第71話 頓挫の話


 トゥユは王都の中に簡単に入り込む事ができた。城壁からの兵の攻撃もほとんどなく持って来ていた破城槌で簡単に城門を開く事ができたからだ。


「もっと一杯兵が居ると思ったけど、思ったより少ないわね」


 本来なら王都には一万ほどの兵が残っていたのだが、その数は半分近くにまで減っていた。ジルヴェスターが負けたという噂が広まってしまい、我先にと兵が逃げ出してしまったのだ。


「あぁ、だが、そう思えるだけで我々よりも兵は多いのだ。油断をすると何が起こるか分からんぞ」


 ソフィアが心配そうに注意を促して来るが、ジルヴェスターが居なくなった兵は統率がとれておらず、バラバラに向かってくるだけで怖さは全くない。


「そうね。注意しながら行きましょうか」


 ソフィアの言葉を胸にしまいつつ、トゥユは向かってきた兵に軽く戦斧を振るうと向かって来ていた兵が吹き飛ぶ。その様子を見る事もなくトゥユは敵の本陣があると思われる王城に向かって歩き出した。


 王城ではブラートが一生懸命、兵に命令を出しているのだが、その命令は兵に伝わっていなかった。何人も逃げ出してしまったせいで命令の伝達にも支障をきたしており、ブラートの命令がどこかの段階で途絶えてしまっているのだ。


「くそっ! アサンタ様は殿に居るんだ? 応援に来たのではないのか?」


 アサンタがティートと戦っている事を知らないブラートは独り言ちる。その時、会議室の扉が急に開き、兵が飛び込んできた。

 その兵は急いで入って来たと言う訳ではなく、文字通りトゥユに吹き飛ばされて部屋に入って来たのだ。


「やっと見つけたわ。こんな所に隠れていたなんて。お久しぶり、リシャール監視塔ではお世話になったわね」


 トゥユが戦斧を肩に担ぎ、部屋に入ってくると正面に居たブラートとの再会に挨拶を述べる。


「貴様はあの時の『総面の紅』か。もうここまで来たのか。兵はどうしている? 早くこいつを捕まえるのだ!」


 その命令に従う兵は一人もいない。兵が命令を無視しているのではなく、単純に兵が居ないのだ。


「無駄よ。ここに来るまでの兵は全員倒しちゃったもの。残っているのはこの部屋に居る人たちだけ」


 実際は他にも兵は居るのだが、トゥユの進んできた道では全ての兵が倒されており、あながち嘘と言う訳でもない。

 ブラートは呼んでも入ってこない兵に、トゥユの言っている事が本当だと悟り、腰から剣を抜いて構えを取る。部屋に居た文官は戦意を失くして部屋の隅で震えているだけなので使い物にはならず自分が戦うしかないのだ。


「あら? 貴方戦えるの?」


 トゥユが不思議そうに首を傾げるが、ブラートはそんな事関係ないとばかりにトゥユに向かって剣を振り下ろす。当然、文官としての働きしか実績のないブラートではトゥユに剣を当てる事などできず、その剣はトゥユの戦斧に弾かれ、無様に宙を舞った。


「全然駄目ね。リシャール監視塔の時も思ったけど、貴方に剣を振る才能はないわね」


 トゥユはその場から全く動かず、肩に担いでいた戦斧を軽く振るっただけでブラートの剣の腕前を見切り、そう評価した。

 それでもブラートは諦めず、剣を拾い直して何度もトゥユに向かって剣を振るうが、一太刀も浴びせる事ができず終いには息を切らしてしまった。その様子はまるで父親が子供に剣の手ほどきをしているような様子だった。ただ、父親と子供の立場が逆なのだが。


「私がこんな所でやられるはずがない! 私は私の国を作って見せるのだ!」


 それでも諦めないブラートは、少し息を整えると、体力の続く限り剣を振るう。そんな気合だけでは到底埋まらない溝がトゥユとブラートの間には有り、ブラートはとうとう剣を構えるのも困難なほど疲れ果ててしまう。


「くそっ! なぜ当たらんのだ! こんな小娘が私に勝つなどあってはならんのだ!」


 そんな叫びをあげるブラートにトゥユは目の前まで歩いていくと、戦斧の柄頭でブラートの腹を打ち付けると、ブラートは泡を吹きながら気を失って倒れてしまった。


「ソフィア、レリアお姉ちゃんを呼んできてくれるかな。」


 トゥユが気を失ったブラートを見下ろしながらソフィアにレリアを連れてくるようにお願いすると、ソフィアは頷いて部屋を出て行った。

 暫くするとソフィアがレリアを連れて戻ってきた。警護と言う事でワレリーも一緒のようだ。


「あっ、レリアお姉ちゃん待っていたよ。この人はお姉ちゃんの好きなようにしていいよ」


 トゥユは気を失って倒れているブラートを蹴とばし動かないのをレリアに見せると、一歩ブラートから離れた。

 レリアはゆっくりとブラートの所に歩いていき、動かないブラートをじっと見つめる。始めて見たブラートの顔はレリアが思っていたよりも人が好さそうで、親兄弟を殺した人とはとても思えなかった。

 直接的か間接的かは知らないが、ブラートは間違いなくレリアの大事な人を殺したのだ。その憎しみは、親兄弟の顔を覚えていなくとも消える事は決してなかった。


「ソフィア」


 トゥユが静かに合図すると、ソフィアは自分の腰に携えていた剣を抜いてレリアに手渡す。

 レリアが大きく息を吐くと、ソフィアから手渡された剣を両手で持ち、大上段に構えた。


 ――この人は私の肉親を殺したんだ。振り下ろせ! 振り下ろすんだ!!


 後は振り下ろすだけの剣は何時まで経っても動く事はない。いや、動いているのだがそれは震えているだけなのだ。


 ――悩むな。何も考えず剣を振り下ろせば終わるんだ。恨みが張らせるんだ。


 だが、剣が振り下ろされる事はない。

 トゥユに合図を受けたソフィアが目に涙を浮かべ震えるレリアから剣を取り上げるとそっと抱きしめた。


「レリア、それで良いわ。貴方に人殺しは似合わない」


 ソフィアの胸に抱かれたレリアは声を上げて泣き出した。いくら恨み、憎しみの対象であっても、それを簡単に殺す事ができないレリアは人として真っ当な心を持っていた。


 ザクッ!


 全員の視線がレリアに向いている時、ブラートの方からそんな音が聞こえた。その音の方を向くと、そこには倒れているブラートに向かい、躊躇いなく首を斬り落としたトゥユが立っていた。


「どうして……」


 レリアの呟きに反応し、トゥユは体を回転させてレリアたちの方に振り向くと、


「レリアお姉ちゃんが殺さないから、私が殺しておいたわ。せっかく恨みを晴らす良い機会だったのにお姉ちゃんも勿体ない事をするわね」


 トゥユはブラートを殺しただけでなく、部屋の隅で縮こまっている文官たちの前に行くと、一切の躊躇もなくすべての文官の首を刎ねた。


「良し。ここはもう終わりね。後はリーダーとか言われている人がいるんだっけ? その人を殺しに行きましょう」


 部屋の中に居た害虫を殺したぐらいにしか思っていないトゥユは戦斧を肩に担ぐと、もう一人の目的の人物を探しに部屋を出て行った。

 トゥユが出て行った部屋でレリアはショックを受け、床に座り込み動く事ができなかった。ブラートを許す気はなかったが、何も殺してしまう事はなかったのだ。

 ソフィアがトゥユに付いて行ってしまったため、ワレリーが代わりにレリアの傍に寄ってきてレリアの体を支える。


「私も殺す事はないのではと思ってしまいました。普通の人間が無抵抗な人間をあそこまで簡単に殺す事ができるとは、トゥユ総長は何処か我々とは何か違うのでしょうか?」


 これがワレリーの率直な意見だった。戦場に立っていれば相手を何の容赦もなく殺す事があるが、武器も持っていない無抵抗な人間をワレリーは殺した事がなかったのだ。


「はっ! ワレリーさん、トゥユは? トゥユは何処に行きました?」


 意識が戻ってきたレリアは辺りを見回してトゥユを探すが、その姿はすでにどこにもなかった。


「トゥユ総長なら先ほどミトラクランのリーダーを探しに行きました」


 ワレリーの答えにレリアは立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまっており、立つ事ができなかった。そんなレリアをワレリーは「失礼」と一言だけ言ってレリアの腕を肩に回し、支えながらトゥユを追っていく


 トゥユはルーシーの部屋に入るとその物の多さに驚いた。部屋には骨董品やら洋服屋らがあり、大きな部屋のはずがとても狭く見えた。


「誰? 貴方たちは? 私の部屋に勝手に入って来るなんて失礼でしょ!」


 ミトラクランが攻め込まれているのを知らないのかルーシーは入ってきたトゥユを叱り飛ばした。


「アハハハッ、貴方面白いわね。この無駄な洋服とかも貴方が無駄遣いしたんでしょ? とても助かったわ」


 トゥユは掛けてある洋服を手に取り、ひとしきり眺めると興味がなさそうに床に投げ捨て踏みつけた。


「この国は私の物よ。そのお金で何を買おうと私の勝手じゃない! 貴方にとやかく言われる筋合いはないわ」


 トゥユは何処かこの人物を好きになってしまいそうだったが、何とか心を落ち着け、敵であると再認識する。


「えぇ、そうね。そのおかげで私たちは助かったのだから何も言う事はないわ。じゃあ、もう死んでくれる?」


「ふっ、私が兵を呼べば貴方はそれまでよ。ジルヴェスターを! 誰かジルヴェスターを呼んでちょうだい!」


 だがその呼びかけに誰も答える者は居ない。当然、ジルヴェスターも居ない。それを知らないルーシーは何時まで経っても来ない兵に苛立ちを覚え始めた。


「どうしたの? 誰かいないの? 早くいらっしゃい!」


 何度呼びかけようが来ない兵と、勝手に入ってきたトゥユたちの事を考えるとやっとルーシーは自分の置かれている立場を認識し始めた。


「も、もしかして……。貴方たちがジルヴェスターや兵たちを……?」


「アハハハッ、やっと気づいた? ミトラクランはもう終わりよ。貴方を倒してしまえば、後は敗残兵の処理だけよ」


 状況を正しく把握した事でルーシーはパニックに陥る。自分の傍にあった骨董品やぬいぐるみなどを手当たり次第にトゥユに投げつける。


「トゥユ、私が大人しくさせようか?」


 ルーシーの余りのパニックぶりにソフィアが申し出るが、トゥユは首を振ってこの申し出を断る。


「大丈夫よ。後は首を刎ねるだけだもん。暴れていたって構わないわ」


 トゥユがルーシーに向かって歩を進めると、ルーシーは椅子から転げ落ち、後退りしながら、手近にあった物を投げつけるが、すぐに投げる物がなくなってしまった。


「ま、待って。貴方の欲しいものは何? 私を助けてくれたら何でも買って上げれるわ。どう? 悪い取引じゃないでしょ?」


 ベッドに後退を阻まれたルーシーは何とかトゥユを買収してしまおうとするが、トゥユは歩みを止める事なくルーシーの前に立ちはだかった。

 トゥユが仮面を着けいてるため表情を読み取れないルーシーは今の取引が成功したのか失敗したのか判断が付かなかった。

 引きつった笑顔でトゥユを見るルーシーは、「嫌、嫌」と言いながら無意識のうちに首を振って泣き始める。


「大丈夫よ。痛くしないからちゃんと死になさい」


 トゥユが戦斧を振り上げるのとレリアが部屋に入ってくるのは同時だった。


「トゥユ! 止めて!!」


 レリアはトゥユが何をしようとしているのかすぐに分かり止めようとしたが遅かった。

 トゥユの足元にルーシーの首が転がり、ルーシーの胴体から勢いよく噴出した血はトゥユの体を濡らしていく。


「間に合わなかった……。トゥユ、なぜ無抵抗な人を……」


 トゥユはレリアが部屋に入って来たのに気づくと血で濡れた体を捻り、レリアの方に向いた。


「あっ、レリアお姉ちゃんも来たんだ。ごめんね、敵のリーダーは私が殺しちゃった」


 トゥユはレリアが自分の手で殺すためにこの部屋に来たと思い、謝罪を口にするが、レリアはそんな事をするためにここに来たのではない。

 レリアはこれ以上はトゥユの行動は見逃せなくなり、トゥユを止めようとするが、トゥユにはまだやる事があるのだ。


「レリアお姉ちゃん、ごめんね。話は後で聞くわ。まだ皆は戦っているから私はもう行くね」


 そう言い残し、トゥユはまたもやレリアを置いてソフィアと共に部屋を出て行ってしまった。


「レリア様どうしますか? このような事を続けて行けば、いずれ兵も民も離れて行ってしまうかもしれません」


 ワレリーは今後の国の行く末を心配し、レリアにトゥユの処遇について疑問を投げかける。


「そうね。一度ちゃんと話をしないといけないわね。この戦いが終わったらトゥユと話をしましょう」


 トゥユと話をしても何も解決しないかもしれない。トゥユは帝国、教会、ミトラクランに対し、強い恨みを持っているのだ。それでもレリアはトゥユと話さなければならない。それでトゥユと道を違えてしまったとしても。

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