第76話 観衆の話


 トゥユたちはイェニー城の近くの森の中にある茂みに体を隠していた。

 ティートが来る事を知っているはずなので、敵の警戒を心配して隠れていたのだが、予想に反し、イェニー城の周りにはあまり兵の姿を見る事はなかった。


「どういう事なんだろうね? ティートが来る事が分かっているのに兵が全然いないよ」


 ここまで兵が居ないとなると逆に何かの罠を張っているのではないかと思わざるを得なかった。


「私は何か罠を張っているんじゃないかと思うな。ここまで警戒心がないのが逆に怖い」


 望遠鏡を覗いていたソフィアがトゥユの発言に罠の可能性を指摘する。それは副官として当然の判断でおかしな所は何処にもなかった。


「ガハハハッ、俺様が来ると言う事で恐れをなして城で籠っているんじゃないのか?」


 そんな訳あるかと言う表情でソフィアはティートを見つめるが、ティートが来ると言う事で監視だけを強化しているのでティートの言う事も強ち間違ってはいなかった。


「敵も居ないようだしそれでは行くか」


 茂みの中から立ち上がり、思いっきり姿を晒すティートをソフィアは慌てて座らせる。


「相手の出方も分からないのに突っ込んでいくなんて愚の骨頂だぞ」


 烈火のごとく怒りをあらわにするソフィアをティートは肩を叩いて落ち着かせようとするが、逆にその行為がソフィアの癇に障ってしまい、ティートは長々と叱られる事になってしまった。


「でも、これだけ兵が居ないって事はティートの言う事もあながち間違っていないんじゃないかな? わざと城に篭って出てこないとしか思えないな」


 トゥユの意見にティートが天下を取ったような顔をソフィアに向けるとソフィアはそっぽを向いてしまった。


「ソフィアとナルヤはここでロロットを守っておいてちょうだい。ウルルルさんもここでお留守番ね。私とティートだけで様子を見てくるわ」


 流石のソフィアもトゥユにそう言われては従う事しかできず、大人しく頷く事しかできなかった。


「分かった。だが、少しでも危険と感じたら戻って来るんだぞ」


 茂みの中から立ち上がりトゥユとティートはイェニー城に向けて歩き出した。イェニー城までは隠れる場所もない平坦な場所なのでトゥユたちは堂々と城に向かっていった。

 監視をしていた兵から連絡を受けたのだろうか、イェニー城から二人の男女が出てきた。

 一人は際どい服装をした隻腕の女性で、もう一人はティートと同じぐらいの身長があると思われる全身が隠れるほどの青い鉄盾を持った男性だった。


「やっと来たのかい。アタシを待たすなんて他の男だったらとっくに首と胴体が離ればなれになっている所だよ」


 舌を出して唇を湿らせるとアサンタは妖艶な笑みを浮かべてティートを舐めるように見回す。


「俺様にとっては殺し損ねた奴が生きているってだけで屈辱だからな。棺桶の準備は良いか? 今度はきっちり殺してやるよ」


 ティートも負けじと犬歯を剥き出しにしてアサンタに答えるとその目はすでに獲物を狙う猛禽類のものになっていた。


「じゃあ私の相手は貴方なのかな? ティートと同じぐらいの大きさなんてびっくりだよ」


 すでに仮面を着けているため驚いた表情は見せることができないが、トゥユは目の前に居るヒュユギストを見て驚きの声を上げた。


「貴様、『冠翼の槍』と引き分けたと言う話は本当なのか? こんな少女に引き分けるような情けない男とは思えなかったが」


 トゥユのあまりの小ささにヒュユギストはアサンタの話を疑い始めた。仮面を着けた扮装いでたちは不気味さを感じるが、あの小ささでソルと対等に戦えるとはどうしても思えなかったのだ。


『『冠翼の槍』はソルの事だぞ』


「あぁ、ソルさんの事ね。確かにソルさんとは引き分けだったわ」


 『冠翼の槍』と言われても最初はソルの事だと気付かなかったトゥユだが、ウトゥスの囁きで何とか話をつなげる事ができた。

 ソルとの勝負はトゥユの勝利で終わったはずなのだが、トゥユの中では両者生きていればそれは引き分けであり、まだ勝負が付いていない事を意味していた。


「ほう、それは重畳。それでは少しは楽しめるかな」


 フルプレートを着込んでいるヒュユギストは少し余裕のあった鎧が、筋肉が膨張した事によりその巨躯にピッタリと嵌り、無駄に立てていた音が一切しなくなった。


「しかし少し近いな。俺たちは少し離れるか」


 このままだとお互いの攻撃が不意に当たってしまう可能性もあり、それで決着がついてしまったら興が冷めてしまうためヒュユギストはアサンタたちから離れ始めた。


「じゃあ、私はあっちで戦ってくるね。ティートも負けちゃだめだよ」


 ヒラヒラと手を振ってヒュユギストの後を付いて行くトゥユを見てアサンタが舌なめずりをする。


「あの子もなかなかおいしそうだね。ヒュユギストには悪いけど、この戦いが終わったらアタシも参戦させてもらおうかな」


 トゥユのただならぬ雰囲気を察したのかアサンタは次の獲物に興味を惹かれるが、その前にはティートが立ち塞がっている。


「安心しな。お前がトゥユと戦う事は一生ねぇ。なぜならお前は俺様に殺され、無様に地面とキスをするのだからな」


 十分にトゥユたちが離れたのを確認したティートが剣を構えると、それに合わせてアサンタも鎌を構えた。


「悪い悪い。アンタの方が先だったな。そんなに妬かなくてもちゃんと殺してやるよ」


 その言葉を合図に二人が同時に地面を蹴る。片腕になってしまったアサンタだが、以前と変わらないスピードで鎌を振るってくる。棘の剣で受け止めたティートだったが、思った以上に鎌に威力があり、体勢を崩してしまう。


「チッ! スピードも威力も全然落ちちゃいねぇ。おかしいのは頭と服装だけにしろって言うんだ」


 何とか体勢を立て直したティートは剣の棘の部分で鎌を引っ掛けると、今度はアサンタの体勢を崩した。そのまま連撃で押そうとするティートだったが、アサンタが体勢を崩された勢いをそのままに距離を取ったため、追撃に失敗してしまう。


「アタシの服装に興奮するのは分かるけど、それは死んでからにしな。死んでからならお望みの角度で覗いても文句は言わないであげるよ」


 アサンタが体勢を立て直し、再び鎌を振って来るが、ティートはギリギリの所で回避する。ティートの想定ではもっと余裕を持って躱せるはずだったのだが、予想以上に鎌が伸びて来ていた。

 目測を誤る事など有り得ないと思ったティートはアサンタを見ると、前回は鎌の柄の真ん中あたりを持って攻撃してきていたのだが、今回は石突の部分を握って攻撃を仕掛けてるのが見えた。

 片腕になった事で力押しでは分が悪いと思ったのだろうか、鎌のリーチを最大限に生かして懐に入れる事なく攻撃をしようとしているのが見て取れた。


「思ったより頭を使ってるじゃねぇか。俺様はてっきり頭の中も腐ってると思ったぜ」


 何とか攻撃を躱しながらティートはアサンタの戦闘センスを褒めるが、アサンタはあまり嬉しくないようだった。


「アタシの頭の中に花が咲いているのは認めるが、ここまで避けられると癪だねぇ。アンタの反射神経の方がぶっ壊れているんじゃないか?」


 何度振るっても当たらない鎌に苛立ちを覚え始めているアサンタだが、ふと周りを見ると、いつの間にか兵に取り囲まれていた。

 イェニー城に居た兵は滅多に、しかも安全に帝国が誇る二つ名の戦いが見られるとあって、城で大人しくしている事ができず、周りに集まってきていたのだ。

 それはアサンタの所だけでなく、ヒュユギストの所にも集まっており、ヒュユギストたちの姿はここからでは見る事ができなくなっていた。


「何だい何だい。そんなにアタシの戦いが見たいのかい? これは興奮するね。下半身がジンジンしてくるよ」


 苛立っていた事など忘れたアサンタは観衆に見られて鎌を振るう事に恍惚の表情を浮かべていた。


「チッ! 見せもんじゃねえってのに。それにしてもさっきより鎌のスピードが上がってるってどういう事だよ」


 先ほどまでもギリギリで躱していたのだが、今では鎌が皮一枚斬りつけるようになってしまっている。それもこれもアサンタが興奮してきてから動きがよくなってきたのだ。


「キヒヒヒヒッ、アタシはね。興奮してくると調子が良くなってくるんだよ。もっと興奮させてくれよ。ほらっ! ほらっ!」


 アサンタはもっと打ってこいと言った感じで攻撃をしてくるが、ティートは敢えて防御に徹する事で攻撃を控えていた。

 それはアサンタは片手で鎌を振っているので、両手で鎌を振っている時より体力の消耗は激しいはずだ。ここは相手の体力を使わせた方が後々有利になるとの判断だったが、その考えは間違いだったとすぐに分かった。

 ティートがアサンタの鎌をバックステップで躱すと、周りを囲んでいる兵に体が当たってしまった。


「ほらっ! もっとしっかり攻撃しろよ!」


 ティートとぶつかった兵がティートの背中を蹴り飛ばし強引にティートをアサンタの前に出す。


「この野郎! 何しやがる!」


 文句を言いながら後ろを振り向くが、兵は完全に観戦に酔っており、手を上げて大声で叫んでいる。良く見ると周りでは興奮した兵同士が殴り合いをしていたり、手にお酒を持って勝敗の賭けをしていたりと日頃の鬱憤を晴らす場所となっていた。


「何だここは? 兵の息抜きぐらいちゃんとやっておけってんだ」


 独り言ちるティートは気持ちを切り替え、目の前のアサンタに集中する。アサンタもただ黙ってみていただけではなく、鎌を回転させ、その遠心力を最大限に生かせるように準備していた。


「これを受けて見ろ!」


 十分にスピードが乗った鎌をティートに向かって叩きつける。ティートは棘の剣を体と鎌の間に差し込む事でその攻撃を防ぐ事はできたが、鎌の威力を完全に殺す事はできず、再び周りで囲んでいる兵の所まで弾き飛ばされてしまった。

 周りに居た兵も今度はティートを止める事ができず、ティートと一緒になって倒れてしまった。そこにアサンテがジャンプして迫り、鎌を上段から振り下ろす。


 グワァァァァァ!


 辺りに悲鳴が響き渡り、振り下ろされた鎌は見事頭を貫き、地面に深々と突き刺さり、頭からは大量の血が地面を濡らしていた。

 その犠牲となったのはティートと一緒に倒れこみ、下敷きになってしまっていた兵であり、ティートは体を回転させ、アサンタの攻撃を躱していた。


「あぁ、良い声で鳴くわね。もっと聞かせてちょうだい」


 地面に突き刺さった鎌を引き抜くと、周りに居る兵を気にする事なくアサンタはティートに向かって鎌を振るってくる。ティートが避けるたびに周りに居た兵が犠牲になり、辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


「テメェ! 味方も関係ねぇのかよ!」


「はぁ? アタシはここに居る兵を味方だと思った事はないね。ヒュユギストの部下って考えると敵と言った方が正しいほどだ」


 アサンタの言葉を聞いた兵たちは慌てて後ろに下がり始めた。巻き込まれてはいけないと言うのもあるが、アサンタが敵として認識した者は全て殺されると知っているからだ。

 尚も逃げ遅れた兵を巻き込みながら鎌を振るアサンタは返り血で自分の体が濡らされるたびに官能的な表情を浮かべ、鎌の威力を増していく。


「本物の変態だな。味方の血を浴びて強くなるなんて聞いた事がねぇ」


 何とか隙をついて立ち上がったティートだったが、周りを見るとあれだけ多くの兵が囲んでいたのだが、今では数人が残っているぐらい少なくなってしまっている。


「あら? ちょっと殺し過ぎたかしら? まあ良いわ。雑兵なんていくら殺した所でアタシを満足させる事なんてできないんだから」


 やっと少し落ち着いたのかアサンタは周りを見回して減ってしまった兵にそんな感想を漏らすが、自分の顔に付いた返り血を舐め取ると首だけを回してティートの方を愛おしい顔で向いた。


「観客は少なくなったけど、これでアンタに集中できるわね。さぁ、アタシをイカせてちょうだい」


 鎌を肩に担いで後ろを振り向く姿は一見すると悩ましく思えるのだが、中身が酷すぎてそんな感情が浮かんでくる事はなかった。


「くそったれが! そんなにお望みならテメエの体に剣を食らわせてやるよ」


 ティートが剣を構えて地面を蹴ると、アサンタに向かって剣を薙いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る