第8話 体の記憶

 綺星は変化してしまった自身の体に一瞬戸惑ってしまった。


 特に視界にはっきりと入ってくる腕の甲に伸びる赤い毛や、長くなった爪は間違いなく、自身の姿が変わっていることを教えてくれる。


 でも、同時にこれが柳生文音が言う力なのだということも理解できた。


 なぜだろうか……いざその気になれば……戦いに対するためらいがなくなっていく感じがする。


「奈美ちゃん! いま行く!」


 足を一歩踏み出し一気に飛ぶ。その勢いは自身の想定をはるかに超えるもので、瞬く間に化け物たちとの距離を詰めていった。


 着地地点を見据える。化け物はそれなりの数になっているが、一部は倒されている。残りはざっと四体。


 まずは化け物の頭上を越えて、奈美に一番近い化け物へ。


「らぁああ!!」


 化け物はこちらに気づき振り向こうとする。だが、それより先に綺星の爪が化け物の首を切り裂いた。


「き……綺星……ちゃん!?」


 奈美の近くで着地。そんな綺星を見て奈美が目を見開く。

「そ……その姿……」


 やっぱり綺星のいまの姿は、奈美から見たら文音同様、化け物のように見えているのだろうか……。


 奈美は文音を初めて見たとき、恐れていた。……なら……、いまの綺星も……。


「……っ!?」


 でも、いまはそれどころではなかった。ふと、となりから化け物が攻撃をしかけてくるのを直観で気づく。


 対して、綺星は恐れることなく蹴りを繰り出していた。


 自身でも鋭い攻撃だったと思った。放った蹴りは的確に化け物の頭部を打ち抜いており、たちまち化け物は沈黙する……。


「……まるで……あたしじゃ……ないみたい」


 さっきまで恐れていた自分がバカみたいに思える……。そもそも、なぜ自分はここまできれいに化け物を倒せている? なぜ、……こうも簡単に戦える?


「あっ、どいて!!」

「え?」


 ふと奈美が急に声を荒げた。そのまま、綺星の体を押さえつける奈美。


 気が付けば迫っていた最後の一体の化け物に対してピストルを撃ち放っていた。


 がむしゃらに打ち続けられた弾丸は、何発も化け物の横を通り抜けつつ、化け物を打ち倒す。


「……はぁ……はぁ……っ! ……助かった……」


 化け物が沈黙と同時、握っていたピストルを床に音を立てて落とす。そのまま近くの壁にもたれかかりしゃがみ込もうとする奈美。


「うっ……いっ……」

 だが、すぐに横腹を抑え込み、そのまま床に崩れこんだ。


「奈美ちゃん!? ……あっ」

 横腹あたりから赤いものがにじみ出ているのが見えた。


 奈美の着る服が白色であったため、赤い色がはっきりと広がっていくのが見える。


「……うっ」


 それが血なのだと気づいた途端、意識が遠のきそうだった。だけど、手を口に当て必死に高ぶる感情を抑え込む……。


「だ……大丈夫?」

「……なんとか……、でも……ごめんだけど……、服を持っててくれない?」


「……うぅ……ぅ……」


 戦いはできても、こういうのには……まだ抵抗が……。でも、ここで泣いちゃだめだ……。もう……吹っ切ってしまえ……。


 奈美はゆっくりとTシャツをめくり上げる。出てくる傷口から極力目を背けつつ、服を押さえた。


「……ごめんね……ごめん……すぐ済むから……」


 奈美だって相当痛みがあるはずだ。だけど、綺星にそうやって声をかけるんだ。


 文音に言われていたから、もうわかる。この奈美だって……余裕なんてない。


 奈美はゆっくりと自分のウエストポーチをあさり始める。


 それから先の奈美は……なんとも言えないほど手際よくスムーズに応急処置をしてみせた。それこそ、保健の先生かってレベル……。


 自身の傷口に「いたたっ」なんて言って表情をゆがめつつ、消毒。ガーゼで押さえ、自身の腹を包帯で軽く巻いた。


 時間にして一分もなかったと思う。


「……よし……ありがとう。もういいよ……。


 通販の情報っていうのはウソ偽りなく頼りになるものでね。すぐに良くなるって話らしいから……。


 綺星ちゃんは……その……」


 奈美は綺星の体を上から下までじっと見る。

「ケガは……ないのかな? カゲより目立つ異常は……ありそうだけど……」


 思わず自分のほおに手を当てた。そして、同時にありえない感触にビクリと手が反応してしまう。覚悟はしていたが……。


「……ケガは……ないよ。……ケガは……ね」


 そう言いながらふと奈美の顔を見るとその表情に恐れが見え隠れしていることに気づいてしまった。


 反射的に奈美から距離を取って立ち上がる。


 しかし、その行動はより奈美の不安をあおったらしく腕で自分の顔を軽く覆い隠した。


 その反応に対してどうしたらいいのかわからず、その場でしゃがみ込んだ。


「……とろこでさ……。奈美ちゃん……手当が上手だね……。なんか、まるで保健の先生みたいだった……」


「……え? ……あぁ……」

 奈美はそっとガーゼが当てられた横腹をなでる。


「実はあたしもやってて驚いていたりして……。へへ……、なんかこう……やり方がわかっていたというか……、直観と言うか……、こう……」


 具体的に言い表す言葉を探しているのだろう。奈美はうつむき考え、やがて顔を上げる。


「……体が覚えてた……って感じかも……」


「……っ」

 奈美のその例えに綺星も思わず顔を近づけた。

「あたしも……!」

「え? ……ひっ!?」


 また怖がらせてしまったので「ごめん」と言って下がりつつ、言う。


「さっき戦っているとき……いや、この姿になったときからかな……、戦い方を……この体が覚えていた……知っていた?


 とにかく……勝手に戦ってた……」

 まるで……自分ではなかった……、それか……あれが本当の自分だったか。

 

「……応急処置なら経験があってもおかしくないけど……、戦闘経験は……体育で手に入れたのかな?」


「……あたし……一年だよ?」


「……そっか……、ってか、あたしだって、格闘技を授業でやった覚えはないしね……。実は、習い事で柔道とかやってた?」


 そんな記憶はまったくない。すぐに首を振って否定する。


 しかし、だとすれば、体は一体……どこで覚えていたというのか……。いや、そもそもたまたまってだけなのかな……。


「よし、……じゃぁ……戻ろうか」

 ふと奈美が立ち上がった。その姿に思わずぎょっとする。


「……ケガ……もういいの?」


「みたいだね。めずらしく、通販が情報を誇張してなかったみたい……。たぶん、この感じだとこのまま寝ちゃえば治るって。


 まるで漫画だね」


「……よかった……じゃぁ」


 綺星も奈美に続いて立ち上がろうとした。だが、途端に視界が揺れた。直後立てようとしたひざが一気に崩れ落ちてしまう。


「……綺星ちゃん?」


 ここで自分の体にとんでもない疲れがはまっていることにやっと気づく。感じたことのないだるさ……。


「……体力が……」


「綺星ちゃん!? 綺星ちゃん!?」


 すでに意識は遠くなっている。たぶん、床に崩れ落ちたんだろう。


 視界に映る自分の手に生えていた赤い毛が引っ込んでいくのを目にしながら、そのまままぶたを閉じた。

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