第18話 FINAL SHARK 1/3

「ん……」

 メグがうっすらと意識を覚醒させる。

 全身を包む強烈な倦怠感。

 背中や腰にちくちくと刺すような痛み。

 瞼が鉛のように重い。

 できればこのまま寝ていたいところだが、そんな場合でないことはぼんやりとした意識の中でもはっきりと覚えていた。

 辛うじて瞼を開く。目に飛びこんできたのはギラギラと照りつける太陽、それにそいつを反射して輝く視界いっぱいの海だった。波が優しい音色で耳を触る。

「アレク……」

 隣では昔からよく知った男が腕を枕にして寝っ転がっていた。

「起きたか」

「ここは?」

「メガロドンの背中だよ。死体だけどな」

 真っ黒いザラザラした地面は寝るに適さない。上体を起こす。

「サブマリンはどうなった」

「電気系統がイカレてる。なんとか修理できそうだが、ま、ちょっと休憩中だ」

「そうか。のんびりしてるな。やはりおまえはなかなか大物……あれ?」

 意識の覚醒が進むにつれ、体力の消耗がそれほどではないことに気がつく。さきほどメガロドンの中ですべての力を使い果たしたはずだったが。

 アレクはメグが手を握ったり広げたりしながら首を傾げる様子を見て察したらしく、質問されるよりも先にメグに答えを返した。

「ビショップフィッシュにむりやり治させた。もう逃げちまったけどな」

「なるほど。ありがとう助かる」

「なあに」

「どれくらい寝ていた?」

「三十分ってところ。なんかブツブツ寝言いってたけど夢でも見てたのか?」

 メグはすっくと立ち上がりながら答える。

「昔の夢を見ていた」

「どれくらい昔?」

「おまえと初めて会ったときだ」

 アレクはブフっと吹き出すように笑った。

「それは随分と昔だな」

「ああ。いい思い出だ」

「いい思い出ねえ……こっちはキツかったんだぞ。おまえを笑わせろなんて無茶ぶりされて」

「キツいたっておまえは基本なにもしていなかったぞ」

 メグはすこしだけ頰を緩めてアレクを見下ろす。

「だってどうしたらいいから分からなかったんだもん。毎日砂浜でボーっと歩いてるだけのおまえをよ。話しかけてもなにも答えないし。そのクセ飯だけはやたらに食う」

「そうだっけ。わたしとしては結構楽しかったような記憶なんだが」

「まあいいけどよ……」

 当時のことを振り返ると、確かに一緒に貝拾いをしたり砂遊びをしたような記憶がよみがえってくる。終始無言ではあったがつまらなかったかというとそうでもない。

「俺がようやく課題をクリアしたのはアレだよな」

 アレクはあのときの夕陽の落ちた海岸をアタマに浮かべた。

「いつものように海岸をボサ―っと歩いている所に急に大波がやってきて」

 彼にとって少女が海に吸い込まれていく光景は未だにちょっとしたトラウマである。

「あのときのアレクはかっこよかったな。なんていうんだっけ? あのワザ」

「THE・ファイナル・シャークモード・メタモルフォーゼングだ」

「長いな。そして語呂が激烈に悪い」

 あのとき。人鮫ではなくサメそのものの姿に変化して飛躍的に航行能力を上げる『THE・ファイナル・シャークモード・メタモルフォーゼング』を用いてアレクはメグを助けた。

 メグにとって彼の背中に乗って泳ぐことはとても心が躍るものであったらしく、そのとき初めて彼女は大きく口を開けて笑った。

「なんで最近やらないんだ?」

 それ以降、彼はことあるごとにTHE・ファイナル・シャークモード・メタモルフォーゼングをやらされた。やらなければぎゃんぎゃんに泣くのでやるより他なかった。

「……恥ずかしいからだ」

「なぜ?」

「そりゃおまえ。あの姿を見られるのはな、ヒューマンの女性が裸を見られるのと同じことなんだ」

「……よくわからんがすまなかった。まあわたしもしょっちゅう裸を見られていたのでおあいこということで」

 アレクは別にいいよ。と苦笑した。

「まあ、あれがいい思い出なんだったら良かった」

「うん。だが子供の頃というと肌荒れがひどくて。いい思い出よりもそのことがアタマに浮かんでしまうな」

「ぶっちゃけ俺から見るとそんなに荒れてるようにも見えなかったが、なんか気にしてたな。そんでいつの間にかキレイになっていた」

「努力の賜物だ。まだ満足はしていないが」

 メグは自分の頬をそっと撫でた。

「アレクは子供の頃はけっこう泣き虫だったな。いつも『シャチ人族』にいじめられて」

「……いやなことを思い出させるなよ」

「くくく。今思えば可愛かったよ」

 アレクの隣に座ってそっとアタマを撫でる。

「うるせー。おまえだってしょっちゅう夜中に泣いてたじゃないか。さみしいとかいって大泣きしては、俺かオヤジの布団で寝ていた」

「そうだったかな」

「あれはなにがさみしかったんだ?」

「母親のことを思い出していた。人間の方のな」

 メグはボサボサになった髪の毛をゴムでくくる。

 憂いを纏った横顔。

 アレクはかけるべき言葉が思い浮かばずにしばらく沈黙していた。

 メグはそんな彼のびみょうな表情を見てくすりと笑う。

「――ところでアレク。いつまでもこんなにのんびりしてていいのか?」

「まあ焦っても仕方がない。ゆっくり作戦を考えよう」

「そうだな」

「俺としては――」

 アレクが上体を起こした瞬間。

 ――タタッ!

 メガロドンの上に降り立つ足音がした。

「こんにちはー!」

「久しぶりだね」

「……はええよ」

 アレクとメグは慌てて立ち上がる。

 降りたってきたのが優男の勇者と、ロリ巨乳美少女のシャークチューバーだったからだ。

「さあいよいよ始まります! 正義の美人シャークチューバーとそのせくふれの勇者VSヘタレ鮫の最後の闘いが!」

「どうもせくふれ勇者です」

 ヒカリはいつもの勝負服、勇者はいつ着替えたのかブルーメタリックに輝くアーマーを身に着けていた。

 メガロドンの周囲の水面も既にサメの背ビレで埋め尽くされている。

 どうやら既に逃げ場はない。

「ああ。周りの子は気にしないでね。手を出させる気はないから」

 ヒカリの腹の傷はすっかり治っていた。

「意外とフェアなんだな。ちゃんと二対二で闘うなんて」

「二対二? ああそっか」

 パチンと手を合わせる。

「話が途中だったんだっけ? キミを絶望させてあげるって話」

 ヒカリがそういうと勇者がアレクに向かってちょいちょいと手招きをする。

 はてな? 首を傾げるアレク。

「あ、ごめんキミを呼んだわけじゃないんだ。おいで」

 勇者に呼応して、アレクの後ろに立っていたメグがゆっくりと勇者とヒカリの方に歩き出す。

「メグ?」

「ようこそ」

 メグは勇者の正面に立つとクルっとターンしてアレクの方を振り返る。

 勇者はその首に手を巻きつけると、マントの上から胸を触った。

 メグは無表情のまま。しかしいっさい抵抗をしない。

 ヒカリが体をのけぞらせてキャハハハと笑った。

「驚いてる驚いてるーーー! 驚きすぎると言葉がまったく出てこなくなるタイプだ? あの宴会のあとに交渉したんだー」

「まあ結局はアレだね――」

 勇者はメグの頬に口をつけた。

「彼女は人間ってことだ。キミみたいな生臭い魚類なんかよりも僕のほうがいいってことだ。ね?」

 メグがゆっくりと頷く。そのまま下を向いてアレクの顔を見ようとはしない。

「えー。それって私のこともバカにしてない?」

 勇者はふくれっつらのヒカリの首筋に唇を押し付ける。

「そんなことないよ。ヒカリちゃんはほとんど人間じゃない。ぜんぜんにおったりしないし」

「それならいいけどー」

「それにさ。原因はわからないけど。ヒューマンが人鮫族と一緒に過ごしたり、人鮫族由来のワザをやたら使ったりするとどうも肌が荒れちゃうみたいだよ」

 アレクはそれを聞いてほんのわずかに眉をひそめる。

「僕についてくればこういったものも簡単に手に入るしね」

 勇者が胸部アーマーの中から取り出したのは、メグ憧れの化粧品『ルフラボンのレモンクリーム』のチューブだった。ちょっと中身をひねり出してメグの顔に塗るとすぐにしまった。

「ふん。ここまでやるんだったらついでに俺も仲間にしたらよかったのに」

「ヤダなあ。AJくん。バトルシーンが無いと視聴者数が伸びないじゃない」

 目を閉じて放送にアクセスすると既に視聴者数は五〇〇万人を超えていた。

「ねえねえ今どんなキモチ? どんなキモチ? 幼男時代からのカキタレを寝取られてさあ。ちょっと視聴者のみんなに教えてあげてよ!」

 アレクはアタマを抱えた。チラっと一瞬だけメグの方を見る。その表情からはなんらの感情の伺い知る事はできない。

「……もういいだろう無駄話は。早くやろうぜ」

「やるってどう風に?」

「どうもこうも無い。全員殺す」

「目ェこわ!」

「まあまあヒカリちゃん。まずは僕が一人でやるよ」

 勇者が前に数歩出てアレクの前に立つ。

「一人でまず大丈夫だとは思うけど。あぶなくなったら助太刀してね」

「……卑怯だな。最初から三人の方がまだ清々しいぜ」

「それがどうしたの? キミに卑怯だと思われてても僕にはなんの損もないけど?」

「……そりゃそうだな。つまらんことを言った。俺も別に一人で闘うってわけじゃないしな」

「サメトモサモン。でしょ? 早くしなよヒキョウモノ」

「やってやるよ。正義の味方」

 アレクは例のものすごい大技を出すっぽいポーズをぶちかました。

 いままででももっとも大きな『穴』が空間にぽっかりと空き、アレクのトモダチが召喚される。

「でっか!」

「なんだいこれは。ギャグみたいな生き物だね」

 アレクが巨大なラグビーボールでも抱えるように脇に抱えるのは同じサメ族の仲間のようだった。

 体型などはホホジロザメのような一般的にイメージされるサメと同型だが、異様に特徴的なのはその『歯』あるいは『顎』。なんと下顎全体がギギザギザのキバが生えた回転ノコギリのようになっている。

 この生物の名前は『ヘリコプリオン』。メガロドンと同様、古代に実在していたサメの一種だ。

 アレクは息を大きく吸い込み、そして叫んだ。

「さあかかってこいやこの偽善者ヅラァ! ブチ殺して大腸取り出して、いっかいよーくあらってから挽肉つめて、人間ソーセージにしてパンに挟んで一本三〇〇円でうりさばいてくれるわああああああああああああああ!」

 パシリザメくんらしからぬセリフに視聴者たちがざわめく。

 意外と数のいる隠れファンたちからは歓喜の声が上がった。

「おお! ようやく感情をあらわにしたねえ」

「当たりめえだクソ野郎! いいからテメーも早く出してみせろよ! これと似たようなヤツをよ!」

 アレクの挑発に乗り、勇者は黄金のチェンソーを取り出した。

「いくぞ――!」

「おいで」

 お互いの得物の『歯』と『刃』が高速で回転を始める。

 睨み合う両者。

 海上は沈黙に包まれた。

 視聴者たちも固唾を飲んで見守る。

 ・・・・

 ・・・

 ・・

 ・


 ――両者同時に地面を蹴った!

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