1.SIDE-A_4 上出来

 教室から出ると、父さんから着信があった。耳の奥でぴこぴこアラートが鳴る。イヤホンジャックに付属のマイク付きワイヤーを、口元まで伸ばす。

 出るだけ出て、相手の反応をうかがおう。


「おはよう世の中!」

「……さよならGood Night」


 すぐさま切ろうとする僕に、父さんはいつもの間延びした声で追いすがる。


Waitちょっ a minute,待って waitちょっ a minute.待って。 You ain’t楽し heardみは nothingこれから yet!だぜ!

「父さん、ほんとそのセリフ好きだよね。『ジャズ・シンガー』だっけ、映画の」

「おまえも好きやろ?」

「セリフはね?映画の方は、あんまり」


 適当にはぐらかす。あんまり内面をごちゃごちゃのぞかれたくない。


 父さんは察しがいい――わけではない。だが僕とよく似ている。

 自分が生まれるより十年以上前の音楽を好きになるところ(父さんは八〇年代の歌謡曲、僕は二〇一〇年代前後のJ-POPが好きだ)。

 道は違えど、音楽に関わる仕事をしたがるところ(父さんは昔、とある感情インフラ企業の音楽部門で、ソフトウェア開発をやっていた)。

 そして死んだ母さんのことが、いまだに好きなところ。


 はぐらかせない。わかってる。よく似ているから、やっかいだ。


「疲れたか」

「うん」

「早く帰ってきな」

「夜行が出るのは、今日の夜中。岡山に着くのは朝だよ」

「わかってる」

「じゃあなんで訊いたの。切るよ」

「わかった」

「あのさ」

「ん」

「ちょっと、厳しいかもしれない」

「そうか。まあ、信じたとおりにやり」

「……切る」


 切った。


 もうやめな。

 あきらめろ。

 そう言ってくれたら、どれだけ楽だったか。

 でも、父さんは僕に似ている。だから、絶対にそんなことは言わない。


 *


 二十一世紀中盤、もはや音楽は、音楽家の専売特許ではなくなっていた。

 むろん、その傾向は前世紀終盤からのDTMの一般化、大衆化に端を発するものだが、それを確たるものにしたのは、音楽制作AIの発展だ。今やオンラインでもオフラインでも、耳にする音楽の大半はAIが創ったものか、AIの手を借りて人間が創ったものだ。


 それ自体は別に悪いことじゃないと思う。

 実際、音楽は、実に何世紀かぶりに、表現とエンターテイメントの主軸に躍り出ている。


 騒音に満ちた都市空間を、寂しいプライベート空間を、断続的に適切な音でチューニングし続けるため、つまり、音楽が人々にとってのインフラであり続けるためには、AIの力が不可欠だった。そしてそれは、難化しつづける仕事と勉学にまみれ、倦怠と緊張感にみちた世界を生き続ける人々の、心の支えなのだ。


 なにより、古い意味での専業音楽家の息の根を止めたのは、AIよりもむしろ、彼らの助けを借りた、新しい意味での音楽家たちのほうだ。

 例えば、共創家のような。

 彼らのパフォーマンスは、とにかく派手でかっこよく、しかもAIの助けを借りていることによる、おじさんおばさんなら感じてしまうであろう疚しさも、まったく気に留めない。

 先進的で、金の集まる仕事だ。そして、理論と同じくらい、直感とセンスがものをいう。


 これなら、自分にもやれるんじゃないか。

 これを極めれば、貧しい暮らしから抜けられるかもしれない。


 この受験会場は、そんな風に真剣に、あるいは浅はかに、思ってしまった連中の集いだ。


 *


 別に、自分だけじゃない。みんな必死にやってきてこのざまなんだ。

 ゾンビの群れに加わって、その感慨がより強くなる。

 重い足取りで出口へ向かう。


 みんなきっと、毎日毎日頑張ってきたんだ。


 毎日訓練用AIと共創して、ぼこぼこにされて、

 琴瑟相和以前に、そもそも演奏を成立させることすらできなくて、

 相手に振り切れっぱなしの評価値に落ち込んで、必死にカッコいいテクニックを探して試してそれでも変わらなくて、

 今日ここに来るのだって、本当は無駄だってわかってたやつの方が多いはずなんだ。


 僕だって、センスが悪いわけじゃないはずだ。

 自分のMinTSを経由すれば、あるいはゲーミングツール、例えばSpoolスプール上なら、もっと面白いものが創れている。

 あきらめるにはまだ、早いはずだ。


 今日は、こんなもんだ。明日から、また頑張れば――また?また?あんな風に頑張れと?


 自分の幼稚な能力を、自分の創作もどきは、所詮下駄をはかされたものだってことを暴露されて、これ以上どうしろってんだ。

 Spoolならなんだって?生活をして、街を歩いて、薄っぺらい自分らしさをモニタリングしてデータをためて、それを恥ずかしげもなくAIに曲にさせてるだけじゃないか。あろうことか、それをリアルな場所に紐づけて、ゴミ捨て場にしているだけだろうが。

 お前が創ったサウンドを、最後に誰かが聴いたのは、いつだ?どこだ?


 うんざりだ。

 あああもういい。

 もう何も考えたくない。

 今日はもうこれでいい。

 上出来、上出来なんだ――


「はーい、チェック、チェック、ワンツー」

 廊下の天井に取り付けられたスピーカーから、女性の声がした。ヴィオラのような声だった。心が一瞬で沈黙し、全身が耳になった。


「こんにちは、陵華芸大模試の受験生の皆さん。吹華銀凛です!」


 みんなスピーカーを振り仰いだ。

 校舎の外のスピーカーからも音が出ているらしい。家路を急ぐ受験生たちが、一斉に足を止めた。


「いやー、みなさん、今日は大変だったねえ。大変だったろうと思います。そんなみなさんに、伝えたいことはひとつ!


『――音楽は、決して、人から奪えない!』


 というわけで、今日は、この場にいるみなさんのためだけに、一曲、お届けします!」


どよめきが大きくなる。


「それでは、お聴きください――」


 彼女の沈黙が、スピーカーをブラックホールに変えた。僕らのざわめきは、残らずそこへ吸い込まれ、時間が止まった。


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