第7話 閉ざされた部屋で

「うぅ……ハッ!」


 目が覚めるとそこは先ほどの休憩室だった。

 あ、あれ?

 僕、今さっきまで石牢の中にいたはずなのに。

 一瞬、自分の身に何が起きたのか分からずに目をしばたかせながら僕は気が付いた。

 そ、そうだ……三度目のサーバーダウンの衝撃で僕は気を失ったんだ。


「こ、ここは……んっ?」


 体が思うように動かせず、背中がヒンヤリと冷たい。

 そこで僕は自分がどういう状態にあるのか理解したんだ。

 僕は岩壁に打ち込まれて固定された拘束用の鎖によって両手両足を縛り付けられ、体の自由を奪われていた。

 背中がヒンヤリと冷たいのは岩壁の感触だ。


 な、なぜこんなことに……。

 ミランダやゾーラン、それに女悪魔は一体どこに?

 まったく事態を把握できずに困惑する僕は、無人だと思っていた休憩室にコツコツと響き渡る足音を聞いて顔を上げた。

 すると……部屋の奥から1人の女性がこちらに近付いてきたんだ。


「気が付いたか。忌々いまいましい下級兵士」


 その声は先ほどまで牢につながれていたはずの女悪魔……いや。

 背格好はよく似ているけれど顔は人間のそれに変わっている。

 見覚えのあるその顔を見て、僕は即座に思い出した。


「き、君は確か……ローザ!」


 そう。

 彼女はキャメロン少年の秘書として付き従っていたローザだ。

 そこで僕はどうして女悪魔の顔をどこかで見たことがあると思っていたのか、ようやく気が付いたんだ。

 サーバーダウンが起きる直前にミランダが言おうとしていた女悪魔の名前がローザだったのだろうということにも。


「お、女悪魔は君だったのか」


 どうして彼女が?

 キャメロン少年はこのことを知っているのか?

 そこで僕の脳裏に、裏天界で僕らを襲ってきたせ悪魔の顔が浮かぶ。

 そうか……あのせ悪魔の顔も見覚えがあると思ったんだ。


「君だけじゃなく助手のマットも……」

「そうさ。ようやく気が付いたか。マヌケめ」


 ローザはそう言って僕をあざ笑う。

 僕は頭の中でゴチャゴチャになる思考を必死になって整理しようとした。

 奇妙なことはそれだけじゃないんだ。


「何で鎖が僕に……」


 お、おかしいぞ。

 休憩室にはこんな鎖はなかったのに。

 それに拘束されていたのはローザの方だったというのに、何で入れ替わりに僕が鎖につながれているんだ。

 ローザは困惑する僕の様子をあざ笑いながら言う。


「色々と混乱しているようだな。私もこの事態には少なからず混乱している。まさかこの顔をさらすことになるとは思わなかったからな」


 ローザはそう言って自分のほほをなでた。


「サーバーダウンの影響だな。不具合でせっかくの化粧けしょうがはがれてしまった。まあしかし、こうして貴様と立場が入れ替わったことは僥倖ぎょうこうだったが」


 そうか。

 ローザにとってもこれは不測の事態なんだ。

 そうでなければ彼女がわざわざ素顔を僕にさらす理由はない。

 問題なのはその不測の事態が彼女にとっては幸運に、僕にとっては不運に働いてしまったってことだ。


 何にせよこの状況はマズイ。

 ここで殺されるならまだしも、僕自身が人質となってしまえばミランダたちを不利な状況に追い込むことになる。

 それは絶対に避けたい。

 必死に思考を巡らせる僕の様子を見て取ったのか、ローザが口の端を吊り上げて笑みを浮かべる。


「色々と考えているな。その小賢こざかしい頭で。あらかじめ言っておくが、助けを呼んでも無駄だ。この部屋の扉はバグで開かなくなっている。誰も入っては来られんさ」


 そ、そうなのか。

 それが本当なら僕は絶体絶命だ。


「で、でもそれは君もここから出られないってことだろ。こんなことをしている場合じゃないんじゃ……うぐっ!」


 そこまで言った僕をローザの一撃が黙らせた。

 ローザのくつのつま先が僕の腹部を鋭く突いたんだ。

 腹を突き上げる強烈な激痛と、おなかの中の空気が無理やりせり上げられるような不快感に僕は激しくき込んだ。


「ごほっ! ごほっごほっ!」


 ぐぅぅぅぅぅ。

 あまりの痛みに僕は一瞬、気を失いそうになる。

 

「おっと。まだ眠るなよ? こんなもんじゃ私の気は済まないんだ」


 そう言うとローザは僕のほほをピシャリと張った。

 ヒリヒリとする痛みと強い衝撃が僕の意識を引き戻す。


「うぅ……」

「ザコのくせに小癪こしゃくな口をきくな。私は貴様のような奴が一番嫌いだ。虫唾むしずが走る」


 そう言うとローザは右手を頭上にかざした。

 その途端に彼女の手に真っ黒なほこが握られる。

 あ、あれは裏天界で教会を焼き尽くした燃え盛るほこだ。


「大した実力もないくせにアイテムひとつで強くなった気になるなよ?」


 そう言うとローザは僕の目の前でほこを縦に一閃させる。

 斬られた!

 そう思った瞬間、僕の兵服が首からへそ下までバッサリと縦に切り裂かれ、あらわになった肌に赤くて細い線傷が走る。

 胸から腹にかけて走るその赤い線傷に痛みと熱さを感じて、僕はたまらずに苦痛の声を漏らした。


「うああっ」


 あ、熱い。

 熱くて痛い。

 まるで火で熱せられた刃物で斬られたようだ。


 それもそのはずで、ローザが握っている黒いほこは裏天界の時のように燃えてこそいなかったが、シュウシュウと煙を発している。

 あ、あのほこ自体が熱せられた刃物そのものなんだ。

 そんな高熱のほこを平気な顔で握りながら、ローザは目を細めて僕の傷を見る。


「私がほんの数ミリこの灼熱黒矛カークスを前に出していれば貴様は今頃血まみれだ。さらに数センチ前を斬れば貴様の臓物は今頃ここから顔を出していたところだぞ」


 そう言うと彼女は灼熱黒矛カークスを握っていないほうの手で僕の腹に触れる。

 そしてそのまま指を僕の肌に這わせて、縦に走る赤い線傷をなぞった。


「痛っ!」


 ローザの指が僕の線傷に触れる度に刺すような痛みに襲われ、僕は体をよじる。


「うぐっ!」


 そんな僕の様子を見つめるローザの目に嗜虐しぎゃく的な光が宿っていた。


「そんなに感じるのか? もっといい声で鳴かせてやる」


 そう言うとローザはその指先でもてあそぶようにして僕の傷に指を押し当ててくる。

 僕は痛みで苦痛の声を漏らしながらそれでも必死に耐えることしか出来ない。


「どうした。女の私に好きなようにいたぶられて悔しいか? それとも快感を覚えていやがるのか? このド変態野郎が!」


 ローザの表情が暗いよろこびにゆがむ。


「ここで貴様を血だるまにして、あの憎らしい魔女に突きつけてやったら、あいつは一体どんな顔をするだろうな」


 そう言うとローザは長くて鋭い爪を僕の胸に突き立てた。


「くぅっ!」


 肌に爪が食い込み、鋭い痛みを伴って出血する。

 ローザの行為は次第にエスカレートしていき、僕は上半身のそこかしこに赤い血の跡をつけることになった。

 痛みと恐怖と悔しさでくちびるが震えそうになるのを必死に抑え、僕はローザをじっと見つめて言う。


「こ、こんな姿の僕をミランダに見せたところで、君が彼女に笑われるだけだよ」

「何だと?」


 えつに入っていたローザの目が鋭い怒りを帯びる。

 僕はその目付きに本能的な恐れを感じたけれど、それに耐えて言葉を続けた。


「こんな状態の僕を痛めつけて喜んでいる程度の臆病者おくびょうものだって、鼻で笑われるに決まってるさ」

「貴様……」


 ローザの目に明確な殺意がにじむ。

 こんなことを言ってローザを怒らせても僕には何の得もないどころか、さらに痛めつけられるリスクが増すばかりだろう。

 だけど僕はミランダの家来、いや友達として彼女の格を落とすような情けない姿はさらせないんだ。

 たとえどんなに痛い思いをしたって、ミランダを目の敵にしているようなローザが喜ぶことはしてやらない。

 僕は意を決して口を開く。


「たとえ僕を人質にとっても君じゃミランダに勝てやしない。こんなところで僕ごときを痛めつけて喜んでいるような君じゃあね」


 そこまで言った僕の左肩に彼女の灼熱黒矛カークスがブスリと突き刺さった。


「黙れ!」

「うぐあああっ!」


 左肩を貫かれる痛み、そして肌や筋肉と骨まで焼かれるような熱に耐え切れず、僕は悲鳴を上げた。

 激痛にもだえる僕の耳にローザの感情的な声が響く。


「誰も助けに来ないこの場所で、貴様がいくらイキがったところで無意味だと分からないか? 無能なくせに一端いっぱしの口をきくくらいなら、そうして無様ぶざまに悲鳴を上げているほうがお似合いなんだよ! クズめ!」


 ローザは逆上してそうまくしたてると、僕の肩に刺した灼熱黒矛カークスにギリギリと力を込めてくる。

 僕は痛みでおかしくなりそうなのを必死にこらえて声を上げた。

 どうしてもローザに確かめなくちゃならないことがあるからだ。


「こんなこと……キャメロンは知っているのか? まさか彼の命令なのか?」


 僕がそう言った途端、ローザの手が止まる。

 そして彼女の表情が憤怒ふんぬのそれから薄笑みに変わった。

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