第7話:月城千草の過去。
知っていた。知っていたけど、俺はそれを知らないフリをしていた。
こうして、いざ口に出されると気恥ずかしいし、意識してしまうから。
「知ってるけど……」
「え!? なんで知ってるの!?」
逆に何で? 多分晴人も知ってるよ? 見てたら分かるし、電話でもお母さん言うてましたし……。と素直に言うわけにもいかないので、言葉を濁した。
「まあ何となくですけど……。自意識過剰っぽいんで考えないようにしてました」
今日の一件で、彼にも堂々と言ってしまったけど……。結構キモいよな……俺。
「そうなんだぁ……でも! 大丈夫だよ! 自意識過剰じゃないから! 安心して!」
何で俺励まされてんの……。
「あ、はい……。安心です。っておい! ちょっと今撮ったキスの写真見せろ!」
「嫌っ! 見せない! これは見せれないっ!」
携帯を守るように、俺から距離をとって離れる。
何でだよ。見せろよ。ついでにパンツも見せろ。
「あ! ご飯炊けたよ! ご飯にしよー!」
話を逸らされ、彼女は立ち上がってキッチンへと足早に向かってしまった。
これは告白として受け取るべきか、それとも好きと言う宣戦布告として受け取ればいいのか。
策士な彼女は言うだけ言って逃げてしまった。
意識しないようにしていたのに。
そんな彼女はずるい。
そして————可愛い。
****
それから話は有耶無耶になり、気が付けば鍋も食べ終わっていた。
あれからどのくらい時間が経っただろうか。定かではない。
心ここに在らず。と言わんばかりに俺の頭の中はほっぺにキスで一杯だった。
駆け巡る、『好きに決まってるからじゃん』と言う言葉が反芻する。逃げ出したくても逃げ出せない。なんせここは自宅だから。帰る場所はここしかない。
告白ともとれる発言をした彼女は気にもせず、普通になかった事のように話しかけてくる。どんな心持ちでいらっしゃるのかはわからんけど、とにかく図太い神経をお持ちなのはよーくわかった。
無駄に意識ばかりしてしまう。
普段見ない纏められた髪。小さな顔、垂れている目、小さく柔らかそうな唇、白く透き通ったモデルのような肌に綺麗な脚。
いつもは気にしていないが、ちゃんと見ると彼女の容姿は完璧だと、今更になって思い知る。さすが学校一の美女だ。
先の一件で、穏やかではない心音。
どっくん。どっくん。また一つどっくんと。大きな音を立てて、脈をうっていた。
今の今までよく意識しずに、ここまで一緒にいれたと自分を褒め称えてやりたい。
食器などの片付けと洗い物が終わり、ホッと一息。チルタイムだ。
ソファーに足を広げて、だらけながら座る。時刻は八時半をすぎたくらいだった。ゴールデンタイムのテレビをチャンネルを変えながちらちらと流し見する。……だが面白いものはやっておらずテレビを消した。
キッチンの方からとてとてと歩く音が聞こえだんだん近づいてくるのがわかった。横まで来ると、しゅたっと俺の前に素早く立ちはだかった。
手を後ろにして、何かを隠しているように見える。
「はい! 誕生日プレゼント! 千草、おめでと!」
笑顔で目の前に出されたのは、綺麗に梱包されたお洒落な袋だった。
「あ、ありがとう……」
しばらくプレゼントなんて物を貰ってなかったので、ぎこちない反応をしてしまう。
「開けていい?」
「うん! いいよ! 気に入ってくれるといいんだけど……」
袋の紐をひゅるひゅると解き、中身を出す。
中から出てきたのは、肌触りの良い暖かそうなマフラーだった。
つい自分が買った物を思い出し、吹き出しそうになるが何とか堪える。俺たちのセンスは一緒なのだろうか。
「マフラーだ! ありがてぇ。持ってなかったんだよ!」
「本当? 嬉しい?」
心配そうに見てくるが、本当に嬉しいから大丈夫だよ。
「ああ、めっちゃ嬉しいよ。ありがとう霞」
「よかった! 気に入って貰えなかったらどうしようかと」
「いやいや、霞から貰えれば何だって嬉しいよ。ありがとう……」
「ヘっ? ちょっと!? なんか変だよ!?」
何が? 何が変なのか言ってごらん?
「……いつも通りだけど」
「だって……名前……普通に呼んでくれる……」
「いつも呼んでるくない?」
「呼んでるけど……なんかいつもはぎこちないんだよね……」
言われてみれば確かに……。なんかむず痒くなるんだよなぁ。
「じゃあ今のは無しにします。ありがとう先輩」
「なしにしなくていいから! 霞って呼んで?」
「霞?」
「いや、やっぱり今日はやめて……色々と無理……だから……」
「無理とか失礼だな……」
ともあれ、マフラーは素直に嬉しい。これから寒くなるし、重宝する。改めて——本当にありがとう霞。と心の中で感謝した。
****
久しぶりに貰った誕生日プレゼント。最後に貰ったのは母が亡くなった小五だったかな。
母が死んでからは、誕生日は特別な日ではなくなった。父も仕事で忙しく、俺の誕生日なんていちいち祝う時間すらなかったんだろう。
だけど……それがすごい寂しかった。
悲しかった。
辛かった。
自己中な考えなのはわかっているけど、小さい頃の情緒などそんなものだろう。
友達が誕生日プレゼントもらったなどと話している時は、その場に居られなくて立ち去っていた。羨ましかった……だけどそれに付随してくる憎悪が気持ち悪かったから避けていた。
孤独。
一緒にいるのは当たり前だと思っていた。家に帰れば迎えてくれるのが当たり前で。
だが、突然に目の前から消えて、全てが無になった。誰もいない家で、部屋で、ただ独り。
耳に入ってくる無音の音。そして啜り泣く自分の音だけが部屋には響いていた。
嫌で嫌で仕方がなかった事を思い出してしまう。あの音が耳に纏わりついて離れない。それは今でも聞こえたりする。
強がって笑って。心配されないように。悟られないようにいつも笑顔を作っていた。
だけど……それも慣れてしまえば、大したことは無かった。いつしかそれが自分になっていたのだ。
俺は人に言える立場じゃない。
「千草……どうしたの……? 大丈夫……?」
声をかけられ、ハッと意識が戻ってきた。考えすぎたか。
目の前の視界は歪んでいて、ぽろぽろと頬に伝う感触が今、泣いてる事を教えてくれる。
「あ、いや、大丈夫……。何でもない……」
雑に涙を拭って、笑ってみせた。
「大丈夫じゃないよ。急に黙ったと思ったら、泣き出しちゃって……。どうしたの? 私のせい? 私が……いるから辛い? 嫌なら……そう言って?」
「そうじゃないんだ。自分を卑下にするのはやめてくれ。俺は一緒に居たいし、嫌じゃない……」
嬉しいから、嬉しいから思い出してしまったのだ。今までなかったから。
祝ってもらえて、プレゼントを貰って、嬉しいんだよ。意味は違うけど霞のせいだよ。こうさせたのはあなただ。
独りだったのに、一人じゃなくなった。今はそうじゃないと思い知らせてきた。
独りに慣れすぎて、こうして二人でいることが楽しいって思って、幸せだなって。偽物かもしれないけど、存外に俺は気に入っていた。
家に帰れば、いつだって独りという現実に慣れすぎたみたい。
「はい。おいで?」
彼女は小さな腕を広げて、胸に飛び込んでこいと言ってる。
「いや……本当に大丈夫だから」
「じゃあ私からいく」
ソファーに座っている俺に跨り、抱きしめられる。
「どうして泣いたのか分からないけど……理由は聞かない。千草が話してくれるまで待つから。私も千草の力になりたい。だからね、泣きたい時は泣いていいんだよ。私にそう言ってくれたのは千草じゃないの? 自分で言ったのに、自分はそうできないの? 私の胸ならいつでも貸したげるから。……だから強がんなくていいの。黙って抱きついて泣いていいんだよ。弱くたっていいんだよ」
発せられた声音はとても優しく包み込んでくれる。
思い出した嫌な音も、何もかも消してくれるかのように、霞は優しく温かった。
黙って抱きつき、嗚咽が溢れてくる。
誰にも言わなかった。言ってこなかった。
寂しい、悲しい、辛い、怖い。
独りで仕舞い込んだ
『あんた、生きるのが下手くそだな』
『苦しいなら苦しいって言え! 辛いなら辛いって言え! 助けてほしいなら助けてって言え! 一人で抱え込むのはやめろ! そんな生き方正しくない。間違ってる』
彼女に言った言葉は、結局彼女に自分を重ねて自分自身に言っていた言葉だと、今になってやっと理解した。
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