第二章 どうか私とワルツを。さもなければ熊とワルツを。

2.SIDE-A_1 好きが、過ぎる

――――――――――――――――――――――――――

 音楽評価・創作システムのもたらした最大の功罪は、音楽のアウトプットにおける他者性の再構築だ。


 音楽する「わたし」をふちどり、形作る他者や社会、そして世界を抽象化し、あらたなブラックボックスの中へと組み立てなおす。そして「わたし」は、そのブラックボックスと音楽することが可能になった。


 創作に対する評価を公正化し、創作者の成長を促し、価値の根拠を(人間に理解できる範囲で!)可視化する。それは共創が音楽として、勝負として洗練されていくうえで不可欠だった。

(そしてそれは、音楽の主体の座に人間が――疚しさなく――居座り続けるために必要な、装置だった)


 だが、総体としての音楽においてはどうか。

 音楽が、世界の世界自身に対する認知への干渉であるとするならば、果たして評価・創作システムとの音楽のやり取りにおける、主格とは何なのか?世界とは?他者とは?



――桐澤由宇理『音楽とは別の仕方で、あるいは音楽することの彼方へ』(二〇二九年)第二章より――


 *


 前章のあらすじ。


 告白、してしまった。


 *


「略しすぎ」

 僕のたどたどしく飛び飛びな説明に、師匠が突っ込みを入れる。

「もっとなんかいろいろあったでしょ、エリーゼを起動させたときに」

 師匠のじっとりとした視線から、目をそらす。本当はそらしたくないけど、そらさないと喧嘩売ってるみたいになるし。

 普通に、怖いし。

 もっとこう、雀とかの小鳥に投げかけるような、優しい視線でお願いしたい。


 僕と師匠、エリーゼの三人は、高等部の校舎の一角、人気のない廊下に身をひそめていた。エリーゼのケースが砕けた音を聞き、様子を見に来た先生たちから逃げてきたのだ。


「大丈夫、なんでしょうか。勝手にエリーゼ連れてきちゃって……窃盗とかに、ならないですか」

 経緯の説明に困った僕は、話を逸らす。

「だーいじょうぶだいじょうぶ。元はと言えば、私の先生のものだし。先生のものは私のものだし」

「はあ」

「ちょっと借りるだけだから。減るもんじゃないし」


 悪い人ほどそう言うのです。小学校時代の友達――えんぴつ型の消しゴム(名前まで書いていた!)を返してくれなかった大泥棒を思い出しながら、僕は内心独り言ちた。

 エリーゼはずっと黙っている。


「――渡せない」

 喉の奥で、声が重く、低くくぐもった。

「これは、渡せないよ。状況から考えて、この子がなにか重要な秘密を抱えているのは間違いないんだもの」

 声色に反して、師匠はいたって穏やかにほほ笑んでいた。翳りはとっくに失せていた。


 綺麗だ。

 本当に、目の前に、いるんだ。仮想空間上じゃなくて、現実に。


 僕は耐えきれなくなって、結局、師匠をじっと見つめていた。

 気品に満ちて輝く銀髪、きめ細かい褐色の肌、つんとした鼻梁に切れ長の瞳、大きすぎない口に薄い唇、尖った顎、細い首、その喉の奥から紡ぎ出される、響き豊かな声。


 全部好きだ。

 どうしよう。

 どうしようもない。


 泣きそうになって、やっぱり目をそらす。少し骨ばった、右手の指と右腕が目に入る。


 僕の視線から逃げるように、師匠は立ち上がり、僕に背を向けた。腕はだらりと垂れ、背中はすらりとして、でも狭い。その向こうから、声交じりのため息が聞こえた。

 そんな所作の一つ一つで、心の底、乾いた大地に、雨が満ちていくのがわかる。


「好きです――あ」

「守上君、それしか言えないの?」

 振り返りながら、師匠が僕を流し見る。

「もう、十回目だよ――厄介だなあ」


 厄介。

 心底めんどくさそうに、そう言われた。


 ――そんな。そんなこと言ったら。僕の感情、全部独り占めにしてしまうような、あなたの方がよっぽど厄介です!」

「後半、声に出てたよ?」

「ひえっ?」

「大声、出さないで」

 振り返りざまそう言って、師匠は僕の鼻先に指を突きつけた。声は真面目を装っていたが、口元は少し笑っていた。


「――んくっ、状況、整理していい?」

「はい、すいません」

 僕はうなだれるしかなかった。エリーゼは僕の隣で、口をかぱかぱ動かしていた。どうやら師匠の表情を、一生懸命真似しているらしかった。

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