【お江戸 暗夜忌憚】人斬りの夜ー邂逅ー
川上とどむ
序
川縁の芦がこんもりと生えた辺り。
猫がごろごろと喉を鳴らす、そんな音が微かに聞こえる。
頼りない月明かりに目を凝らして見れば、絡み合う二つの人影が蠢めいている。
好き者がその場に居合わせれば、客にあぶれた夜鷹が、
馬乗りの人影が、組敷いた身体を弄んでいる。
真っ白い乳房に顔を沈め、ぴちゃぴちゃと音を立てて、口唇で苛む。
その度に気持ちがいいのか、ごろごろともごぼっとも聞こえる喘ぎが溢れる。
攻め立てる人影が、時折顔を出す月光を反射させつつ、腕を振り降ろす度に、ぶしゃっと飛沫が舞い上がり、辺りに淫靡な臭いが立ち込める。
そんな影絵の情事が、しばらく続き…………低く続いていた音もいつしか止んだ。
不意に、がさがさと芦の茂みが揺れ動き、何かがこちら側へとやって来る。
現れたのは一人の男。
黒の着流し、腰に刀を帯びてはいるが、長い髪は背に垂らしたまま。
月光に浮かび上がる顔は、女と見紛う程の美しさだ。
すっきりと通った鼻梁、優しげな柳眉に反して酷薄そうな切れ長の目。
青白い肌に、唇だけが妖しく赤い。
男は左手にぶら下げていたものを一瞬見つめるも、すぐに興味を失った様子で、その場に打ち捨て歩き去る。
やがて静寂を取り戻した川縁には、虚ろな眼差しで月を仰ぎ見る、女の生首が一つ転がっていた。
*****
川沿いに歩き続けると、豪華な屋敷が建ち並ぶ一帯に辿り着く。
この辺りの屋敷は武家や大店の別宅が殆どで、贅を尽くし趣向をこらしたものばかりである。
男が目指すのは「
男は躊躇することなく門を潜り、玉砂利の枯山水の前庭に敷かれた飛び石の上を歩いてゆく。
「山奥のうらぶれた山小屋の趣だ」と、屋敷建築にあたり当主は指示したが、結果は見事に裏切られ、この辺りで一、二を争う豪華な屋敷になっている。
山小屋には決してないであろう玄関は、深夜にも関わらず開け放されたままで、そこには主人の帰りを待ちわびる男が控えていた。
「おかえりなさいませ、
そう声を掛け立ち上がったのは、年の頃二十二、三才ぐらいの青年で、男・刀夜よりも背も高く体つきも逞しい。穏やかな眼差しが誠実そうな印象を与えるが、短く切り揃えた短髪が精悍さも醸し出している。
名を
「湯の用意が出来ております」
それに頷きはしたものの、どこかぼんやりとした様子の刀夜は、促されるまま屋敷の中へと入ってゆく。
刀夜が残してゆく、足跡と点々と続く滴を拭いながら政司も風呂場に向かうと、刀夜の着物を脱がし、水を張った桶に落とす。と、その水が一瞬赤く染まるが、すぐに着物の色に同化し消える。
刀夜の裸身にこびりつく赤黒い血の染みを、政司は驚きもせず湯を流し掛け清めてゆく。
そうやって政司が己の体を洗っている最中も、刀夜はされるがままでおとなしくしていたが、彼の身体の一部は未だ興奮状態であることを示し昂ったままであった。
「まだ、しずまりませぬか」
政司が咎めるように、尋ねる。
「……今夜のは、見掛けばかりで、すぐに絶えてしまったからな」
そう言って政司の顔を見上げた黒瞳は、妖しい光を放ち、赤く染まる舌先が唇を一舐めする。
その視線を受け止めていた政司であるが、それ以上何も言わず、その場にしゃがみこんだ。
しばらく、何かをしゃぶるような水音が響き、それに合わせるように刀夜の臀部が何度かぐぐっと引き締まる。
手の甲で口を拭いながら立ち上がった政司は、刀夜を湯殿に浸からせると、その縁に頭を持たせ掛けるよう促した。
湯殿の外に垂らした刀夜の長い黒髪を絡ませないよう丁寧に洗い、仕上げに香油を数滴落とした湯で濯いだ。
「刀夜さま、ここで寝てはいけませんよ」
湯の中ですっかりくつろぎ、眠り掛けている刀夜を立ち上がらせ、手早く身体を拭いて、真っ白な寝巻きを着せ掛ける。
先程の妖しい雰囲気はなりを潜め、呆けたようにじっとしている刀夜を、政司はそのまま抱き上げた。
今年十三になる刀夜だが、背の高さに幅が追い付いておらず、その身は薄く軽い。刀夜の部屋に向かいながら、もう少し目方を増やしてもらわねば、と政司は思う。
食が細い上に『肉』を食べない彼の主人は、痩せはしても太ることはなかった。
敷いておいた布団に刀夜を寝かせ、部屋の灯りを落とす。
刀夜が完全に寝入るまで間口に控える政司であったが、寝息が聞こえてきたのを確認しそっと襖を閉めた。
「さて、今夜はどの辺りで遊ばれたのでしょうか?」
ため息混じりに呟くと、不寝番の下男に後を任せ、刀夜の戯れの後始末へと闇夜に紛れ行くのであった。
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