第129話 継承

 


 天上から落下してくる多量のガラス片。

 空中で静止したまま、キラキラと輝いて美しい。


 ゴツゴツした石煉瓦と、彫刻の残骸が見るかぎり散乱する地上。

 荒地と違えても仕方あるまい。


 そのなかで、自分の命の火を数えながら、俺はエゴスに肩をかしてあるく。


「エゴス、サリィ、迷惑かけたわね」


 プラクティカは壁に背をあずけ、疲れきった顔で薄く微笑んだ。


「ぅぅ、奥様……っ」


 エゴスはかけより、彼女の白い小さな手をとった。


「奥様、もしや、正気に戻られたのですか?」


「ええ。だけど、一時的に体の主導権を奪えただけ、彼が半身を失った反動から立ち直れば、私はすぐにあなた達を……」


「やはり、もう悪魔との融合が進んでいる、というわけですか」


 事態を明確にし、俺たちは重たいため息をついた。


 師匠、結局、ダメでしたよ。


 諦めなかったけれど、それでも現実は非常だ。


 プラクティカを救うことはできず、俺は時間の法則に殺される。


 聖遺物も失われた。 


 もう悪魔を倒す手など、残されてはいない。


「エゴス、サリィ、大丈夫よ。これは全て私が招いたもの、全てが自己責任。その債務をあなた達に残しはしないわ」


 プラクティカは細く息をはき、杖を手に立ちあがった。


「すこし移動するわ、話をしましょ」


 気の抜けた声はそうつげ、荒涼の校内をのそりのそりと歩きはじめた。


 初めて話す、ほんとうの彼女の声は、活気ある少女のそれではなく、自身の人生に疲れきった、まさしく年相応の老婆のものだった。



 ⌛︎⌛︎⌛︎



 レトレシア魔術大学での出来事など、全てなかった事である、そう言いたげな平和な街をぬけていく。


 もっとも、誰も彼もが、ズタボロ血塗れの俺たちの往来など気にせず、身を固めているのだが。


 背筋の鋼のごとく正し、執事は俺と主人の半歩後ろをついてくる。

 自分も辛いはずなのに、その気丈な振る舞いに頭が下がる思いだ。


「サリィ、まずは本当にありがとうね。あなたがエゴスの呪いを解いてくれなかったら、この絶対のチャンスは生まれなかった……そして、謝らせてほしいわ、あなたの師匠、ドトール・エフェクトとサリィ、あなたを巻き込んでしまったことを」


「これは師匠が選んだ選択です。力及ばなかった師匠を越えるのは弟子の役目でしょう。それに、俺は彼に託されたんだ、必ずプラクティカ様を救ってくれ……って」


「……そうね、たしかに彼なら、そう言うのでしょう、ね」


 目元はしなやかな指で隠され、紫髪が垂れる。

 力なく首をふったプラクティカは、肩を落とし、顔をあげた。


「どうして、師匠は……いえ、師匠は何のために死んだんですか」


 はっきりと、涙つたう横顔に問うた。


 師匠が目的を果たせずに、道半ばで絶えたのだとしても、その死には何か意味があったはずだ。


「カルナと融合していたから、彼の最期はよくわかるわ。彼は最高よ。

 すべての道を繋いでくれた、ここまで……いえ、これじゃわからないわね。まずは、彼と私の関係から話そうかしら」


 プラクティカは通りの角を曲がり、細く狭い道をぬけながら、迷いない足取りで続ける。


「ドトール・エフェクト、あなたの師匠は、私の古いの友達でね、ローレシア、アーケストレス、ゲオニエス……若い頃はたくさんの旅をして、ともに魔術を高めあったわ。


 現代の魔法史に、現代魔術の開祖として名が載っているのは、彼だけれど、私も現代魔術の発端におおきな貢献したんだからね。


 でも、やっぱり、彼と私には差があったのね。私は彼ほどひたむきになれなかった。60歳の私の誕生日、いまはもういない当時の使用人たちが、私のことを心よく祝ってくれたわ。

 けれど、私にとっては何も嬉しくなかった。老いたくなかったし、死にたくなかったのだから、当然ね。


 死を恐れ、私は彼を裏切って、不老不死の禁忌に傾倒してしまった。この私が彼に再会したのは、ほんの……9年、10年前のこと、

 私は死の悪魔カルナ・ペイルマティ・パビロ・ロビ・マルッコルソの思惑にのって、まんまとこの体の主導権を渡してしまった後のこと……悪魔はね、強い肉体が欲しいのよ。彼は、カルナはとても弱い悪魔だから、なおのこと、私の体を求めていた」


 やはり、か。

 死の悪魔は、プラクティカの大魔術に耐えうる体と、それを支える魔法の英知を求めていた。そして、奴の目的が果たされることを、

 師匠は阻止しようとしていた……だから、敵対者として、命をねらわれていたんだ。


「彼はね、ずっと、ずっと待っていたの。私の肉体の寿命を引き延ばしたあの日から。

 私の魂が磨耗し、だんだんと力を失っていくことを、彼は初めから知っていたの。

 人間が生半可な方法で、ほんとうの不老不死を手に入れる事なんて出来ないなことに、初めに気づきべきだったわ……まぁ、今更嘆いても仕方のないことだけれど」


 ため息をつき、プラクティカは狭い路地から通りへとでた。

 俺たちも暗い路地から抜けだすと、そこには懐かしい風景が。


「サリィ、覚えてる? ここはあなたの始点……あなたがはじめて来た異国の地、そして、はじめて見たローレシアの街よ」


「帝国魔法省から、跳んできた時の……ここでレティスお嬢様とエゴスさんに会ったんでしたね」


「奥様、して、なぜここへ?」


「……ここが、私の終点だから、かしらね」


 プラクティカは力なく歯に噛む笑顔をうかべ、「付いてきて」と、歩きだした。


 すこし歩き、すぐにある家屋の前で立ちどまる。

 彼女は古びた扉を押しあけて、なかへと足を踏みいれた。


「レティス、私の可愛い娘。作る気なんてなかった、一晩のろくでなしとの間に孕んだ子だけれど、私にとって、それは転生魔術を試すのに絶好の触媒だった。

 なんの迷いもなかった、あの子を犠牲にして、さらなる時間を手に入れることに。

 私はね、根本的に冷めた人間なのよ。魔術師なんだもの」


 変哲のない家の中、かつて踏み入った彼女の魔術工房へ歩を進める。


 プラクティカはどうしようもない母親だ。

 人間として道徳を語るなら、あんたこそ混沌に焼かれるべきなんだろう。


 だが、俺は彼女を刺すための言葉をもたない。


 俺だって魔術師なのだから。

 彼女と同じ冷たい人間なんだ。


 もし仮に自分に与えられた時を、本来定められた時以上の時間を生きられるとして、

 そして、その方法を自分で見つけたとして、永遠を望むのだとしたら、いったい誰が、そのものの熱意と執念を止められる。


 彼女は冷たい、けれど誰よりも人間らしいのだ。


 魔術工房のなかへやってくると、プラクティカは杖をふってランプに魔力の灯りをともして、部屋を薄く照らした。


 しばし思考したのち、彼女は言葉の続きを紡ぎはじめた。


「13年前、レティスを産んだわ。転生魔術は使わなかった。優しさだと思うでしょう。けど、違うの。ただ理論が破綻している事に気がついただけ。そして、転生魔術を使った時こそ、私は本当にすべてを終わらせてしまうとわかっただけ。

 私が死の悪魔カルナが、プラクティカ・パールトンの体を奪う計画に気づいたのは、この時よ。

 滑稽よね、現代魔術の到達点とうたわれる、不老の禁忌を成し遂げた賢者が、40年ものあいだ、悪魔の策略に気づかなかったんだから。


 もし、私が転生魔術を実行していたら、成功するかは別として、私の体は空っぽになっていたのは間違いないわ。そうすれば、悪魔カルナの思う壺、中身を失ったプラクティカ・パールトンは、新しくむかえた悪魔によって、快適にあやつられ、きっと多くの悲劇を生むことになったでしょう。


 それに、転生魔術は魂を移し替えること、それだけしか出来ない神秘。もし私のくたびれた魂を、あの子の体にいれたとしても、私の魂の寿命は更新されない。

 大事なのは『魂の老化』を止める事だったの、私にはそれがわかっていなかった。だから、転生魔術はやめたの。いえ、この時にはもう、長生きすることすら諦めていたわ。

 

 だけどね、私が諦めたところで、カルナが諦めるわけがない。


 レティスを産んで、私はあの子にすべての魔術を託すことにしたわ。小さな頃から魔術の勉強をさせた。あの子は、間違いなく私の子、輝かしいほどの才能を持ち合わせて産まれてきてくれていた。

 だから、やりすぎたのよ。私の中で期待が大きくなるほどに、不思議とレティスは魔法から離れていってしまったの。


 ちょうど、その時ね、あの悪魔が数十年ぶりにパールトン邸に姿を現したのは。

 

 アイツは言ったわ、『体を頂戴しに来ました』とかなんとかね。


 いつか来るとは知っていたし、そのための準備もしてた。

 

 悪魔の研究して、死の悪魔の資料をツテを使って、大陸中から集めたわ。

 そうして、奴の逸話にそって聖遺物なしでも、およそ滅殺できるだけの準備を整えていたの。


 私は確信してたわ、悪魔を滅ぼせることをね。


 だけどね、それはすべて、若気のあるプラクティカ・パールトン、がいる事を前提でした勝機だったわけ……結論からいうと、私は、この悪魔に敗北したわ」


 プラクティカは自身の胸を見下ろしながら、ホッとため息をついた。


「この体、この若さってね、なにも私が不老の魔術に成功したわけじゃなかったのよ。

 50年前のあの時、パットと名乗っていた死の悪魔カルナ、彼と協力して私は不老の魔術を完成させたはずだったでしょ?


 けどね、それはただの幻惑、私の肉体の老化がなくなり、あまつさえ17歳の頃の私まで若返ったのは、すべて……そう、すべて死の悪魔の秘術によるものに過ぎなかった。


 それを、知らずに私は自分が積み上げた研究が実を結んだ成果だと、ひとり喜んで、奴の手の上でアホウに愚かに、踊っていたのよ。

 あの悪魔はあたかも、私が偉業やり遂げたかのように、過剰なほどの称賛を私にあたえて、すぐにパールトン邸をさっていったと言うのに。


 そう、この時だって、疑うチャンスはあった。

 パットがパールトン邸に来た途端、それまで行き詰まっていた研究が順調に進んで、成果を結んだ……何かおかしいと、そう疑うべきだったのに……私は、すべてを見落としていたのよ。


 だから、私は負けた。パールトン邸で彼を迎え撃った時、途端に私の体は朽ちて、老いぼれてしまった。二の足で立つことさえままならない、残酷なほどの現実、それは私がいままで目を背けてきた、本当の自分との再会だったわ。


 今でこそ、カルナに若さを返して貰えてるけれど、これは私のためじゃない、彼自身のため。


 私が敗北して後、私は彼に無数の呪いをかけられたわ。私の魂はもう死にかけているけれど、それでも彼の力では、魂を強引に体から引き剥がすことは出来なかったみたい。

 だからね、彼はこれまで通り、私の魂が、消すクズのように死滅するのを、待つことにしたらしいの、私の内側でねーー」


 プラクティカは戦いでボロボロになった、自身のローブをめくり、腹部をみせてくる。

 真っ黒な十字架ーーロザリオが、少女の柔肌を侵食するように黒い模様をひろげて、体に食いこんでいるのが見てとれた。


「もうじき、私の魂は死ぬ……その時が、カルナの長い計画が成就する時」


「奥様、申し訳ありませぬ……」


「プラクティカ様……」


 どの道避けられない、主人の死。

 エゴスは目元を伏せて肩をわずかに震わせる。


 プラクティカの瞳はそんな従者のことを、穏やかに、けれど寂しそうに見つめている。


 ふと、思い出し、俺はプラクティカへ問おうと、口を開きかける。


「そういえば、ドットが何を繋いでくれたのか、まだ伝えていたかったわね、サリィ」


 だが、俺が問うよりもはやく、プラクティカは言葉をつづけた。


「死の悪魔に体を乗っ取られて以来、私とカルナの体の主導権争いはずっと続いてたわ。1日のうちほとんどの時間を、私の秘密工房にある封印魔法陣のなかで過ごし、体の主導権が私にあるうちは、なんとかこの体から呪いと悪魔を追い出せないか、試行錯誤した。


 まどろみが襲ってきたら、悪魔に体のコントロールを奪われる兆候。すぐに封印魔法陣の中へ逃げこんで、自分で自分を強力に拘束した。

 だんだんと私の時間の肉体操作時間は短くなっていった。そんな中で、偶然にローレシアに来ていたドット……ドトール・エフェクトに再会できたのは、奇跡に等しかった。


 彼にお願いしたのよ、私を殺してくれるようにね。そうして、彼はどこからからその策を見つけてきてくれた……ほら、あれが彼が繋いでくれたもの」


 プラクティカは魔力の明かりが灯るランプをもち、薄明るい工房のおくへ。

 

 そこに照らし出されたのは、漆黒の大きな棚ーーいいや、これはひつぎか。


ーーバリィッ


「うっ! ああ!」

「っ」


 硝子の割れる音。

 ランプが冷たい床に投げ出される。


 棺を照らし出した途端、プラクティカは胸を押さえてかすれる声で悶えはじめた。

 ありありと顔に苦痛を浮かべ、すごい汗をかいている。


「っ、奥様! 気をしっかり!」

「エゴス、ぁぁ、サリィ、棺を、このを……!」


 彼女の必死の訴えをくみ、俺は漆黒の棺を開いた。


 この棺、かつてローレシアに跳んできた時、初めに視界に映った物だ。


「これが、聖遺物だったのか」


 プラクティカは息も絶え絶えに、棺なかに自ら身を横たえた。


「これは、神の墓から持ち帰られた、『エルコタの聖棺せいかん』、半身を失った悪魔を閉じこめるには、もってこいの代物よ」


「っ、しかし、それでは、奥様はーー」


 身を乗りだすエゴスを、プラクティカ制するように指をひとつたてた。


 そして、俺とエゴスの両方へ視線を揺らすと、杖をスッとこちらへ手渡してきた。


 エゴスと顔を見合わせ、杖を受け取る。


「エゴス、サリィ、きっと、私を殺して。必ず悪魔を滅ぼす手段を見つけて、またここに戻ってきて。それまで私は……すこし眠ることにするから」


「ぅぅ、奥様、申し訳、ございませぬ……っ」


 屈強なる執事は膝を折り、棺にすがるように首を垂れた。


 俺もまたしゃがみ込み、彼の背に手を乗せる。


「まぁ、安心なさい。私の魂の一部はあの子に溶けているもの。私の魂はあの子の中で生き続ける。みんなの心の中に居るなんて言わないわ。だって、魔術師だもの。根拠と理論がなければ断言しない。


 さぁ、お別れの時間よ。エゴス、あなたは栄えあるパールトン家の執事、レティスと家を頼んだわよ。そして、サリィ、本当に迷惑をかけたわね。あなたは偉大な魔術師、だから、もしあなたがよかったら、私の跡を継いではもらえないかしら? 書斎に手紙を残しておいたから、それで事は上手くいくはずよ」


 プラクティカは涙を端に、鋼のごとく背を伸ばした執事へ微笑み、俺へは、ひとつ頷いた。


 エルコタの聖棺、それを閉じたとき。

 時間は長きにわたる英知の拘束から解放される。


 エゴスは大量に吐血しながら、傍らで膝をつき、俺はーーしっとり、穏やかに時の流れに舞いもどった。


 目の前の棺のなかからは、何も感じない。

 だが、それでも俺には、この奇跡のありかがわかっていた。


 手に持つ年紀のはいった魔杖をみおろす。


「ありがとうございます、プラクティカ様」


 俺は、あなたほど偉大な魔術師を忘れはしません。

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