第二章:偽りの中で、君と

第1話:感情は変わる、少しだけ。

 月をまたぎ、もう十一月も二週目に入った所だ。


 何故こうなってしまったのか……。

 振り返ると不機嫌なあの日以降、彼女は昼休みになると俺のいる一年の教室にやって来るようになった。一緒に弁当を食べる為に。

 初めの頃は、恥ずかしそうに俯いて「千草……くん……いる?」という感じで殊勝しゅしょうな感じで来ていたのに、今となっては堂々と来る。あの頃の健気さは可愛かったのに、一週間もすれば慣れてしまったのか、変わってしまった。いっそ清々しいけど。


 彼女はこれも作戦の内だからと言っているのだが、本当かよとつい思ってしまう。ただ単に教室に居たくないだけでは? とも思う。でも一応、噂の中では俺たちは付き合ってる設定だ。それに合わせるように偽装カップルしてるのも事実。だからまあ実質彼女には違いない。

 結局のところ彼女が偽ってた頃と同じことをしてしまっている事に、少し悔恨している。


 できるのであれば、早めに噂の根源をあぶり出し、撤回してもらう必要がある。

 撤回したところで、無意味だとはわかっている。だから今やってる偽装カップルは大多数の人間の印象をガラリと変えるためにやっているのだ。


 この印象操作が功を奏し、一年のうちのクラス間では割と良い感じのカップルにも見えるとか、噂自体も具体的にこうやって付き合ってるところを見るのも初めてかもという声が出てきており、今の所はうまく行っている。あくまでも一年の俺のクラスだけなんだけどね。


 霞の作戦はうまくいっている。それに限る。一番自分を変えたかったのは、やはり彼女なのだと改めて思った。

 もちろんのことだが、有川きさにも見られる。教室で弁当食べてたら、そりゃそうだわな。


 この事を知っているのは、疑われるのがめんどくさいので晴人に話しておいた。

 きさにも話した。俺からではなくて、晴人から。

 なので今のこの現状が受け入れられている。と思うんだけどその視線はすごく怖くて。いつか刺されてしまうんじゃないかとビクビクしながら生きている。


 そろそろ来るなと思い、教室の後ろの扉を見ていると、ゆっくりと横にずれて開く扉。

 その奥から元気な声で彼女は登場する。


「千草! 来たよー!」


 誰も呼んでないんですけど。あなたが勝手に来てるだけであって、俺は決して呼んでいない。だから俺が呼んだみたいに言うのやめて。

 でも無視するのは可哀想なのでちゃんと返事はする。

 とてとてと小走りで、机に向かって来る姿は少しだけ愛くるしい。


「お疲れ様」

「霞先輩なんか今日いつもより元気ですね」


 晴人が机に肘をつきながら話しかけた。

 ここ最近の昼休みは俺の席でご飯を食べているので、後ろに座っている晴人も必然的に親友なので紹介するわけで。それから晴人の席で食べるようになったけど。

 まあ別に? 仲良くなる事はいいんですよ? 全然いいんだよ? うんうん。俺がいなくても成立するのはちょっとね? 少しくらいね?


「そうなの! 今日は放課後、千草とデートなの!」


 ほぇーっと晴人は目を見開き、こちらを見てくる。うざいからこっち見んな。


「でもそこまでする必要あるんですか?」


 どういう事情かは知っている。それを晴人が知ってる事を彼女も知っている。だからこそ、晴人は『そこまで』と聞くのだろう。それには俺も同意見だ。

 わざわざ人目が付きにくい場所で二人でいても意味はない。見られる事を目的にするならば、学校内で完結しているはず。

 必要以上に一緒にいると此方こちら彼方あちらの視線が気になって仕方ないんですが? その辺はどうお考えで?


「お互いをもっと知らないと雰囲気っていうかな? 出ないじゃん。私達を俯瞰して見たらさ、あからさまにこの人冷めちゃってるし、私だけが千草を好きみたいじゃん?」


 指をビシビシと俺の肩に当てながら指摘して来る。

 えっ? 違うの? 


「だから千草と一緒にいる時間を大切にして、千草にはもっと私の事知ってもらわないと。私は私であって、私じゃないの」


 それはとても遠回しな言い方で、晴人には伝わったのだろうか。と考えながらご飯を口に運んだ。


「はぁ。互いを知ることが大切なんですね? でも先輩。一つだけ言っておきますよ。こいつはそんなことしなくてもわかってると思います。ちゃんとした尺度で見てくれるんです。だから俺はあなたたちの味方でいます」


 頬をぽりぽりと掻きながら、少しばかり気恥ずかしそうに言った。

 それを聞いた俺もなんだか恥ずかしくなり、唐揚げをほうばりながら窓の外に視線を移した。


「あはははっ! そんなことわかってるよ。晴人くんさ、本当はわかってて言ってるんだよね? 一線引くのはやめてほしいなぁ」


 彼女は笑いながら言うが、本心はどうだ。目が笑ってない。最後の一言は酷く冷たい言い方だった。

 一瞬で場が凍りつく。晴人はそれにびびったのか、しゅんとしてしまった。

 明るかった雰囲気が一気に霞ゾーンへと吸い込まれていく。


 ふと、屋上で会った日のことを思い出す。

 まだ彼女は虚像で作り上げた自分が抜け切れていない。彼女は少しばかりきつくなると言うか言葉の一つ一つが迂遠な言い方をする。これ以上は言わせまいと。仕方のないことではあるが、俺以外の人にもその足枷となってる偽りの自分を外して関わってほしいと切に願うばかりだ。


「すいません。気持ちはわかってるつもりなんですけど…‥…」


 彼もまた優しい。俺に気を使ってくれてるんだと思う。


「うんうん。言いたい事はわかるよ。でもね、晴人くん。この時間は永遠には続かない。だから君に言われても私はやめない」


 晴人の言葉の意を捉えて、それをわかった上で次の言葉を決めている。怖い人だ。敵には回したくないなぁ。

 流石に晴人が可哀想になってきたので、足で彼女の脚をちょんっと小突く。

 ハッとした彼女は、申し訳なさそうな顔をして、話題を変えた。


「そっ! そういえばさ! 千草って誕生日いつなの? 秋っぽいけど!」

「今日何日だっけ?」


 晴人に聞くと「自分で確認しろよ」とぶつぶつ言いながらも携帯を取り出し、確認する。


「あっ、今日十一日だわ」

「と言う事らしいです。今日ですね」

「え!? 今日!? ポッキーの日じゃん! 私プレゼント何も用意してないよー」


 俺は最後までチョコたっぷり派です。ごめんね。


「いや、別にいいです。祝ってほしいとか思ってないし。……それにもうずっと前から祝ってもらった記憶もないし、自分の誕生日なんてそんな特別感ありません。ごく普通の平日と何ら変わりないので」


 思い返せば、いつから誕生日が特別じゃなくなったんだろう。

 最後プレゼントを貰ったのは————


「じゃあさ! 今日のデートで千草のしたいことしよ! 欲しいものがあればプレゼントしてあげる! 何でもするよ!」


 考えていると遮るように話を進める。霞は嬉しそうに言うのだ。まるで自分の事のように。

 それに何でもするよとは? あんな事やこんな事でも? 今日穿いてるパンツも見せてくれるっていう解釈でよろしくて?


「マジで何でもしてくれるのか?」

「うんうんっ」

「おい、千草。顔が下心丸見えだぞ」


 はいそこうるさいですっ! 今は俺の時間なんですぅ。


「じゃあ今いい?」

「なになに?」

「パンツ何色? 見せてみ?」


 視線で霞に合図を送る。晴人は何言ってんだよと呆れていた。

 合図を受け取った霞はにやりと笑みを浮かべて、こくりと頷く。


「またそれー? しょうがないなぁ。うーんっと今日はね……」


 スカートを徐々に捲り上げ、曝け出されていく太ももは凄くえちえちで、わざと聞いた俺もつい固唾を飲み込んだ。


「ちょちょちょちょっ!! 何やってんすか!! ここ教室ですよ!?」


 それを見兼ねた晴人は立ち上がり手を伸ばしながら、少し視線を逸らして静止する。


「あははははっ!」


 霞は笑いをこらえていたのか、持っていたスカートを離して腹を抱えながら笑い始めた。思わずつられて俺も笑ってしまう。

 わざと彼女に捲るように合図をしたのだ。さっきの重苦しかった雰囲気を壊すために。


「くくくっ! 焦ったか晴人?」

「驚きすぎだよっ。晴人君もピュアだねぇ」

「本当にあんたら何なの……」


 げんなりとする晴人は面白かった。普通だよ。その反応が。

 俺は少し安心した。彼がちゃんと静止してくれて。


「ちなみに! 今日は紫だよ!」

「おっ! えちえちぃ!」

「そのノリやめてくれぇー」


 暗かった空気が一気に明るくなる。

 普段からこう言う時間が増えていけば嬉しいと思った。

 彼女が仮面を外せるのはいつになるだろうか。

 今の笑顔は幸せそう。作った笑顔じゃないのは確かだ。

 この時間は永遠には続かない。彼女が言った通りで、いつかは終わる。

 そんな日を迎えるのが、少しだけ嫌だと思ってしまった。

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