第6話:彼シャツならぬ、彼パーカー。


 彼女がシャワーを浴びている間に、できる事をしようと買ってきた食材を取り出し、準備を始めた。

 今日の夜ご飯はキムチ鍋。この時期から鍋を食べる家庭は増えてくるだろう。鍋に市販のスープを入れて一煮立ち。そしたら切った野菜や肉を入れるだけで完成してしまう。こんな楽な料理はそうそうない。冬は毎日鍋でもいいくらいだ。市販のスープも種類豊富で飽きないから。

 軽快なリズムで具材を順に切っていく。トントントンッと包丁とまな板が当たる音が妙に心地いい。

 まるで夫婦の一つの形のように、互いがやれる事をやるみたいな、そんな匂いに包みこまれていく。


 分かってるつもりで分かっていなくて。

 この関係が良いとは言い切れないのだが、どこかそれに慣れてしまっている自分がいる。人の気持ちは難しくて、なんて言葉で表現すれば良いのかもわからない。彼女と離れることを想像できない。いや、多分したくないだけで……。いずれ来る別れに、俺はちゃんと離れられるのだろうか。


「はぁ……何考えてんだろう俺は……」


 料理と言って良いのかわからない鍋作りを終えて、一人で佇んでいると後ろからまたしても柔らかい身体に包まれる。ほのかに香るシャンプーの匂いが鼻孔を擽る。


「お先でした」


 背中越しに伝わるほんのり暖かい体温と、やんわりとする二つの感触。……こいつ多分ノーブラだな。あざといなぁ。

 この状況に何も思わなくなってしまった。やはり慣れとは怖い。

 手を剥がして、振り返る。

 彼女はパーカーだけを着ており、下は履いていなかった。というか履かなくてもパーカーがでかいので太腿、膝上まで隠れている。彼シャツならぬ、彼パーカーに悶絶。思わず口を塞ぐほどだ。めっちゃくっちゃ可愛い。

 なんなのこの子すごく可愛いんですけどぉ!

 髪の毛もいつもみたいに下ろしておらず、上で纏めて少しお団子風みたいにして、尚且つヘアバンドまでしていた。すごく似合ってるし、可愛すぎる。いつものような歳上感はなくて、少し幼げにも見える。やだ何これ、もしかして恋? 可愛すぎるんですけどぉ……。


「可愛い……」

「え? 今なんて?」

「なんでもない」


 つい思っていた事が口走ってしまった。だがなんとか誤魔化した。

 可愛いのは当たり前なんだよなぁ。一応この人学校一の美女と呼ばれるくらいだし。ビッチってのは置いといて、誰も彼もが可愛いと思ってるだけはある。彼女のこんな姿見た事あるの俺だけでは? その姿、俺以外に見せんなよ? と気持ち悪く独占欲を出してみたり。

 ただ黙って彼女を見ている俺を不思議そうに小首を傾げながら、佇んでいる姿はなんとも愛らしくて、抱きしめたくなってしまう。……抱きしめないよ? 理性を保ちつつ、いつも通りの俺で。と自分に言い聞かせた。


「なんでズボン持ってったのに履かないんだよ……」

「こういうのやってみたかったの! どう? 似合う?」


 フフンッと鼻を鳴らして、両手を挙げながらくるくると回って見せ、最後はKのポーズみたくポージングした。まじで何なのそれ可愛いかよ。理性殺しにきてんのか? それに手を挙げる事によって、必然的に服も上がり、綺麗でしまった太ももが更に曝け出されてなおとよし。グッジョブ霞ちゃん。


「めっちゃ可愛い……」

「へっ!? あ、ありがとぉ……」


 身を捩りながらしおらしくなる彼女もまた可愛いのであった。


「お、俺もっ! シャワー浴びてくるわ! 鍋、火にかけてるからそれだけ見といて!」

「あ……うん。わかった。待ってるね」


 鼻歌を歌いながら、携帯を取り出してキッチンの前に立っている彼女を見ると、本当の彼女のように見えてしまう。


「はぁ……やばい。俺だって男なんだぞ……もっと意識しろよ……可愛すぎんだろ……」


 理性をギリギリのところで保ちながら、シャワーを浴びに行った。


****  


 シャワーを浴び終わり、一つ冷静になり、また一つと大人になった俺。

 リビングに戻ると彼女はソファーの上で体操座りしながらテレビを見ていた。戻ってきた事に気付いた彼女はポツリと一言。


「おかえりー」

「ただいま」


 机の上には既に鍋の用意がなされていた。カセットコンロの上に鍋が置かれ、とんすい、コップ、箸までしっかり置かれていた。

 何この人いい女すぎない? お茶碗はご飯をよそう為か、キッチンのカップボードに置いてあった。

 そういえば米炊くの忘れてたな。と炊飯器をみると残り十分と表示されていた。

 彼女はそれに気付き、米を洗ってしっかりと炊いてくれていた。何も教えてないのにすごいなこの人。


「米、炊いてくれたんだ。ありがと」

「どーいたしまして」

「霞先輩さ、いいお嫁さんになりそうだね」

「え? 褒めても何も出ないよ?」

「普通に思った事言っただけですよ。隣、いいですか?」

「どうぞ」


 少し横にずれ、拳一つ分だけ間隔をあけて座った。

 こうして並んで座るのも久しぶりだな。屋上で会うことも少なくなって寂しく感じる。たまには屋上で寝転がって、ただ流れて行く雲を眺めて、無意味な時間を……いや、無意味ではない時間を過ごしたいなと追懐ついかいする。

 近づけば近づくほどに縮まる心の距離に、曰く言い難い気持ちを感じてしまう。

 隣に視線を移すと、携帯カメラを起動させ何やらアプリで自分の顔をいじっていた。「これよりこれかな? こっちはどうかな?」とぽしょぽしょと一人でなんかやっていた。


「千草、写真撮ろ!」

「何で? 嫌だ」

「いいからいいから!」


 携帯を顔の前に持ってきて、画面を見ると自分の頭の上に猫の耳が生えていたり、ネズミの髭を生やしていたりと忙しい。

 だが、何かが気にくわないのか、ある程度顔が修正された、盛られた普通の写真とは言い難いやつになった。


「なんか目でかくない? なんか俺気持ち悪くない?」

「うーん。大丈夫! 千草はかっこいいから!」


 かっこいいだなんて照れますなぁ。


「じゃあいくよ! はい! チーズ!」


 パシャッと音がなり、盛られた写真は画面に焼き付けられた。映し出された二人はただのカップルにしか見えなかった。


「もう一枚!」

「はいはい……」

「はいっ! チーーズ!」


 その掛け声の瞬間と共に、頬に柔らかく、そして温かい感触がした。ちゅっと鳴る音も一緒に聴こえた。

 無意識に手が頬を触る。


「今……? えっ……?」

「……うん。キスしちゃった」

「…………」


 え、えええええええぇぇぇ!? なにしてるんですかぁぁー!? 


「何で……なんでキスした……?」


 目を見開き、彼女を見やると自分がした事なのに、顔を赤く染め上げ、恥ずかしそうに視線を落として、もじもじとしている。



「そんなの……そんなの好きに決まってるからじゃん……」

 


 突然の告白に俺は固まった。

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