第8話 生き地獄の果てに

「こんなこと……キャメロンは知っているのか? まさか彼の命令なのか?」


 ローザの灼熱黒矛カークスで左肩を刺されて苦しみながら僕がそう言った途端、彼女の手が止まる。

 そして彼女の表情が憤怒ふんぬのそれから薄笑みに変わった。


「キャメロンの命令? あの平和ボケなガキにそんな大それた真似まねが出来るものか。笑わせるな」


 へ、平和ボケなガキ?

 ローザにとって彼は上司のはずなのに。

 僕は彼女の豹変ひょうへんぶりに困惑する。


「ど、どういうことだ?」

「部下の私がこんなことをしている以上、キャメロンが黒幕のはずだ。大方そんなことを考えているのだろうな。浅はかな貴様らの考えそうなことだ」


 ローザの言葉が僕を惑わせる。


「き、君は彼の部下だろう? 彼は一体どういうつもり……」

「確かに私はキャメロンの奴の部下だ。奴が黒幕と思いたくば思えばいい。だが、そんな憶測はクソの役にも立たないとすぐに分かるさ。おろかな貴様でもな」


 そう言うとローザは乱暴に僕の肩から灼熱黒矛カークスを引き抜いた。


「あぎいっ!」


 激しい痛みに僕は思考をさえぎられてガックリと頭をれた。

 傷口が焼けているせいか出血は大したことはないし、感覚が麻痺まひしてきたみたいで痛みも鈍くなってきたけれど、僕のライフはすでに3分の1以下まで減っている。


「おっと。死ぬなよ? 貴様にはまだ利用価値がある」


 そう言うとローザは取り出した回復ドリンクを無理やり僕に飲ませる。

 僕のライフが大きく回復し、傷口もゆっくりとふさがっていく。

 それを見たローザはニヤリと酷薄こくはくな笑みを浮かべた。


「回復して良かったな。じゃあ今度は右でいってみようか」


 ローザはそう言うと今度は僕の右肩に灼熱黒矛カークスを突き刺した。


「うぎぃああああっ!」

「ハハハハッ! せっかく回復したのにまた逆戻りだな」


 苦痛にあえぐ僕の目の前で、彼女は再び回復ドリンクを取り出して僕に見せた。


「まだ何本もあるんだ。良かったな。回復と痛みをあと何回も味わえるぞ」


 ローザの目が恍惚こうこつの色をはらみ、その顔が興奮で上気している。

 狂ったような彼女の様子に僕はゾッとした。

 彼女はこの状況を心底楽しんでいるんだ。

 そしてローザは灼熱黒矛カークスを僕の右肩から乱暴に引き抜くと、熱せられたそのほこを僕の右上腕部に押し当てる。


「いぐああっ!」

「熱かろう? 肌を焼かれる気分はどうだ? 感想を聞かせてくれよ」


 暗い欲望をその目にたたえ、ローザは次々と僕の素肌に焼けたほこを押し当てる。

 苦痛のあまり自分の悲鳴が他人の声のように聞こえ、意識が朦朧もうろうとし始める。

 それでもローザはすでに次の回復ドリンクを手にしていた。

 本来ならば己の命を救ってくれるはずの回復ドリンクが、今ばかりは悪魔の毒薬に見える。


 じ、地獄だ……。

 あとどれくらい苦痛を受け続ければ、この生き地獄が終わってくれるんだ。

 僕は絶望に打ちひしがれて心が折れていこうとするのを感じていた。

 だけど……。


「かはっ!」


 陶然とうぜんと僕を見つめていたローザの胸から、いきなり一本の鋭い刃が突き出してきた。

 えっ?

 僕は何が起きたのか分からずに目を見開く。

 同じように愕然がくぜんとして目を大きく見開いているローザの口から真っ赤な鮮血が吹き出し、焼けただれた僕の肌を濡らした。


「ごほっ……な、何だと……」


 ローザは信じられないと言うように背後を振り返ろうとしたけれど、その胸から突き出された刃がグルンとひねられるように回転すると、さらにローザは口から大量の血を吐いた。

 

「ごはっ! ば、馬鹿な……こ、この私が……」


 そう言うとローザはガックリとうなだれて動かなくなった。

 そのライフがゼロになっている。

 僕の目の前に倒れたローザの背中から胸に貫通していた長手の武器を見て僕は息を飲んだ。

 飛竜をあしらった装飾が特徴的なその緑銀色の槍を僕はよく覚えていた。


 イ、蛇竜槍イルルヤンカシュだ。

 そして僕の前方にある寝台の前にその武器の持ち主が立っていた。


「ノ、ノア……」


 そこには幼い少女の姿をしたノアが立っていたんだ。


「ど、どうして君がここに? 一体どうやって……」


 僕の問いに答えることはなく、彼女はゆっくりと歩いて、倒れているローザから蛇竜槍イルルヤンカシュを抜き放った。

 ライフがゼロとなったローザは光の粒子となって消えていく。

 ゲームオーバーだ。

 ノアは蛇竜槍イルルヤンカシュを一度ブンッと振ってローザの血を払うと、それを握りしめたまま僕を見る。


「ノ、ノア?」


 もしかして……か、彼女はまだ正気を取り戻していないんじゃないか?

 だ、だとしたらやばい!

 ノアは何も言わずに僕に近づいてくると、スッと蛇竜槍イルルヤンカシュを振り上げた。

 や、やられる!

 僕はたまらずに目を閉じた。


 暗くなった視界の中で、槍が振り下ろされるブンッという音に続いて、ガチャリと金属の音がした。

 途端に僕の両手が自由を取り戻してダラリとれ下がる。

 ん?

 あれ?


 僕が驚いて目を開けると、ノアがその槍で僕の足元の鎖を切ってくれているところだった。

 僕の両手を拘束していた鎖は、ノアの蛇竜槍イルルヤンカシュによって断ち切られている。

 た、助けてくれたんだ。

 僕はノアの顔を見て、その目に意思の光が宿っているのを確信した。


「ノア。君なんだね」


 両足の自由を取り戻した僕だけど、ローザから受けたダメージがひどくてその場にへたり込んでしまった。

 そんな僕を見下ろしてノアはようやく口を開いた。


「ここはどこだ? ノアはなぜここにいる? そなたはここで一体何をしているのだ?」


 し、質問が多いね。

 ってことはノアも自分の状況が分かっていないんだ。


「じ、実は……あぅぅっ」


 刺し傷や切り傷、そして火傷やけどで体中が痛み、僕は上手くしゃべれずにうめいた。

 そんな僕を見てノアは近くに落ちていた何かを拾い上げ、それを僕に差し出した。


「使うがいい」


 彼女が手渡してくれたそれは回復ドリンクだった。

 さ、さっきローザが落としていったやつだ。

 僕はそれを受け取ると、こぼさないように気をつけながら静かに飲み干した。

 途端に体に力が満ちていき、疲労が消えていく。

 そして傷だらけだった体が少しずつ治癒ちゆしていった。


 さっきまではこの感覚の後にすぐにまた傷をつけられ激しいダメージを与えられる地獄の状況だったけれど、やっとその苦痛から解放されたんだ。

 僕は心からの安堵あんどを実感することが出来た。

 それもこれもノアのおかげだ。


「ノア。助けてくれてありがとう」


 僕が身を起こしてそう言うと、ノアはいきなり蛇竜槍イルルヤンカシュの切っ先を僕に突きつけてきた。


「うわっ!」

「まだ助けるとは言うておらぬ。そなたを解放したのは情報を得るためだ。先ほどの問いに答えよ」


 そう言うとノアは油断なく僕の目を見据えた。


「こ、ここは天国の丘ヘヴンズ・ヒルの地下に掘られた悪魔たちの坑道だよ。気を失っていた君はさっきまでこの休憩室で休んでいたんだ」

「ノアが寝ている休憩室でそなたはさっきの女とSMに興じていたわけだな。筋金入りの変態だな。そなたは」

「違うから! どう見ても違うでしょ!」


 エ、SMなんて言葉どこで覚えたんだか。

 まったくもう。


「ぼ、僕もこことは違う場所にいたんだけど、多分二度目のサーバーダウンのせいでここに飛ばされてきたんだ。さっきの女性は僕らの敵だよ」


 もしかしたらこの部屋にノアだけが残っていたのは、ヴィクトリアたちが僕みたいに別の場所に飛ばされてしまったからなのかもしれない。


「僕もハッキリしたことは分からないけれど、今このゲームは不具合が起きているみたいで、システムがとても不安定なんだ」


 僕はそう言うと、この世界に来てからのノアとの顛末てんまつを話した。

 巨大竜のことを話すときは少しためらってしまったけれど、それは避けては通れない。

 僕は彼女の身に起きたことを出来る限り簡潔に話した。

 その間、彼女は黙って僕の話を聞いていた。


「ノア。色々と混乱していると思うけど……」

「混乱などしておらぬ」

「えっ?」

「混乱など……しておらぬ」


 ノアはいきどおりを押し殺すような声でそう言った。

 その顔には自嘲気味な笑みが浮かんでいる。


「しておるのは落胆と失望だ」

「どういうこと?」

みじめな暴れ竜に成り下がった。ノアは己の失態と屈辱を全て見ていたのだ」


 そ、そうだったのか。

 ノアは自己制御を失っていた間も記憶だけはあったんだ。

 その目で自分の体が勝手にやり続けてきたことをまざまざと見せつけられたんだ。

 そのことを自分の身に置き換えて考えるだけで、彼女の辛さが感じられて僕はくちびるを噛んだ。


「己の情けなさに笑いがこみ上げてくる。これは全てノアの迂闊うかつさが招いたことだ」


 そうして自分を恥じる彼女の寂しげな笑みに僕は拳を握り締め、たまらずに言った。


「やり返そう」

「……何?」

「君をあんな目にあわせた張本人を見つけ出して、やり返してやるんだ」


 僕は気持ちをふるい立たせてそう言うと、ノアの目をじっと見つめたんだ。

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