第9話 右衛門の恋

 右衛門は1人函館に残っていた。エリカが亡くなり、東京で大震災が起きた。

 右衛門は元町にある、北海道坂本龍馬記念館にやって来た。龍馬は蝦夷地を目指していたようだ。『大正湯』というピンク色の和洋折衷の銭湯にも入った。夕飯は『五島軒本店』でカレーを食べた。

 右衛門はタイムマシンがあるとの噂を聞いた。禿頭の客から聞いた。そいつに乗ってエリカの生きていた時代まで行って、仲間にすれば何とかなるんじゃないか?

 右衛門が生まれた時代は比較的平和だった。

 寛文3年(1663年)の1月7日生まれた。

 同じ年の3月8日の巳の刻に、長崎市筑後町で火災が発生。その火は北風に煽られ、周囲の町へと広がっていき、長崎市中のほとんどを焼き尽くす大火災となった。


 この火災は筑後町に居住する浪人・樋口惣右衛門による放火が原因だった。日頃から鬱々としていた惣右衛門が発狂して自宅の2階の障子に火をつけ、隣家の屋根に投げつけて発火させた。当時の家屋のほとんどの屋根は茅葺だったため火の回りが速く、市街57町、民家2900戸を焼き尽くす大災害となり、長崎奉行所もこの時焼失した。この火事は放火された日の翌朝午前10時まで約20時間続いた。


 函館で派遣社員をしてるメグミは姉の統合失調症の治療のため、工場の退職金をつぎ込んで闇で魔法を求めようとするが、失敗。

 その直後、姉が何者かに拉致される。さらに、手術の費用は闇組織に奪われ、既に彼女の手元にはなかった。


 仕方なくメグミは、同じ派遣会社に通うモモカと共に身代金誘拐を企てる。ターゲットは会社社長ヤスダ・ユウマの幼い娘だった。


 誘拐は成功し、2人はヤスダに身代金を要求する。別段危害を加えようとはしない2人に、幼い娘のヨウコもそれなりに懐き、全てはうまくいくかに見えた。

 しかし姉のランは、妹が彼女を救うため犯罪行為に手を染めたことを知り、悲嘆のあまりゾンビ化してしまう。妖怪族には改心して人間になったものの、悲しいことを引き金に化けの皮が剥がれる者もいた。

 メグミとモモカはゾンビ化したランをやむなく射殺する。

 メグミとモモカが使った拳銃はルガーP08だ。ヒューゴ・ボーチャードが開発した大型拳銃ボーチャードピストルを原型にゲオルグ・ルガーが改良・開発したもので、自動拳銃黎明期の成功作の一つであり、支点で二つに曲がって伸縮する“トグルアクション”式機構が大きな特徴である。その独特な機構の動きから、尺取虫の愛称で呼ばれた。

 口径は9mm、装弾数はシングルカラム・マガジンによる8+1発である。

 使用弾薬は9mm×19パラベラム弾であり、20世紀から21世紀にかけて自動拳銃用の弾丸として広く使われているこの拳銃用弾薬は、元来はこの銃のために開発された。「パラベラム」とは、ラテン語の「Si vis pacem, para bellum(「平和を欲するなら戦争に備えよ」という箴言)」から採られており、「戦争に備える」の意味である。


 スーパーで買い物してるとき、右衛門はメグミとモモカと知り合う。

「なかなか可愛い奴だ」

 ニンジンを穴に入れて可愛がってやりたいな?なんて変態チックなことを右衛門は思っていた。

 2人が誘拐犯であるなんて湯の川温泉の『しおさい亭』って旅館に来るまで知らなかった。展望大浴場からは津軽海峡と函館山が一望できた。湯から上がって部屋で一杯やろうかと思ってると、浴衣姿の美しい2人が入ってきた。生足に右衛門はうっとりしていた。

「ウチら故あってヨウコって子を誘拐したんです。小樽にあるアジトに監禁してたんですが、夕食をとって戻ると消えていたんです」

 日本酒を飲みながらメグミの説明を聞いた。

「いけねぇな?悪いことは」

「もしかしたらヨウコのパパが取り戻しに来たんじゃ?」

 モモカが言った。

「どうだろ?スーパーに来る前に撃たれそうになったんです。もしかしたらお姉ちゃんを誘拐した奴らかな?」

 メグミの姉、キミカは心の病らしいが病院からいなくなったらしい。

「江戸時代に連れて行ってやる」

 右衛門が言うと2人は顔を見合わせて、苦笑した。

「日光江戸村じゃなくて?」と、モモカ。

「何だそれ?」

「栃木県の日光にあるテーマパークです」

 モモカが教えてくれた。

 右衛門はディズニーランドくらいしか知らなかった。

「ホンモノの江戸時代だ」

「おじさん、頭大丈夫?」と、メグミ。

「儂は江戸時代からやって来た。儂が生きていた頃ならタイムスリップできるんじゃ」

 

 ってなわけで、右衛門はメグミとモモカを連れて江戸時代にやって来た。タイムスリップすると簡単には元の時代に戻れない。

 モンスターを倒さないといけなくなる。

 1664年4月30日(寛文4年4月5日)

  江戸幕府が寛文印知を発給し、全ての大名の所領の範囲を確定させる。

 右衛門はメグミたちと亀戸神社にやって来た。寛文2年に菅原道真の末裔、大鳥居信祐が太宰府天満宮より勧請。春は梅やフジの花、秋は菊が咲き乱れる。

「ここは花の天神さまと呼ばれているんじゃ」 

「右衛門さん、助けてくださってありがとう」

 メグミにお礼を言われた。乳揉みたい!

 モモカのお腹がグーグー鳴った。

「江戸って何が美味しいんですか?」と、モモカ。

「寿司、水菓子……いか焼きなんかも美味いな」

「水菓子?」

 モモカがきょとんとしてる。

「フルーツのことじゃよ」

 江戸に料理屋が出来たきっかけは、明暦3年(1657)に起きた明暦の大火だ。浅草寺の門前で、町の再建のために集まった大工や職人に『奈良茶飯』と呼ばれる料理を出したのがはじまりだ。

 右衛門は享保3年(1718)に移動して、両国にある『もゝんじや』って店にやって来た。ももんじとは百獣(ももじゅう)に由来する言葉、つまり獣肉料理屋だ。猪鍋や鹿刺身などをたらふく食べた。

 同年、新本義民騒動というのが起こる。備中国下道郡(現在の総社市)で起こった農民一揆、民衆騒動である。この事件で犠牲となった4人の村民を義民四人衆と呼ぶ。岡田藩5代目藩主伊東長救の時に起こった。


 慶長20年7月(1615年)、岡田藩初代藩主・伊東長実が藩領の備中国10か村にある村民の共有林である入会山を順次取り上げ藩有林としていった。岡田藩領であった同国下道郡新庄村・本庄村(現・総社市新本地区)においては1661年(万治4年/寛文元年)頃より入会山の藩有化が行われた。藩側は山を造林し、「留山」として村民の入山を禁じた。


 さらに約50年後の1716年(正徳6年/享保元年)頃には、残されていた共有山であった新庄村の大平山・本庄村の春山の大部分を取り上げた。また、造林を伐採し、割り木・用材とし、それを藩庁のある同郡岡田村(現・倉敷市真備町岡田)まで運搬することを村民に命じた。それに伴い村民に支払われる運賃は、1駄(約42貫)4分5厘という低い額であった。


 低賃金の上、重労働・農作業その他生活の時間が奪われることになり、生活に支障を来す事態となったため、新庄・本庄両村民(203人とされる)は会合を開き、留山とされた山の返還と割り木・用材運搬の中止を嘆願することを決意。それらを主な内容とした三箇条の嘆願書を作成し、享保2年(1717年)に藩側へ提出した。しかし藩と村民の意見は対立した。


 この事態に同郡川辺村の蔵鏡寺住職など識者が仲裁を行い、数度にわたる藩側と村民側との話し合いが行われた。結果、一部の山を開放し、下草を取ることが許可された。同年3月15日、村民側は会合を開き、開放に制限があることに不満があるも譲歩し、これを受け入れた。しかしながら、村民は全留山の開放を求めることを誓い、神文誓書を作り、鎌で切った指の血で署名し、これを本庄村にある稲荷山の大岩の下に埋めたといわれる。4月14日、住職等の協力の下、藩と村民の間に正式に調停が成立。役人が来村し、山の引き渡しを行った。


 翌享保3年(1718年)、藩側が開放許可された山において、許可していない木々の伐採行為が行われていることを疑い、取り締まりを強化。同年12月30日に盗伐が発覚。藩は盗伐調査を行い、盗伐者の出頭を命じた。しかし、村民からは誰一人として出頭する者はなく、藩と両村民は激しく対立することとなり、庄屋が投獄される事態になった。村民は江戸の屋敷にいる藩主・伊東長救に直訴を決め、松森六蔵・荒木甚右衛門・森脇喜惣治・川村仁右衛門の4人を村民代表として選出、要求書を持たせ、同年2月13日に江戸の藩主の元へと派遣した。数日後、4人は無事江戸へと到着し、藩主への要求書提出を成功させた。


 嘆願要求は、ほぼ内容通り実現されることとなったが、それと引き替えに4人の村民代表は反上の罪により処刑、その家族は国外追放、さらに財産没収および家屋取り壊しとなることとなった。享保3年6月7日(1718年7月4日)、新本川の飯田屋河原とよばれる川原で、村民の目前で4人は打ち首によって処刑が実行された。享年はそれぞれ六蔵77、甚右衛門44、喜惣治36、仁右衛門44だったとされる。なお、処刑こそ逃れたが、罪に問われた者は多く、60名弱に及ぶ。


 村民は4人を義民と呼び、厚く弔い、それぞれの出身地、仁右衛門は本庄村稲井田集落、他の3人は新庄村小砂集落内(西明寺)に墓を建てた。現在も墓が残っている。

 

 またこの時期、享保の改革が断行された。第8代将軍徳川吉宗によって主導された幕政改革だ。名称は吉宗が将軍位を継いだ時の年号である享保に由来する。この改革は延享2年(1745年)まで続いた。

 

 主としては幕府財政の再建が目的であったが、先例格式に捉われない政策が行われ、文教政策の変更、法典の整備による司法改革、江戸市中の行政改革など、内容は多岐に渡る。江戸時代後期には享保の改革に倣って、寛政の改革や天保の改革が行われ、これら3つを指して「江戸時代の三大改革」と呼ぶのが史学上の慣例となっている。


 江戸幕府を警護する鉄砲隊・百人組にクレナイ・ケイマは所属していた。平時は城内の百人番所に詰め、非常時には将軍が甲府に逃げる際の護衛を果たしていた。機動力を確保する目的で、同心屋敷を甲州街道に配置した。ケイマはお江戸八百八町・千駄ヶ谷の屯所に務めていた。

 江戸では、規律と忠誠を重んじる人間に代わり私欲を求める人間が台頭していた。古い武士道を重んじるケイマは、私腹を肥やす大岡忠相によって都に呼び出される。


 暗に賄賂を要求されたケイマは儀礼的な献上品を贈るだけで、忠相の要求を拒否する。侮辱されたと思い込んだ忠相は、権勢を誇示するためケイマを宝物庫に呼び出すが、逆にケイマに政治姿勢を非難される。

 しかし、老齢のケイマは発作を起こして倒れ、大岡忠相によって杖で打ち据えられ、これに対し刀で反撃したため反逆罪に問われてしまう。裁きの場で忠相と彼を重用する皇帝を批判したケイマに対し、吉宗はクレナイ家の廃絶を決定する。さらに、忠相は決定に異議を唱えたケイマを憎く思い、コジマ・サスケ隊長にクレナイを処刑するように命令する。躊躇うサスケに対し、ケイマは「迷惑かけたな?おまえに斬られるなら本望だ」と死を迎え入れる。

 サスケは泣く泣くクレナイを処刑する。処刑後、クレナイ一族は領土を追われた。

 復讐を恐れた忠相はサスケを監視するように右衛門に命令する。


 1年後、かつての百人組の面々は都で新しい生活を営んでいたが、サスケだけは新しい生活を送ろうとせず、酒と女に溺れる日々を過ごしていたため、かつての部下や妻からも愛想を尽かされていた。

 一方、復讐の恐怖に獲り付かれた忠相は他人を信用しなくなり、自身の館を要塞化し、吉宗を脅迫して護衛の兵士を供出させていたが、しばらくすると吉宗から「自分よりも過剰な警備をするな」と命令されてしまう。

 忠相はサスケを殺すように命令するが、監視を続ける右衛門から、サスケがクレナイから託された刀を売り払ったこと、娼婦にされたクレナイの娘に関心を示さなかったことを根拠に「復讐されることはあり得ない」と断言する。

 それを聞いた忠相は館の要塞化が完了したこともあり、サスケの監視を止め、増強していた兵士も吉宗に返還する。


 監視の解けたサスケは部下たちの元に向かい、忠相の館を襲撃することを告げる。忠相への復讐を果たすため、自堕落な人間を演じ部下との接触も最小限に控えて監視を欺いていたサスケは、恋人メグミが取り戻したクレナイの刀を手に、忠相の館を襲撃する。

 そば屋に扮して忠相の館に出入りしていた部下からの情報と、吉宗の協力を得たサスケたちは、多くの同志の犠牲を払い右衛門率いるザコキャラを次々に討ち破った。

 しかし、右衛門は吹雪を起こしてサスケの視界を奪う。モモカの放った吹き矢がサスケの首筋に突き刺さり死んだ。

 

 右衛門は忠相や吉宗から金銀財宝を賜った。目の上のたんこぶであるメグミも林の中に誘き寄せて、モモカが吹き矢で殺した。

 

 

 函館署殺人課のOB、リキマル・ルリは病に倒れた一人娘のレイカを病院に連れて行こうとする。

 しかし家を出たその時、何者かが彼女を狙撃、レイカは母の腕の中で息を引き取った。

 規則によりルリは事件を調べることを許されなかった。

 ルリは自分に個人的な恨みを持つ者による誤射と睨んだ。

 

 函館署殺人課の巡査のロクジョウが自宅で首吊り自殺した。彼の遺書にはギャングのワキサカ一味が市政を牛耳っていること、自分もそれに関係していたことなどが書かれていた。ロクジョウの妻アキコは警察へは病死と偽って報告する一方、遺書を利用してワキサカを恐喝する。


 ルリはロクジョウの死因に疑いを持っていたが、ロクジョウと駈け落ちの約束をしていた酒場女イズミがギャング一味に殺されたことから疑いは一層深まった。


 だが、ルリはウキタ署長からこの事件から手を引けと命じられた。警察上層部にもワキサカの手が及んでいたのだ。しかし、ルリはそれを振り切って捜査を進める。

 すると、ワキサカは彼の夫エイジを事故に見せて殺してしまう。これに怒ったルリは右衛門に協力を要請する。


 右衛門はワキサカの子分オジマの情婦カオリに接近した。オジマはカオリと右衛門の仲を疑い、嫉妬のあまりカオリの顔にタバコを押し当てて拷問する。


 カオリはワキサカを射殺して、さらにオジマを待ち伏せして催涙スプレーを浴びせた。


 怒ったオジマは彼女を撃ち、逃亡しようとしたが右衛門に追われ、拳銃戦の末、ついに捕縛されたが、カオリは死んだ。


 右衛門年表

 1663年 生まれ

 1703年、赤穂浪士討ち入り(40歳)

 1733年 70歳没

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