第二章 天国の丘

第1話 初めての異世界

 やみ洞窟どうくつを訪れた商人・キャメロン少年の勧誘を受けた僕らは、自分たちのゲーム世界を飛び出して、他のゲームへと出張することになった。


 天国の丘ヘヴンズ・ヒル

 それが僕らが派遣されるゲームの名前だ。

 そこはどうやら天使たちの世界らしく、プレイヤーは天使の一人となって、魔界から攻めてくる悪魔たちから天国の丘を守っているようだった。


 悪魔たちは正面から力で攻めてくるだけでなく、天使に化けて近付き、天使たちを言葉巧みに堕落させて堕天使におとしめる。

 あるいは人間をそそのかして天国を攻めさせたりと、様々な姦計・謀略を巡らせてくるらしく、その攻防がプレイヤー達を夢中にさせる、そんなゲームだった。


 実はこのゲームはもう一つのゲームと常にリンクしているらしい。

 その名は地獄の谷ヘル・バレー

 そこではプレイヤーたちは悪魔となり、この天国の丘ヘヴンズ・ヒルに攻め込んで天使たちを殲滅せんめつしようとする。


 要するに天使側からでも悪魔側からでもプレイ出来る表裏一体のゲームなんだ。

 それは僕らのゲームにはない、面白い試みだと思う。


「フン。生ぬるい場所ね。退屈すぎてアクビも出ないわ」

「えー。平和でいいところじゃん。ねえジェネット」

「ええ。アリアナの言う通り、とても心地の良い場所です。ミランダは心がギスギスしているので、こうした平穏な空気を素直に享受きょうじゅすることが出来ないのです」


 ミランダ、アリアナ、ジェネットの3人は馬車の荷台に乗って、流れる景色を眺めながらあれやこれやと言葉を交わしている。

 そんな彼女たちの声を背中越しに聞きながら僕は御者台で馬車馬の手綱を握り続けていた。

 その時、僕は馬の手綱を握る手の左手首にチクリとした痛みを感じた。


「イタッ……何だ?」


 小声でそう漏らしながら僕は自分の左手首を見つめた。

 そこには横並び一列に5つ並ぶ小さな丸いアザがある。

 この前、砂漠都市ジェルスレイムでIRリングというブレスレットを装備していた僕なんだけど、紆余曲折うよきょくせつの末にIRリングは僕の左手首と一体化するように消えてしまった。

 代わりに浮かび上がってきたのがこの5つのアザだったんだ。


 アザは左から黒、白、そして青という色に染まっていて4つ目と5つ目のアザはくすんだ肌色のままだった。

 だけど4番目のアザがわずかにチクリと痛んだ気がする。

 その痛みもほんの束の間のことですぐに消えてしまった。

 何だったんだろう?

 僕が自分の手首を見ながら首をかしげていると、背中越しにジェネットが声をかけてきた。


「アル様はいかがですか? この美しい世界を御覧になってみて」


 今、僕らが馬車で進んでいるのは天使たちの拠点となっている天国の丘ヘヴンズ・ヒルへと向かう草原の道だった。

 すでに天使たちの領域となっているこの辺りは気候も穏やかで、緑豊かな牧歌的光景が広がっている。


「うん。別世界に来たって感じがするね。やみ洞窟どうくつとは大違いだ」


 薄暗くてヒンヤリとしたあの洞窟どうくつに比べると、ここは本当に天国のようだ。

 ただ……。


「何言ってんのよ。あんたは魔女の家来としてやみに住まう日陰者でしょ。こんなヌルい場所は似合わないわよ。ヌルいのは顔だけにしなさい」


 ミランダは退屈そうにそう言うと、僕の頭を手でワシワシとモミクチャにする。


「何だよ。ヌルい顔って」


 けどまあ、そうなんだよね。

 普段、ミランダの家来……じゃなくて見張り役として洞窟どうくつの中に住み続けているせいで僕もすっかりその環境に慣れてしまって、明るくて平和的なところは少々居心地が悪い。

 ああ。

 ミランダの言う通り、僕って日陰者だな。


「ところでアル君。ずいぶん来た気がするけれど、あとどれくらいで着くのかな」


 そう言いながらアリアナが僕の隣に座ってきた。

 やみ洞窟どうくつを出てからキャメロン少年たちと共に王城の中庭へと向かった僕らは、そこに置かれた転移装置を利用することになった。

 それは外壁にビッシリと絵画の描かれた小さなプレハブ小屋で、天使と悪魔が入り乱れて争い合うような絵が印象的だったのを覚えている。

 キャメロン少年らに見送られ、翼の生えた小鬼たちが踊り狂っているような奇妙な装飾の施された扉をくぐり中に入ると、そこは床に赤い絨毯じゅうたんが敷かれていて、反対側にもう一つの扉があるだけの簡素な造りだった。

 

 小屋を抜けて反対側の扉から出ると、そこは王城の中庭ではなく、見知らぬ村だった。

 一瞬で僕らは他のゲーム世界へと転移していたんだ。

 僕らが最初にこの世界に移ってきたのは、のどかな村の荷馬車屋だった。

 そこで無償貸与されたこの荷馬車に乗ると、馬が勝手に僕らを行き先に連れていってくれる仕様になっていた。

 乗っているだけでいいから楽なんだけど、そろそろ一時間ほどが経過するのでミランダは元より、皆ちょっとずつ退屈し始めていた。


「おかしいなぁ。目的の丘はずっと見えてるのに」


 僕らが目指す丘はだいぶ前から彼方に見え続けている。

 丘の上には一本の塔が天に向かってそびえ立っているのも克明に見える。

 なのになかなかたどり着かない。


「これ、距離はちゃんと縮まってるのかな?」


 僕がそんなことをつぶやいたその時だった。

 僕らの目の前で黙々と荷馬車を引いていた一頭の馬が急に速度を落としてその歩みを止めたんだ。

 そして馬は唐突に馬首を巡らせて、こちらを向いた。


『縮まっていませんよ。わざと遠回りをしていますからね』

「ひえっ! 馬がしゃべった!」


 思わず声を上げる僕に馬はニヤリとその歯をむき出しにして笑った。

 う、馬とは思えない人間くさい笑い方だ。

 驚く僕の隣ではアリアナが青ざめた顔で僕のそでを握り締めていた。


「アル君。この馬さっきまで普通の馬だったのに、急に人間みたいな顔になったよ。な、何か怖い……」


 そう言うアリアナに、馬はこれ見よがしに舌をベロベロと出して見せる。


『怖いとは心外ですな。お嬢さん。これがワタシの本来の顔ですよ。さっきまでは猫を……いや馬をかぶっていただけです。ベロベロベロ……』

「いやあっ! 気持ち悪い!」


 な、何かいやらしい馬だな。

 怖がって僕の肩にしがみつくアリアナだけど、そんな彼女を引きはがして僕とアリアナの間に割って入ってきたミランダが馬に人差し指を突きつけた。


「コラッ! 馬! そんなことより遠回りってどういうことよ! 返答次第じゃ馬肉ステーキにしてやるわよ!」


 そう言うミランダの指先に黒い炎が宿る。

 彼女が今回の下位スキルとして実装している魔法・黒炎弾ヘル・バレットだ。

 ミランダの剣幕にビビッた馬は、途端にペコペコと頭を下げる。


『ひいいっ! ご、ご勘弁を。ワ、ワタシはただ、あなた方にこの世界の美しさをご堪能たんのういただこうと……』

「飽き飽きしてんのよ! さっさと目的地に連れていかないと、今すぐコンガリとウェルダンの焼き上がりに仕上げてやる!」


 そう言ってミランダは炎の宿った指先をことさらに馬に近付ける。

 

『や、やめて下さい! ワタシはただ、天使長様のご命令を守っているだけなのです』


 悲鳴混じりの馬の言葉に反応したのは、先ほどから事態を黙って見ていたジェネットだった。


「天使長様ですか。今回、私達をお招きいただいたこちらの責任者の方ですよね。どのような御方なのですか?」


 そう。

 キャメロン少年から事前に聞いていたのだけど、僕らがここでお世話になるのがその天使長という人だった。

 柔らかいジェネットの口調と物腰に少し落ち着きを取り戻した馬は、ブルンと鼻を鳴らしてから答える。


『天使長様はすべての天使を束ねる最高位の天使です。悪魔との戦いに傷ついた天使たちを神聖魔法で癒し、天使たちの勝利のために数々の御力を授けて下さる偉大な御方なのですよ』

「なるほど。では天使長様はプレイヤーではなくNPCなのですか?」

『そうです。プレイヤーたちのアドバイザーとして君臨されていらっしゃいます』

「自ら前線におもむくことは?」

『ありません。高貴な御方ですので、けがれた悪魔と直接対峙することなど、とてもとても』


 ふむふむとうなづくジェネットはミランダの肩に手を置くと言った。


「ミランダの言う通り、行楽はもう結構ですので、恐縮ですがすぐに天国の丘ヘヴンズ・ヒルへ連れていっていただけませんか。天使長様にもご挨拶あいさつしたいので」


 どうやらジェネットは天使長という人に興味を持ったらしい。

 彼女も神の信徒だから、他ゲームの天使という存在が気になるんだろう。

 

『わ、分かりました。すぐにお連れします。10分程度で到着しますので』


 馬はジェネットの柔和な態度にようやく安堵あんどしてそう言ったけれど、そんな余計な言葉を口走ったもんだから、せっかく勢いの収まったミランダの怒りを再燃させてしまう。


「はあっ? 10分で着くところを1時間もかけてトロトロ歩いてたわけ? 悪徳旅客馬車タクシーか!」


 ミランダは馬車に備えつけられた馬鞭を手に取ると、それで容赦なく馬の尻をビシバシ叩き始めた。

 馬は途端に悲痛ないななきを上げて必死に走り出す。


「さっさと走れ! ウスノロ! 馬肉にするわよ!」

『ひいいっ! スミマセンスミマセン! 馬肉は勘弁して下さい!』


 ……馬よ。

 おまえは僕か。

 ミランダにむちで叩かれる馬の哀れな姿が僕に見えてきて、何だかいたたまれなくなった。


「ミ、ミランダ。そのくらいにしてあげて」

「フンッ! アル。世の中には尻を叩かれないと必死で走らない奴がいるのよ」


 な、なぜ僕を見ながら言う。


「ハ、ハハハ……」


 乾いた笑いを漏らしながら目をらす僕をよそに、かわいそうな馬は目的地に向かってヒィヒィ息を切らしながら、死に物狂いで走り続ける羽目になったんだ。

 き、気の毒に……。

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