたの武器の方が人気みたいね」

 そう言ってソソギは、スカートを僅かにたくし上げる。背中に集まっていた視線が急激にソソギの足に移動していくのがわかるが。それも一瞬で凍り付く。

「この銃もいいみたい」

 その足に装着されていたのはヨーク連発銃。見覚えはないだろうが、俺の拳銃よりも見た目が凶悪なので、また怯えさせたのがわかる。

「—―外からも見られてるみたい」

 ソソギがカップをもう一度持って、視線で知らせてくる。

 大きな窓ガラスの向こう側から、スマホや飲み物を持った人間達が立ち止まって覗いているのがわかる。バレていないと思っているのか?これ程までに外の人間は美女に飢えているのだとしたら、俺はオーダー街に来てよかったと心底思う。

「あ、ぶつかった」

「よく見る光景かな?私とソソギが外に行くと、何度も見かけるよ」

 歩きスマホをしていた人間とカレンに目を引かれていた人間がぶつかった。ただ、歩きスマホをしている人間はソソギに目が行っていた。

「2人とも凄いよな。俺なんか、舌打ちしかされないのに。何か用か?」

 ガラスに映っているとも知らない連中の1人。俺の武装に気付いてもなお近付いてくる勇者に、目を向けて後退りをさせる。

「あ、いえ。その、お友達ですか?」

 制服を着た高校なのか、中学生なのか知らないが、子供が話しかけてくる。だが、視線はカレンに集中している。

「俺の家族に何か用か?」

「え?」

「聞こえたか?」

「おい、もうよせって‥‥」

 話し掛けてきたバカを、後ろの連中が引きずっていく。家族と聞いてテーブルから動かないで盗み見ていた人間達は愕然としたと顔で知らせてくる。気持ちはわからなくもない。ソソギとカレンのような至高の存在と、俺が血縁者だとは思いたくもないだろう。

「怖がってる怖がってる」

「みたいだな。よせ手を振るなって」

 連れて行かれた人間に、カレンが面白がって手を振る。

 急いでカレンの手を止めるが、時すでに遅し。ソソギに視線を向けるが、ソソギもソソギでこの状況楽しんでいる。ため息でも出そうだった。ガラス越しで見えているバカの顔が、その気になったのがわかったから。

 バカは止める連中を無視して再度、愛の為、突撃を繰り出した。

「あの!俺、その人と話しがあるので!退けよ‥‥」

 肩を掴んで耳元で呟いた。この程度で退かせられると踏んでいるらしい。

「もう一回言え」

 掴まれてる肩を振り払って、立ち上がる。思ったより小さい。中学生のようだ。

「俺、その人と」

「俺を正面から見返した事は褒めてやる」

 肩を掴み返して武器を使わずに握力だけで、膝をつかせる。ネガイに散々言ってきた、武器を持たない一般人には武器を振るわない。また化け物の目も使わない。ここで一般人を過呼吸でも呼吸困難にでもさせたら面倒だ。何よりもマトイに殺される。

「言っておくが、俺も2人もお前に用はない。これで最後だ、わかったらさっさと」

「はい、あなたに興味はありません」

 急にカレンがm掴んでいない方の腕に抱きついてきた。

「私はあなたじゃなくて、店員を呼んだんです」

 カレンが手を振っていた方を見ると、確かに女性の店員さんがいたが、さっきのは確実にコイツに振って見えた。

「それと、私と話したいならこの人を通して下さい」

「な、なんで‥‥?」

 膝を突いているバカは、この後に及んでまだ話したいらしい。

「私とこの人は恋人だからです♪」

 カップが砕ける音がそこかしこから聞こえてきた。

「でも、家族だって‥‥」

「家族ですけど、恋人です。他人にとやかく言われたくありません。それと、後ろの彼女も、この人の恋人です」

 急いでソソギに首だけで振り返る。当の本人は僅かに頬を緩ませて手を上げて、人差し指と中指を擦っていた。今度はアルミ製のポットが落ちる音がカウンターから聞こえてきた。

「わかったら、早く何処かに行って下さい。私はこれから恋人との時間を過ごすんです」

 哀れになってきた。顎が抜けたように、脱帽、愕然という形容詞がここまで相応しい顔はなかなかとして無いであろう。膝を突いたままの中学生に声を掛ける。

「こういう事だから、早く行った方がいい」

「‥‥はい」

 掴んでいた肩を離して、手を差し出して立ち上がらせる。相当ショックだったのか、もうカレンの方は見ないで他の連中と一緒に店の外に出て言った。店内もエアコンの音しか聞こえてこない程、静寂に包まれてしまった。

「‥‥出るか」


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