第10話 侵入者

 僕とミランダが部屋で顔を突き合わせていたその時、僕はふと視界の隅に何かが動いたのを感じて、ミランダの肩越しに見えるベランダに視線を移した。


 ベランダの外。

 欄干らんかんの向こう側。

 空中に何かが浮かんでいる。

 奇妙な白と黒の色をした生き物だった。

  

「ミランダ! ベ、ベランダに……外に何かいるよ!」

「はぁ?」


 僕が必死にそう訴えると、ミランダはいぶかしむような顔をしながらも背後を振り返る。

 だけどその途端に白黒の影がサッとベランダの下に消えた。

 

「あ、あれっ?」

「……何も見えないけど? これはどういうことかしら? 私をからかって遊んでるわけ?」


 ミランダは再びこちらを向くと笑顔で僕をにらみつける。

 き、器用な表情だな……なんて言ってる場合じゃない。

 ミランダに殺されてしまう。


「ほ、本当に変な影が……あっ!」


 僕がそう言っているとまた白黒の影がベランダの外に姿を現した。

 今度はハッキリ見えた。

 その影は白と黒の翼を生やした小さな子供だったんだ。

 僕は咄嗟とっさに声を上げる。


「ミランダ! 後ろっ! 後ろー!」


 僕の声に反応してミランダがサッと振り返るよりも早く子供は再びベランダの下に消えた。

 くそーっ!

 何てタイミングだ!

 素早い奴め!


「アァ~ルゥ~! いい加減にしないと……」


 やばいっ!

 ミランダの目つきがいよいよ険しくなってきた。


「ひぃぃっ! ち、違うんだ。本当なんだ。ベランダの外に子供がいるんだよぉ!」

「へぇ。その子供はあんたにだけ見えるのかしら? それとも私の目がフシアナだとでも言いたいわけ?」

「ち、ちがっ……」


 僕がそう言いかけた瞬間にミランダが唐突に背後を振り返った。

 すると同時に子供がベランダの外に再び姿を見せたんだ。

 いよぉぉぉぉぉぉしっ!

 今度こそタイミングばっちり!


「何よアンタはぁぁぁぁぁ!」


 奇妙なその子供を見咎みとがめたミランダは反射的に指から黒炎弾ヘル・バレットを出そうとするもんだから、僕は慌ててそれを止めた。


「ちょ、ちょっと待ってミランダ。部屋の中でそれはマズイよ。窓ごと吹き飛んじゃうから」

「ノゾキ野郎を排除して何が悪いのよ!」


 ミランダがそう声を上げた瞬間だった。

 外にいた子供が光の霧に包まれて悲鳴を上げたんだ。


「ジェネットの聖光霧ピュリフィケーションだ!」


 僕がそう声を上げると弾かれたようにミランダがベランダに駆け出し、僕も後を追う。

 すると光の霧に包まれて落下していく子供を空中で捕まえるジェネットの姿があった。


「ジェネット!」

「アル様。招かれざる客を確保しました」

「招かれざる客はあんたも同じでしょ。ジェネット。そんなところで何してんのよ。神の下僕のいい子ちゃんはもうオネンネの時間じゃないの」


 ミランダが欄干らんかんひじを乗せて頬杖ほおづえをつきながらつまらなさそうにそう言うと、ジェネットは捕らえた子供を抱えたままベランダに着地した。


「いえ。アル様のお部屋にベランダから侵入しようとする不埒ふらちな魔女がいないか見張ろうと思ったのですが、別の獲物が引っ掛かりましたね」


 そう言うとジェネットは子供をベランダの床に下ろした。

 それは本当に奇妙な子供だった。

 右側の翼が白い天使の翼で左側は黒い悪魔の羽だ。

 まるで……天使と悪魔のハーフのような姿に僕らは一様に眉を潜めた。


「死んではいません。手加減いたしましたので」


 子供はすでに失神していたけれど、彼女の言う通りまだ息をしていた。

 ジェネットはその子供の姿をマジマジと見つめて言った。


「これは堕天使だてんし……の一種、ではないでしょうか」

堕天使だてんし?」

「ええ。天使の身で在りながら悪の道に身を堕とした者のことを言うのですが、この子供はその類の者ではないかと。堕天使は天使たちと共に過ごすことはありませんから、外部からの侵入者と見て間違いないでしょう」


 な、なるほど。

 この子供、天使と悪魔の両方の特徴をあわせ持っているしね。


「どこから入ってきたのか知らないけれど、こんな奴の侵入を許すなんて、ごたいそうな城の割に警備はザルね」


 ミランダはそう言うと倒れている堕天使を見下ろした。

 まあ僕らはこの天樹の塔の構造をほとんど知らないけれど、警備が薄いところもあるのかもしれない。

 行方不明事件のこともあるし、ジェネットからは油断しないよう事前に告げられていたけれど、本当にこういう不審者が入ってくるなら、天使たちの総本山にいるからって必ずしも身の安全が保証されていると安易に考えるべきじゃないな。


「とにかくこの堕天使を拘束してイザベラさんに報告をしないとね。もう遅い時間だけどミシェルさんまだ起きてるかな」


 そう言う僕だけど、ジェネットは捕縛用のロープをアイテム・ストックから取り出して堕天使を縛りながら首を横に振った。


「いえ。天使たちに引き渡す前に私たちがこの堕天使から話を聞きましょう」

「えっ? 話を聞く?」


 ジェネットが言い出したことに驚いて僕は思わずそう聞き返したけれど、すぐにその意図に気が付いた。


「例の行方不明事件にこの堕天使が関係しているかもしれないってこと?」


 僕がそうたずねると堕天使の捕縛を終えたジェネットが立ち上がってうなづく。


「ええ。その可能性はありますね。何か不自然に思えるのです。この聖なる場所にこのような輩が堂々と現れることが」


 そう言うとジェネットはミランダへと視線を移す。


「もし本当に警備が甘かったとしても、これだけ天使たちの目がある中で堕天使が単身ここまで忍び込めるとは思えません」

「半分は天使なんだし、天使のフリして入ってきたんじゃないの? それにしても、もしコイツが誘拐犯の手先だとしたら随分ずいぶんお粗末な話ね。こんなひ弱な奴で私たちを……」


 そこで言葉を切ったミランダはふと僕を見た。

 な、何かな?


「……あんたを誘拐しようとしたのかもね。アル」

「ぼ、僕を?」


 ミランダの話に驚く僕だけど、ジェネットもうなづいて同意した。

 

「それはあるかもしれません。こう言ってはアル様に失礼になりますが、私やミランダを誘拐するよりもアル様を標的にした方が簡単ですから」


 ぼ、僕を……誘拐?


「何マヌケな顔してんのよ。この中で一番簡単に誘拐できて、なおかつスキミングする価値が高いのはあんたでしょ」

「か、価値が高い? ほめてくれてるの?」


 思わず僕がそう言うとミランダは僕の頭をパシッとはたいた。


「バーカ。今までのあんたの経緯を考えれば分かるでしょ。ワケの分からない成長を遂げてきたあんたは、スキミングする側から見て価値が高いって言ってんの。キャラとしての価値は平凡以下よ」

「そ、そういうことか」


 一喜一憂する僕をなぐさめるようにジェネットは僕の傍に寄り添ってくれる。


「成長システムの複雑性という一点において、アル様に並び立つ者はいません。言ってしまえば私やミランダのようなキャラはどこのゲームにもいますから」

「要するに珍獣ほど研究する価値があるってことよ。それよりジェネット。この堕天使から情報を聞き出すって、あんた拷問ごうもんでもするの? それは見ものだわ」

「いいえ。ミランダ。あなたの悪魔の囁きテンプテーションがあるでしょう? それで自白させられるのでは?」


 確かにミランダの中位スキル・悪魔の囁きテンプテーションは神経阻害系の便利な魔法で、相手の精神に働きかけて自白を促すことも出来る。

 もちろん相手の精神力の数値が高い場合は耐えられてしまう場合もあるんだけど、この堕天使がそんなにレベルが高いとは思えない。


「相手は半分悪魔よ? そいつに悪魔の囁きテンプテーションってナンセンスでしょ」


 ミランダはブツブツ言いながらも手をかざし、倒れている堕天使に黒い霧を吹きかけた。

 今回はこのスキル大活躍だな。

 霧に包まれた堕天使はブルブルッと体を震わせる。

 ミランダはそんな堕天使を見下ろして言う。


「起きなさい! ノゾキ魔小僧!」


 ミランダの言葉に応じて顔を上げる堕天使だけど、その目はトロンとしていて催眠状態に入っているみたいだった。

 魔法の効果が出てるんだ。


「答えなさい。ここに何しに来たの?」


 ミランダがそう問いかけると、堕天使は抵抗することなく口を開いた。


「ギギギ……天使も悪魔も……新たなる力の波に淘汰とうたされる」


 しゃがれた声でそう自白する堕天使の言葉に僕らは思わず顔を見合わせた。

 な、何の話だ?


「はあっ? 何ワケ分かんないこと言ってんの? この冴えない男を誘拐するためにここに来たんじゃないの?」


 冴えない男で悪かったな!

 ミランダの詰問を受けた堕天使はトロンとした目を虚空こくうに向けながら口を開いた。


「ギギギ……」


 ミランダの問いに堕天使が自白を続けようとしたその瞬間。

 まったく予期しないことが起きた。

 堕天使の口からそれ以上声が発せられることはなく、その体が小刻みに震えたかと思うといきなり膨張ぼうちょうし始めたんだ。

 な、何だこれ?


「2人とも離れて!」


 叫び声を上げながらいち早く動いたのはジェネットだった。

 彼女は見る見る間に全身がふくれ上がっていく堕天使の体をつかむとベランダの外へと放り投げた。

 すると……宙に放り出された堕天使の体がいきなり大爆発したんだ。


「うわっ!」


 爆音と爆風に圧倒されて僕はその場に倒れ込んだ。

 ミランダもジェネットも床にひざをついて爆風から顔を背けている。


「何よアイツ! 自爆? もうちょっとで黒幕のことを聞き出せるところだったのに。ゲホッゲホッ」

「自白させられまいと自決したのでしょうかね。堕天使にそんな自己犠牲の精神があるとは驚きです。コホッコホッ」


 爆発による白煙がようやく収まると、ベランダの外に広がる吹き抜けの中庭が騒がしくなってきた。

 深夜とはいえ、大きな爆発音に天使たちが驚いて集まり始めている。


「チッ。天使の連中、今さら集まってきてるわ。寝床に不審者が侵入してきたってのにノンキなもんね」


 うんざりしながらそう言うミランダだけど、ジェネットの意見は違った。


「いえ。見たところこの天樹の搭の守備は相当に堅固だと思います。ですから天使たちが感知し得ない何らかの方法で侵入するルートがあるのかもしれません。どちらにせよ、こうなった以上は天使長様への報告が必要ですね」


 その後、すぐに部屋に駆け付けてくれたライアン主任とミシェルさんに事の次第を報告すると、驚いたライアン主任はすぐに部屋の周囲に天使たちの警備をつけてくれた。

 非常に堅苦しくとっつきにくいライアン主任だったけれど、僕らの安全が脅かされたことを素直に謝罪してくれ、迅速な対応策を打ってくれた。

 不安はあったけれど彼らの厚意のおかげで、僕らは自分たちのプログラムを休ませるためにスリープ・モードに入って朝まで休憩することが出来たんだ。


 それにしても……あの堕天使が言っていた言葉。

 天使も悪魔も新しい力に淘汰とうたされる。

 それが何を意味するのか分からなかったけれど、漠然とした不安が僕の胸に残っていた。

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