アルカディアの難民
時計 銀
第 話 回帰
「なぜ、貴方はそこまでやるのですか?私たちは貴方の大事なものまでも奪った。もう、貴方は心と体がボロボロのはずよ」
そんな質問から、僕たちの再戦が始まった。
周りは夜の闇によって黒く染まった木々が不規則に立つ森である。その暗さは、まるでこの世の誰かの心の奥底にも見え、また嵐の前の静けさのようにも思えた。
息を吸う。そして、吐く。深呼吸。
暗い森とはなぜか落ち着く。怖くはない。耐性がついたみたいに。いつも、自分が考えてしまう「イフ」という名の恐怖を紛らわしているみたいに、否、消しているように思えた。
やはり、怖くはない。
そこがたとえ、幽霊や怨霊が出そうな真っ黒な森の中心部でも。
ましてや、殺人に快楽を感じる者の前でも。
僕は彼女の方に目を向ける。
だが、目は合わさない。彼女の目の上あたりをずっと見続ける。
目を合わすということはつまり、相手が油断しているときか、真の心を打ち明けるときのみ、と自分は考える。どうして、こういう思考をしてしまうのか、今の僕にはわからない。
言葉の反響が消え、本来自然特有の五月蝿さに戻る。
しかし、それは一瞬のことであり、また彼女は大声でこちらに向けて声をかける。
彼女が何か、喋っているが、全く耳に入らない。
人の話はきちんと聞くことは当たり前だと自負していた自分はどこへ行ったのだろうか。
いや。
どこにも行っているわけがない
自分の考えがすこし変わった、ただそれだけの事だ。今この時の彼女の言葉は重要なことではない。
僕は答えない。
彼女の話を聞いていなかったからという理由ではない。
「早く、答えてください。さもなければ貴方を殺します。あの時、あの人に逃してもらって、また命をそう易々と捨てに来るのですか」
そのように彼女は暗闇の中でもわかるぐらいに顔を赤くしながら言った、と思う。それは、誰もが勘違いしてしまいそうな羞恥の顔ではなく、誰もが分かってしまう憤怒でもなく、彼女本来の怠惰な心が垣間見える怒りの顔であったのは確かだった。
彼女の目には自分はただ命を投げ出す馬鹿にしか見えていないだろう。
だが、彼女の思考もそこまで。劣りはするが、逆に優れたり、鋭くはならない。
「ッ!」
痺れを切らしたのかなにかがこちらへ飛んでくる。僕の動体視力ではそれをおいかけることなぞできるはずもなくそのまま、ヒュッと風を切り、自分の頬を掠め取っていく。
ポスっと音をたて、あたりは静かになる。
それとは反対に、頬を熱いなにかが伝う。
地面に刺さった音からして比較的軽いものそして投擲可能なもの、つまり小型のナイフ、または短剣かハサミだろう。
まあ、暗殺者なのだからハサミを主武装でつかうことはないだろうと謎理論を構築する。まあ、それを見てみたい気もするが。
しかし、問題は彼女が首を狙わずに頬を狙ったことだ。
外れたのか。いや、それぐらいのところに計算して投げたのだろう。なにせ、彼女は殺し屋だ、殺人鬼だ。
これは短剣で威嚇して僕に命乞いをさせるという魂胆。
しかし、本当にそれだけのことなのだろうか。
…疑問を覚えてしまう。
「ばかばかしい」
思わず、声に出る。そして、顔を歪める。
こんなことを深く考えてしまう自分、こんなことにとらわれている自分。こんなみじめな感情しか持ち合わせていない自分。すべてが嫌になってくる。
だけど。
今は、そんなこと。関係ないのだ。
僕がすることは命乞いや降参ではなく状況の打開のみ。不利に陥っているこの僕を救うために。
もう、この街に心残りはない。もう、この街に自分の失うものはない。
全て、切り捨てた。
自分の目指すべきことは未来への渇望のみ。
(僕も薄情になったな)
どこかキザったらしいことを自分の脳は考える。
だが、そんな思考にすぐに嫌悪を覚える。こんなことを考えていては昔のままだ。
そのことを確かめ、そして頭の隅に追いやり、今度はちゃんと彼女と目を合わせる。彼女の瞳孔を凝視する。
まだ、彼女の瞳には怒りの渦が垣間見えているだろう。
しかし、それとまた呆れとは違う、拗ねているようにも彼女の表情から思える。
「何についてのことかな」
驚くように目を見開く。
この危機的な状況において、馬鹿のような応答をする。知らないふりと言われればそうなのだが。こんな答えしか導き出せない自分が嫌になる。
彼女は驚いた表情をする。そんな彼女を見ているとなぜか昔の自分な思考が思い浮かぶ。
どこか心の中で、よくある正義感に忠実で。困っている人を見ていると、助けてあげたくて。だけど、そんな人たちを助けられることなど自分の脳ではできなくて。
偶然にも、その人が自分のおかげなぞ関係なしに助かれば、どこか自分に期待を持ってしまって。
いつの日か、自分は正義感ではなく、なにか気持ちの悪い自身の欲のために動いていた。
彼女は今まさに僕を馬鹿にし、心の中で罵倒しているだろう。
まあ、その通り僕は今も、昔も馬鹿なのだが。
現実で罵倒されててもおかしくない。いじめられて、世の中のクズだと笑われてもいいぐらいに。
それぐらい、高嶺の夢を見るヒーロー気取りの馬鹿なのだ。
まあ、そんな淡い幻想はすでに崩れて今は、残酷さを知った、ただの底辺に落ちた偽善者なのだが。
胸が、痛い。
やはり、自虐は僕みたいな小心者には胸にくる。もう、こんな心が痛くなるような話はしたくない。
これで最後だ、自分。これ以降は、彼女のためにももう、こんな考えは捨てる。
少しずつ、下がっていた視線を上げる。
こんな馬鹿げた話は終わらすために、嫌いな逃走のために。
すべきことは決まっている。ただ一つ、この前にいる女とその他の狂人どもから逃げ切るだけ。
やることは、簡単。
だが、そんな作戦でも成功する確率は低く、ほぼ運である。
目の前にいる彼女でも勝てる可能性は虚空の彼方、確率では一パーセントにも満たない。
そして、そんな彼女を動かす奴らももう、可能性はゼロなのかもしれない。
そんな化け物じみたやつらと凡人が戦ったら直ぐに決着はつく。
これは、ただの自己中心的で意味のない無駄な行為なのかもしれない。
だけど、やる。やらなければ、自身の命はここで途切れるだけ。
心の中に巣食う彼女の笑顔を思い出す。彼女は最後には、僕だけに迷惑をかけて、この街を一人で救おうとした。
まったく、汚い嫌がらせだ。
だけど。
僕が自分の想い人だと思っていた人がそうしてたように僕も同じ道を行く。これは僕にしかできないこと、言い換えれば僕だけが出来ること。
だって、僕しか知らないのだから。
この無茶苦茶な作戦しか僕の頭は思いつかない。僕もまだ未熟なのだろう。
そして、彼女もまた未熟なのだろう。
やるのならやる。それが吉が出るか、またまた凶が出るかは自分次第。
この方法でしか僕も助かり、彼女も救えることはできない。
なるほどゲームみたいで面白い、と考えてしまう。これぞ、死と瀬戸際の人生ゲーム、後は運のみ。自分でも顔の口角がつりあがっているのを感じる。ただの強がりがここまで心を支えてくれるとは思いもよらなかった。
だから、僕は彼女の在り方を壊すために話す。
それが唯一僕にできる、生き残るための方法なのだから。
どこまでも、ネガティブに、悲観して。それが新たな一歩を踏み出せる。
何度も、繰り返してきたように深呼吸する。
最後のネガティブだ、失敗してくれるなよ。
それじゃあ。この物語の終わりの蓋を閉めよう。嫌な物や臭い物にするように、蓋を。そのための最初の布石を打つ。そう、キザに思う。
息を吸って、僕は叫ぶ。
「僕は君を死なせない。誰が何を言おうとも」
こんなキザな台詞を言ってしまうぐらいの窮状となった僕はそんな焦りの中もどこか冷めた気持ちでこの街の未来を考える。
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