#038:陳腐だな!(あるいは、呼吸を留めて/コキュートス)


 唐突に、目覚めた。夢も見ていなかった。ふ、と暗闇から戻って来たような感覚。目覚めた瞬間に重力を全身に受けたかのような、そんな身体の重苦しさに面食らってはしまうものの。


 仰臥しているのは、適度なクッション感を持った清浄なシーツの上らしかった。そこに沈み込むようにしている自分の身体があることだけは感知出来る。必死こいて瞼を開けようとしたが、目ヤニで貼り付いているのか、右がほんの少しぺりと開いただけだった。


 擦りのけようと右手を持ち上げようとしたがそれもままならず。左手の人差し指で目の辺りを雑に擦ると、ようやく視界が開けてきたわけで。


「……」


 どっかの宿だろうとは察しがついた。俺が横たわっていたのは簡素ながらも綺麗に整えられたベッドだったからであり。右方向に顔を倒すと、そちらにもメイクされたベッドが壁際にあった。つまりはツインの部屋と、そういうことなんだろう……


 しんとした静寂の中、左手の方向から、ざわめきと、ひんやりとした外気が入り込んできているのを知覚している。何とか首をその方へと倒すと、開け放たれた窓の外は、薄ら暗い闇だった。何日経ったかはわからねえが、今は、夜か。何となくのどかさを感じさせてくるそれらの雰囲気に、俺は再び両目を閉じ、鼻からひとつ長い息をつく。


 どうにも身体も思考もままならねえ。ネヤロとの戦いは、何とか制することは出来たものの、諸々が限界感を感じさせてくるものであったわけで。「ケレン味」も、おそらくはもう限界だ。つうか毎度毎度のっぴきならねえっつうの……


 と。


「ああ!! 目覚めましたね銀閣さんっ。そろそろかと思ってお食事の用意をしていたかいがあるというものです!!」


 俺のそんな思考をも物ともせず、テンション高めの猫声が室内に響き渡るが。満面の笑みで俺の上向いたままの視界に左手方向から入り込んで来たのは、言うまでも無くエメラルドグリーンの髪を揺らした、人間ヒトの姿のネコルであったのだが。黄色のヘルメットは被って無い。というか初期しか被ってなかった気もする。いやそんなことはどうでもいいか。どうとも思考がゆらゆらしている……


「い……ま、何日……」

「ああーはいはい。無理して喋らなくても大丈夫ですよ。二日二晩!! ずっと寝てたわけですからねえー。『神回復』を施しても良かったんですが、それ全身にやっちゃうと銀閣さんの肌年齢が30歳くらい進んじゃうんで自重してみましたっ」


 そんな言葉に遮られながらも、そこに含まれる物騒さに思わず全身に鳥肌が立つ。肌質だけが初老になったら不気味すぎるわ。


「……右腕の方も、どうやら無事くっついたようで何よりです」


 そして、上から覆いかぶさるかのようにして、俺の右腕にそっと触れてきた。そう言や、肘から先、吹っ飛ばされてたよな……ちゃんと拾ってきてくれてたのか。


「切断面から上下5cmくらいを『早回し』して接着しましたゆえ、その部分だけ肌ツヤが失われ、さらに大小さまざまなシミが沈着してしまったことだけはすみません……でも何と言うか、遠目から見たらおしゃれな『革バングル』に見えなくもないですから、結果オーライですねっ」


 まくしたてられる戦慄の言葉に、苦労して視線を右下方面へと向けると、そこには剥き出しの右腕があって、その関節部分が確かに輪っかを嵌めたようにツートンカラーになっているよ何だこれ……


「んゴラぁぁぁぁあッ!! 毎度毎度お前の『治癒』は失うものの方が大き過ぎんだよぉぉぉぉぉッ!! 何で肘部だけ枯れた老人の佇まいにならなあかんッ!? おちおち傷ついてもいられねえだろうがぁッ!!」


 ようやく腹からの声が出るようになり、それに伴って身体の方も意のままに苦労してだが動くようになっていた。ということに少しの安堵を感じたからか、湧き出て来た感情を、目の前の女へと、ついぶつけてしまった。


 それがいけなかった。


「……!!」


 その華奢なる首元目掛け伸ばしたる俺の両腕は、やはり重度のダメージを内外共に負っていたようでいつものキレは無く、双方の合間に開いたその甘い隙間を的確なダッキングでかいくぐってきた猫顔が俺の顔面すぐ近くまで現れたかと思った瞬間には、怒鳴り声の残渣が残る乾燥しきった俺の唇に、湿った熱い何かが押し付けられてきていたのである。


「……『全能:キスした:ビィム』……」


 す、と離された微笑みのかたちのつややかな猫唇からは、そんな、どこか得意気ながら、こちらを震わせてくる幾分艶めいた言葉がぽつり流され出てくるのだが。


 降参の白旗代わりに100%の白目を剥きつつ、少し起き上がらせていた上体を再びシーツの上に横たわらせるしか出来ない俺であった。と、


「……今日は入れずに残る八日。充分過ぎるとは思いますが、クズミィヤツが何やってくるかは分かりませんからね……こっちから乗り込んでいってブチなめす。その計画に変更はありません、だにゃん♪」


 そんな白目仰臥状態の俺に投げかけられるのは、うって変わって鋭さと今更な語尾を含んだネコルの声であったわけで。だがもとより俺もそのつもりだぜ……


「……もう『ケレン味』が何だと考えている局面でもねえ。俺の中に燻る逐一を、言葉に、行動に写し換えて女神ヤツを討つ。他ならねえ自分、俺というものを為すために……だからネコル、最後まで力を貸してくれ」(ケレンミー♪)


 会心キメの決意表明を撃ち放った手ごたえはあった俺だが、ううぅん、あんまりシリアスに寄り過ぎるのもダメなんだったってばってこと、よぅく記憶野に刷り込みましょうねええ♪ との猫声にその余韻はかき消されると、


「!!」


 いまだ無防備な腹あたりに、ぼす、と馬乗られて思わず呻き声が漏れてしまうが。しかし、


「……粘膜ト言ウ名ノ記憶野ニ……生デ……」(ネコソミー↓)


 下から見上げたいつもの愛嬌のある猫顔が、猛禽の類いに変化したことを肌で感じた俺は、生きたまま喰われる草食動物の気持ちを、ほんの少しばかり体感するだけなのであった……


 あーれーと声を上げる間もなく呑み込まれた奔流についての詳細は省かざるを得ないが、結局、足腰がたがたのままでその宿を出立したのは、翌日の明け六つを遥かに過ぎた昼前であったわけで。


 残り7.5日……順調に浪費してる感否めねえが、とにかくもうやるしかねへぇ……との果敢ない決意を新たに、これだけは譲れぬおっ立てた前髪トサカに、徐々に濃くなってきた潮風を浴びせながら、一路、「魔法力フェリー」とやらが出航する船着き場のある街目指し、爛れたひとりと一匹は内股とガニ股でよろよろと歩き続けるのであった。


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