第2話 境界の向こう側 ~家守奇譚などより~

草間彌生展を観に行ったときのこと。

それどころじゃないような忙しいときに、益々忙しくしたくなってしまうのはなぜなのか…。

こういう展覧会で、作成者本人が生きているのも珍しいので、

音声ガイドを借りてみました。

草間さん自身が詩の朗読をされていたり、歌われていたり、

絵だけ見るよりもより深く鑑賞できてのではないかと思いました。


音声ガイドの中で、

「私は今まで死にたいと思わなかった日は一日もありません。

毎日、自殺したいと思いながらもなんとか思いとどまっています」

というようなことを言われていました。

以前河合隼雄さんの本を読んだときに、精神を病んだ人は普通の人がたどり着かないくらい深いところまで降りて行っている、というようなことを書かれていました。

そのままそこから帰って来られない人はいわゆる精神を病んだ状態のままでいる。

しかしそこから無事帰ってきた人は、その深いところでみたものを作品として残すことができる、というような内容だったと思います。

「芸術とは、無意識にあるものを見えるようにすること」

(ニーゼと光のアトリエより)、

などの言葉も、それと同様のことを示しているような気がしました。


さらに妄想すると、梨木香歩さんの『家守奇譚』に出てくるエピソードで、

大学の同級生がボートの練習中に行方不明になり、それが幽霊となって度々主人公の元に現れる、だけど死んだ理由はわからない、という状態で話が進んでいくのですが、

最後に主人公も、幽霊になった友人がたどり着いた世界へたどり着く。

しかし、そこで勧められた葡萄を食べずに、「私はまだ生きてすべきことがあるのだ」と言って帰って行く。

元の世界に戻ってから、

「ああ、彼はあの葡萄を食べたのだな」

と回想するシーンがあります。

これで書けると思った、というところで話が終わるのでした。

今まで自分がどういう基準で、本や音楽や絵を鑑賞しているのかあいまいな部分もあったのですが、

その世界まで行ったことのある人の作品は、やはり心惹かれるものがあるのだろう、

というのが今のところの結論でしょうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る