第21話 天地滅殺

 堕天使キャメロンが絶命した。

 彼のライフは確かに0となり、僕は自分の勝利を実感することが出来たんだ。

 途端に全身の力が抜けるのを感じて、僕はその場にガックリとひざを着く。

 ようやく迎えた勝利に精も根も尽き果て、腰が抜けてしまったかのようだった。

 でも、とにかくこれで終わり……。


天地滅殺オール・ワールド・ジェノサイド


 その声に僕はハッとして顔を上げる。

 それは確かにキャメロンの声だった。

 だけどキャメロンは変わらずに立ったまま息絶えてピクリとも……えっ?

 僕はそこで異変に気が付いた。


 見るとキャメロンの立っている足元の床がボロボロとがれて粉々になり、まるで分解消去されていくようにちりと消える。

 それはキャメロンを中心にゆっくりと、360度放射状に広がり始めたんだ。

 そして分解消去された後には真っ黒でうつろな空間が広がっていく。

 それは地獄や暗黒というのとはまったく異なる、言うなれば「無」の空間だった。


 僕は以前に砂漠都市ジェルスレイムを消滅の危機におちいらせた破壊の女神セクメトを思い出した。

 彼女がその身から発する奇妙なモザイクは世界を消滅させようとしていた。

 目の前でキャメロンに起きている現象はそれに似ていたけれど、これは世界を消滅させるというより、「無」に塗り替えようとしているみたいだ。

 でも、どちらにせよ、このままじゃマズイ。


「と、止めないと……」


 僕は持っている金の蛇剣タリオを握り締めて立ち上がる。

 キャメロンは相変わらずピクリとも動かず、そのライフもゼロのままだ。

 彼がゲームオーバーになっているのは間違いないんだ。

 でも策略家の彼のことだから、自分のライフがゼロとなると同時に、こういう現象が発生するように仕込んでいたのかもしれない。

 もう意識のないキャメロンが死してなおその野望を果たそうとするその執念に、僕は恐ろしさを感じると同時に悲しさを覚えた。


 そこまで人を恨む気持ちは僕には分からない。

 それは僕が彼のような立場に立ったことがないからだ。

 僕が彼と同じ境遇だったら、同じようにイザベラさんを恨むんだろうか。

 でももしここまで恨まなかったとしても、悲しくて寂しくて胸がつぶれてしまっただろう。

 そんな境遇で生き続けてきたキャメロンの今の姿が、僕にはどうしようもなく悲しく感じられた。

 

 でも……僕なんかには計り知れない彼の気持ちに思いを馳せたまま、ここでその破壊の波を受け入れるわけにはいかないんだ。

 自分の恨みだけで他の全てを壊していい道理はない。

 ここには僕と同じ多くのキャラクターたちの営みがあるんだ。

 それを破壊させるわけにはいかない。

 僕は金色の蛇剣タリオを握り締めて足を踏み出した。

 だけど歩き出そうとした僕は進む前に足をもつれさせて転倒してしまった。


「うわっ……イテッ!」


 床に倒れ込んだ僕は足を何かに引っかけたのかと思って足元を見ると、誰かの手が僕の足から出て来て邪魔をしていた。

 まるで僕が進もうとするのをはばむかのようなその手はジェネットの手だ。


「ジェネット。もしかして、行くなってこと? でもこのままじゃ……」


 僕は身を起こして前方を見据えた。

 キャメロンの体からあふれ出して広がる脅威を前に、僕に出来ることはないのか?

 冷静に考えれば今すぐこの場から逃げるしかないけれど、この状況を止めなきゃ、この異様な悲劇はこの世界全体に広がってしまう。

 キャメロンの望み通り、天使たちの世界が終わる。


「何か方法は……」


 キャメロンの体から発生する「無」の侵食は徐々にその範囲を広げていき、彼の周囲数メートルに達している。

 あれに近付くことなんて出来ないぞ。

 そう思った僕のお腹からミランダとジェネットの手が現れた。

 そしてミランダが黒炎弾ヘル・バレットを、ジェネットが清光霧ピュリフィケーションをそれぞれキャメロンに向かって放ったんだ。


 黒く燃え盛る火球と光り輝く霧がキャメロンを襲うけれど、彼の前方数メートルの空中でどちらの魔法も泡と消えてしまう。

 絶大な威力を誇る魔女と聖女の魔法は文字通り「無」へと帰した。

 だ、ダメだ……近付くことも出来なければ遠くからねらい打つことも出来ない。

 打つ手なしなのか……。


 あふれ出す「無」はジリジリと近付いてくる。

 僕は成すすべなくくちびるを噛みしめて後退するしかない

 その時、頭上から降りてくる2つの人影に僕は気が付いた。

 その2つの人影は僕のすぐ後方に着地したんだ。

 その2人を見て僕は驚きに目をまたたかせた。


「えっ? イザベラさん。それにティナ」


 そこに舞い降りてきたのは、さっき中庭から避難したはずの天使長イザベラさんと見習い天使のティナだった。

 そして僕はイザベラさんの隣にいるティナの肩に、見慣れない小さな動物が乗っているのを見てまゆを潜めた。

 それはとても小さな……さる

 手のひらサイズのそのさるは僕の顔を見るとニッと歯をむき出した。


『ピグミーマーモセットだ。知らんのか? 超小型のさるさ』

「えっ?」


 僕はいきなりその猿に話しかけられて驚きに目を見開いた。

 人の言葉を話すその小猿の声をよく知っていたからだ。

 それはジェネットの主にして、僕らのゲームの顧問役。


「か、神様?」

『ようアルフレッド。相変わらずの悪運としぶとさで生き残っていたか』

「どうしてここに? サーバーダウンで強制ログアウトされたんじゃ……」

『馬鹿を言え。そんなことでこの俺がつまづくと思うか? 俺は誰だ? そう。神だ。神は全知全能なんだよ。俺・イズ・パーフェクト』

「は、はぁ。というかそんなこと言ってる場合じゃないですよ。何しにここに来たんですか?」


 小猿の神様はティナの肩から僕の肩に飛び移ると言った。


『何しに来たとは随分ずいぶん御挨拶ごあいさつだな。お困りの天使長殿に力を貸しに来たに決まっているだろう』


 そう言う神様にうなづいたイザベラさんは僕を見つめるとその場で頭を下げた。


「アルフレッド様。あの子の……キャメロンのことで大変なご迷惑を。本当に申し訳ございません」

「い、いえ。それよりどうしてここに?」


 僕の問いにイザベラさんは決然と答えた。


「あの子を止めるためです。これ以上、被害が広がる前に食い止めなければ。今ならそれが可能なのです」


 そう言うとイザベラさんはキャメロンの変わり果てた姿を見つめた。

 その目に悲しげな色がにじんでいる。

 彼女の話を聞いた僕は反射的に首を横に振っていた。


「き、危険です。キャメロンはもう……」


 キャメロンのライフは0で、もうこれ以上戦うことは出来ないけれど、彼の体からあふれ出す破壊の波は止められそうにない。

 だけど、変わり果てた息子の姿を見ながらイザベラさんは言った。


「あの子はああして自らの体に呪いをかけていたのでしょう。たとえ意識が途切れても意志を果たせるよう、その身に罪深き呪いをかけたのです」


 そう言うとイザベラさんは再び僕に視線を戻して言う。


「愚かなことをした息子ですが、その責任は全て私にあります。私はあの子との関係性を間違えてしまいました。ですから、私は自分と息子の間違いを正すべくここへ来たのです。私はあの子を1人ぼっちにしてしまいました。今さら許されることではありませんが、せめて最後は一緒に……」


 イザベラさんはそう言うと隣に立つティナの肩に手を置いた。


「ティナ。後のことは頼みましたよ」

「……はい」


 ティナは硬い表情で表情でうなづくと白銀の杖を振り上げた。

 僕はそんな彼女の水色の目が異様に輝き出したのを見て驚いた。

 それはキラキラと輝く虹色へと変化していたんだ。


瞬間転移リロケーション


 ティナがそう唱えると彼女の持っている白銀の杖の宝玉から白い文字列があふれ出してイザベラさんを包み込む。

 その途端にイザベラさんの体がパッとその場から消えたんだ。


「えっ?」


 そして次の瞬間、イザベラさんは破壊の中心地であるキャメロンの元へと再び現れた。

 肥大化したキャメロンの亡骸なきがらを抱きしめると、イザベラさんはティナを見る。

 ティナがそれに応じて白銀の杖を前方に突き出した。


検閲隔離クアランティン


 そう唱えるティナの持つ白銀の杖からまたもや白い文字列が放出され、イザベラさんとキャメロンを包み込む。

 するとキャメロンとイザベラさんの周囲の空間がグルグルとねじれ出し、彼女たちを飲みこんでいく。

 そして空間のねじれが収まった時には、2人の姿は忽然こつぜんと消え去り、この世界に広がり続けていた「無」の浸食が止まった。

 被害は……この中央広場の中だけで済んだんだ。

 僕は唖然としてティナに目を向ける。


「ティナ……いったい何を?」

「……天使長様はキャメロンとともに時間の止まった空間のひずみの中に閉じ込められました。そこで2人は隔離され続けます」


 そう言うティナの目からひとすじの涙がこぼれ落ちた。

 うつむいて肩を震わせる彼女に代わり、僕の肩に乗っている小猿姿の神様が口を開いた。


『今、その娘には管理者権限で行使できるプログラムが備わっている。それを使って、あの2人を一時的にシステム・ダウンさせたのさ。キャメロンの奴の仕掛けた世界終焉しゅうえんプログラムは現時点で強制的にストップされている。危機は去ったと言えるだろう』

「管理者権限……もしかしてティナは運営本部の意向を代行するNPCなんですか?」


 僕の問いに神様は首を横に振った。


『管理者権限プログラムと言っても私が即席で作った模造品もぞうひんだ』

「も、模造品もぞうひん?」

『ああ。そいつを天使長イザベラに渡してこの世界を正常化させようと思ったんだ。だが、彼女はああして息子と運命を共にすることを決め、プログラムは後継者であるティナに移植してほしいと願った』

「イザベラさんとキャメロンはこの後、どうなるんですか? 元に戻れるんですか?」

『そんなに都合のいい話じゃない。イザベラはキャメロンが自分の息子であることをここの運営本部に隠していた。そしてそのキャメロンはこのゲームに対して敵対行為を見せた。あの2人は言わば容疑者として拘留されたも同然だ。今後は厳しい処罰が下ることになる。どんな処罰かは、おまえならば言わなくとも分かるだろう』


 神様の話に僕はティナを見た。

 彼女はうつむいたまま声を殺して泣いている。

 僕はイザベラさんに後を頼むと言われた時の彼女の硬い表情を思い返した。

 多分……ティナはこんなことはしたくなかったんだ。

 他の天使たちと同様に、いやおそらくそれ以上にティナはイザベラさんをしたっていたんだと分かる。

 辛い役目を負うことになったんだな。

 くちびるを噛む僕に神様はその他の事情を説明してくれた。


『アルフレッド。私はサーバーダウンに備えて自分のコピーNPCをこの世界に残しておいたんだ。今のこの姿はNPCさ』

「そ、そうだったんですか。だからサーバーダウン後もこのゲーム内に……でもそれならどうしてすぐに助けに来てくれなかったんですか? 僕たち結構大変だったんですよ?」


 自分で思っていた以上に不満げな口調になってしまったけれど、神様は気を悪くしたふうもなく小さな肩をすくめて愛らしい仕草を見せた。


『すぐに来られなかったのはキャメロンに気付かれないよう、さっき言った管理者権限プログラムの模造品もぞうひんをこのゲーム内で作り続けていたからだ。模造品もぞうひんとはいえ骨が折れたぞ。このゲームの運営本部が時間をかけて作ったシステムをもとにコピーを作り出すのはな』

「そ、そんなことが……。でもどうしてサーバーダウンを予期していたんですか?」


 神様が事前準備を出来たのは、サーバーダウンが起きることを事前に予測していたからに他ならない。

 そんなことが出来た理由を神様は語る。


『実はな、以前にこのゲーム内で行方不明事件が起きた時にも小規模のサーバーダウンが発生していたんだ。だからおそらく今回もどこかのタイミングでサーバーダウンが起きると私は踏んでいた。ここの運営はゲームの評判が落ちるのを気にしてそのことを黙っていたんだがな』


 そうした事前準備が出来ていたから神様はこの事態に対処できたのか。


「サーバーダウンはやっぱりキャメロンが起こしていたんですか?」

『うむ。キャメロンの奴は相当な時間と労力をかけて多くのゲームを出回り、このゲームを外からDDoS攻撃する共犯者システムを作り上げたんだ。彼の合図で一斉に攻撃が始まり、重度の負荷がこの天国の丘ヘヴンズ・ヒルにかけられて運営本部はゲームの制御不能に追い込まれた』


 そういうことだったのか。

 キャメロンの仕掛けた一連の謀略の中で右往左往していた僕らは、そんな全体像を見ることも出来ずにおどらされていたんだ。

 小猿の神様は僕の肩から再びティナの肩に飛び乗ると彼女に声をかけた。


『ティナ。天使長殿の今後の処遇については微力ながらこの私からも嘆願書を提出しよう。彼女のこれまでの貢献度を考慮すれば、運営本部も非情な判断はすまい』


 神様のその言葉が気休めなのか本当なのかは僕には分からなかった。

 イザベラさんには厳しい処分が科せられるかもしれない。

 だけど神様の言葉にティナは涙をぬぐい、うなづいた。


「ありがとうございます。私も……天使長様の御意志を受け継いだからには、もう泣いてばかりいられません。まずはアルフレッド様。あなたを正常化せねば」

「え? せ、正常化?」

『そうだぞアルフレッド。おまえは異常だ。異常者アルフレッドよ。正気に戻れ』


 誰が異常者だ!

 正気は失っていないから!

 

正常化ノーマリゼイション


 そう言うティナの握る白銀の杖から再び白い文字列が放出され、僕の体を包み込む。

 すると僕の左手首の5つのアザから5色の光が小さな玉となって飛び出してきた。

 その光の玉は床に舞い落ちると人の姿に変わっていく。

 僕が良く知る5人の少女たちの姿に。


 ミランダ、ジェネット、アリアナ、ヴィクトリア、ノアの5人はその場に横たわり、全員が穏やかな表情をして眠っていた。

 大事な彼女たちの無事な姿に心からの安堵と歓喜を覚え、僕は思わずこみ上げる涙を手でぬぐいながら皆の帰還を祝った。


「みんな……おかえり」


 こうして僕らにとって初めての遠征となった天国の丘ヘヴンズ・ヒルでの騒動は、幕を閉じることになったんだ。

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