第2話 う、馬ぁぁぁぁぁぁぁぁ!

「ホラホラァ! おまえの本気はそんなもんなわけ? 馬! 走らない馬はただの肉よ! もっと必死に走りなさい!」

『ヒヒヒヒィィィィィン! は、走ってますぅぅぅぅぅ! もう限界ですぅぅぅぅ!』

 

 ミランダにきたてられて必死に馬が走り続けることおよそ10分。

 僕らを乗せた荷馬車はいよいよ天国の丘ヘブンズ・ヒルふもとまでたどり着いたんだ。

 目的地は目の前だ。


『もう到着しますよ。あ、あとはここから……』


 ようやく止まることを許された馬がそう言いかけたその時だった。

 突然、頭上から降ってきた一本の黒い矢が馬の尻にズブリと突き立ったんだ。

 馬は弾かれたようにいなないて、大きく前脚を上げるとバランスを崩して転倒した。

 その勢いで荷馬車が横転する。


「うわっ!」


 僕は地面に身を投げ出されそうになったけれど、隣にいたアリアナがいち早く僕を抱えて身軽に着地してくれて、ケガをせずに済んだ。


「あ、ありがとうアリアナ」

「まだ油断しないでアル君。また矢が飛んでくるかも」


 そう言うアリアナは頭上を警戒しながら襲撃に備えている。

 ミランダとジェネットも当然のように横転する馬車から身を躍らせて無事に着地していた。

 だけど馬は尻に矢が突き立った状態で痛みと恐怖に暴れ狂っている。

 このままじゃ危ないぞ。

 するとミランダがすぐに動いた。


「うるさい! 大げさな馬ね」


 そう叱咤しったするミランダが馬に向けてかざした手の平から黒い霧が噴出された。


「『悪魔の囁きテンプテーション』」


 ミランダの口から唱えられたそれは、彼女の暗黒魔法の名称だった。

 ミランダが今回の中位スキルとして実装しているそれは神経阻害系の魔法で、相手を混乱、麻痺まひ、睡眠に陥れるなど多岐にわたる効果を持っている。

 直接相手にダメージを与える攻撃魔法ではないけれど、その効果はミランダの意思で自由に選べるという便利な魔法だった。


 黒い霧に全身を包み込まれた馬は途端に暴れるのを止めて動かなくなる。

 どうやら眠らされたみたいだった。


「フンッ。おとなしく寝てなさい」


 馬が眠りこけているのを確認すると、すぐさまジェネットが馬の尻に突き立っている矢をつかんで引き抜いた。

 ひええっ!

 み、見ているだけで痛いっ!


 だけどすぐにジェネットは得意の回復魔法『神の息吹ゴッドブレス』で馬を回復してあげた。

 見る見るうちに馬の尻の痛々しい傷口が塞がっていく。

 相変わらずすごい治癒力だ。

 だけど安堵あんどしている暇もなく、アリアナが声を上げた。


「来たっ! 頭上から三本の矢!」


 すぐさま腰を落として身を低くする僕らから少し離れた地面に三本の矢が突き立つ。


「ど、どこから飛んでくるんだ?」


 僕は身を低くしたまま周囲を見回したけれど、辺りはさえぎるもののない草原地帯であり、誰にも見つからず身を潜める場所もない。


「どうやら私達を狙ってるわけではなさそうですね。流れ矢でしょうか」


 警戒の表情でそう言うジェネットの近くで、ミランダが馬の尻を蹴っ飛ばす。


「いつまで寝てるのよ! サッサと起きないとまた矢が刺さるわよ!」


 いや、眠らせたのはあんたでしょうが。

 呆れる僕の目の前で馬はブルルと鼻を鳴らしてようやく目を開けた。

 このままじゃ馬はどこにも逃げられないぞ。

 僕は持っている槍で馬と横転した荷車をつなぐなわを切っていく。

 とにかく馬をこの場から逃がさないと、また矢が降ってきたらアウトだ。


「おとなしくしててね。今、なわを全部切るから」


 馬はそんな僕を見ると首をブルブルと横に振った。


『兵士殿。ご厚意はありがたいのですが、なわは切らないで下さい。ワタシは皆様を天使長様の元までお連れしなければ……』

「今はそんなこといいから! 早く安全な場所に逃げるんだ!」

 

 僕はそう叫ぶと全てのなわを槍で断ち切った。

 僕の基本装備である槍がここにきて初めて役に立ったぞ。

 ようやく起き上がった馬の尻をミランダは容赦なくベシッとビンタする。


「さっさと行きなさい! モタモタしてると馬刺しにするわよ!」

『ひぃぃっ! 馬刺しはヒドい!』


 自由を得た馬は悲鳴を上げながら一目散に逃げ出して行った。

 と、とにかくこれで馬が襲われる心配は……そう安堵あんどした僕だけど、再び空から降ってきた黒い矢が逃げて行く馬の体に次々と突き刺さった。

 あ……。


『て、天使長さまぁぁぁぁぁ! ハフゥ……』


 馬は断末魔の悲鳴を上げてあえなくゲームオーバーとなった。


「う、馬ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 な、なんて不運な馬なんだ。

 今日は馬にとって最悪の一日だったろう。

 怖い魔女に脅され叩かれ、挙句あげくの果てに矢の集中砲火を浴びて息絶える。

 とても他人事とは思えずに見つめる僕の前で、せっかく助けた馬はあっさり昇天していった。


「何よせっかく逃がしてやったのに。マヌケな馬ね」

「馬はかわいそうですが、NPCであればどこかでコンティニューしていますよ。それよりも今は私達自身が警戒しなければなりません」


 そう言うジェネットは懲悪杖アストレアを構えたまま周囲の気配を窺っている。

 そ、そうだ。

 まだ矢が降ってくる可能性は高い。

 今度は僕の尻に矢が突き立つかもしれないんだ。


 以前に聖岩山という聖地で謎の部族に襲われて尻に矢が刺さったことを思い出して僕は身震いした。

 そういえばジェネットはさっき馬にやったみたいにあの時も僕の尻から力任せに矢を引き抜いていたな。

 刺さった時より痛かった記憶が……。


「見えてきたよ!」


 ふいにアリアナが上空を見上げて声を上げる。

 僕ら全員がそちらを見上げると、上空にポツリポツリと黒い点が現れ始め、それが次々と増えていく。


「また矢かな?」


 僕が目を凝らしながらそう言うと、隣にいたミランダがそれを否定する。


「いや、あれは何かのキャラクターよ。私達を狙ってるにしてはどうも変だと思ったけど、2つの集団が争ってる。飛んでくるのはジェネットの言うように流れ矢だわ」


 ミランダの言葉にジェネットもうなづいた。

 2人ともよくあんなに遠くが見えるな。

 相当な高さの上空での出来事だろうに。

 必死に目をらす僕のすぐ目の前でアリアナが再び声を上げる。


「こっちに近づいてくるよ! どうする?」

「どうするかって? 何言ってんのよアリアナ。全員叩きのめしてやるに決まってるでしょ」


 そう言って腕をまくるミランダをジェネットはいさめる。

 

「まだ敵かどうかも分からないのに、理由もなく誰にでも敵意を向けるのはあなたの悪いくせですよ。ミランダ」


 正論!

 ジェネットの言う通り!

 だけどミランダにはまったく馬の耳に念仏だ。


「矢がこのやみの魔女に突き刺さるかもしれないところだったんだけど? それだけで十分な理由になるわよ」

「流れ矢ごときでムキになるとは、やみの魔女は随分ずいぶんきもの小さな女だと笑われますよ」

 

 そう言って肩をすくめるジェネットにミランダは面白くなさそうに舌打ちした。


「チッ。だったら馬のかたきよ。馬を殺された恨み。それでいいでしょ。よくも馬をやってくれたわね!」


 よく言うわ!

 アンタ馬をさんざんむちで叩くわ馬刺しにするだのと脅すわで、これっぽっちも大事にしてなかったでしょうが。

 僕が心の中でミランダに激しく突っ込みを入れたその時、頭上から何か音が聞こえてきた。

 それは蚊の鳴くような音だったけれど、すぐに大きな悲鳴へと変わっていき……。


「……ぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!」


 突然、僕の目の前にドサッと人が落ちてきたんだ。

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