はじめに
はじめに
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共創とは何か。共創家とは何者か。
その問いに答えるのは簡単ではない。
音楽における共創とは、演奏形態であり、ジャンルであり、ライブでありレコーディングであり、即興であり実演であり、純粋なサウンドアートでありつつ総合メディア芸術であり、破壊的であり癒やしであり、一方的かつ双方向的、さらには至高にして猥雑で、ゲーム的で生真面目で――つまり、何でもありだ。
ルールはただひとつ。
他者――人間、ひいてはAIを始めとするシステムと向き合い、共に音楽を創り上げること。それだけだ。
どうかわかっていただきたい。
この音楽は、皆さんの認識通り、最先端のそれだ。
だがその魂は、はるか古来より受け継がれたものであるということだ。
――桐澤由宇理『第二回クラウドミュージッキング世界大会(ICMC)開会に寄せて』(二〇二六年)より――
*
音楽のない世界を、想像してみてほしい。
やってみれば、簡単なはずだ。
天国も地獄も、国家も戦争もない世界よりは、きっと。
スピーカーから、イヤホンから、街中から学校から、映画からドラマからコマーシャルから、そして口から、喉から、心から、音楽が消えた世界。
そこでは、あなたの足元には何のリズムもなく、頭上を飛び交うハーモニーもない。
孤独を慰める歌も、共に感じ合う交響もない。
音の上に踊ることも、信仰することも、愛を語ることもない。
全ての人々が、決定的な美をひとつ失った世界。
ただ必死に耳を閉じ、息を漏らすことさえ恐れ、生きるために生きている。
昨日までの僕なら言ったかもしれない。そんなの白昼夢だと。
ただあいにく、僕はそんな世界を、つい昨日まで目撃してきたばかりで、しかもその証人は僕一人じゃない。世界中にいる。
全世界が、静かな地獄の中で、初めて一つになった夜。
施政者や神様に禁じられたわけでもないのに、すべてのサウンドを自ら殺した、一晩の物語。
あの夏の日に起きたすべてを、語ろうと思う。事件の中心にいたものとして。
僕にとっては、とてつもなく特別で、美しい時間だったから。
そして、事件の渦中にいた他の人たちは、「夢だったらどれほどよかったか」とか言い出して、語らないかもしれないから。
特に、僕の師匠は。
さて、何から話そうか。
――すべての音が消えた瞬間?
――僕と師匠が、初めて言葉を交わしたとき?
――師匠の師匠が死んでしまった五年前?
――師匠の師匠のそのまた師匠が、『氷の世界』とともに生まれた、一九七三年?
――『四分三十三秒』初演時?
――エジソンの蝋管レコード発明?
あるいは、もっともっとさかのぼって。
――
――プラトンがムーシケーを論じた著作『国家』について?
――言葉さえあやふやな初期人類が、闇の中、はじまりに奏でた音楽?
馬鹿を言うのは、この辺にしとこう。現代人は短気だ。イントロが長い曲はえてして嫌われる。僕も嫌いだ。
醒めないでほしいと願った、あの一年前の雨の夜の夢から、本題に入ろう。そして第一章では、僕がいかに人工知能時代の音楽の現実にへこまされ、励まされ、そしてどのように師匠と直に対面することになったかについて、語ろうと思う。
そこから、僕と師匠は、期せずして人間と音楽の未来をかけた戦いに身を投じることになるのである。
誇張とか抜きに、本当なんである。
では。
少し長くかかるかもしれないけど、頑張ってみる。
最後に一言だけ。
二〇四〇年 七月二十九日
追伸:この文章の冒頭を読んで、眼鏡の似合うイギリス人を思い浮かべた方。正解です。
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