1.SIDE-A_6 神の子と神

 鼓動が高まる。

 心音のバスドラムと動脈のタムが、僕と彼女の声に絡みついて、奇妙なグルーヴを生む。


 立ち上がり、近づいていく、声のする方へ。

 歌うことはやめない。


 廊下の奥から、ガラスの割れる音がした。彼女の声が大きくなる。


 窓の向こうから、夕暮れの近づく気配がする。濃藍のマントを引きずって、街へと迫ってきている。


 黄昏色に染まったガラスの破片を、僕は踏みつけにし、立ち止まった。

 割れていたのは、高さ二メートルはある、展示用ケースのガラス壁だった。

 薄暮を受けて、かすかに虹色に光っている。靴底の下でガラスの割れる音は、どこか窓を打つ雨のそれに似ている。


 枠だけになってしまったケースの内側に、座り込む人影。

 真っ白な少女がいた。

 雪のように白い髪と肌、そしてワンピース。紺碧の瞳。


 エリーゼ。


 心の中で、彼女の名前を呼ぶ。

 ある意味、この学校で一番の有名人。


 桐澤が死の直前に製作に携わっていた、音楽するアンドロイドムジカ・ジェネロイドの試作機。桐澤の死で完成に至らなかった彼女が、陵華芸大の高等部で展示されているというのは有名な話だった。

 こんなところにあったのか。


 まあ、そんなことは今はどうでもいい。

 そう思って僕は歌い続けた。相変わらず思いつくままに。エリーゼは、僕の心を読んでいるかのように、同じ音を奏で、ときにずらし、掛け合い、ハーモニーを奏でた。


 たった二人だけのアカペラ。

 なのに、心が躍った。師匠のさっきまでの演奏に負けないよう、四苦八苦しながらアドリブを頑張った。


 エリーゼの声を聴いていると、不思議と自分が次に何を歌うべきかわかった。本当は何を歌いたいのか、どうすれば歌えるのか、教えるでもなく教えてくれていた。

 胸の内を見透かされているような不快さは、不思議となかった。


 もし、こんな風に模試のときも演奏できていたら、あんなひどい結果にはならなかったのかな?

 少しだけ、胸の内が疼いた。


 自分を安心させるみたいに、僕はテンポを落とした。八分の六拍子で、子守唄でも歌うように、ありがちなメロディを、歌詞もつけずに、ラララと歌った。


 どこで聴いたんだろう、このフレーズ。

 そう思って、一度目を閉じ、開いた。


 次の瞬間。

 僕は薄暗い音楽ホールのなかにいた。

 客席を縦に貫く通路の真ん中。正面にはエリーゼが立っていた。


 瞳は、翡翠のような緑色に変わっていた。

 僕は、彼女の背後を見やった。


 ステージの上。

 革張りの椅子が一つ。


 男がひとり。端正な佇まい、撫でつけられた髪、人懐っこい微笑み、そして、凍り付いたように青白い肌。

 桐澤由宇理が、そこに座っていた。

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