#018:拙速だな!(あるいは、#017が無くなってても/そこは察し)


 清々しい、目覚めである……


 昨晩、深夜遅く、いや、もう彼は誰れ時あけがただったかも知れねえが、とにかく正体が無くなるまで呑んでいた俺が遭遇したる例の出来事は、ありゃあもう夢だったこととして、自分の中で消化することとした。


「……」


 ま、ともすれば、あの出来事自体が、本当に跡形も無く消されてしまうかも知れないので、そういうことにしておいた方が何かと都合が良いとも言える……


 飲んだ直後は「アルデヒド頭痛」と呼ぶに相応しい、頭を締め付け苛んでくる痛みに対し、朦朧となった意識で苦しむのが常の俺であったが、寝て起きるとそれも完全に分解してしまうらしく、およそ「二日酔い」なる症状に陥ったことはただの一度もねえわけで。


 むしろ前夜の痛みの分、軽く爽快さすら感じる頭で、宿の洗面所に置いてあった真っピンクのジェル状の整髪料……「異世界DEP」とでも言えば良いのか、いや、良いところは何ひとつねえし、何かよう分からんがその字面にはこう、心の奥底をザワつかせる何かがあるな……とか思いながらもそいつで髪をきちんと整え立たせ上げると、ひねった蛇口から多少の濁りはあるが水が出て来たことに驚きと感動を覚えながら、身支度を整える。


 とは言え、いでたちは昨日からの着の身着のままであり、


 「令和」と墨痕鮮やかに大書された黄色いTシャツに、下はぐずぐずの藍色が程よく抜けたジーンズにサンダル。そして件の長髪ロンゲを倒し奪った、肩から膝下までをすっぽりと覆う漆黒のマント。


 ひと目、シャバには留まること許されざる恰好だ……だがここはなんつっても「異世界」。宿の窓から見下ろした(2階だった)街の光景は、やはり1960年くらいのアメリカの片田舎の雰囲気を醸し出していたが、どっこい、その色彩感覚はちょっと俺には理解しづらい代物だったわけで。


 真紫のペンキで塗られた板壁に、レモンイエローの屋根が乗っていやがる……その隣は黄緑とオレンジのマーブル模様ときた……前衛抽象画大家の描いた大判の絵画の前に立っているような感じだぜ……俺の色覚がどうにかなっちまってるっていう可能性もあるが、その突拍子もない色使いは、出会った直後の猫女ネコルの色使いに酷似している気がしてならねえ。そしてあっちの元ネタは何となく分かるわけで、つまりこの世界では「これ」が普通なのだろう。暮らしてて頭痛くならねえのかな……


 おそらくまだ朝も早い。陽は昇っているが、「前世時間」で言えば7時かそのくらいだろう。ぽつぽつ土埃の立つ道を行き来してる老若男女が見て取れる。その人らが着ている簡素な作りの服もまた、派手目のアロハ以上に目に来る色使いであったわけだが、まあ何か、人の営みを目の当たりにすると、何となく落ち着く俺がいる。


「ふみゃぁぁお、朝早いですね銀閣さんは……昨日あれだけ飲んでたのに」


 しばし異世界風景に目を盗られていた俺の背後から、未だ眠そげなネコルの声が掛かる。何も、思う所もなさそうな感じなのでひとまず安堵だが、意外とこいつ、そういう空気を察してそれに対しそつなく振る舞う術を持ってたりするからな……。 まあいい。ならそれで俺もそれに乗っかるまでだ。


 陽光を浴びて輪郭が薄く光っている毛並み。小さな身体から後光が差しているかのように見えて思わず拝んじまいそうになるが。言うまでもなく、日光のもとであるので猫の姿なのだろう。だがこれ以後は別室にて泊まらにゃならんな……でもカネもそのぶんかかっちまうよな……


「おう、とりあえず『クズミィ神』のとこまで残り12日で『1100km』か? だか行かなきゃなんねんだろ? あんまぐずぐずはしてられねえよなあ……それか何らかの『移動手段』でもあんなら話はまた別だが」


 詮無い考えは頭の隅に追いやり、努めて何事も無く、俺は一縷の望みを賭け問う。右前肢で顔を洗っていた猫姿のネコルは、しかしてまた興味なさそうな声で言うのであり。


「『鹿馬シカウマ』という、馬力だけはある家畜はいるんですけどね……いかんせん時速が『5km』くらいなんですよね……」


 だろうとは思った。「ケレン味」以外は何となくこの俺に背を向けているようなこの「異世界」だ。時速60kmとかでカッ飛ぶ飛竜ワイバーンとかいたら逆に驚くわ。


「ま、日がな一日、てめえの足で走ったり歩ったりするしかねえわけだな……で、ひとつ懸念があるんだが、『目的地』までは『地続き』なのか? 海とか挟んでたら、そこは船とかでどうにかする他はねえが、俺はすげえ『船酔い体質』でよぉ……汽笛がボォと鳴る音聞いただけでえずいちまうほどの難儀さなわけなんだが」


 ああ、最後の最後で海は渡りますが、「魔法力フェリー」で五分ってとこですから、そこは耐えましょう? と応えるネコルに、わかったわかった、じゃあ取りあえず出発すんべい、と促し、宿を後にする。ちなみに所持金は飲み代と宿泊代でほぼほぼ溶けて今は『6300¥TB』がとこ。節約旅になりそうだ……まあまた「刺客」らから奪えばいいのかも知れんが。そして、


 辿り着いた前夜は気づかなかったが、奔放な色使いが眩しい街並みだ。だがそこには秩序はある。荒くれ共がヒャッハーとかなってる荒廃した地区エリアでなくて本当に良かったよ。ひと目、寂れてはいそうだが、他所者の俺の姿を目に留めても、驚きのような表情は見せるものの、警戒からの嫌悪感、とか、異物を排除せんとす攻撃性、みたいなものは見られず、中には挨拶を投げかけてくれる老婆もいた。


 いい街じゃあねえか。俺が暮らしてた千駄木の家賃2万6000円/風呂無し共同便所のアパートからは、密集した同じような木造の建屋に阻まれて、視界の四分の一くらいしか空は拝めなかった。コンビニまでぷらぷら煙草吹かしながら歩いていりゃあ、物騒な見た目も相まって、すれ違う人らは早足で逃げるように通り過ぎるか、露骨に顔を顰めてこちらを見やるか、そのどっちかだった。


 今のこの、こじんまりとはしてるが、全方向に爽快に広がるような、そんな奇妙な居心地の良さに、俺はもう、慣れるというよりは親しみすら感じている。


 さて、そんな思考を弄ぶような中においても。


 基本、軽めのジョグくらいの足さばきで旅路をぐいぐい進んで行く……何だろう、まったりスロー異世界ライフとやらはこの状況下ではおよそ堪能することは出来そうもないな……いささかストイックに過ぎなくもないが、体を動かすことが生来嫌いじゃあない俺は、ふっふっと緩やかに上がってくる自分の呼吸に、落ち着きながらも高揚感を味わったりもしてるのだが。


 刹那、だった……(刹那って字をじっと見てると、あれ? こんな字でいいんだっけ? とか思い始めるよね……


「はぁ~はっはっはっは、はぁ~はっはっはっはッ!!」


 街を抜け、また「街道」然とした未舗装の、だが結構な道幅のある道を小走りで行く俺達の前方に、怪しい人影が。意味不明の高笑いをしている時点で、俺の警戒アラートはガンガン鳴ってくるのだ↑が→。


「ル:ズユドほどの者が、なす術なく屠られてしまった相手とはとても思えんが……私は油断など一分もしない……指令に、忠実に、貴様らを仕留めさせていただく……」


 これまた妙齢の女性の柔らかくも鋭い声だ。いつの間に現れたのかは定かではないが、彼我距離およそ10mくらいの所に突如として現れたその人影に、びびって足を止めてしまう俺。だがこんなところで足止めを喰らうわけにはいかねえ……


 泡食ってた昨日の俺とは違うんだってとこを見せてやるぜぇ……!!


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